Not Alone
いつだったか、満天に煌めく星空を2人は寄り添いながら見上げていた。"夜"という闇を照らす光に心を踊らせ、日が昇るにつれて消えていくのが名残惜しかった。寂しげに星々を見送る妹に兄が微笑みながら、また一緒に星空を見ようと約束した。廻り廻って変化していくこの世界の中で兄と自分は永遠を共に生きるのだと、妹はそう信じていたのだ。
思い出した─────いや、思い出してしまった。神である自身に立ち向かってくる人間の少年、彼の右眼にはあのとき兄と一緒に見上げた空と同じように星々が円環の紋様を描いている。懐かしき思い出も今となっては忌まわしい記憶でしかなく、イザナミは憎悪を剥き出しにしながらかざした手を振り下ろす。
『その眼で・・・妾を見るなぁぁぁ─────!』
波のように押し寄せる影を躱しながら千歳はイザナミとの距離が離れてしまう。しかし心中にはもう絶望などなく、両眼の魔眼は深淵の中にいる紗奈の影を見据え、強い思いに呼応するかのように白銀色の龍脈が虹色の光を帯びはじめた。そこへ並び立ったダンテが『サナにDarkのドレスは似合わないな』と瘴気によって黒く染った彼女のドレスに不満を洩らし、『たしかに』と微笑んだ千歳は龍脈で自身を覆い、龍装を纏うなかで白銀色のネクタイを着けた白いシャツの上から黒い龍脈が一瞬人の形となって背後から抱き締めると黒いジャケットへと姿を変え、龍装の装着を完了させた。
「行こう、ダンテ!」
「あぁ─────チトセ!」
そして駆け出し向かってくる2人の行く手を阻むべく、イザナミは冥力の影を様々な形状に変化させながら攻撃を仕掛けるが駆けつけた千尋たちがそれらを払い除けて親友のために道を開く。
以前のように輪廻現しの眼の能力を使う様子はないが両眼の魔眼に浮かぶ円環の紋様は光を宿しており、イザナミが既に天道・人器天身の能力を使用している事を示していた。神とはいえ意識の深淵を蠢く思念体であるイザナミが精神に掛けられた鍵をくぐり抜け、紗奈から身体の主導権を奪うにはこの能力を頼らざるをえなかった。
対象の精神に深く繋がることなど、人器天身を使うにあたっていくつか条件はあったがそれらはイザナミにとっては他愛もなく、最後の条件もこの日、紗奈が千歳と共にいる中で満たされていた。
イザナミが人器天身を発動させるために必要だった最後の条件とは、紗奈が天にも昇るような幸福を感じることであった。
(天道を解けば権能を使えるというのに・・・)
結果的に紗奈から身体の主導権を奪うことはできたが他の権能を発現できなくなった現在、苦戦を強いられていたイザナミが膨大な冥力で自身の眷属である邪龍を創造し、産声の咆哮をあげた黒龍が主へ仇なす者たちを撃滅せんと襲いかかる。
「行くぞ、チトセ!!」
「─────OK! Master!!」
阿修羅で迎撃しようとしていたところにダンテから声を掛けられ、彼のかざす拳を見て意図を察した千歳は秋水を鞘に納めると握り締めた拳に龍脈を集中させた。そして大地を蹴って飛び上がった2人が向かってくる邪龍に向けて共に龍脈を纏った拳を突き出す。
「「Dragon─────Punch!!」」
拳に込められた龍脈が龍の姿となって邪龍を打倒し、ダンテの掲げたサムズアップと親友たちからの声援に背中を押されながら千歳は両手の掌を前にかざして風の属性で乱回転する虹色の龍脈を球状に圧縮、そのままイザナミに向けて押し出した。
迫り来る虹色の玉はイザナミの目前で炸裂すると美しくも優しい、眩い光が彼女を呑み込んだ。その光の中に千歳も飛び込み、紗奈の身体を抱き締めながら自身の龍脈と冥力の影を繋げた。
─────
───
─
愛する人に別れの挨拶をすませた紗奈は深淵の中で1人、ただ自分の生命が終わる時を待っていた。突如、空で虹色の光が花火のように弾けて世界を覆う闇を祓い、やがて一点の穢れもなく真っ白になったこの部屋で自分を呼ぶ声が聞こえ、顔を上げると遠くから人影が段々とこちらへ近づいてくる。
「迎えに来たよ、紗奈ちゃん・・・」
そして目の前で立ち止まって手を差し伸べた彼の優しい笑顔に紗奈は口を覆いながら『どうして?』と戸惑いの表情を見せ、彼女の覚悟をわかっていた千歳もどう言葉を返せばよいか悩むが気の利いたセリフなど思い浮かぶはずもなく黙ってしまう。
「紗奈ちゃんがいなくなるのは・・・嫌だったから・・・だね」
やっとのことで出てきた千歳の言葉に『そんなことで?』と言いたげに表情を歪め、呆れたような深いため息を洩らしたあと紗奈が口を開く。
「私だって・・・あなたが傷つくのが嫌だった!あなたを傷つけた私も同じくらい嫌で、だから私が・・・私は・・・!」
「・・・ごめん」
本気で怒りを露わにする紗奈を見るのは初めてのことでたじろぎながら陳謝した千歳は更に身を屈ませ、いまにも泣き崩れそうな彼女を抱き締めた。すると意識の世界にいるからなのか様々な感情が流れ込んでくるのを感じ、千歳は再び『ごめん』と謝った上で本気で紗奈を守りたかったのだと本人に告げた。
「君が死んだら俺は・・・独りになる・・・お願いだからもう『殺して』なんて言わないでくれ・・・」
「・・・っ・・・」
いっそう強く身体を抱き締めながら涙声で告げられた千歳の悲痛な思いに、孤独がどれほど寂しく、深い絶望に沈む感情なのかを理解していたはずがあやうく彼に苦しみと十字架を背負わせようとしていのだと紗奈は己の間違いに気付く。そしていま千歳が生きているということの安堵感とこうして自分を迎えに来てくれたという喜びの感情が彼女の心中を満たし、彼の身体を両腕で力いっぱい抱き締めて『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えた。
『一度ならず二度までもここに来るとは、この無礼者が・・・!』
再会を喜ぶ2人の前に黒い人影が現れ、この精神世界を訪れた千歳をジロっと睨む。その人外の響きを帯びた声にイザナミだと気付いた千歳が紗奈を後ろへかばおうとするが、紗奈は今まで声しか聞いた事のなかった自身の心の闇である彼女と正面から向き合った。
「アナタが・・・イザナミ?」
『紗奈、この男の言葉に惑わされるな。お前の孤独を理解できるのは妾だけだ・・・!』
闇が祓われたこの世界において人の形を維持するのが精一杯であったイザナミは深淵へ戻ろうと言葉を尽くし、『そうだね』という紗奈の反応に一瞬、心の中で安堵の感情がよぎる。しかし彼女の表情から優しい笑みが絶えることはなく、世界が再び闇に染められることもなかった。
「でもね、私はずっと独りじゃなかったよ。千歳くんと・・・アナタがいてくれたから」
『なっ─────』
思わぬ言葉に動揺してしまったイザナミは『一緒に行こう?』と手を差し伸べた紗奈にそっぽを向くようにかかとを返し、この白い部屋から姿を消した。千歳が紗奈の手をそっと握って『帰ろう』と言葉を掛け、頷きあった2人は扉を開けて現実の世界へ共に足を踏み入れる。