Untouchable
─────あの時の事をお前は覚えているか?
共に現世へ生まれ落ちた兄であり怨敵でもある伊邪那岐、その転生者の千歳と対峙した伊邪奈美はこう問い掛けた。なんの事かわからず『え?』と返す千歳の目の前に突然現れ、右手の掌で左肩に触れると袈裟懸けにそっと撫でる。
『紗奈を庇ったお前はたしかこのように切り裂かれたのであったな?そして妾が気まぐれで傷を治そうとした時だ、この娘が抱く恋慕の情によって力の半分をお前に与えることとなってしまった─────』
幼少の頃、千歳と紗奈が異形に襲われた時のことをイザナミはどこか残念そうに語りながらもその表情はほくそ笑んでいた。恋慕の情、つまり愛情を否定、嘲笑うかのような笑みを見せ、尚も言葉を続ける。
『そこで妾はお前に呪を掛けた。力が回復するまでの間、死なれては困るからな。こうして現世に出れるようになるまで10年も経ってしまったよ、目の前で獲物が無防備にしているのをただ眺めるしかできないもどかしさがお前に理解できるか?だがいま妾はこうして・・・お前に触れることができる─────』
そう言ってイザナミは千歳の身体を撫でた手の指先を今度は心臓がある左胸にとんと押し当てた。彼女の静かな声色からは想像だにできない殺意に満ちた眼差しと纏う影のざわめき、その今にも呑み込まれそうな迫力に圧倒され千歳はまるで金縛りにあったかのように立ち竦む。
そこへダンテが2人の傍へ歩み寄り、イザナミの手をそっと降ろす。すると彼女の視線はダンテへと向けられ、緊張から解放された千歳は静かに深呼吸をした。
『おやまだいたのか、お前の龍脈が妾には無意味だということは理解したと思ったが・・・』
「無意味ではないさ、さっきのあの一瞬で私は希望を見つけたのだからな!」
そして千歳の左肩にポンと手を力強く乗せ、ダンテは勇気づけるかのように青い炎の龍脈を渦巻かせた。吹き抜ける熱風に励まされながら千歳が黒い龍脈を纏い、そんな2人を前にしてイザナミの表情から不敵な笑みが消えることはなかった。
『お待ちを、伊邪奈美命─────』
声と共に天翁の同志であるスーツ姿の男が4人現れ、イザナミの前で跪いた。千歳に友好的な態度を見せていた朧もおり、魁が頭を垂れたまま口を開くとまず自身たちの遅参について詫びの言葉を述べた。上機嫌であるイザナミから許しを得られた魁は感謝し、天翁からの命で護衛を仰せつかったことを告げる。
『つまりお前たちは妾が命じればそれに従う、ということか?』
「はっ、なんなりと御命令を・・・!」
『では手始めにこの邪魔な結界を張っている封印を破壊しろ。その後は・・・そうさな、ここから逃げた人間共を始末しておけ』
邪龍の封印が解かれてからこの紫ヶ丘は強固な結界に包囲されておりイザナミは空を指差しながらこの結界を張っている封印の解除を命じ、どちらかと言えば人間たちの殺戮の方に魅力を感じた魁は『仰せのままに』と邪悪な笑みを浮かべる。そして4人がそれぞれ街の外へ出ようとした時、彼らの前に千尋と千晶、そして愛車のエンジン音と共にこの場へと戻ってきた千悟立ち塞がる。
戦いのあと姿を消した天翁がこの場にいる様子はなく、千尋に行方を訊ねられた魁は丁寧に挨拶の言葉を述べつつ同志は総仕上げ前の休養中だとあくまで居場所は告げなかった。イザナミからの勅命を果たさなければならず、道を空けて頂きたいと丁重に願い出る魁に『断る』と即答した千尋は紫電を纏う。
「蒂、臥、人間だからと高を括るなよ!」
星霊を破った千悟と天翁をして千尋と同格とまで言わしめた千晶、彼らと対峙する同志たち2人に魁が釘を刺すと千晶が相対する蒂は小鬼風情が・・・と、忠告に対して不満の言葉を洩らし、千悟と面識がある臥は心得たと掌を合わせて頷く。
そして朧に発破をかけ、先に行かせた魁の視界に自身を切り裂こうとする紫電の刃が映る。咄嗟に飛び退いて躱し、鬼恐山の時と同じように黒い雷を身に纏いながら"参ります"と声を掛けて千尋との戦いに身を投じた。
同じ頃、迫り来る黒い影をくぐり抜けながらイザナミに近づこうとする千歳の黒い龍脈に異変が起こる。イザナミの黒い影が龍脈を侵食し、無効化してくるのはダンテから聞いていた。高密度の龍脈で形成されたドラゴン・ラウンズは影を払い除け、同じ龍脈で錬成された刀である秋水も影の侵食を受けない─────はずだった。
黒い影が秋水に纏わりついて刀身が溶かされでもしたかのように消えていき、その度に龍脈を練り上げて修復するが際限なく秋水を喰らう影に千歳は間合いをとった。そして影が届かぬ距離から刀身に龍脈を目一杯に纏わせ、渾身の一振にて断風を放つとイザナミが悠然とした態度で黒い斬撃に掌を向け、グッと握りしめた。
すると唸りのような風切り音と共に飛翔していた断風が影と融けあい、驚きの声を洩らしながら唖然とする千歳に思わず吹き出したイザナミはひとしきり笑ったあとで呆れたように訊ねる。
『先程から随分と不思議そうにしているが、存外鈍いのだな童。忘れたか?お前のその力が、元々誰のものであったのかを─────』
「っ!」
その言葉を聞いた千歳が龍装を解き、愛刀の秋水でさえも鞘に納めた。自身の纏う黒い龍脈は紗奈の思いによって分け与えられたイザナミの力、ゆえにこのまま龍装を維持すれば彼女に龍脈を奪われてしまうと気付いたのだ。
しかしそれは同時に唯一の武器を失うことを意味しており、為す術もない千歳に対してイザナミがニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべながら両眼を閉じる。そして再び瞼が開いた時には先程までの冷たく鋭い眼差しから一変、暖かな優しさを帯びた視線で千歳と見詰めあった。
「・・・紗奈ちゃん?」
「千歳くん─────」
2人は確かめるかのように互いの名を呼び合い、戦いで傷を負った千歳に涙が紗奈の頬を濡らす。突如として意識が闇に呑まれ、それからなにが起こったのかはわからないが彼が自分のために戦っていたことも自分に残された時間がわずかなことも理解した。再び闇に呑まれないうちに、まだ"椎名 紗奈"でいられるうちに伝えなければならないと彼女は涙を拭い、穏やかな声色で千歳を呼ぶ。
「ごめんね、私のために・・・でも、もう終わりにして?これ以上あなたが傷付くのは嫌なの・・・」
「紗奈ちゃん・・・?待って─────」
彼女がなにを言おうとしているのか、千歳にはわかっている。だからこそ引き止めた。しかしそれでも彼女の決意が揺らぐことはなく、最悪の結末が告げられる。
「お願い私を─────殺して─────?」
「・・・っ・・・」
言葉とは裏腹に紗奈が見せた満面の笑顔を最後に彼女は顔を俯かせ、再びイザナミの意識が紗奈の身体を器とした。余計なことを、とぼやきながらも呆然と立ち尽くす千歳に安心しろと声を掛け、死ぬのはお前だと高笑いを響かせた。