思い出
『起きて、千歳くん』
暗闇の意識の中で名前を呼ばれ、千歳が目を覚ますと寝ている布団の傍で紗奈がニコッと微笑みを浮かべていた。朝の挨拶を交わして広間へ向かい、朝食後に紗奈が祖母に千歳と神社に行ってくることを伝え、『行っておいで』と祖母の咲耶は頷く。それから部屋に戻って着替えた2人は上着を羽織り、芹奈に見送られながら椎名の屋敷を出た。
雪も降っておらず晴天の中を歩いてたどり着いたのは寂れた神社、紗奈は懐かしそうな表情で境内を歩き回り、千歳はどこか神秘的な雰囲気を放つ神社を眺めていた。すると散策を終えた紗奈がおもむろに社殿の扉を開き、埃を払って床に座り込んだ。驚き戸惑う千歳に彼女は床を手でトントンと叩いて座るよう促す。紗奈の隣に座りながら、千歳は神社の人に見つからないかと緊張した表情で周りを見渡している。
「大丈夫だよ千歳くん。ここ廃神社だから私たち以外誰もいないよ」
「あっ・・・そうなの?」
安堵の表情を浮かべる千歳の肩に紗奈がもたれ掛かり、静かに語り掛ける。
「ちっちゃい頃ね、お姉ちゃんたちと一緒にここで遊んでたんだ。鬼ごっことかかくれんぼとか、こっちで新年を迎えた時も初詣に来たりね」
「紗奈ちゃんにとっての"思い出の場所"ってとこか・・・」
『そうだね』と言いながら紗奈の表情が段々と寂しげになりながら目には涙を浮かべ、『どうしたの?』と千歳が心配そうに顔を覗き込むと紗奈は指で涙を拭った。
「芹姉ちゃんに聞いたんだけどね、ここ・・・取り壊されちゃうんだって」
「そんな・・・」
新たな神社が村の近くに建てられ、離れにあるこの神社はだいぶ前から廃神社になっていた。そしてちょうど今年、紗奈が千歳と一緒に椎名家の屋敷に訪れた後日に取り壊しが決まったのだという。はじめて来た場所ではあるが千歳は紗奈の思い出の場所が無くなってしまうことに悲しみを覚えた。するとおもむろに紗奈が社殿の扉をそっと閉め、千歳と顔を見合わせながらゆっくりと顔を近づける。廃神社とはいえ、神聖なる場所でいいようなものなのかと千歳は戸惑う。しかし艶めかしく見詰めてくる紗奈の潤んだ瞳に千歳は理性を手放し、紗奈の唇を受け入れた。自分よりも小柄な体格の紗奈に押し倒され、それから2人は肌を重ね合わせて男女の契りを交わす。千歳は童貞を喪い、紗奈は処女を散らした。
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事後、2人は乱れた呼吸と服装を直し、千歳は紗奈の身体の下に敷いていた上着を拾い上げると3回ほど叩いて彼女に羽織らせた。照れ気味に『ありがとう』と言う彼女と身を寄せ合い、静かな境内を見詰めながら千歳はふとある疑問を紗奈に訊ねる。
「そういえば紗奈ちゃん、昨日から呼び方が『千歳くん』に戻ってるけど・・・」
「んー・・・昨日、耳かきの時に千歳くん眠ってたでしょ?その間に姉ちゃんたちに言われたのですよ、『男の子は可愛いよりカッコいいって思われたい』だって。だから・・・ね」
紗奈の答えに腕を組みながら千歳は思い返す。彼女が自分を『千歳くん』と呼んでいたのは幼少期の頃、その時分になにか『カッコいい』と思わせるようなことをしただろうかと。思い至る節がなく、『んー』と声をあげている千歳の耳元に紗奈がそっと顔を近づける。
「公園で怪獣から私を守ってくれたでしょ?あの時の千歳くん、すごくカッコよかったから・・・」
内緒話をするかのように囁きかけ、紗奈は照れ気味に千歳の腕に抱きついた。怪獣とはおそらく異形のことであろうか、彼女は噴水広場で千歳が自分を異形から守ってくれたのだと思っている。真実を見た千歳にとって、守ってくれたのは紗奈なのだが─────
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椎名の屋敷に戻った千歳と紗奈を芹奈が出迎え、見送った時とはどこか違った2人の雰囲気になにかを察したのかニヤニヤと笑みを浮かべた。そして2人に入浴を勧め、紗奈が先に浴場に向かうと芹奈は客間へ戻る千歳と一緒に廊下を歩いていた。
「神社でなにかなさったんですか?」
「・・・思い出話を聞いたり、まぁ色々と」
悪戯っぽい笑みを浮かべたまま芹奈が尋ね、千歳は一瞬、動揺しながらも言葉を返す。そして社殿の中で見た紗奈の姿を思い起こし、両手で頬を叩いて緩みそうな表情を引き締めようとする千歳に芹奈が擦り寄ってきた。
「お嬢様、いい思い出ができたみたいで喜んでましたよ。ありがとうございますね、坊ちゃん♪」
その言葉に頬を赤らめながら恥ずかしげに顔を俯かせる千歳を客間に案内し、芹奈は『んふふ♪』と上機嫌な様子でその場を去っていった。千歳は客間に入ると仰向けになって畳に倒れ、芹奈と同じように意味深な笑みを浮かべた葩子が呼びにくるまでじっと天井を見つめながら惚けていた。
入浴後、気分が落ち着いた千歳は廊下で咲耶に会い、会釈をした。すると咲耶も会釈を返すように頷き、なにかを思い出したかのように『あぁ』と声をあげて千歳に話し掛ける。
「そういえばちぃ坊、今年の初詣は境目にある結月大社に行ったと聞いたが、そこで古茶という婆さんに会わなかったかい?」
「はい、会いました。村のお偉いさんだと聞きましたけど・・・」
「あぁ、あの人は村長さ。昔気質なあの村じゃまず村長である古茶の婆さんに挨拶するのが礼儀さね」
境目町を訪れた当初、千歳たちは村人たちから敵意にも似た眼差しを向けられていた。それが結月大社で古茶という老婆に会って話をし、挨拶をしてからは友好的な雰囲気に変わっていたがあの豹変ぶりはそういう事かと千歳は納得した。
「それは初耳でした。お詳しいですね」
「ん?そりゃあ昔は住んでたからねぇ、若い頃には古茶の婆さんと巫女の務めもしていたのさ。ここに越してからはしばらく会えてないが、あの人とは親友だよ」
そう言いながら咲耶は懐かしげな、それでいてどこか寂しげな眼差しで窓の外の空を眺める。長らく訪れていない故郷に思いを馳せているのだろうか、その横顔を見た千歳はある提案をする。
「なにかお手紙とか書いて俺に渡してもらえれば、境目町の古茶村長の所まで届けに行きますよ」
「え?いいのかい、そんなこと・・・」
咲耶が正面を向き、遠慮がちに尋ねると千歳は『はい!』と強く頷いた。知らぬ間に遠くの地へ移り住み、長い年月を経ても変わらぬ友情を結ぶ親友がいる千歳は咲耶が想う友情を古茶に伝え、繋ぎたかったのだ。
「・・・わかった、もともと万歳への手紙を頼もうとしてたんだが、お前の気遣いに甘えさせてもらうとするよ」
嬉しそうな表情で頷き、『ありがとうよ』とお礼を言って咲耶はその場をあとにする。それから千歳は紗奈に招かれ、部屋では芹奈が持ち込んできていたパーティーゲームを起動した。葩子も参加して4人で楽しい時間を過ごし、就寝の際、明日には家に帰らなければならない寂しさを抱きながらも千歳は眠りについた。
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翌朝、朝食を終えた千歳と紗奈は荷物を持ち、関東へ帰るために屋敷を出ようと玄関までやってきた。そこへ紗奈の祖父母と芹奈、葩子が見送りにやってきて2人と言葉を交わしていた。
「夏休みにまた会えますよ〜♪」
「そうですよ、その時は一緒にお祭りにでも参りましょう」
「・・・うん」
紗奈が目に涙を浮かべながらしばしの別れを惜しみ、姉たちが彼女に寄り添って慰める。傍らでは千歳が紗奈の祖父母にお辞儀をして『お世話になりました』と声を掛け、『また来いよ』と公由が微笑んだ。そして咲耶が千歳に古茶宛てと万歳宛ての封筒をひとつずつ手渡し、丁寧に受け取った千歳は2つの封筒を旅行バッグにしまう。
「ちぃ坊、紗奈を頼んだよ」
「はい、必ず無事に家まで送ります」
「ん、まぁそれもそうなんだが・・・」
紗奈をチラッと見て咲耶は内緒話をするかのように小声で千歳に言葉を掛ける。
「紗奈を───幸せにしてやっておくれな?」
「・・・はい、もちろんです」
千歳の返事に咲耶は満足気な笑みを浮かべながら頷き、『またおいでな』と声を掛けると2人を送り出した。寂しがる紗奈を気遣い、芹奈と葩子は玄関の外に出て彼女と千歳の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
この日は天候にも恵まれ、バスや新幹線、電車へと順調に乗り継ぎ、夕方前に2人は無事に我が家へと帰ってきた。笑顔で『またね』と手を振って紗奈が自宅に入っていくのを見て千歳も家の玄関を開け、『ただいま』と言いながら明かりの点いたリビングへ入る。
「お兄ちゃん!」
「おにぃ〜!」
「ぐはぁ!」
次の瞬間、紅葉と青葉が左右から千歳に勢いよく抱きつき、身体に走った衝撃に千歳は思わず声を洩らした。そして自分がいないあいだ寂しがっていたという妹たちの頭を撫でると2人は『ふふふ』『にひひ』と嬉しそうに満面の笑みを見せ、母の楓も息子が無事に帰ってきたことに安堵の表情を浮かべた。