第19話 二人のシオン
翌日、シオンとリィエルは朝の内に都市を出ると、飛行魔法でターコイズ王国の王都へと向かう。
街道に沿って空を飛び、お昼前には王都にたどり着いて都市の中に入ると、ターコイズ王国の王都は実に活気立っていた。
「前の都市よりもずっと大きくて、ずっと人が多い」
シオンとリィエルは喧噪の中で、ぽつりとたたずんでいる。通りの端に移動し、ぞろぞろと行き交う人波を眺めていた。
「国で一番大きな都市だからなあ……。二日後にエステルも来るからパレードが開かれるって話だし」
騒げる機会があれば民衆の士気が高まるし、訪問する旅人が増えれば経済は活性化するし、国にとっては悪いことなど何もない。
未来の王妃になる予定の王女が他国から来訪してくるというのであれば、かこつけて騒がない手はないのだろう。
実際、今の王都はすっかりお祭りムードである。
(まあ、俺がいた頃はそんなパレードなんてやっていなかったんだけどな。この騒ぎは父上が発案されたことなのか? それとも……)
以前ならばエステルが遊びに来てもこんなセレモニーをすることはなかったので、どういう経緯で変化が生じたのだろうかと、勘ぐるシオン。
まあ、勘ぐるような理由など何も無いのかもしれないが、自分の偽物がいるかもしれないだけに気になった。すると――、
「シオンはここで生まれ育ったの?」
リィエルが不意に質問してきた。
「ああ。城下町を歩いたことはないけどな」
そう、王都はシオンにとって生まれ育った土地であるが、こうして市民に交ざって城下町を出歩くのは初めての経験である。
「これからどうするの? お城にいる偽物のシオンのこと」
「俺の神眼を使って何者なのか見極める。そのために偽物の俺のことを視界に収める必要があるが、幸い明後日にパレードが行われるらしいからな。そこで姿を拝むことができると思う」
城の警備は厳重だから、見つかって捕まるリスクが高い。わざわざ城の外に出てきて姿を晒してくれるというのなら、その時を待てばいい。焦る必要はない。
「わかった。手伝えることがあれば手伝う」
リィエルは進んで協力を申し出る。
「……ありがとう。パレードの騒ぎに乗じて姿を盗み見て鑑定するだけだから、明後日になるまで、とりあえずは王都観光といったところかな。せっかくの外の世界なんだし、楽しみながら観光しよう」
リィエルにはあまり危ない橋を渡らせたくないのか、シオンは少し困ったような顔でそんなことを言う。
(何か大々的に行動を起こすとしたら、偽物のシオン・ターコイズの正体を見極めた後だけど、これは俺の問題だ)
と、そう思ったからだ。
もちろん観光しながら情報は収集するつもりだが、リィエルにはせっかくの外の世界を楽しんでもらいたい。そんな気持ちが強かった。
だから、最初から巻き込むつもりで行動するのには気が引けてしまっている。
「わかった。でも、必要なことがあったら何でも言って」
リィエルはシオンの考えていることなどお見通しなのか、自分の意思をしっかりと伝える。
「……ありがとう。行こうか」
何かまた美味しいものでも食べよう。
シオンはそう言って、王都の観光を開始した。
すると、シオンの視線がとある露店に向けられる。
「……リィエル、ちょっとあの店を見てもいいか?」
「うん、見よう」
シオンとリィエルは二人で露店へ向かう。
そこには様々な仮面が並べられていて――、
(仮面。そうか、これを被れば発動した神眼を隠せる。今後エステルと接触することになった時にも役に立つかも……)
と、シオンは考えた。
パレードでは遠目からエステルと偽物のシオン・ターコイズを鑑定するだけだが、得られる情報によってはエステルとの接触を試みるかもしれない。
ただ、いざエステルと対面するとして、いきなり正体を明かすのはまずい。エステルはシオン・ターコイズが偽物と入れ替わってしまったことに気づいていないかもしれない。そうだとしたら無闇に正体を明かせば、その時点でエステルまで巻き込んでダアトに狙われる恐れがあるからだ。
そこで、この仮面は顔を隠すのにうってつけだった。
「シオン、これ何?」
リィエルが仮面を見て不思議そうに首を傾げる。
「仮面だよ。演劇やお祭りなんかで仮装する時につけるんだ」
「……仮面を買うの?」
「買う。リィエルも好きなのを選ぶといい」
「私のも買うの?」
「ああ。念のために、な」
微妙に含みを持たせて頷くシオン。
(リスクのあることにリィエルを巻き込む気はないが……)
万が一ということもある。
モニカの実の妹であるエステルが、もしも髪の色以外モニカと全く同じ姿をしたリィエルと顔を合わせたとしたら……?
ややこしい事態になりかねないので、備えはしておくべきだろう。
「俺は……これにしようかな」
値段はさほど高くないし、どれも特別な効果が秘められているわけではなさそうなので、好きなデザインを選べばいい。シオンはパッと見で気になった仮面を手に取ってみた。そして――、
「この仮面、試着してみていいですか?」
店員の男性に尋ねた。
「ん? ええ、構いませんよ」
あまり営業熱心でないのか、読書に勤しんでいた店員が顔を上げて答える。
「じゃあお言葉に甘えて」
シオンは仮面を顔にあてがった。仮面は真っ白で、目の部分は真っ黒なメッシュ状の生地で覆われているのか、外からでは装着者の目を見ることができないようになっているようだ。シオンがこの仮面を手に取った理由がこれだった。
(裸眼の状態に比べると多少は視界が悪いが、問題がない程度だ。神眼を発動して鑑定することもできる)
シオンは試しに神眼を発動させて、近くにあった適当な物を鑑定した。そして――、
「リィエル、俺の目は見えるか?」
すぐ傍で仮面と睨めっこしていたリィエルに尋ねた。
「ううん、大丈夫」
リィエルはふるふると首を横に振る。
「そうか……」
なら、俺はこの仮面を買おう。
シオンはそう考え、仮面を外した。すると――、
「シオン」
今度はリィエルがシオンに語りかけてきた。
「ん? なん、だ……?」
シオンが視線を向けると、仮面をつけたリィエルが立っていて思わずギョッとする。どうやらシオンが仮面を外している間に装着していたらしい。
「どう?」
リィエルが仮面をつけたまま訊く。
「似合う……という表現は顔が見えないからおかしい気がするけど、良いと思うよ」
シオンはくすりと笑って答える。
「じゃあ、これにする」
リィエルは仮面を外すと、胸元で大切そうに抱えた。
◇ ◇ ◇
シオン達が城下町を散策している一方。
ヴァーミリオン王国の現第一王女であるエステルは、明後日のパレードに備えて昨日の時点でターコイズ王国を訪問していた。
ターコイズ王国城の王室庭園にて。実の妹のように可愛がっているシオンの妹イリナと、ティータイムを楽しんでいる。すると――、
「おーい! エステル、イリナ!」
ターコイズ王国の第一王子であるシオンが、ヴァーミリオン王国の第一王子であるクリフォードを引き連れて姿を現した。手を振りながら、二人が腰を下ろしているテーブルに近づいてきている。
その髪の色は今、リィエルと一緒に王都を散策している白髪のシオンとは異なり、濃い青色をしている。
「お兄ちゃん! クリフォード兄さん! もう、遅いよ!」
シオンの妹であるイリナは二人の来訪を喜んで手を振り返したが、少し咎めるように唇を尖らせる。
「ごめん、クリフォードとの対戦が長引いたんだ」
シオンはエステル達のすぐ傍まで来ると、クリフォードを見ながらぽりぽりと頭を掻いて謝罪した。
「え? また手合わせしていたの? で、今日こそ勝てたの?」
と、イリナはやや呆れたような顔でシオンに尋ねる。
「善戦はしたんだけどな。ま、魔道士が壁役も置かないで闘気を扱う剣士と一対一で戦いを挑むこと自体が無謀なんだ。負けるのも仕方がないさ」
シオンはあまり悔しがった様子は見せず、軽く肩をすくめて答える。すると――、
「……シオンが剣を使って戦えばまた勝敗は変わると思うんだけどな」
クリフォードがぽつりと言う。
「またその話か。魔眼を使って魔法を打ちまくる方が絶対に強いって、何度も言っているだろ?」
シオンは苦笑して応じる。
「そんなことはないさ。魔眼に目覚める前の君の戦い方にも将来性は十分にあった。魔眼を獲得したんだからこそ、剣と魔法を組み合わせた時の伸び代は以前よりもよりもずっと大きくなると俺は思っているんだ」
と、力説するクリフォード。
「……私も、昔みたいに剣を扱うシオンさんと手合わせをしてみたいです」
エステルも話に加わってきた。
「エステルまで……。そんなに俺に剣を握らせたいのか? 言ったろ? 魔眼に覚醒した時に、俺は剣術や体術の身体の動かし方を忘れたって。何しろ三ヶ月も目が覚めなかったしな。きっと強すぎる魔法の才能に目覚めた代償なんだ」
シオンは二人から目をそらし、自嘲して語る。
そう、それは三年前のことだ。
クリフォードとの手合わせの後に、魔眼に覚醒して気絶してしまったシオンだったが、その後三ヶ月にもわたって意識不明を理由に面会謝絶が続いた。
そして、ある日、クリフォードやエステルの前に姿を現したシオンという少年は、まるで人が変わったみたいに剣術が下手くそになってしまった。
「失ったのならまた伸ばせばいいんだ。いくらでも付き合ってやるって言っているのに」
「それも何度も言っているだろ? 今さら剣を学んだってクリフォードには絶対追いつけない。基礎パラメーターの膂力と敏捷の値だって開く一方だしな」
と、自己弁護するシオン。
基礎パラメーターとは誰もが保有する基礎能力、すなわち膂力、敏捷、耐久、魔力の四つから構成される能力値のことだ。
E~Sの等級が存在し、一から百までの数字でその者の基礎能力を示し、それぞれの等級でパラメーターが百に到達すると上の等級へと移り、ゼロから再スタートする。
レベルが一つ上がると基礎パラメーターの数値も最大で三上昇し、本人の適性や努力によって上昇する数値が変わるとされている(成長補正のスキルがあると、最大上昇値の三よりもさらに数値が上がっていく)。
十刻みでレベルが上昇することでランクも一つ上がると、適性がまったくない項目を除いて基礎パラメーターの数値が一気に三十も上がるのだが、例えば膂力で三十も数値が異なると、同じランクであっても大人と子供くらいには力に差が開いてしまう。
闘気や魔法で基礎パラメーターを強化することはできるが――、
「俺の基礎パラメーターは魔力の成長に偏っているんだ。だったら魔法の才能をより伸ばした方が絶対にいい。というより、合理的だろ? 魔法で幾分か強化したところで、闘気も使える典型的な戦士タイプのクリフォードに真っ向から戦って勝てるはずがない。勝てない領分で勝負を挑むほど俺は馬鹿じゃないんだよ」
クリフォードが闘気を扱う以上、魔法で闘気に劣る強化をしたところで勝てる道理はないと、シオンは達観しきった物言いで訴えた。そして――、
「昔の俺の話をするのはもう止めよう。《《魔眼に目覚める前の俺はもう死んだんだ》》」
シオンは煙たがるように、昔の話をするのを嫌がってしまう。特に最後の言葉は嘲笑さえ帯びているように見えた。
「でも、昔と変わらずクリフォード兄さんとは戦いたがるよね、お兄ちゃん。なんだかんだ言って負けるのが悔しいんでしょ?」
イリナがふふっと話に加わる。
「まあ魔眼を使った俺と戦える相手がクリフォードしかいないからな。思う存分に魔法を撃ちたい時の相手としてちょうどいいんだよ」
照れ隠しなのか、シオンはふんとそっぽを向いて言う。
「でも、魔眼の力に頼りすぎて魔法の火力でゴリ押し一辺倒だ。もう少し工夫して戦った方がいい」
クリフォードは小さく溜息をつくと、そうアドバイスした。
「まったく、口の減らない奴だ……。まあ、いい。そんなことよりいよいよ明後日はパレードだ。楽しみだな」
シオンも億劫そうに溜息をつくが、すぐに気持ちを前向きに切り替えたのか、上機嫌に笑ってパレードの話をする。
「お兄ちゃん、ここ最近ずっと浮かれていたもんね。最高に可愛いエステル姉さんを国民に見せつけてやるんだって。そのためにパレードをやろうってお父様に力説したのよ」
イリナは悪戯っぽく笑って、兄の暴露話をした。
「お、おい! イリナ!」
「へえ、そうなのか?」
クリフォードがからかうように合いの手を入れる。
「ち、違うぞ! 国の未来は明るいんだってことを示すのは王族としての責務でだな。いや、エステルが可愛いのは事実だが」
シオンはエステルを強く意識しながら、顔を真っ赤にして弁明した。
「良かったね、エステル姉さん。お兄ちゃん、エステル姉さんにぞっこんだよ?」
イリナはニヤニヤと笑ってエステルをからかおうとする。
「あはは……」
エステルは困ったように笑う。イリナが言うように、シオンはエステルにぞっこんだ。三年前、魔眼で意識を失い続けていたシオンが目を覚ました時に、献身的に介護してくれたことが理由だと以前、シオン自身が言っていた。
けど――。
――どうしてだろう、すごく嬉しいことのはずなのに……。
エステルは今のシオンをみていると、妙な胸騒ぎを覚えてしまうことがある。シオンのことをずっと好きだった。姉モニカのために努力していたそのひたむきな姿に、姉が失踪した後も姉を思い続けるその心の強さに、心を惹かれていた。
だから、シオンが自分に気持ちを向けてくれるようになったと知った時は、すごく嬉しかった。
姉に申し訳なくて、けど、それでも嬉しくて……。
そう、嬉しかったはずなのだ。
今も嬉しいはずなのだ。
なのに、エステルの心の隅に漠然とした靄のような翳りがある。
――シオンさん、あんなにもモニカ姉さんのことが好きだったのに……。
三年前に魔眼に目覚めてから、シオンは変わってしまった。
そんな思いが拭えない。
いや、その思いは日増しに強くなっている。
――このまま私はシオンさんと婚姻を交わして本当にいいのでしょうか?
と、そんな不安を拭い去ることはできなくて……。エステル・ヴァーミリオンは二日後のパレードを迎えることになるのだった。