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☆#8 新人バイトと配達員(中)

 【主な登場人物(☆)】


  ・店主 (浩介)

 あの世とこの世の間にある不思議なお店、『ZattaGotta.KK』の店主。


  ・配達員 (???)

 店主のお店に毎朝顔を出す、「顔の見えない」常連客。

 何やら隠し事が多いようでかなり「テンパりやすい」性格。


  ・少女 (アケビ)

 日焼けに赤髪がトレードマーク! 店主のお店にやってきた新人バイト。

 おどおどしているように見えて少々、跳ねっかえりが強い。


  ・死神(白)

 エセ関西弁。ふわもこつるっとした謎の生物。

 少女曰くクジラとウサギを足して割ってデフォルメしまくったような見た目。

 死者の管理をやっているらしいが、謎が多い。



 ――俗にいう「あの世」は、大きく分けて()()に分けられる。


 配達員がトンネルを越え、ワンボックスカーで走り抜ける「暗闇の峠」。

 店主の「店」の窓からうっすらと見えることのある、火の玉がピュンピュン飛ぶ「流星の谷」。


 そして、配達員たち曰く「プール」された人間たちの居住区がある場所。


 ……砂漠と見紛う砂塵に囲まれた、やけに乾燥した環境の奥にあるオアシス。


 そんなかわいた街の真っ只中に「病院」があるのは、周辺の住人からしたら至極当然のお話だ。といっても基本、全員が既に死んだ身であるわけだから、お世話になるような人間はあまりいないわけで……



「……どうしよう」



 「アケビ」――店主に以前そう紹介された名前のバイト少女は、そんな「普通はいらないんじゃない?」と思われがちナンバーワン施設のど真ん中、ひとりぽつんと呟いた。

 ……とんでもなく閑散としている。というか、誰もいない。



「……あのー! 迷っちゃったんですけどー!」



 といってもおどおどしているように見えて、実は度胸くらいなら人一倍にあるのが彼女の利点だ。


「誰かー! ねーえー!」


 とにかく事態を解決しようと「大きい声」をヤケクソで出してみても、誰も出てこない。通常の病院なら「病院で大声を出すな!」と親切なジジイが怒鳴り込んでくるところなのだが、さすがにこの世界だといる人数自体、少ないらしい。

 そういった様子もなさそうだ。


 どこまでいっても白い壁――少女はふう、と息をつく。


「……ってか、あの世の病院だとかっていうから廃病院的なあれかと思ったけど、なんかフツーにまともな見た目だった……」


 なんなら下手に古い病院よりピッカピカだ。

 迷ってうろついたところで、ホラゲー的な不安もない。

 時間を無駄にしているという焦りは出るが。


 ……というか、そもそも。



  ――「特技ってほどタイソーなものでなくて、ちーっともかまやーしませんねん、キミ、「今できること」はあるのん?」



 今になってふと思い出したのは白い、ツルッとしたそれの言葉だった。

 まだ死んで目覚めて、数時間の頃の話。――ぬいぐるみのような見た目。

 ウサギとクジラを足して割ったような、死神というには「デフォルメされすぎたマスコット」のようなデザイン。

 それに問われた言葉はひどく単純だが、奇怪な何かに思えた。



  ――「よくわからないけど、食べることは好きだよ?」



 答えるとその白い死神は「納得」したように頷く。

 そして更に、こう聞いてきたのだ。



  ――「じゃあ、ゴハン食べてる人を見るんは?」


  ――「……好きだよ?」



 少し前までつるんでいた仲間の1人が、俗にいう「食い道楽」だった。

 だから思えば色々なところに連れ回されたものだ。勿論、途中でギブアップしたりもあったわけだけど。



  ――「じゃあー……」



 紙を一枚出して、死神が資料だと指し示したのが「あの店」の概要。



  ――「まず、その「好き」が大事ですねん。高校生やろ?」


  ――「中卒だから、どうだろ……」



 確かに少女も、昔は『一般的な女子高生』に憧れたのは事実だ。――以前、「うちにいるだけでいいから。学歴なんか望んでないから、生きてるだけで儲けもんだから!」なんて宥めすかされたことを思い出しつつ、少女は息をつく。


 ……そう、通えなかった。

 義務教育すらもほぼ院内学級。何せ、生まれてこのかた十数年――少女・アケビは誰から見ても「重篤患者」でしかなかったのだから。


 見た目は健康、そのくせ幼少期から出先で倒れることも数知れず。生死の境をさまようことも多々。ちゃんと意識を飛ばす割に、結局毎度、奇跡的に脳へのダメージはないとくる。


 おかげで生半可に元気だった。

 腫れ物扱いされるのが嫌で、病室のベランダによく出ては青白かった肌を「いかにも丈夫そう」にカモフラージュしたが、それも「日向ぼっこ」と言われるのが苦痛で仕方がない!


 結局息苦しさを感じて、幾度も家や病院を脱走するのが日常茶飯事だった。当然、その都度強化されていく包囲網。それを掻い潜ってまた脱走。

 今から思えば家族もスタッフも当然ヒヤヒヤしただろうが、そんなものは気にならないくらい楽しかったのは、友人と出かけた先にある気晴らしの数々。外の街と、そこで飲み食いするちょっとした時間……



  ――「まぁ関係あらしまへんがな。要は若いんでっしゃろ?」



 死神はクリッとした目を輝かせ、無機質な表情で言った。



  ――「若いだけならまだだいじょうぶですやん! できることがないんじゃなくて、『見つけてない』だけ! できることから1個ずつ、地道に見つけていこうやないですか!」


  ――「はあ……」



 言葉だけ聞けばひどく自信満々だが、この生物はいったい何なのだろうか。

 そう今でも時折少女は思う。――お化けや妖怪というなら、まだ頷ける。しかしやはり、お仕事の中身通りに「死神」と呼称するのも気がひける。

 そんなポップさだ。……白い死神はヒレ状のこぶしを握り締めて陽気に言った。



  ――「我々のコンセプトは『ストレスフリー』です! ストレスフリーにしんでください!」


  ――「ひっどいパワーワードなんですけど」



 ……あとから思えばだが、あの生物の集団に「郵便局」とあだ名がついたのも、当然の出来事だったのではないだろうか。だって「死神さん」より、「郵便屋さん」と呼んだほうが、まだ違和感としてはマシになる。


 ――何度見たって、()()()()()()()()()がいてたまるかと未だに思うのだ。


 ともかくその後は「お試しで」と勧められた「ZattaGotta(ザッタゴッタ).KK(ケーケー)」に顔を出し、2日間。意外にも慣れれば問題ない。飲食店を連れ回してくれた某仲間に感謝したいくらいには、「ウェイトレスさんのやること」が最初から頭に入っていたんだから当然だろう。

 随分若い見た目のくせして店主だという「浩介さん」もカッコよかっ……失敬、どうも優しかった。


 その後。別の仕事も幾つか経験してみて、候補を絞る。一番最初の店がいいと届けを出せば、今更思い出したように死神は言った。



  ――「じゃあそれで! あ、そういえばキミ、『機能検査』は受けてはるん?」


  ――「『機能検査』?」



 そう、それが発端で結局慣れ親しんだ病院という施設に逆戻りしたのだった。

 と……


「あれ、配達員さん?」


 ふと向けた視線の先。どうみても入院ブースなところで見覚えのある帽子がフワフワ動いているのが見えた。


「……あ」


 思わず声をかけてしまってから、げえ、と少女は思い返す。

 そういえばこの人、初対面の印象からして()()()()()()なんだった……!


「ん?」


 きょろ、と相手は普通に振り向く。


 やはりあの配達員だ――そりゃあそうだろう。

 こんな顔面情報すっからかんの男が他にいるわけがない。

 鼻はどことか、目がどことか、それ以前に輪郭すらはっきりしない。のっぺらぼうというより、「もう首から上がないんじゃなかろうか?」という希薄さだ。


「……あー、あの」


 妙にボケーッとしていた配達員はなぜか、左手をもみほぐすようにワキワキ動かしながら呟いた。


「……新人アルバイトの?」

「……アケビです」


 若干警戒しながら呟いた。……なんか、前あった時フスフス言ってたしこの人。


「冗談。覚えてるさ。ニートそうな割に()()()()()()()()()()に似合ってた子だ」

「…………。」

「違う?」

「いや違いませんけど」


 向こうの言い方に妙な棘があるのを気にしつつ。

 でも、自分だって棘が出てるだろうそれをどこかで考えながら。


「……えっと、どっか悪いんですか?」


 とにかく現在地が「病院」であることを思い返しつつ、思い切って問いかければ……困ったように帽子がふよふよ揺れた。


「……四六時中悪いよ?」

「御愁傷様です、ちなみにどこが?」

「頭が」


 いや、まあ、確かに。

 ……見えませんけど、頭(+顔面)。


「……嘘だよ。知り合いみたいなものがだね、入院してて」

「みたいなものってなんですか」


 とりあえず今彼が出てきた病室の名前を見ようとしたら、さっとてのひらが表札を覆った。


「……みたいなものは、みたいなものだ。プライバシーの侵害だぞ」


 ――あやしい。


「君こそなんでこんなところに?」

「あ、なんか、『機能検査』みたいです」

「機能検査?」


 はい、と少女は頷く。


「私、もともと持病がヤバくて」

「……ヤバいの一言で片付けられる持病ってどんなだ……?」

「物心つく前から右心室的なアレが超ヤバかったんで」

「……病気は深刻なんだけど、君がちょっとアホの子なのは分かった」


 語彙力が壊滅しているが、右心室は心臓の一部。「つまりこの少女は循環器系の何かを患っていたことになるな」と察しをつけたらしい配達員は言う。


「だからか。――生きてて褒められることはあったけど、って」

「……ほら、結局私たちって、死人とか以前に「記憶」みたいなものらしいじゃないですか」


 ――輪廻転生、リサイクルのように次のいれものに入る、「魂」。

 それを除かれた残りカスがこの世界の一般的な死人だ。

 つまり、「今生・個人としての記憶」が形をとったもの。次の人生に引き継がれないもの。それが自分たち、店主曰くの『お化け』。


「……物心ついた頃には既にヤバかったんですよ。つまり病気になってからの記憶しか、私は自覚してないんです」

「なるほど」

「だから、ちゃんと『体』が動くのか調べてきてくださいって言われて」


 といっても、と少女は律儀に日焼けしている自分の肌を見回しながら思った。

 ――たぶんこれ、肉体というわけでなく、やっぱり霊体なのだが。


「……だから改めて精密検査してたわけか。超ヤバい右心室を」

「……ですね」

「で?」


 どうだった、と問われ、少女は言う。


「一応、平時では通常だと。ただ、次は平時じゃなくって『運動時』のデータが欲しいって言われて」

「……うん、なるほど?」


 こうしてみるとやることは結局「普通の病院」と何も変わりがない。生者の病院だって、心電図で不整脈が出たらまず、次は運動時のデータがとられることが多いのだから。


「……どう見ても迷ってた理由はそれか。『運動する場所』への行き方がわからない?」

「出て右を真っ直ぐだって言われたんですけど」

「ああ、案内人が悪いな。きっと逆だ。それっぽいのがあるのは知ってるが、入院病棟のちょうど反対側だからね」


 猫撫で声の配達員は急かすように背中を押した。


「……さーて……付いて行ってやるから行こう! な!?」

「えっ」

「早く! ほらほらほら!」


 少女は慌ててその場を離れた。

 ……結局振り返りはしたが、病室の名前は見れなかった。




  *    *   *   *




「……あ、待ってましたでー」


 溶けてデロデロのカップアイスを持ちながらそこに待っていた「白い死神」は短い手をパタパタと振った。配達員は呆れた声を出す。


「何そのデロデロ、バイトちゃん用?」

「……アケビです」


 少女は見るからにムスッとした調子で呟く。


「『バイトちゃん』って、記号みたく扱われてるみたいでイヤなんですよ、その呼び方!」

「ああ、そう?」


 配達員はぽりぽりと帽子の上から頭をかいた。


「でも死んでる人間なんて存在自体が希薄なんだ。何をして、何が得意。そんな最低限の識別情報があればもうよくないか?」

「だって……」

「だって何かな、()()()()()()


 ……軽薄に。


「……所詮そんなものさ。俺たちはもう、本来なら消えてるはずの生き物だろう」


 その配達員は、空想ではなく事実を突きつけた。


「『海底二万里』って話を知ってるか? ――あれみたいに錨を下ろす場所もなければ、実態があるかすら定かでない。夢か幻と同じもの。フワフワとして取り留めもない。消えても何も残らない」

「…………。」


 少女は表情を曇らせた。


「なら、名前や経歴なんて『なくたっていいもの』だ。現にそれでも俺という存在はやっていけている」

「……」

「死者なんていう生き物は……要するに「何者でもない存在」なんだよ」


 少女はむっとしたように口を閉ざし……暫くして、ようやく言う。


「……そうですか」

「何か問題でも?」


 「こっちだって気を許したわけじゃないぞ」……そう配達員が暗に口に出した。

 そんな気がしたのだ。

 確かに少女と違って……そしてあの『ZattaGotta(ザッタゴッタ).KK(ケーケー)』の店主と違って。この「配達員」は名前も素顔も明かしていない。素性につながるそれを、一切明らかにしていないのだ。


「ええー……ちょっとぉ、なんの話ですのん……」


 なぜかアイスに顔を近づけたままぼけっとしていたらしく、全く話を聞いていなかった死神が置いてけぼりな声を出した。


「……デロデロアイスの話」

「あ、これのことぉ?」


 ごまかすような配達員の言葉に、きらりと目が輝く。……どうもよっぽど溶けたアイスが好きらしい。


「いやあ~匂いがええねんな、チョコミント! すーすーして! んん、いつまでも嗅いでいたいぃ~~」

「……匂いフェチか」


 配達員は呆れたように呟いた。


「しにがーすは全員匂いフェチですねん」

「タイガースみたいにいうな」

「あんなぁ配達員さん」


 白い死神はヒレのような手をパタパタやりながら口に出した。


「正直ボクらどうでもええんですよ、固形だの液体だの、些細な話やん、ちょっとひんやりするだけやってぇ」

食感(しょっかん)は違うだろ」

触感(しょっかん)は違いますなあ。どっちにしてもべとべとすんねんけど」


 ――ああ、たぶん今、何か食い違ったな……?

 そんな空気を出しつつ、配達員はすぐに興味をなくして話題を変える。


「……しかし思ってたよりすごいな、これは」

「何がですのん?」

「この運動場だよ。外から見た感じ、もう少し狭いかと思ってたが……」


 スケール的には陸上競技場だ。心臓の動きを見るのに軽い運動をさせるのは、医療ものの漫画でもたまに見る展開だが……でも確か。


「あ、そこぉ気づきますぅ?」


 ……漫画だと大体3段くらいの階段で少し登ったり、降りたりするのが関の山だった気もする。一時期は本棚に潰されて死にたいとまで思っていた配達員は脳内のコミック置き場を思考から追い出した。――うん、忘れよう、現世に置いてきたもののことなんて。


「だってここ使う人って皆、何かしらの事情で『死んでもーてる人』ですやん」


 白い死神はアイスのカップを大事そうに抱えながら続きの言葉を口にした。


「『生きてる人間』とはちゃいますやろ? 多少無理したところで、そこに暫くうずくまったりする程度でしょ」

「ああ」

「こちらとしても『日常生活をちゃんとできますかー』とか、『歩いて走ってできますかー』をみるだけやさかい。ざっと、こう……せやね、400メートルトラック程度は普通にありますわ。長距離も見ときたいんで!」


 ――なるほど、それはデカいはずだ。

 配達員は大きく息を吐く。


「……死人が日常で、一気に400メートル爆走することがあるかどうかは知らないけどな」

「それでもぉ~、いきなり立ち止まって将棋倒しィー! とかになると、トラブルの原因になることがありましてぇ。だから、配達員さんはC判定でしょ?」

「C判定?」


 少女の問いに、白い死神は頷いた。


「ちょうどええですわ。配達員さん出したげて。身分証の裏」

「……いや、あの」


 配達員は慌てたように言う。


「手渡したくないんだが?」

「そこまでビビらんでも! 禁則決めたのはボクらですけどぉ、そこまでガチガチに守らんでもええから」

「ええー……」

「裏ぁこっち見せるだけですってぇ、いーからいーから」

「…………。」


 胸元からしぶしぶといった様子でカードのようなものを出した配達員の手には、「C」と書かれている。少女は声をあげた。


「あっ、それ……私ももらったような」

「ううん? 君のは仮発行でえ、こっちは本決めのやつやねん。よー見てみてくださいよ、色がちゃうやろぉ?」


 ――確かに。

 よく見ると配達員のそれは銀色がかっていて、少女のそれは白色だ。


「……配達員さんの場合『できること』が特殊やし、名前と顔の書いてあるオモテ面は見せられへんのやけど」

「見ようと思ってもボケるらしいけど、一応覗き見ないでくれると助かる」


 顔だけじゃないのか機密事項……

 少女はおそるおそる呟いた。


「なんの隠密行動してるんですかこの人――」

「秘密」

「…………」


 ――前の発言を食い気味の「秘密」。少し、少女の足が配達員から離れた。


「で、このC判定いうんが『動き』の制限がある人にだけつくランクですねん」


 とん、ぱし、ぱし……。


「人の身分証叩くな、しまうぞ」

「どーぞー。……えっとぉ、制限いうんは例えば、『重いものが持ち上がらん』とか、『すぐ息が上がる』、とかやね?」


 普段は律儀に「パスケース」のようなものに入っているらしきそれが、腰に下がっているウェストポーチにするっとしまわれた。

 ……こうしてみるとこの配達員、普段がいい加減な言動をしているのが演技なのか、素なのかがまるで読み取れない。もしかすると両方なのかもしれないが。


「配達員さんは元々病気も何もなかったから機能検査の対象外やってんけど、自己申告で『くっそだるい』ってきましたんで、C判定にならはりましてん」

「いや、もうちょっと具体的な……そんなざっくりした報告はしてないんだが」


 白い死神はきょとんとした雰囲気を出した。


「ほんまです? 黒御木(くろみぎ)さんは『C判定の理由:とりあえずくっそだるい』って備考欄に書いてますけど」

「黒いのの性格だろうそれ……」


 配達員の担当死神は黒い色だったらしい。死神にもちゃんと名前があるとは意外だ。いや意外でもないのか……少女は考え直した。



  ――「何をして、何が得意。そんな識別情報があればもうよくないか?」



 ……配達員のさっきの言葉と同じだ。

 複数いるなら、そりゃあ個体識別も必要だろう。


「ちなみにCは『Chokotto(ちょこっと) 注意が必要』のC判定ですねん」

「……そんな意味だったのかコレ」


 配達員が意外そうな声を出した。


「んで、もっと程度が悪いと、『BAKAMITAIN(バカみたいに)I 注意が必要』。のB判定にならはるんですう」

「ちなみにA判定は?」

「『AKANYATSU(アカンやつ) やでこいつ、ほんまよう寝るな、グースカピーや』」

「長ったらしいな」


 配達員は言った。


「……つまり、あの入院病棟にいるやつらは全員?」

AKANアカン

「……。」


 ヒキ気味の少女は思った。……なんでこの怪しい配達員さん、プルプル震えてるんだろう。白い死神は呟く。


「身内が AKANYATSUアカンやつ 呼ばわりされて、メタクソわろてません?」

「……バレた?」


 ――笑ってたのあれ!?


「そしてそこで隠しもせんとおもクッソ笑うってことは、アケビさんに『入院してるアレ』のこと、バレてません?」

「……ああ、『知り合いが入院してる』とは言った」

「……なるほどぉ。何見たんか知らんけど」


 白い死神は微妙にシリアスな雰囲気を出しつつ、少女を見た。


「お口……チャックやで?」

「だから何の隠密行動してるの、この配達員さん」


 自分の見た「何か」がタブーに触れかかったのはわかった。

 ……あの病室。見られなかった「名前」。


 少女は深くため息をつく。関われば関わるほど「怪しさ」が増していくのがこの配達員だ。――要するにこの人は、死神から「特別扱い」を受けているのだ。

 それが良い意味であれ、悪い意味であれ、結局は壁があるということに変わりはなかった。この人だけ、()()()()()、外れている。


 自分でも不思議なほどに「配達員」に対して嫌な感情を作っているのを感じつつ、少女は死神に対して口を開いた。

 ……まだ相手をよくは知らないが、どうも合わない。



「とりあえず、絶対同じ『C』になりたくないのは分かりました……」



 ――正直、初対面でフスフス言ってるのからしてもうアレだったが、苦手な人とわざわざお揃いになりたくはない。

 頑張ろう。できるだけ頑張って『C』よりいい評価、取りに行こう。


「えええ! 見ないうちに何でこないなことになってんのぉ!? えっらい好感度下げてもーてるやん、うっそナニコレ……!」

「フッ……何も……してないぞっ☆」


 きゅぴん、と配達員の親指が上がった。


「いやね配達員さん?? ――ゼッタイなんかしてもーたからでしょこれ!?」

「……うん、本当に何もしてない」


 配達員は少し笑った声で言った。


「――まだ☆(ドヤァ…)

「まだとかいうのヤメてぇ!? ――ってゆーか、何も褒められるようなことしてへんのに、やたらと満足げにドヤ顔作るのとかやめてくれへん!?」


 ――よく分かんないけど今の流れでドヤ顔してんのこの人!?


「う、うう、気ぃつけとってくださいよアケビさん……!」


 白い死神は半泣きで少女にしがみついた。


「この配達員さん……なぜか『相手に嫌われたら、嫌われた分だけ相手への評価とか信頼度を爆上げ』しよるんですよ!」

「何それ気持ち悪!!」


 少女は遠い目で呟いた。――つまり冷たい態度を取られれば取られるほど、評価が上がるのか。なんだそれ。さっき親指を満足げにあげたのはそういうわけか。ドMなのかこの人。死神は半泣きで少女側から援護射撃をした。


「キっっモチワルイでしょぉ!?」

「……というか普通だろ。俺だってこんな怪しい奴がいたら距離を取る、つまり俺を嫌う人間は総じてまともなんだよ」


 ――何かえらくもっともらしいことを言ってる!!

 さも当然のように何かをのたまう配達員に目を向けつつ、途方にくれたような様子で死神は呟いた。


「……ウン、ビョーキだと思うからほっといたげて」

「いやあー」


 配達員はヘラヘラと笑いながら呟いた。


「我ながら病院にいるのも納得のカレーですよねー、かれーすぎて全然怪しくないよねー」


 ――いや怪しさの塊だわ。納得のカレーって何だ、ハヤシにでもなってしまえ。かたまり過ぎて高圧縮されて爆発しそうだわ。

 少女は頭を抱えた。「どこか悪いのか」と聞いたら「頭だ」なんて訳のわからないジョークだと思っていたが……もうこれでは道理だとしか思えない。頭が悪いのだこの人は!


「……だって、周りから見たら、頭部がまるっと視認できないんだろう?」

「ああ、はい」

「そして素性をおくびにも出さず、名前も呼ばせずだぞ? ――こんな『不審者』に好意を寄せてくる人間が、俺と同じ空間内にいると思ったら」


 ――少女は恐る恐る聞き返す。


「お、思ったら?」

「……俺的には」


 またプルプル震えながら配達員は呟いた。


「……そっちの方が化け物メンタルなんじゃないかと、無性に恐ろしくて……!!」


 ――何お前。


 少女はついに脳内で配達員をお前呼ばわりし始めた。


 ――逆に恐怖してた!? 無性に怖いのは私の方なんだけど!? 私の方がよっぽど怖いんだけどこの『存在自体がモザイク状の化け物』!?


「現在進行形でぇ……配達員さんが、すっごーく『アレ(キモい)』な扱いになってる気がすんねんなー、この子……」

「というわけで本当、優しくしないでください……冷たく接してください……めっちゃ怖いから……」

「変人すぎるわ」


 ガチにビビりすぎて鼻水を出しているらしき配達員を前に、少女は思った。

 ――私は、想像力が豊かすぎて『お化け屋敷に迷い込んだ幼稚園児』みたいになってるあなたの方が怖いよ……。


「……あ。そうそう、好意を寄せてくる怖い人間枠で思い出しましてん」

「いや……何も思い出さなくていいよ、怪談と同じだよそんなものは……」


 思いつきのように突然口に出す死神。深くツッコミを入れた配達員は、恐らくアイス並にデロデロになっている鼻を拭った。


「修理屋のおっちゃんのことなんですけど」

「本当に怪談並の人間持ってきたなお前」


 鼻をかみながら、配達員はようやく立ち直りつつ返事を返す。


「司さんのことか?」

「うん、そう。お元気してはりますやろか? 最近全然見かけなくって」

「……最近は部屋にこもって副業ばかりらしいぞ」

「配達からちゃんと転職してもええっちゃええんですけどねぇ、あの人」


 白い死神は言う。


「ただ配達員さん以上に対人関係が……その、アレなので」

「……俺以上にってどういう意味ですかね、白いのくん」

「誤解されがちなのとか、ゲンキンなのとか。あと集団行動苦手なのとかひっじょーにそっくりですやんか……」

「……誰に似てるって?」


 呆れたように呟く配達員に、白い死神は言う。


「おんりーゆーにキミやねんけどぉ? 両方ヒネクレてるし、むしろあのおっちゃんが開幕上司になったのって、かるく運命なのでは?」

「……。黒いのの、嫌がらせだと思うが?」


 配達員は困ったような声で、見えない口を開く。


「俺がああいうのほとほと苦手なの知ってるだろうし、あいつ妙に勘鋭いし」

「あの」


 いつのまにか話についていけなくなっていた少女は手を挙げた。


「……どうでもいいですけど早くやりません、検査?」

「あ、ハイハイ……せや」

「何」

「どうせなら、配達員さんもしときますぅ?」

「え?」

「機能検査」


 配達員はあっけにとられたように口をつぐんだあと、ネタのように、自分では言っていないだろう「その文言」を口にした。


「……くっそだるい」

「でしょうね」

「だからパス」


 配達員の返答に――白い死神は少し笑って。


「そーは言わずに」


 ――食い下がった。


「いや、だから」

「そーは言わずに」




  *    *   *   *




「……だから……!」


 配達員はスタートラインに立ちながら、本気で嫌そうな声を出した。


「だるいって言ってんだろ……!?」

「わお、()()()()。でもまあいちおーですんで!」


 ころころと笑った様子で白い死神は言う。


「ところどころノリで決めちゃったりする黒御木(くろみぎ)さんと違うんですう! ボクちゃんとするほーなんですよぉ!!」

「黒いのが適当なのは知ってるが、白いのもそういうところで個性発揮しないでくれるか!?」

「諦めてチョンマゲ?」


 ――軽ーい。

 死神の雑な返事に、配達員はがくりと首を前に倒した。いや、うん……いいけど。

 もう、逆らわないけど。


「っていうか何バイトちゃん、俺を睨んで」

「……面倒くさい人だなって……」

「いやそれはお互い様だと思うが?」


 ――君だって一筋縄ではいかない子だろうが。

 配達員は少しため息をつきながら思った。

 反応が面白いのでおちょくり過ぎた気もするが、嫌われる要因がそこには起因していないのは何となくわかる。恐らくもっと、ずっと根本的なものだ。

 ……ひどく冷たい声で少女は言う。


「ともかくやるならやる、やらないならやらない。ゴネずにお願いします」

「……いや、わかっちゃいるが、うん。君という一個体から逃げてるわけじゃないからね。安心してね、ホント」


 今更態度を軟化させる配達員だったが、ツンとした少女はそのまま。


「私があなたから逃げたいんです」

「……そう」


 さて、随分と発言がトゲトゲしくなっている。配達員は首をひねった。……いや自分、本当に何をしたっけか。


「あなたのやる気がなくて私までリテイクとか嫌ですよ? 早々に退席させてください。私、ろくに走ったことすらないんですからね?」

「……ええー……いやあ、嬉しいことに信用度が死ぬほどないな、君の中の配達員さん」


 少女はジト目で言った。


「あなたの信頼性は地に堕ちるどころか地中に埋まってます」

「モグラか何かか俺は? ……ねえ白いのくん」

「何ですのん」

「俺はこういう機微に疎いから確認したいんだけど……この子、俺が煽り耐性ゼロなの知ってるんじゃない?」


 配達員は嫌われるの自体は好きだが、煽られると弱い。何が弱いって……


「……まあ、バカにはされとるんちゃいますやろか」


 ――アカン。

 白い死神は「あちゃあ」と顔を上げた。

 ……これ、多分……



「……ふーん……?」



 ――途中から、キレとるがな……



「だよねえ。……ねえ、どこからされてた?」


 ――声は笑っている。ニッコニコだ。だが……


「……そこからして自覚ないの終わってナイです? なんかしたからこーなるねんやんな?」

「何もしてないんだけどなー、おかしいなー」


 ムスッとした顔のまま、少女はスタンバイした。

 ――いやアカンってアケビさん。

 死神は冷や汗をかきながら思った。

 ――この配達員さん、()()()()()()()()()やねんって。


「バイトちゃん?」

「アケビです」

「名前呼ばれなくて嫌なのはわかったから」

「そこだけじゃないです」


 少女の言葉に、配達員の笑った声は言葉を返す。


「……怪しくて信用できないのは死神(しにがーす)も同じだろ」

「こういう『生き物』はともかくとして、一応人間でしょ、配達員さん」


 ……少女は配達員の目のありそうな部分を睨みつけて言った。


「……『ノリの軽い大人』には、あまりいい思い出がないので」

「……そ」


 配達員は呟いた。


「何、俺みたいなやつに嘘でもつかれた?」


 少女は首をすくめた。



 ……そう、彼を見ていると、なんとなく思い出す。

 いつだって、残酷にも「希望」を見せてきた誰かを。


 少女は思い返した。かつてのその光景を、やりとりを……。



  ――ねえ、君は病気が治ったら、何がしたい?



 「……」



  ――わたしのびょうき、なおる?


  ――医療ってすぐ発展するからねえ。治るかもしれないよ?



 ……いつか聞いた、その、無責任な言葉を。



  ――あの子たちにまじって、サッカーとかできる?


  ――()()()()ー。



 「いうことを聞かせるため」なんだろうな、と今なら思える。

 わがままを言わせないため。

 「今我慢すればいい」、そう思い込ませるための、あまりにも軽い方便だ。


 そんなものなら、いらない。

 気休め、夢、希望。そんな綺麗なものじゃない。


 嘘だ。


 優しくもない嘘なら、軽い気持ちで言わないでほしかった。



  ――おかあさん、わたし、なおったらねー……!



 「できること」が増えるんだと。やりたいことが、増えるんだと。

 その夢を。気持ちを、嘘になんてしないで欲しかった。



「…………」



 だって、叶うわけがなかったんだ。


 治ったらこれをする、あれをすると口に出せば、家族の表情は曇る。

 その意味を知ったのは、ある程度大きくなってからだった。私が無責任に出した言葉が、身の回りを傷つけたのだと知った時、私も傷ついた。


 ――希望なんてなかったんだ。治る期待なんてされてなかったんだ。

 私は、ただ……



「えーとぉ、いちについてー」



 飼い殺されて終わる、そういう命でしかないんだ――


 ……分かっている。

 もう、分かっている。

 配達員の言葉遣いは、表面を繕ったような感情表現は。



「よーい――」



 ――少し、その先生に似ているだけだ。やつあたりにちょっと近い。



「配達員さん」


 遠くに白い死神の声を聞きながら、少女は呟く。


「……何」

「……絶対、負けない」


 ――やつあたりでもいい。だって負けたくないのは事実だ。それ以上に私は知っている。声も印象も似ているが、背格好は違う。

 その人が別人だと、確信を持っている。だから、あえてごっちゃにしよう。


「嫌だ。全力で勝ちたい」

「……」

「私、自力で……全力で走ったことない」


 少女は呟いた。


「運動なんてするなって言われてきた。歩けるのに、走れるのに。外に出るなって言われてきた……!」


 知っている。心配されていたのだということは。

 だから皆、「鳥かご」に押し込めようとしたのだ。


「……それでも私は外の世界が好きだった。友達にこっそり連れ出されて、病院を抜け出して、街で食べるご飯が好きだった!!」


 白い死神に「食べることは好きか?」と声をかけられ――すぐ思い浮かんだのは「それ」。


 ……一歩、外に出る。大人の管理下を抜ける。


 入退院を繰り返した病院を、出入りだけを繰り返した家を、視界の隅に追いやる。

 それだけで、毎日がちょっとした冒険のようだった。


 あとで怒られると分かっていながら、悪友と街の雑踏をゆっくりと歩いたのを。

 オススメのお店で、ハンバーグとオムライスを食べたのを、思い出した。



「……私、配達員さんが羨ましいんだと思う」


 少女は呟く。


「制限があって、それでもあの店で気兼ねなく『ご飯』が食べられるそれが、羨ましいんだと思う!」


 ――病院を抜け出して、他愛もない話を繰り返しながら食事をする。

 そんな、他の人にとっては当たり前のそれが生きがいだった少女に、配達員は思い至ったらしい。


「……そうか」


 ――隣から聞こえるその声は、逆にとても晴れ晴れとしていた。ハッと気づく。

 その様子はもう、笑っていなかった。ひどく真面目で、落ち着いた声だった。


「……バイトちゃんに告ぐ」

「なんですか」

「……勝ったほうが」


 隣レーンの配達員の口が動いた。



「ジュース、奢るルールで」

「……え?」



 ――ふと今更気づく。額を拭ったせいか、その口が見えたのに。

 その口元は、誰かに似ていた。似ていたけれど……



「……っどぉぉぉん!!」


「だ――――ああああああああ!!!!」



 ……それどころではない! ってか、今なんつったよこの人!?


 スタートと同時に猛烈な勢いで走り出した配達員を、慌てて少女は追い越す。

 いきなり勝手なことを言わないでほしい。絶対嫌だから!


 死後の世界にお金の概念はないが、「気持ち」の概念はある。


 ――つまり気持ちの貸し借りだ。相手に対して感謝の気持ちをおぼえれば。

 いや、もしくは「これをあげたい」と願うなら!

 ――「消滅までの時間」を数秒使って、数時間使って。

 「ジュースの自販機」が動く。


 ……気に入らない人相手に、そんなものを込められるわけもない。

 借りなんて、作りたくもない。ああ、できることなら……!



「っ……」



 こんな「わけのわからないやつ」、関わりたくもない――――っ!!



「っが……」



 一瞬、追いすがってきそうな気配がして逃げた。

 絶対嫌だ、ああ、負けてたまるか。

 こんなムカつく声のやつに。こんな、顔も見えないやつに……

 名前も知らない、名字も知らない、フッスフッスうるさい変態に!


「ぎにゃあああああああああっ」

「はーい!!」


 ふっと気がついた瞬間には、ぱーんと白い死神が手を叩いていた。


「アケビさん、9秒4っ!」


 ――あっという間のゴールだ。

 そもそも「足が動くか」、そんな危惧をしていたのが、バカみたいだった。

 少女は思わず額をぬぐいながら思う。

 ……だって前は「走るな」って……口酸っぱく言われたんだ。


「うーん、手始めの50メートルは問題なしやなぁ。むしろ初めてにしてはむっちゃ速くないです? アケビさん」

「――はあ、はあ――」

「で、問題ありなのがぁ……」

「――ひい、ひい、ひい――」

「後続のぉ~」


 ――白い死神はかなりのマジトーンで呟いた。


「帽子のおっさんやねんな……」


 え、と少女は振り向く。……なんだこの死にそうな呼吸音。


「――ひぐ、うぇ、ぐべ……」

「ううーん……14秒16……」

「……おっそ」


 ぺちゃり、とゴールラインに汗だくの何かが横たわった。


「……アケビさん、50メートル走を大人が全力で走って14秒台を叩き出す。あれが、ザ・Chokotto(ちょこっと) ランクです……」

「こわ……」


 ゴールラインに倒れ込んだ帽子の下から、うっすらと声が聞こえる。


「……わんもあ……」

「カニさんみたいにアワふきながらリベンジ宣言しないでください……」


 ――帽子がプルプル震えだす。


「わ、わんもあ……」

「だから怖いんですって何その執念」

「言った、だろ……」



 ――ロックに中指を立てながら、ドロドロの配達員は起き上がった。



「俺を……ハア、挑発したことを……ぜえ、後悔させてやるよ……ぐふあ……」



 ……ぺちゃり。

 突っ伏したそれを見つつ、白い死神は表情も変えずに呟いた。


「……あかんヤツにしとこかな……これ……」

「煽り耐性ゼロってそういう……」


 ……嫌われたら満足げにするくせに。


「……無理に立ち上がろうとしてエクソシストみたいになってる」

「ほんまや」


 そういうところはムキになるんだ、この配達員さん。




  *    *   *   *




「いや、無理だって、14秒が9秒に勝つの」

「まあ冷静に考えたらそうだよな」


 ……自販機が音を立てるのを聞きつつ、配達員は呟いた。


「……で、何、俺にそんな似てるのそのクソみたいな先生」

「声と、適当さが」


 実際、印象はそっくりだ。――そう思いつつ、少女は少しだけ配達員に近寄る。

 ……あの50メートル走で、少しだけ。

 この男の「底」がわかったような気がしたせいだ。


 飄々としているだけではない。彼なりに、ちゃんと『譲れない部分』はあるらしいという、たったそれだけの話だが。


 それでも、一瞬見えたそれは一つの線のようで。人としての核のようで。


「……そんな適当に聞こえます?」


 はい、とジュースを渡しながら言ったその一言は。


「……あ」


 たぶん「いつものそれ」でなく素の表情。貼り付けたような笑みは一切なく。どちらかといえば柔らかく笑ったそれだった。


「……そういう笑い方もできるんですね」

「……? 顔は見えないだろう」

「見えなくても分かります」


 少女が笑ってそういえば、存外、「困った様子」で配達員は呟いた。


「……分かってたまるか」

「分かりやすいです、今のは」


 『ランク外』、健康そのもの。

 少女をそう判断した死神も帰った後の、夕方の風にさらされながら、彼女はいう。


「……悪くないですね」

「何が?」

「ひとしきり運動した後に、気に入らない人に奢ってもらうジュース」


 配達員は苦笑した。


「…………そ」

「初めてです、こんな達成感」

「だろうな」


 少女は冷たいオレンジジュースの缶を大事に持って、ふと思い出したように言った。


「まず、ちゃんと運動したのが初めてです」

「だろうな」


 自分のジュースを選びながら、素っ気なく配達員は言う。


「……その、よかったな、きっちり治ってて」

「はい」

「やりたかったことがあるんだろう」



 ハッと気づいた。

 ――「あの子たちにまじって、サッカーとかできる?」

 あの問いが、ふと思い出される。



「……どうせこれからいくらでもできるんだ」


 ぽそりと配達員は呟いた。


「それでその先生、許してやれないか?」

「なんですか、やけに肩入れしますね」

()()()、なんて言われたら気にはなる」


 少女は聞いた。


「……そんなもんですか?」

「ああ、そんなもんだ」

「なるほど」


 少し笑って、少女はぽつりと言う。


「あのですね」

「ん」

「……憧れてた子がいたんですよ。サッカーが上手い子で」


 ――配達員は頷く。目の前で点灯する自販機のボタン。


「私、人生短いくせになんか、くだらないほど惚れっぽくて……最後の以外は片思いで終わったんですけど、一番最初の初恋が、いわゆるサッカー少年だったんです」

「ほー」

「お互い治ったら一緒にやろうねって。……いや、バカですよね。女の子と男の子で」

「別にいいんじゃないか」


 自販機のパネル上……指を迷わせながら配達員は言った。


「体育の枠だ、小学生くらいまでは同じような扱いだろ」

「ですね、実際、当時は小学生でした」

「うん」

「ただ、治らなかったんですよ、お互い。向こうは小児白血ですぐ逝っちゃいました」

「……なるほど」


 少女は聞く。


「とっくに消滅してますよね多分?」

「普通ならな。聞いてみたらいいんじゃないか?」


 配達員はさらりと口にした。

 彼は思う。


 ――この少女、あの『白い死神』とも特別に「仲が悪い」というわけではなさそうだった。配達員を担当している「黒いの」とは違って、アレは茶目っ気というよりかは天然気質。……そう、聞いてみればいいじゃないか。()()()みたいに、妙な茶々は入れないだろうし。


「……別にいいですよもう、今更何話せって言うんですか」

「それもそうだ」

「……で、さっき、最後の以外は片思いって言ったじゃないですか?」

「うん」


 少女はジュースの缶を握りしめた。


「最後だけ両思いだったんです。しかも少しだけ……その、サッカー少年に()()()んですよ」

「……なるほど?」

「どうせなら最後まで片思いだった方が良かったのに」


 ――最後まで片思いだったなら、楽だったんだろう。

 「やりたいことがあった」、「できなかった」。

 それで終わる人生だったのだろう。

 まだ、何もかもに諦めがついたはずだった。

 「夢を見た、でもそれは叶わなかったよ!」、そんな不幸な物語で、ラストだったのだと。


 でも。最後の最後で……少女には、消えられない理由ができた。


「……通じちゃったっていうか、向こうが馬鹿正直にいう子だったんですよね。『大好きです』って」

「……つまり、消滅できないのは」

「多分それです」


 ――願い事が……奇跡が、ひとつだけ叶うなら。

 今まで諦めてきたそれは何だったのか。


 配達員はスッと鼻で笑った。


「……難しいな」

「ですね。生きてる相手が別の子好きになったらどうするんだって話ですよ」


 ――カコン、と配達員の分のジュースがようやく落っこちる。


「女の子同士の喧嘩は怖いからな」

「見てきたように言わないでください」


 そう言いつつ、少女はジュースを一気飲みする、も……


「あれ」

「どうした」

「……ねえ配達員さん」


 その目線を追いかけ、よーく見ると……


「…………」


 その方向から微かに聞こえる、子供の寝息。


「いつからいました? この子」

「……気付かなかった」


 自販機の横。ゴミ箱の影になるようにちょこんと座っていたのは、見覚えのない小さな子。

 髪は短いが、ワンピースを着ているところを見るに女の子で間違いない。――見た目の年齢は5歳から6歳程度。日本人にしては髪の色が薄いところを見るに……


「…………。」

「あ、ちょっと」


 配達員はまだ開けていない自分の分の缶を片手に、その肩をトントンと叩いた。……歩き疲れて眠っていたらしい。ふっと目を開けたその子相手に、配達員は冷たい缶を押し付ける。



「……いるか? いちごオレ」


「・・・」



 ――言葉は聞き取れなかった。だが、少し驚いたような顔をしたその子は頷く。


「うわ」

「な?」


 少女がギョッとするのを見て、配達員は息をつく。


「聞き取れないのに意味分かる!」

「なんて言った?」

「欲しいって言った!」

「正解。……肉体がないんだから、そりゃあ心も丸出しに近くなるさ」


 配達員はその子に向き直った。



「……で。君、どこからきたの。ここ日本人区画だぞ?」

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