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★#23 タコボール・ロスト・バゲージ(中)


 ――有名な舞台女優の娘。

 津田自身、母親を常においかけていたところがあった。

 だから演劇部に入ったし、だから必死に勝手を知っているような顔で、ボス猿のごとく振舞った。

 津田自身は、偉そうにふるまうことでしか、攻撃的に振る舞うことでしか――誰にも見てもらえはしなかった。


『……私を見ていたわけじゃないのにね』


 演劇部に入ってくれ。そう顧問に言われたのは結局、親の方にネームバリューがあったからだ。その上、母親譲りの才能があると、一方的に思い込まれたのだ。


 ……「必要とされたのだ」と、舞い上がってしまった。


「――分からんでもないけどな」

『冗談いわないでよね。あなたの親はサラリーマンでしょ』

「思考のトレースはできらぁ。共感はできないが」


 顧問の柏原は元々が舞台オタクだ。

 ただ、津田の母親を見ていただけ。高名な母親とお近づきになりたかっただけ。

 娘はその足がかりだ。他の取り巻きもそうだった。ただ単に有名人とお近づきになりたかっただけ。ミーハー極まりない。


 母親には結局のところ人望があり、人柄があり、目を惹くカリスマがあった。

 少女時代の津田は自問する。

 ――今の津田もときおり、振り返る。

 自分には「何」がある?


『……当時の私、だいぶ焦ってたから』


 自分の力が欲しい。

 自分だけのコネが欲しい。

 自分が自分だからついてくる、そんな誰かが欲しい。


 劣っている。いい顔をしても好かれない。

 頑張っても母親と比べられてしまう。

 どこにいってもあの有名女優の娘だという要らない情報がついてくる。


「……焦ってないと、やらねえかぁ」

『谷川さんの話?』


 谷川ユキは5年前――佐田と一緒に路線バスを飛び降りて、彼女を急流の橋から引っ張り上げた人物だ。


「そう、谷川ユキ。一番おおごとになったのはゆっきー先輩のことだろ」


 佐田自身はずっとおちゃらけて下の名前で呼んでいたが――佐田の一つ上、つまり津田と同学年。


『だってねえ、佐田くん』


 ぐびりとまたカフェモカを飲んで、津田は呟く。


『谷川さんってどこまでいっても生々しいのよ』

「知ってますが」


 津田はスマホをうんざりしたように見つめた。


『生々しい。作っている感じがしない。……つまり素人くさいところがあるくせに、だいたいの観客からは上手いって言われるのよあの子。……でもそれが許せなかったのよね、あの先生からしたら』


 そもそも谷川を一番目の敵にしていたのは、津田と交際していた当時の顧問、柏原だ。演劇関係の職業にうまく就けなくて、仕方なく親類関係でツテのある教師になったような人物。


 ……学生時代から津田の母親を目指して生きているような、狂信的なファンがその男だった。


 彼女の完成された演技が好きで――彼女を脅かすような【ポッと出のド素人】の存在が許せない。そんな存在だった。

 それだけ谷川の存在感には、生々しさには――限りない可能性が、目を惹く要素があったのだ。


「くわえてアンタの差金だよ」


 運悪くいじめにあった被害者2人の名前を、佐田は特に抵抗もなく口に出す。


「アンタは立場上、あのクソ教師に媚を売っていたけれど……同時にゆっきー先輩と当時付き合っていた犬飼に一方的な憧れを抱いていた」


 さすがに津田は苦笑いした。演劇部から立ち去ることになった一件――そのとき佐田の横にいた好人物が犬飼だ。

 佐田のクラス内では堂々たるメインをはっていた()()()。卓越した身体能力とノリのいい性格。

 運動部では一二を争うような知名度の高さ――――


『……まあねえ……』

「こう見てみると大人顔負けにドロッドロだよ。高校生の色恋ってのは」


 ハッ、と佐田は笑う。

 ――クラス内と言ったが語弊がある。

 正確には学年一の人気者、それが犬飼だった。佐田から見れば親友の一人だったし、更には津田を最終的に演劇部から追い出すのに力を貸してくれた、類稀な人間。


『……犬飼くんと仲良しだったからね、あなた。だから逆に私と柏原先生を潰そうとした』


 コーヒーを啜りつつ、佐田はいう、


「津田帝国の解体のために一芝居打った。そんだけさ」

『驚いたわよ。表面上は事なかれ主義気取ってたじゃないあなた。なのに突然牙むくんだもの』

「表面上なのを分かってるだけでもあんた、頭はよかったんだよ」


 津田はそもそも――劣ってなど、いなかったのだ。

 少なくとも佐田からすれば、そう。

 気にいらないけれど、頭の良い役者ではあった。


「そこはオレも買ってたんだぜ? ……ホント、人の足を引っ張るんじゃなくて、正統派で頑張ってたらよかったんだ」

『……似合わないでしょ、今更』


 苦笑いした津田はコーヒースプーンでカフェモカの泡をいじる。……幾度も潰して、消していく。ココアパウダーを下へ、下へと下ろしていく。


「そうでもねーさ」


 佐田はそれを見ながら口を開いた。


「そうじゃないと、こっちも社員として雇わないだろ」

『谷川さんがいうからじゃないの?』

「まさか。……ああそりゃあ、オレはゆっきー先輩が好きだよ。あの人の演技、演技じゃねえんだもん」

『まあね』


 津田が頷く。


「素人くさいってのはそういうことでしょ。作り物じゃないから演技に見えねえ。見ている側が本気でそう思って、その場にいてしまう」

「…………」


 それは承知している。自分の学年最後の舞台。文化祭の最後、谷川を演者として潰す直前のそれを思い出した。


 ――蛹が蝶へ羽化するように。

 彼女はあの瞬間、会場だった体育館を「本物」の迫力で飲み込んだ。開演ベルの鳴った最初こそ普通の演技だったのに。他と大差ない、出る杭は打たれない。そんな控えめな!


 なのに――終わる頃には嫉妬してしまった。

 すさまじかったのだ。

 子役上がりの津田には怖かった。――あれがいざ、たとえば自分が放課後に足繁く通うようなオーディションで、目の前に現れたらと思うと!


 そこまでの力があった。表現力があった。華やかさがあり、躍動感が。感動が……きっと、すべてがあった。

 ――あの子には、勝てない。

 そう思ってしまった。



『……だから、「終わりにしてやろう」と焦ったのよね』



 津田にとっては慣れていることだった。

 何をどういえば、相手がそこからいなくなるのかを知っている。

 負荷をかけていけばいい。

 傷つくような言葉をかければいい。

 言葉の力でジワジワと、相手のやる気を削げばいい。


 ついでに『あいつと仲の良い犬飼くん』を、横から奪ってやろうと思った。そうすれば徹底的にその子のメンタルが破壊できると確信していたのだ。


 ……具体的には谷川が悪い立場になるようなことを吹き込む。出所不明の手紙で、匿名を装って。

 「あの子が陰口を言っていた」。「あの子はこんな子だ」。

 更にはそもそも、谷川の恋愛遍歴がやたらに豊富で、数多かったのもネタのひとつだ。


 「ただ男が欲しかっただけで誰でもよかった」。「あなたは必要とされていない」。


 そうふきこんで、真偽不明にしてやって――印象を悪くする。立場を揺らがす、幻滅させる。

 そうして最後には谷川を悪女に仕立てて断罪すればいい。「こういう噂が立っている」と。


 人は強いものに巻かれるもの。弱さを見せつけてやれば幻滅する。だったらぐうの音も出ないほど口撃してやろう。そうしたら腑抜けになるはずだから。

 ぐちゃぐちゃにその『やる気』を潰した上に、彼氏まで奪ってやったら、この女はどんな顔をするだろう。

 そう思って追い詰めていた時、その『彼』そのものが止めに入った。


 ――頭のいい犬飼には、手紙も噂作戦も、結局何一つ効かなかったのだと、その目を見た瞬間理解した。


 彼は人から言われたことを鵜呑みにしない。自分の目で見たもの、感じたものを信じるタイプだ。その堂々とした立ち振舞いを、今でも覚えている。


 逆に津田の立場が悪くなるような情報を、今まで人の才能や努力を潰してきた結果を。その数々の証拠を――お返しだとばかりに目の前に突きつけてきたのだ。


 そもそもの話、津田の持たないエンターテイメント性を持っていたのが彼だった。常に何らかの騒動を起こしている相当なイタズラ者だったが、必ずそれは誰かを楽しませるような内容だったし、それでいて役者になる気は毛頭ない、津田からすると「敵にならない安心感のある人」が彼だった。


 ――被害に遭いがちな先生方には嫌われていたかもしれないが、大抵観客側に回ることになる生徒相手には大概、腹を抱えて爆笑されていた。

 他学年の人間も一目置く『面白いヤツ』。


 ……谷川を傷つける意図と同様に、惹かれたのも事実だ。ホッとしたのだ。あれは絶対に『こちらの世界』には入ってこない。ライバルにはならない。なのに一緒の空間にいると面白い。それがとても新鮮で……安心した。



「……そうだろうな。ただね、部長」



 佐田は苦笑しながら言った。


「オレは『言われたからやってみる』ってことはするけど、『言われたから続ける』ってことはしないわけ。――嫌ならさっさと踏ん切りつけてやめちゃうんだよ、継続するのを」

『――佐田くん?』


 ……気まぐれランチだろう。何かを焼く匂いがしてきた。


「だから、谷川ユキに世話を任されたからと雇うことはしないし、同情であんたの面倒を見ることもない」

『……』

「あんたを事務で雇い続けて3年は経ってるだろ。努力は認めるし地頭がいいのは最初から知ってる。たまに視野が狭いことはこっちも分かってて、じゃあ任せて間違いはねえんだよ。今のところあんたは真面目にやってる。ならそのままだ」


 佐田は鼻をひくっとさせた。ソース、生姜。小麦粉、ごま油……。


「って、おい、マジかよ。気まぐれランチ……」


 リーフレットに書かれていた文言を佐田は今更ガン見した。――「お客様の好きなものを一つなら確実に当てることができます!」


「ヴォブァァァ――!! 本当に当ててきたぞ!?」

『は? どんな奇声あげてるのよ。匂いで分かるわけ?』

「お待たせしました」


 店主がニコッと笑って目の前に置いたのは、タコがはみ出しまくった球状の物体が16個。それも皿が二つに分かれている。


「オレが――オレがッ、()()()()()の匂いを判別できないわけがありますか!?」

『あると思うわよ常人なら。しかもタコ焼きじゃなくてタコボールって言ってるってことは店の名前も把握してるじゃない』


 タコボールはかつて、自分たちの高校近くにあった老舗のタコ焼き店だ。最初は『おいしいタコ焼き』という身も蓋もない看板だったが、途中から『タコボール』に看板が変わっている。

 曰く、佐田が「タコ多すぎっしょ! もはやタコ丸めたボールじゃん!!」と興奮して叫んだのをお店のおじちゃんが笑って採用したのだとか。

 津田はため息をつく。

 ――この野郎、()()()()()()()()()を変えるな……。


「津田部長こそ何タコボール把握してんですか! タコ焼き好きだったんすか!」

『いや、フツーに好きだったわよ悪かったわね……あなたがそもそもミーティング中に「さっさと終わらせてここのタコ焼きが食べたい」って内容の私語繰り返してるせいでこっちも食べたくなるんでしょうが。歩くコマーシャルよ最早』


 実際、演劇部のミーティング後は9割がたの確率で足を運んでいた気がするのだが……津田はため息を吐く。

 絶対にあれは佐田が悪い。


「えええー、あんなすました顔で意外と影響とか受けてんのキッモ!?」

『キモがるのは勝手だけど、私の皿もタコボールだからとらないでよね』


 しかし本当にタコボールだ。佐田はしげしげと眺めた後、ひとつ口に運んだ。

 ……大量投下されたタコが球形になるギリギリの量の生地。それでいてしっかりと生姜とダシの味が効いている。


「……ってか、同じ店の常連だったんすかオレら……複雑……」

『買ったらさっさと横に移動してたから顔合わせなかっただけでしょ。私が。あなたがタコボールでほっぺたパンパンにしながら犬飼くんに私の悪口言ってんのも気づいてたわよ』

「えー、せめて声かけてよね陰湿ババア……」

『陰湿はどっちだってのよクソジジイ……』


 呆れた様子で津田はタコボールをつつく。


『そもそも、私が声張り上げなきゃ存在感ないのは承知してんのよ。谷川さんだったら気づくでしょ貴方』

「半径4メートル以内なら気づくっす、あんな明るさ百パーセント」


 ぷっ、と津田が息を吐き出した。


『まあ確かに、ミラーボールみたいな女よね』

「光も闇も反射するんで言い得て妙っすね。あの人」


 ケラケラ笑って。それでも少しだけ落ち着いた後。


『……悪かったと思ってるわよ、今更だけど』

「でしょうね」


 佐田も結局うっすら分かっている。

 ……雇わなければ気づかなかったのだが。


『あれで谷川さん、暫く舞台演劇をやめてたんでしょ』

「あんたの想像通りにね」

『でもそれってやっぱり――今から思うと惜しいわよ』


 ぽつりと津田はつぶやく。


『私は声帯を動かす筋肉がそもそもスムーズじゃないからこうなってるわけだけども。あの子、精神的な問題じゃない。私とは違って、五体満足よ』

「…………アンタが、傷つけたからね」


 佐田はピシャリとつぶやいた。


『……そこは、後悔してる……』


 暫く2人で黙り込む。

 真夜中だからか、外の音はしなかった。

 ゆっくりとしたテンポの店内BGMが辺りを包み込む。……暫く弾力のあるタコボールを噛んでいると、昔のことをいくつか思い出した。


 店の近くを流れていた川のせせらぎ。キジバトの鳴き声。バスケットボールがゴールに入る音……。


 佐田は突然、ぽつりと口を開いた。


「……なあ部長、役者としての谷川ユキ、どこで復活したか知ってます?」


 今はそうだ。谷川は少しずつ復帰していて――売れているわけではないけれど、時々役者としてギャラをもらうこともある。

 それに至ったのは、いつからだったか。


 佐田に問われた津田はまったく答えない。

 ずっとタコを噛んでいるようだった。


「……オレね、今だからいうけどさ。どっちかっていうと暴漢側だったんですよ。考え方が」


 ぽつりぽつりと佐田は話しだす。雨が降るように。


「……アンタの暴論で、罵声で、幾人もの仲間がそこを去った……オレにはできないものを持ってる人が、羨ましいセンスを持ってる人が、恐らく幾人も混じってて、オレは歯痒くて、あいつらの代わりにいつか、と思ってた。自分の事じゃないのにな」


 津田は答えない。


「……和を乱すってのが嫌いなんだよ。オレのいう『和』ってのはさ。全員が同じ方向を向いてることじゃなくて、好き勝手個人でさ。全然別の方向みてて」


『…………』


「お前はそう思うの? オレはこう思う。それを口々に言って共存ができる。できないなら距離を置いて去っていく。それが自由だってことだ」


 津田は答えない。無言でカフェモカを飲んでいて、窓の外を眺めている。


「好き勝手やってるけど否定はない。その混沌が心地いい。津田部長みたいな圧力は要らない。強制も要らない。オレたちの理想の『作り物の世界』に、罵声はいらない」


 だからこそ、佐田は彼女を追い出した。谷川がイジメ潰されるという騒ぎに乗じて。佐田は長らく反乱の機をうかがっていた。……要するに、彼女を利用したのも同然だった。

 だからこそ、谷川をなじる声を聞いて飛び出そうとした犬飼を止めた。

 ()()()()()()()()、そう言った。

 扉の前で、証拠集めと称して。


 ……あんまりだな、とは思う。

 常に罪悪の感情はある。津田を追い出すためとはいえ、谷川の心に大きな傷をつけたのは自分も同じだ。


 だからこそ卒業してからも、彼女との関係を手放さなかった。罪滅ぼしといえば都合はいい。ただ、あれだけ長くつるんでいた犬飼との縁が切れても、なお、なんとなくでも彼女との縁は持ち続けた。


「……舞台ってのはファミリーだろ。足を引っ張り合うだけが俳優じゃない。高め合い、競い合う。競い合いに過剰な敵意も悪意も本当は要らねえんだよ。オレはオレでベストを尽くす、そんな負けん気があればいいんだ」


 津田の持っていた武器は、佐田のいうそれとはまるで違った。

 彼女が取り巻きと一緒にととのえたのは、『自分だけが輝ける舞台』。


「焦っていた。飢えていた。心の底から余裕がなかった。――その理屈は知ってても、思考のトレースをできたとしても。あんたのことはたぶん、一生許すつもりがなかったんだと思うよ。同じ穴の狢として」


 津田は頷く。分かっている。

 ずっと彼の心のうちは分かっていた。それでも津田は、あの日橋の上で谷川に救われ――そこに一緒にいた、佐田の元へやってきた。


「ただ、オレは舞台演劇を愛する者として、あんたを演劇部の外へと押し出した」


 ……津田は頷く。


「でもね、部長。5年前――目の前で、羽のもげた蝶々が飛んだんです」


 橋の上。谷川が叫んだ文言が、佐田の脳裏を熱く『焼く』のが分かった。


「『もう無理、できない』――何度誘ってもそれしか言わなかった人間が、あの翌日」



  ――「コネでいいんだけどさ、秀ちゃん」



「『今の津田さんなら勝てる気がする』。そう、不思議にぎらつかせた目で言ってきた」



  ――「お仕事、探していいかな。私が出てもいいヤツ!」



 それは怒りだったのだろうか。憤慨だったのだろうか。――それとも、同情だったのだろうか。

 こんな女に負けたのか。そう思ったのだろうか。


「……オレね、そこそこ頑張ってはみたんだけど……結局事務所を立ち上げたのは、自分のためだった」


 佐田秀彦は5年前――ちいさな劇団と事務所を立ち上げた。それと同時に、所属事務所からの独立を果たした。


「……自分が、あの人の演技を見たいんだ。席はあけてたんだよ、随分と前から」


 谷川に「もう一度演劇やらないか」と言い続けてきたのが佐田だった。事あるごとに、様子を見ながら。それは高校のときに見た、彼女の渾身の舞台演劇があったからだ。


 ある年の文化祭。谷川ユキが高校3年の最後の舞台で見せた、誰もが目を惹く『本物の輝き』を知っていたからだ。


「大人になっても彼女はたぶん、どこかあの日のままだった。演劇部の高校生が心の底にいて。ああ、たぶんずっといて。――橋の上であんたに偉そうなことを言った手前。少し、またやってみたくなったんだろうなと思って」


 谷川の演技を、たぶん高校時代の誰もが知っている。

 ……今日の同窓会の面々は恐らくだが、大体の人間が見ていたか、噂だけでも知っていたはずだ。彼女はそれだけの役者だった。


 舞台の最中、幾つかのトラブルがあったとしても。骨を折ったとしても。普段からロッカーに嫌がらせの手紙が入っていたとしても。上演中――彼女の目は決して光を失わなかった。


「……オレは……すごく、嬉しくなった」


 ただ、その光は有限で――津田が心無い言葉で責め立てた事で失われた。叱責には顧問も加わっており、大人まで参加したモラハラとパワハラが火を噴いた。誰もいない密室で。

 密室。

 ――そう、ぱっと見は密室だったのだが。佐田と犬飼はあの時、扉を蹴っ飛ばしてそこに飛び込んだのだ。津田を追い出す前日に。


「オレはあの日の谷川ユキがみたいんです。自分でもいつかああいう風にやってみたいし、誰かがやったあれをみたい。あの、研ぎ澄まされた本物を、たくさんみたい」


 それだけすごいものを持っている高校生だった。――大人顔負けに目を惹いて、独自の世界観を作り、飲み込む女優だった。

 それが谷川ユキという女。

 それを結果的に台無しにしたのが津田だったし、助けに入って事態を収拾したとして、彼女の心を全て助けられなかったのが犬飼だったし。――その中で唯一『津田を演劇部から完全に追い出す』という本懐を遂げたのが佐田だった。


「5年前のあの日、あんたを橋の上に引っ張り上げたあの時から――彼女は戦線に復帰した」


 本懐を遂げた、といえば聞こえはいい。

 ただ、佐田の中では失われたのだ。

 谷川という役者の心が、魂が失われてしまったように思えて――それだけが心残りだった。


「……橋の下。あの山の中で再会したあんたはもう一度、オレに谷川ユキを見せてくれた」


 弱っていたかつての同級生に、谷川が何を思ったのかは分からない。何を思って橋の上から手を差し出したのか。叱りつけたのか。それは分からないのだけれど……あの後、谷川の目つきは明らかに変わった。


「『やるよ』と言ってくれるようになりました」


 一緒にやろうと声をかけても、きっぱりと断られていたのが徐々に上向いた。

 前向きな返事がある。「何事も経験だよね」と暇を作ってくれる。そしてなにより――その演技の腕は、全く錆びついていなかった。


「それが、オレには何より嬉しくて。同時に生きる原動力になりつつあって……『ああいうふうにやってみたかったんだな』って、今更また再発見して」

『……うん』

「オレは、あの時死にかけた津田さんに感謝してるんです」

『……一方的な感謝ね』

「当然だ」


 もぐ、と佐田はタコボールを頬張る。


「高校時代のあんただって、返ってくるやまびこを聞かなかっただろ。演技っていうのはリアクションなのに」

『そうね』


 舞台演劇を志す際、よく聞く言葉がある。

 ――役者は台詞を『喋る』のではない、相手の台詞を『聞く』のだと。

 聞いて、それに対して行動を返す。リアクションを返す。その繰り返しが、物語を作る。


「一方的なのはお互い様だからね」

『そうね』


 津田はからになったコーヒーカップを卓の上に置いた。


『……一方的なのがたくさん群れて。それで反論することはあったとしても、まず相手の言うことを聞いていたら』

「ああ」

『相手を否定しなかったら』


 津田はふわりと笑う。


『きっとそれは、確かに心地良いわよね。……最近、あんたたちのやり方見てて知ったけど』


 『それは違う』と思うこと自体は自由で――けれど、相手にも考えがあるのだと理解する。理解した上で、それが良いものであるかを一緒の目線で考える。


「混沌としてるゴミ箱の中にオレたちはいるわけです」


 佐田は苦笑いしながら皿の上を見た。

 ――タコボールがいつの間にか残り一つになっている。


『……さしずめ、谷川さんはゴミ箱の底で光ってるガラス玉ね』

「そうそう、オレら燃えるゴミよりはだいぶ綺麗ですよ」

『ああ、でもあなた燃えるのよね?』

「当然。誰よりも」


 からり、と皿の上が真っ白になった。


「誰よりも光るし、誰よりも燃える。そうありたいもんです。役者としては」




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