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☆#17 ファーム・イン・アケボノメシ(下)

 【主な登場人物(☆)】


  ・店主 (浩介)

 あの世とこの世の間にある不思議なお店、『ZattaGotta.KK』の店主。


  ・配達員 (???)

 店主のお店に毎朝顔を出す、「顔の見えない」常連客。

 「人に好かれる」よりは「嫌われたほうが安心」というひねくれた性格。


  ・少女 (アケビ)

 店主のお店のウェイトレスだが、現在「配達員」のお仕事を体験中。

 ……慣れない作業と想定外の事件で頭がパニック。


  ・青果担当(椛太郎)

 ちょっと暑そうなツナギがトレードマーク。

 ……想定外の事実に頭がパニック。



「……それで……」


 騒ぎを聞きつけた配達員は現状を把握した瞬間、ノータイムで死神に通報した。やれやれといった調子で帽子の下の空白が、辺りいっぺん――その場の全員をくるりと見渡す。


「青果担当さん。この半透明マン、あんたの甥っ子で間違いないのか?」

「半透明マンって」


 相変わらずバタバタしているのか、死神の到着には今暫くかかるらしいが……少女はホッと一息つく。この男、こういうときだけ頼もしい。


「……間違いない。ちょっと老けとるがな」

「……通報時に確認した話を纏めるぞ。ちょうどタイミングよく死にかけた際に『思い出話』をされたことがここに現れた原因……つまり、()()()になった可能性が高いそうだ」

「……。ギリギリ生きとるんかこの子」


 げんなりしたような、ほっとしたような複雑さで青果担当は呟いた。

 少女はウンウン頷く。まあ……暫く会ってなかった家族が血まみれで現れたら、そういう表情にもなるよね……。


「生きてるさ。……『お化けは通常持ってないもの』を持ってるからな。少なくとも正式に郵便局を経由してないのは確かだろ」

「通常持ってないもの?」

「魂だよ。記憶だけじゃなくて、生き物としての核をちゃんと持ってる」


 配達員は一瞬、日差しを自分の影で遮った。――途端、白く霞む輪郭線。


「その霊体、透けてるだけじゃなくて僅かに光ってるだろ」

「――ほんとだ」


 遊泳に飛び出した宇宙飛行士と同じだ。何らかのきっかけで気を失ったアストロノーツは宇宙船のハッチを掴めない。そこに、何らかの力が加わった。


「――この例え話でいうところの宇宙船が『肉体』、何らかの力が『噂』、『昔話』。いかに命綱がついてようが、気を失ってフワフワしてたら流されるがままだろう」

「……なるほど?」

「で、今は恐らく『頭をぶつけたショック』で精神機能を停止してるだけ。彼をどうにか起こせたら、自力で命綱を辿って宇宙船へ帰還する。まあ――自動的に生き返るって寸法だ」

「ショックにはショックってことです?」


 『彼』に軽くチョップをしながら少女は言った。流血している半透明の生き霊にチョップを食らわせるとは。さっきは叫んでたくせに、意外と肝が座っている……。


「えー、そうだな……死神ズから送られてきた緊急マニュアルによると、『叩いてもひねっても起きない場合は触覚が機能してないので、別のアプローチが必要やでー』……と。ん、待てよ? 触覚というより痛覚が先に消えるって、結構珍しくないか?」


 何と比較してるんだろうこの人……。


「つまり、違う五感にうったえるべきってことかぁ……なら……」

「聴覚か?」


 青果担当がぼそりと口を開く。配達員は見えない首から上を振った。


「いや、これだけ騒いでピクリともしないんだぞ」

「視覚」

「……目を閉じてるだろ、ムダだ」

「聴覚、視覚、触覚が駄目……って、嗅覚と味覚しか残ってないのでは?」


 少女の問いかけに配達員は黙り込んだ。


 ――カチッ。


 ガジェットの電話機能を開き。


「…………」


 じーこ、じーこ、じーこ……


「あの、なんかネジ巻いてるみたいな音するんですけど」

「……なんじゃこれ、随分久しぶりに聞いたわ。そりゃあ君はダイヤル式電話しらんよな……」

「え、本で読んだことある。何、ダイヤル回す音なんですかこれ」


 初めて聞いた音に興奮しつつ、少女は早口でまくし立てた。


「いやヤバくないです!!? ――つまりプッシュ音をダイヤルの音に設定してる極めてややこしい人なんですか、この不審者!? なに! 方向性を間違えまくってインターネット接続するたびに口からダイヤルアップ音を吐き出すようなレトロオタクなの!?」

「……」

「……え、配達員さん?」


 あれ、無視された……。

 些細な違和感を感じつつ、少女は黙った。

 そういえばこの配達員……ぞんざいな扱われ方をするとけっこう喜ぶ悪癖があるせいで今まで色々言いちらかしてしまったし、微妙に気が合わないので色々突っかかってしまったが、そろそろ堪忍袋の緒でも切れてしまったんだろうか。

 だとしたら酷なことをしてしまった気がする。


 少女は反省した。

 うん、そろそろ謝るべきなのかもしれない……


 ――プルル、プルル。


『はい』

「……うわあああん!」


 配達員は完全に()()()()()()()()()と同じ状態で口を開いた。


「たすけてKK(ケケ)えもん!! 民間人が目の前で死にそうなのぉ!!!」

『誰がKK(ケケ)えもん!?』


 基本疲れてスルーしている店主ですら突っ込む一大事。

 ……どうしよう。

 ピキピキと血管がなりそうな気分になりつつ、少女はツッコミを噛み殺した。


 ……完ッ全に謝る気が失せたぞ!




  *   *   *   *




『いや――その、無理だよ。店を離れるとか』

「そこを何とか! あんたならどうにかできるだろうこの状況!」


 こそこそと青果担当が少女に耳打ちした。


「……なあ、KKの店主って今風の電話、使えたんじゃな……」

「せっかくだからって店出る前にスマホの使い方教えてましたよ」


 店主は明らかに現代人ではない。

 だとしても店にはなぜかテレビがつながっているし、客が来ない間はボケーっとお昼のドラマを流し見ていることも常だ。

 スマホやメールの存在は把握しているが……結局のところ、今回、少女の動向を報告するために持たされた端末が初めての『マイスマホ』なのである。


「……おかげで配達員さんのガジェットに、思いっきりはしゃいだスタンプ通知が100件ぐらい来てました」

「……スタンプ使えるようになったおじいちゃんみたいになっとるな、それ」


 そんな『今更スタンプにどハマりしたおじいちゃん』とは思えない、青年らしい張りのある声は、先ほどから冷静に配達員にNOを突き付けている。


「どうせ客なんて、数えるほどしか来ないだろうに!」

『……あのな、一人しか来なくても、誰も来なくても、お客さんはお客さんだ』

「……。」


 妙に、重みのある一言だった。

 配達員は暫く黙り込んだ後、息をつく。


「……それも、そうか」

『ああ、ごめん』


 少女はふと、今更なことに気づく。――あれ、もしかしてこの配達員……。


「……えー、来れないならせめて、何か案はないか、店主どの」


 ……明らかに今の無茶は、普段の配達員と違う様子だったように思う。

 普段ならもう少し、ふざけるにしても謎の余裕があるように見えるのだ。


『案、ねえ……』


 少女はスピーカーから聞こえる店主の声を聞きながら、黒いワークキャップを見上げた。たぶん……この人が先程まで『冷静』に見えていたのは、顔色が分からないからだ。実はもうちょっと『慌てた顔』とか、してたんじゃないだろうか?


「……ああ、案だよ。何かないか」


 イラついたような声。――それは、何に対する憤り?

 少女は唇をかんだ。

 ……表情も不明。この男の感情はいつも声色から判断するしかない。


「……『味覚』と『嗅覚』といえば、店主どのだろ」

『かもしれないね』

「強烈な匂いのする何かとか、変わった味で吐き気を催す何かとか……」

「待て」


 少女とは違った意味で「何か」に気付いたらしい青果担当は、ハッとした表情で口を開いた。


「……そう、だ……『変わった匂い』なら、分かるぞ……!」

「え、ちょ、ハナさん、どこへ!?」


 だっ、と駆け出した青果担当は叫び返した。


「みかんジュースと米準備してくる!」

「何その組み合わせ!?」

「わかった。……だ、そうだ。店主どの」


 青果担当の声が聞こえたのか、店主は合点がいったように確認した。


『ああ。なるほど。……配達員さん、青果担当の二宮さんって四国訛りだよね。少しずつ色々混ざってるけど、メインになってる訛りが一つだけある』

「……そうだな。少なくとも近畿や九州じゃない」


 配達員は口を開く。

 表情は分からない。ただ、少し……


『……たぶんあれ、ベースになってるのは南予だ。みかんのジュースと、お米がメインで出来る料理が一つだけあるんだよ。愛媛県に』


 ……青果担当さんに向かって安堵しているか、期待しているか。そんな雰囲気がしたのは何故だろう。




  *   *   *   *




 ……()()()()()()()()()()


 それは一般的に『みかんご飯』とか、『あけぼの飯』という名前で呼ばれる郷土料理の一種だ。具の有る無しや中身は家庭によるものの、炊き込みご飯ということに変わりはない。


「……柑ちゃん、お前、もういい年なんじゃろが。手に指輪ついとったぞ。死にかけとる場合か」


 柑二郎はまだ生きている。ただ、なんらかの事故で死にかけただけだ。

 ……ため息を吐き捨てる。

 身の回りのお化けは時々、様子を見に――かつての家に顔を出すことがあるらしい。生者相手に「話」もできないくせに、まったりと様子を観察しては満足して帰るのだと。


 ……バカバカしい。そう思って帰らなかったら、幾年か経っていた。


 不思議と、「寂しい」とは思ったことがない。

 柑二郎を羽田の空港に送っていったところから。

 そこで何か、肩の荷が下りたような感覚がしたところから。

 ああ、なぜだろう……あれだけ意味もなくお盆に帰るのが癖になっていた段々畑へ、顔を出すのが億劫になっていた気がする。


 ……普通は逆ではなかろうか。

 盆に出るのは、「お化け」なら当然の話なのではなかろうか。

 だが時々。そう、ほんの時たま……

 『今、何をしているのだろう』とは、思った。


 それでも姿を見るのが気恥ずかしくて、考えるだけで終えていた。

 その結果がこれだ。

 久々に見たそれは意外にも健康的な体つきで、健康的な顔色で。


 ……あの、『好きなものを好きなだけ食っていた』高校生は。

 逆に『要らないと思ったら食事に呼ばない限り食うのを忘れる』というあの不健康な高校生はどこにもいない。


 ……大方、出来のいい「誰か」が近くにいる。


 なら、できるだけ早く返してやらねばならない。

 青果担当は逸る気持ちを抑え、農産部から許可をもらい――いや、もはや強奪してきた米の量を測った。

 続いてニンジン、エリンギを細かく刻み、米の上にのせる。

 出汁の素をパラパラとかけたら、そこにいつも米を炊くのと同量の水……ではなく、みかんジュースを注いで、塩を振る。


「……あいつがいるとき、よぉ作ったなぁ」


 あとは通常のご飯通り、そのまま5分ほど水分を吸わせて炊き込む。鮭フレークを使う家庭も多いが、青果担当の好みとしてはじゃこだった。


 ――待つ。待つ。待つ。


「……はよう、炊きあがれ」


 焦りを吐き出した。――今この隙に死んでしまったら、彼の命は終わる。



  ――「ハナ兄はなぜ、東京に帰るの?」


  ――「なぜって、家があるからな」



 幼い頃の柑二郎に問われた一言を、今更ながら思い出す。



  ――「ハナ兄の育ったのは、この家じゃないの?」


  ――「育ったのはここだよ、でも……」



 ……苦々しい気持ちは事実だった。

 『手に入らなかった宝物』ほど、遠いものはない。



  ――「ここは、嫌いなんだ」


  ――「どうして嘘つくの?」


  ――「嘘?」



 柑二郎は段々畑のへりに座りながら、こちらを見上げた。

 ……そう、手に入らなかった宝物ほど……うつくしい。



  ――「……ここにいるとき、ハナ兄、きらきらしてるよ?」



 そう。手に入らなかったから、それを知っている。

 自分にしか分からない苦味だ。苦味がもはやいとおしい。

 「手に入らない」。

 だからこそ余計に美化されるのだ。


 あの時、初めて気付いた。

 オレは劣等感が嫌いだっただけだ。叶えられなかった夢が、嫌いだっただけだ。


 だから。



  ――「……好きなほうを選べ」



 あの時紙を持って立ちすくんでいた彼には、こんな気持ちが手に入らないように。「悲しいからこそ光る」ような光景を見つけないように。苦味が自分の中だけに留まるように――背中を押した。



  ――「……好きなほうを選んだら、柑二郎。お前なりに綺麗なものを見つけるんだ。継ぐっていうのは、知識だけじゃない」



 そう、知識だけじゃない。色々なものを足すことだ。

 発展させて、姿かたちを変えていくことだ。

 「守り続ける」のだけが、在ることではない。



  ――「前の人と同じに。……綺麗なものを見つけたら、それを深く、ああ、深くだ。愛してやればいい」



 ――……ピー。


 炊き上がった合図に、ふと我に返る。

 気づけばもう随分な時間が経っていた。


「……よし」


 ここからまた5分、しっかり蒸らして水分を飛ばす。

 彼は炊き上がった黄色のご飯に刻みネギとじゃこを混ぜた。


「行くぞ」


 彼は職員用の休憩所を飛び出す。――この職場、炊事場があってよかった! そう思いながら。




  *   *   *   *




「あ、帰ってきた!」

「あれは炊飯ジャーか?」


 炊飯器をのせた台車が超特急で帰ってくるのを見、苦笑いした声の配達員はちらりと柑二郎を見た。少女はそれを観察する。配達員の「わかりづらい目線」……。


「……確かにそれは独特の匂いだな。甘いし酸っぱい。――いや、俺の記憶より甘みが強いか?」

「え? 食べたことあるんですか配達員さん。みかんジュースのご飯」

「あるよ」


 配達員と少女のやりとりをよそに、青果担当は釜ごと持ってきたそれを柑二郎に近づける。……そしてうちわで軽く仰いだ。


「ほら、起きろ! ……起きろ!」

「――、――。」

「反応してるぞ、これはいけるんじゃないか?」

「食え柑二郎!!」


 もぎゅ、と口の中にご飯を突っ込んだ瞬間。薄目が開いた。


「……。ハナ兄……?」

「な、なんだ柑二郎っ」


 まさか喋れるとは思わなかったのだろう、青果担当は慌てて返事を返す。


「これは……夢? いや……すまない、ハナ兄……あの時、言えなかったことが……」


 何だ?

 ……慌てて青果担当は柑二郎を抱き起こす。

 『あの時』……?


「前から……思ってた……言いづらかったんだが……」


 透き通った手を握る。

 朦朧とした意識の中、柑二郎は意外にハッキリと言葉を口にした。


「あけぼの飯……」

「ああ」

「……もうちょっと、()()()()()()()()()()()と思う……」


「……え?」


 ――スゥゥゥ……。


「えええ! ちょっと! 苦情だけ言って消えた!?」


 ――ピョコン。瞬間、入れ違いのようにぴょっこりと黒いうさ耳がワンボックスの物陰から生えた。


「なんか甘い酢飯みたいな匂いするー。おそくなりましたーん」

「いや今更現れても遅いんですよ死神さん!? えっ、嘘、ハナさん固まってる!!」


 ……ふる、ふるふるふる。

 膝をガクガクさせ、青果担当はくずおれた。


「し、知らんかった……柑ちゃん、ずっとオレの飯……まずかったんか……!」

「は、ハナさん――――!? しっかりして、ハナさん――――!!」


 ぽつんと配達員は口を開く。


「……だと思った」

「え?」


 釜に残った黄色いご飯を一口つまんで、ホッとした声で配達員は言う。



「――昔、進路が決まらずに、俺に相談してきた男の子がいてね」



 ……え。

 ということは、まさか。

 少女は慌てて柑二郎のいた場所を見下ろした。


「……相談にのったお礼に、()()()()()()()()()()()『お手製あけぼの飯』。甘いっていうより、辛かったんだよなー」

「……は?」

「! ――ハナさん」


 さすがにオチがわかった少女は、ダメ押しで追撃した。


「配達員さん、前職――先生だったらしいです」


「――はああああああ!!?」




  *   *   *   *




「……と、いうことで、お土産にみかんジュースが追加された、と」


 苦笑いした店主は口を開く。

 そう、ここはいつもの店――『ZattaGotta.KK』だ。


「なるほど、世間は狭いね。まさか配達員さんと青果担当さんにそんな繋がりがあるとは……いやに声が必死だと思った」

「だって、目の前で元教え子に死なれても寝覚めが悪いだろう」


 ――なんか、くたびれた。

 配達員の無駄話を聞きつつ、仕事から帰ってきたばかりの少女は息をつく。

 手の中には『お疲れ様でした』と書かれた封筒と、配達員に青果担当が平謝りしながら持たせてくれたみかんジュース。

 勿論封筒の中身は現金でなく、「帰ったら好きなものを1食作ってもらえる券」とかいう、食いしん坊泣かせの引換券だったわけだが。


「一応死後の世界がこうしてあるとはいえ、消滅するときはもう一瞬なんだ。何も未練がなかったら即座に人生終了。何というか――だな」


 ぽりぽりと帽子の後ろをかきつつ、彼は言う。


「……あっけなくて寂しいだろう、それは」

「寂しい、ねえ……それを言えるなら君は、全く無感動な先生なんかじゃないだろ?」


 随分前に配達員自身が言っていた言葉、「無感動な人間だった」の一言を蒸し返しつつ、店主はくつくつと笑う。


「――そうだろうか?」

「ああ、そうだ。……あ、ところでアケビちゃん」

「なんです?」

「おれ、ゼラチン切らしてるんだよね」


 ニヤっと笑って、店主は言う。


「――コーヒーゼリーの材料が見当たらないようだけど?」

「ああっ」


 ガタリとようやく少女は立ち上がる。



「――忘れてたあああ!」




  *    *   *   *





 ……本来なら、押し付けて逃げたかった。

「お前は農家を継ぐんじゃろが」。


 それをすんでのところで飲み込んだのは。好きなほうを……そう言ったのは正解だったのかもしれない。

 あの配達員はかつて……彼に言ったという。



 ――「伯父さんみたいになりたいのか、君は」


 ――「はい」


 ――「聞く限り、随分こだわりがつよい人なんだな。『好きなものが一個だけ』? 一つに向かって突き進むさまがカッコいい? ああ――成程。君はこだわるが、分散をするからな……いいかい二宮くん。好きなものは一つだろうが二つだろうが、どちらも悪くない。あるだけマシだろう。何もないよりはいい」


 ――「そうですか?」


 ――「そうだ。君はどちらも大事にしていいし、移り気だなんて自嘲しなくていい。問題なのは、どちらかを選んで嫌になった時。『それでもやりたい』と思い直せるかどうかだけなんだよ」



 ……あの性格の割に。

 随分、まともなことをいう先生だったらしい。



「花、いつもみたいに畑まで競争しようか」

「いいよー」


 目の前の古い民家。

 ……誰かに似た名前を呼ぶ彼は、未だに現役で働く父親なり、親類等に苦笑いされながら足早に坂道を上る。


「ちょっとー、もうそんなとこ走らないでよー! また転んで救急車呼ぶのは私なんだからー!」


 なるほど、気の強そうな声だ。それが玄関の方から聞こえるのを、つんのめりながら笑って逃げ出して、親子は走りながら空を見上げた。


「あ、ねえ! あれ、お父さんが整備した飛行機?」

「かもしれないな」


 彼はため息をつく。

 青のグラデーション。むかしから変わらない風景の中……ふと。


「……怪我を理由に休んできたけど、さすがに明日から仕事か。嫌だなあ」

「……嫌になるくらい向き合っとる。そういうことじゃろが」

「そうだなハナ兄……」


 ギョッとした彼は後ろを振り返った。瓦屋根。その向こうの海。


「どうかした?」

「……。ああ」


 オレと同じ音を継ぐ女の子の問いに、彼は苦笑する。


「……()()()だよ」



 ――風が吹く。

 段々畑と海の途中、遠いあの日と同じ潮風が。



「……どちらかを選んで、嫌になった時」


 ……呟いた。

 誰にも聞こえないその声で。誰にも見えないその体で。

 あの子の向こう――段々畑の向こうの海をを見る。


「――『それでもやりたい』。そう思い直せる気持ちがあるかどうかだけ」


 ――風が吹く。あの日と同じ、匂いがする。


「……ああ、そりゃあ、持ってたかもしれんな。そんな気持ちを」


 ……親子の笑い声。

 死者の苦笑した声が混じって、うっすらとかききえた。



「――――あの、日々に……」



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