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☆#16 ファーム・イン・アケボノメシ(中)

 【主な登場人物(☆)】


  ・配達員 (???)

 『ZattaGotta.KK』に毎朝顔を出す、「顔の見えない」常連客。

 「人に好かれる」よりは「嫌われたほうが安心」というひねくれた性格。

 もはやドM疑惑が拭えない。


  ・少女 (アケビ)

 店主のお店のウェイトレスだが、現在「配達員」のお仕事を体験中。

 配達員に対して失礼な言動をするのが逆に癖になってきている。

 もうちょっとまともに育ってあげてください。


  ・青果担当(椛太郎)

 ちょっと暑そうなツナギがトレードマーク。

 ファームのナンバーツー。かなり訛りの強い地域で育ったらしい。



  *   *   *   *




 ……で、無事にエイリアンが引き剥がされた配達員曰く。


 ここのファームは根菜・葉物系野菜を扱う【農産部】、果物やトマト、アボカドを扱う【青果部】、肉と乳製品、卵を担当する【畜産部】に分かれており、農産部はマダムが、青果部はこの青果担当さんが、畜産部はもう一人が責任者を務めているのだという。


「あー……特にそのツナギの青果担当さんはここのナンバーツーみたいなもので……俺が重いもの持つと()()っていうのを見越して、いつの間にか荷積み担当になってる……」

「農場のナンバーツーに荷積みさせてるんですか、配達員さん……?」


 エイリアンを引き剥がしてもエクトプラズムの放出が止まらない配達員の丁寧な解説。少女は改めて寒気をおぼえた。

 というか本気で何が出てるのアレ。ひとだまみたいに見えるんだけど。

 ツナギのおじさん・青果担当の職員は「おう」と手を上げる。


「二宮椛太郎(はなたろう)だ。呼ぶ時は名字で構わん(かまん)けん、気軽にの」

「めっちゃ訛ってる……」

「ハハハ、バイトちゃんはそういえば関東弁丸出しだな。顔面行方不明の不審人物としてはキャラが薄くて助かることこの上ない」

「あの、喧嘩売ってます?」


 悪かったな、コンクリートジャングル出身で。


「ちなみに青果担当さんの名前の『ハナタロウ』、ガジェットのアプリ見てもらったらわかるけど木へんに花だから、地味に難読名なんだよねその人」

「悪かったねえ、逆にキャラ濃い田舎者で……!」


 あれ、割と気が合いそう? そう思って少女は青果担当を見た。

 つい先ほど、某()()()()()()()()()()の名前が書かれたサイン色紙を両手にかたく握らせ、「いいかい婆さん、ほら、イケメンの残り香だよ」「ホントだいい香り!」とマダムを野生に返したばかりの青果担当は深く息をつく。お疲れの様子だ……。


 ……ちなみにあのマダム、一日一回は律義に暴走するそうで「浩介さんと顔を合わせるとゴリラになる配達員さんと似てますね」と少女が口にしたところ、帽子の下から湿っぽい目線が向けられている。

 一緒にするなって? いや、するでしょう。


「あ、本当だ。二宮さん、よく見たら既読チェックの欄にいる」

「……バイトちゃんガジェットいつの間にか使いこなしてるな。確かリストにみかんとりんごが入ってたろ。青果部の担当だと機械が判断したら通知があの人のところに行くようになってるんだ」

「へえ」


 感心したように少女はチェック欄を覗き込む。……うん、二宮はいいとして、椛太郎……。


「確かに一発では読みづらいかも」

「まあ普通はその漢字、白樺(シラカバ)とかを指すんで、それなら読みはカバタロウですッがッ」

「そろそろ折りたたみコンテナ(オリコン)で殴るぞお前」

「はたいてますけど既に!?」


 バカタローとかよくネタにされたのよ昔……とぐちぐち言いながらカゴ車を押して配送車横につけた青果担当に少女は納得した。


「じゃあ、変わった名前を逆手に取りまして」

「ん?」

「――()()()()とかはオッケーゾーンです?」


 青果担当は驚いたような顔をしたが、少し笑う。


「ああ……いや、身内にはハナ兄とか言われとったし別にええが?」

「名字だと校庭の隅で石化しそうな気がするんですよ」

「……」


 ……ピンとくるのに数秒かかったらしいが、配達員が普通に噴き出した。

 そう、あれだ――金次郎像。


「最近ないのによく知ってたな君。七不思議で夜中に動くやつだろう?」

「えっ、私も怪談の本で知りましたけど、配達員さんの地元だと動くんですか?」

「ほーよ、だいたい動くぞ!」


 何故か大ウケしたらしい。ゲラゲラ笑いながら青果担当は言った。


「校長室に発射ボタンがあってな! ぽちっとしたらそのまま大気圏を突破するらしい!」

「……いや、それどんな七不思議だ」


 ド低音でゲロ吐いたような声がした。

 ……やっぱり体調悪いのかギアがローだな、今日の配達員さん。


「しかしなんじゃそれ、オレの死因、石化か! ネタに事欠かないなこの名前!」

「……ただし金次郎は一発ネタくさい。どれにしろカバタローには返ってく、ぐえー!」

「おうお前、ハンドリフトで轢くぞ☆」


 思いっきりつねられた配達員はぐばゎ、と体調悪そうにダークマターを吐いた。――いや、もう既に満身創痍な感じのやつれ方をしているわけだが。


「まあ、はっちゃんは休んどけ。あとはこの子と一緒にかいとく((※運んでおく))けぇ」

「かいとく……?」

「なんだ、もう出来てるのか。今日は早いな用意。いつも下手すると夕方になるだろう?」

「今日は農産部が無理して早出しよるんよ」


 ニヤリと笑って青果担当は言う。


「矢代家の上の孫が誕生日での、巻きでやらにゃ、生きとるババアが休めんのじゃ」

「ああ……なるほど。で、青果部も合わせたと」

「ほーよ、合わせたというより合ったのほうが近いが。まあ」


 青果担当はちらりと折り畳みコンテナを見た。


「こっちは数だけならあったから、あとは出してくるだけだったというか。あとは畜産待ちで」

「なるほど、肉だけがまだ間に合ってないと」

「それもすぐじゃろ、多分」


 ふむ、と汗を拭きながら配達員はカリカリとサイン色紙を4、5枚作り、納品――っていや、待って。


「……配達員さん、それはさっきマダムおばあちゃんが握らされてた……」

「俺が偽造したサイン色紙だが、何か?」


 いや、『何か?』じゃなくて!


「すぐによだれでボロボロになるんだ」

「詐欺では!? というか、眼鏡のタレントにバレたら怒られるのでは!?」

「ハハハ、誰かの名をかたるだけで身代わりになってくれるなら安いものだろ。大丈夫大丈夫☆」


 罪悪感とかないんだろうか、この人……。


「まあ色紙はともかく。昼は本格的にやることがなくなったなバイトちゃん。もうちょっとチマチマ断続的に荷物を運び入れる予定だったんだが、この調子じゃ一気に終わるぞ」

「いや、お前もやるような面構えで言うなや……」


 しれっと色紙を受け取り、カゴ車の端につっこんだ青果担当に、少女は思った。

 この人もないんだろうか罪悪感……?

 ハッと配達員は鼻で笑う。


「俺の面構え自体が視認不可な人が何おっしゃるやら!」

「ほっとけ。……ま、一気にといっても急ぎゃあせん。逆に考えると職業体験にはもってこいなスケジュールじゃろ」


 青果担当はカゴ車からオリコンの一つを持ち上げた。


「配達員の体験だけでのーて、農場の体験も一部して帰ったらええのよ。あとお前、またお昼は向こうに戻るんじゃろが?」

「ああ、残念ながら今日はテイクアウトだ。バイトちゃんが弁当を希望したからだろうな。ついでにって店主どのが……」


 ぱかっと配達員は弁当箱を開ける。

 オリコンを積んで戻った青果担当がドン引いた。


「うわなんじゃ怖……! 海苔で作られた首チョンパがおる!!」

「はっはっは! いいだろう青果担当さん!!」


 自慢するように配達員は見えない口を開いた。


「お母さんに持たされた『可愛いキャラ弁』を恥ずかしがる男子生徒の気持ちが、四半世紀ののち、ようやく判ったぞ!」


 ……いや、そこで喜ぶとかどういう感情?

 少女は運搬作業に参加するべく、軍手をはめながらため息をついた。

 しかも『首チョンパ』ということは何も印象を感じ取れない『首から上』をどう処理するか悩んでるじゃないあの人……悩んだ結果消滅してるじゃない帽子の下!


「……つまるところ配達員さんは、四半世紀、『凝ったキャラ弁』を作ってくれるような愛情に晒されてこなかったんですね」

「フッ、悪いか? 初めてのお弁当だ!」


 ……なんでそんなに得意げなんだろう、この配達員。


「いえ別に悪くは。……ハナさん、どれから運べば?」

「ああ、段ボールのをよろしく。持てる?」

「やってみます」


 おっかなびっくり段ボールを持ち上げた少女は口を開く。


「……悪いっていうか、私はそもそも『お弁当を持って出かける用事』がなかったので、似たようなもんですし」

「そうか! ざまあ!」

「えー? 普通は遠足とかあるじゃろ。小学校の時、弁当イベント」


 少女はふっと気づいて口を開く。


「……私の事情、何も言ってないんですか?」

「そういうのはお仕事に関係ないからな」


 ぱこ、と弁当箱を閉めながら配達員は言った。


「君は成人前に死んだとは言っても、16前後だろ。なら大人扱いすべきだ」

「ですか?」

「ああ。必要なら当人が言うか言わないか、決めるべきだと思う。他人が勝手に憶測交えて言う方が……なんというか、誠意がない」

「ああ――悪い」


 青果担当は今更びっくりしたように言う。


「なんかの事情持ちか?」

「いえ」


 少女は少しほっとした後、苦笑いした。


「生前、できなかったんです。運動に関することが。……重いものを持つこと。長い距離を一気に歩くこと。走ること。通学も遠足も何一つ」

「そう」


 青果担当は目をぱちくりとさせた。


「――初めてか、力仕事は」

「初めてです。普通になったみたいで楽しい!」


 フン、と笑うような声がしたのは配達員のものかもしれない。

 少女は一瞬カチンときた。――鼻で笑うとはいい度胸だ!


「……普通ね……なら、このままどんどん働いてもらおうか!」

「は、はい! ありがとうございます」

いーえの((※どういたし)ことよ(まして!))


 反面、青果担当はニッと笑う。――同じ笑いでもこうも違うか。

 しかしよかった、気が合いそうだ。


「ほらな、自分で説明した方がいい。自分の印象は自分で作るべきだ。その方が変な哀れみは生まれないだろう?」

「……ほーん……」

「何だ青果担当さん?」

「いや、はっちゃんにしては妙に親切じゃなあ、と思って」


 青果担当は苦笑いして続ける。


「根は世話は焼きに見えよーが、とことん不親切やけえね、この人。負わなくていいような苦労は背負い込まん。君の場合は違うみたいじゃの、お嬢ちゃん。やけに気に入られよる」

「不本意ながらですが」


 少女の言葉に、配達員は首をすくめた。


「不本意な方がいいさ」




  *   *   *   *




「やー、こんなもんか!」

「意外と腰にきますね」

「若けーのになー」


 ぷー、と少女は頰を膨らませた。


「若いからって腰痛肩こりと無縁だと思ったら大間違いですよ?」

「それもそーだ!」


 ……カゴ車のものは全て荷台に積み終えている。あとは間に合っていない畜産管轄のものを積み込むだけなのだが、あいにくまだ用意ができていないようで、ガジェットには【待っててNE☆】という地味にウザいメッセージが表示されていた。


 ……苦笑いしながら、青果担当は荷台に腰を下ろす。


「……子供でも確かに働けば、腰は痛いし膝は痛い。ただ、治るのが早いだけじゃ。うちの柑二郎(かんじろう)も働いたあとは畳をごろんごろん転がってなあ」

「柑二郎?」

「ああ、今も生きとる。甥っ子よ」


 水筒をあけつつ、青果担当は吐き出すように口を開く。


「暫く会っとりゃせんがね……飲むか?」

「あ、はい」


 そういえば配達員はどこにいったのだろう。そう思ってきょろきょろした少女はふっと気づく。――いた。ちゃっかり屋内に引っ込んでいる。


「オレは元々、昔からある大きな農家の長男坊でな」

「はい」

「……生まれたときから目鼻立ちがハッキリしてて、女の子みたいだっちゅうんで椛太郎って名前になったらしい。おかげでハナちゃんハナちゃん可愛がられたり、からかわれたり――まあ、人は集まる性格でねえ。映画なり漫画なんかでいうところの、主役みたいな」


 屋内退避した配達員はその後、やることもなく青果部の軽作業に引っ張り込まれたようだ。意外と真面目にアボカドの仕分け作業をしている。

 ……あれ、なんか今よけたの、恐竜の卵みたいで綺麗なドット柄だな、逆に持ち帰って飾りたい。


「でも『華がある』とはまた違う集まり方やったな、名前のせいか知らん。……花、だと女の子丸出しやけん、椛の字を当てたらしいわ」

「なるほど」


 ……恐竜の卵。ゲームのアイテムのようだ。レーシングカーに乗る機会があれば、ぜひとも追い抜こうとしてくる後続車にぶつけたい。

 そんなゲームがあった気がする。


「で、年子で生まれたのが橙太郎(とうたろう)って名前の弟だった。ダイダイって果物知ってる? その字。……主役を気取るオレをよそに、親父はなぜか橙太郎ばっかりを気に入って、よーく可愛がってなあ……」


 少女は話半分のまま、アポカドを脳内で投げまくっていた。……この配送車、いきなりカートに変形したりしないだろうか。しないだろうなさすがに。


「とはいえオレも親父以外のお手伝いさんとか、近所の酒屋のおばちゃんには変わらずチヤホヤされとったけえ、バランスをとっていたのやもしれんが……親父にやる気だけは認めさせようと思って、必死に勉強したっけな」


 あれ、待って――この人なんの話をしてたんだっけ。

 ああ、そうそう、実家の話だ。


「……でも、春が来ても秋が来ても、お互い大きくなったところで、どうしても溝は埋まらなかった」


 青果担当は息をついた。


「理想と現実は違う。――結局、主役は盗られた。家の中心は弟がとっていた」


 ……可愛がられていたのは、いつの間にか弟にすり替わっていた。

 恨むわけではない。憧れるわけでもない。

 ただ、モヤモヤだけが降り積もる。


「たくさん頑張ったはずだった。誰よりも机にかじりついて、みかんやキウイの畑に足を運んで――オレは、自分の家系の歴史が好きだ。積み上げてきたものが好きだ。紡いできた沢山のつながりも、家でもいだ果物も、全てが好きだ」


 ……でも、それは片思いでしかなかった。


「……畑をついだのは弟だったし、オレの努力も勉学も無駄になった。外に出ろとつまみ出された」


 向こうからしたら「そんな気」はなかったかもしれない。――だが、若い頃の椛太郎にとっては、『つまみ出された』のと一緒だった。


  ――家の手伝いなら別にいい、ただ、畑は橙太郎にやる。


 何故?

 せめてそう問いかければ、言葉少ない返答が返った。


  ――お前は、ものを知らない。



「進学して、親戚のつてを頼って東京に出た。そのまま東京のおっちゃんおばちゃんに気に入られて、その家に居着いた――でもどうしても、故郷に残してきたあの光景が、頭にこびりついて離れん」

「あの光景……?」

「ああ」


 ふっ、と潮の匂いがした気がした。いや、少女は潮の匂いを知らない。ただ、どこか錆びついたような、しょっぱい匂いだ。


「……山の斜面に、みかんの段々畑がある。そこから見渡すと、目の前一面、一帯に海が見える……」


 はっと気づく。それは――記憶の匂い。

 ……お化けは結局のところ、記憶だ。リサイクルに持って行かれる魂から剥がれた記憶。だからもしかすると、たまにはそんなこともあるのかもしれない。


 ――印象的に覚えているものの、匂いがする。


「(……浩介さんみたいだ)」


 ……彼は、嗅覚のみに限らず、味覚も感じるらしいのだけど。



 匂い。潮の香り。

 丸い水平線が見えるほど、視界は海と空ばかり。



 少女は想像してみようとしたが、さすがに匂いだけでは再現できなかった。――なぜなら知らないからだ。

 『本物の地平線』を彼女は見たことがない。水平線も。おおよそ、彼女の過ごした街にはないものだ。街育ちの彼女の周囲には、いつもぽこぽことビル街が突き立っている。


「……海の向こう……遠くに何か、星のように光るものがある。どこのか分からん船が、お日様を照り返してプカプカ浮いとるんよ。段々畑の端っこで、外に足を投げ出しながらそれを眺めている。ずっと、ずっと眺めている……」


 ――ぱたぱた、と地面にとどかない足を振り回した記憶くらいは少女にもあった。その感触が、もしこの匂いに囲まれていたら。


「空と雲と、輝く海の青がどこまでもつながっとる……それが未だ、ひどく胸を打つ。眼下のみかんの濃い緑と、ふもとに続くぼこぼこした瓦と、青のグラデーション。生ぬるい潮風……うん……結局のところ、それにしか興味が持てんかったんよ、オレは」


 想像はできなくても、なんとなく少女にはわかった気がしてきた。

 ……その風景のみが、彼を支えてきたのだと。


「あちこちを行き来して、たどり着いた先の東京でも……結局、果物の卸売の仕事をしていたのは繋がりが欲しかったからだ」


 ――あの光景と、記憶が手放せなかったからだ。


「……東京におると、たとえ郊外でもなかなか、みかん畑なんてその辺にはない……あったところで内陸の平野部で、海と一緒のあの光景には遠い」


 ……青果担当は目を細めた。


「親戚のおっちゃんたちが残した土地を切り崩して、ビルやらアパートやらを立てて、それでも何か、ぽっかり穴があいたようで……何か、幻影でも追っかけるような感覚だったにちがいない。盆と正月のみ、ふらふらっと地元に帰れば、いつの間にか弟の子供がひとり、懐いていた」


 『ハナ兄、おかえり』――そう言いながらいつも出迎えてくれるのが柑二郎だったという。


「よれよれのタンクトップと、日に焼けた手足。それは思い返せば――誰かによく似た見た目だった」


 幼い子供が土産話をせがみ、広間まで手を引っ張ってくれる。確執も、嫉妬も有耶無耶にしてくれる……それを思えば、父親と顔を合わせるのが苦痛ではなくなっていた。弟とも腹を割って話せるように、いつの間にかなっていた。


「……畑の手伝いに熱心に誘ってくるそいつは、妙にこまっしゃくれた男の子で、頭でっかちで、変なところ負けず嫌いで、よく机にかじりついてて――そのくせ畑にいるのが好きだから、ばっちり焼けてて力も強い。下級生いじめの悪ガキに投げ技を決めたこともあったらしいが、当人に聞いても忘れたの一点張りで、詳しくは語らんかった」


 柑二郎は社会勉強と称し、高校に上がると同時に伯父を頼って上京してきた。曰く、『男児たるもの街を見よ、世界を見よ』と。

 元々は橙太郎が親父から言われた言葉だったらしい。言われてみれば確かに、橙太郎も一時こっちの方には来ていたが――すぐに戻っていった。


「オレはそんな言いつけ、言われたような覚えもない。資格がなかったからじゃろう、気に入られなかったからだ」

「……」


 バイト少女は頷く。

 ――『病院の外』にも色々あるのだなと思いながら。


「ただ、橙太郎とオレには親父とのそれほどの確執はなかったし、更には柑二郎もオレに対して懐いている。そんな流れで、東京にいる間はオレが暫く預かることになった」


 結局、長男である自分は後継にはなれなかった。だがその分、『後継』の教育係を任されたのだと、彼は何となく悟った。

 教育係といっても特に何をしたような気はしない。ただ同じ屋根の下にいて、不健康な生活とみれば外に連れ出し、飯があれば呼んだ。

 ただそれだけなのに、なんだか楽しかったような気はする。……それはまるで、昔の自分を見るようで。


「それでもオレとは違って、柑二郎は素直だった。実家から果物が届けばあいつは顔を真っ赤にして喜んだし、果物と同じくらいにあいつは空飛ぶ乗り物が好きで、やれ今飛んでるのは空自の何だだの、入間から横田の方に行っただの……」


 見ているうちに彼は気づいた。そういや、弟もそうだった。あいつはどれかっていうと、車のほうが好きだったが……。


「……今から思えば、(ひが)んでいたような気もする」


 ――こっちのほうが畑が好きなのに。あれこれ理由をつけてサボることはないのに。他のものにうつつを抜かしてるあいつばかりが可愛がられる。


「どうして――そう何度も思ったっけな。親父はくびをふるだけだった。大体は黙って――時々、思い出したように」



  ――お前は、()()を知らない。



 言葉少なに言われたそれを、幾度となく思い出した。

 ……ああ。

 本当は、わかっていたんだ。


「……人間というのはな。恐らくだ。他に『好きなもの』がたくさんあるほうが、折れづらい」


 ぼそりと青果担当は言った。


「ひとつのことばかり極めると、それが駄目になったときの【逃げ場】がない。周りに向ける視野も狭い」


 だから。


「……『折れない人間』に、後を継がせたい。あれは、そういう意味だったんじゃなかろうか」


 ……だって実際に自分は折れた。

 むくれて何もかもが嫌になった挙句に地元を出た。

 ……劣等感だった。被害者意識だ。

 本当に好きだったら、形なんかに拘らなければよかった。

 きっとそれだけ大事なものだった。それだけの気概がなければ――誰かの夢は継げながった。


「……親父の方が、きっと好きだったのかもしれんね。あの光景を」


 色々なものを知っていて、その中で【ひとつ】を選べる者。

 本気で『大事さ』をわかっている者にこそ、これを与えたい。代々受け継がれてきたあの光景を。――そう、思ったのだろう。

 折れない、他にも好きなものを知っている、それでも畑が好きだ。

 ……そんな若者があれば、それを優先するだけの話だったのだろう。


 だとすればこの甥っ子には当然、資格があった。



「……未だに思い出すんよ。柑二郎がウチから出て行く年の冬、あいつが寒い廊下で……白い紙を持って眉を寄せていたのを」


 裸足のまま、板の間にいた彼の手にあったのは「白紙の進路」だった。

 かつてたった一つの夢を諦めた、『ものを知らない』伯父は口を開いた。


 『好きなほうを選べよ』。


 ……結局柑二郎があれに何を書いたかは分からない。が、卒業と同時に故郷へと帰っていったのは、当然ともいえる事実だった。


()()()の方に行ったのか、()()を継いだのかは分からん。もしかすると決めかねたままだったのかもしれん。……何せ聞かなかった」

「ずっと聞かなかったんです?」


 少女の問いに苦笑いしながら、青果担当は答えた。


「……あの子を空港まで送った帰り道……」


 あっという間の出来事だった。歩いていた区画の横。建築現場から、シートと足場がガラガラと崩れて……目の前が埋まった。


「……まあ、気づいたら頭強打して死んでたわな」

「……うわあ」

「幕切れなんてそんなもんさ」


 少女はふと気づいたように顔を上げた。


「……ハナさん」

「どうかしたか、お嬢ちゃん」

「【頭強打】して、死んだ……」

「ああ、シンプルな死亡事件じゃろ」

「頭強打」

「いや、何に引っかかっとる?」

「じゃなくて、今まさに頭強打して死んだ人がですね」


 少女の指が、青果担当の後ろを指す。


「そこにいる気がするんですが」


「…………。」


 くるりと青果担当は振り返った。

 少女が指さしたのはワンボックスカーの側面……ぐたっといつの間にか背中を預けている人影。血塗れの額、項垂れた【()()()】な……


「ゆ」

「……ゆ」

「「幽霊――――――!!」」


 お化け二人がかりによる、『お前が言うな』的絶叫が、農場全域に響きわたった。



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