★#11 唐揚げラーメン、2丁!(下)
* * * *
……ああ。
「――おい」
もういい。わかった。
……腹をくくった。
「おい――おい、待てって……!」
あの時。これで終わっていくのだと思っていた。……あの時、あの公園で。池を見て。さとうに出会って、それで私の人生は花開いた。
「……駅前に呼び出すなり、いきなり引っ張るなよ!? なんだ説明もなしに!」
「うっさい」
……ムカつく共通語に言葉を返す。
私の中の一番、『要らんこと』を探しながら。
「……公園通りの、左側」
「は!?」
「……変な路地、探して」
……大丈夫。間違ってない。
私は何も、道を間違えてなんかない。
「ミズドウ先輩から頼まれた。……面白いネタがあるから、真偽を確かめてほしいって」
“引っ張り出して、出てきそうになかったら、ボクの名前出していいから”。
そう言われたことを今更思い出して言えば、
「……それを先に言えよ。あの人の頼みなら仕方ない」
「……借りでもあんの?」
「色々」
ふーん、と私はとりあえず口を開いた。
あの時。……ラーメンを食べに行った日と同じ、あの風景の中。
「……あのさ、さとう」
「何」
「初めて会ったとき、関西弁だったよね」
殆ど同じ光景だ。
代々木公園から伸びた、公園通り。
「そりゃ……その」
もごっと言いづらそうにさとうは言う。
「……話しかけるのに、緊張してたからな」
「緊張するんだ、あんたでも」
「するわ。だから、あえて仕事モードで行こうと思った」
「それ以降ずっとほぼ、仕事だったわけだ」
私はさとうが普通に喋っているのを、ミズドウ先輩前でくらいしか聞いたことがない。
そもそもさとうが関西弁を喋り出したのは、私と出会う前……初めてお笑いライブに出た際にコントでミズドウ先輩と共演し、「全く似てない偽物」というテーマでやったら、なぜか先輩当人含めてめちゃくちゃウケたのがキッカケらしい。
それ以降「これでやれや」となったと……当人は宮城出身なのに。
「今更素の状態に戻したのは、芸人やめたいから?」
「……」
「それとも、私と別れたいから?」
さとうはさっきから全く関西弁を喋らない。普段そうして喋ってるならすぐに戻ってきそうなのに、不思議なくらい共通語だった。
……さとうは言う。
「……両方、とか言ったらどうする?」
ああ、そう。
「……殴る」
「そりゃ、痛いだろうな」
公園通りから左側の道。
それを一つずつ入ってみては、少し散策して引き返すのを繰り返し、暫く無言になる。
「なあ」
「何」
「やっぱ、怒ってる?」
「……いきなり一方的に解散宣言出されたら、そりゃ」
「……怒るか、うん」
噂通りの『意味ありげな路地』も、『一つだけポツンとある飲食店』も見当たらない。その繰り返しの中……さとうはぽつりぽつりと、少しずつ言葉をこぼしはじめた。
「……俺さ、汐里ちゃんと組めて良かったよ。本気でそう思う」
「そう」
「……親父が死んだんだ、それで、グラついた」
なるほど、と私は頷く。……きっかけはそれか。
「地元でずっと食品開発してる、小太りの地味なおっさんだった」
「……小太り以外は似たようなもん?」
「似たようなもんかもな」
「それで?」
さとうはため息をつく。
「一応、社長だったんだよ親父。……俺はボンボン扱いだった。そんなデカくないっていうか、中くらいの規模だけど、まあ稼いでる、地元じゃ少し有名な会社だ」
思えば今まで、さとうの昔話はあまり聞いてこなかった。私のアイドル時代は向こうだって知っているのに。
「『芸人目指す!』、なんて言っても……周りから見たら小金持ちの道楽だろって感じでさ」
苦笑しつつ、さとうは続ける。
「『いつか帰ってくるんだろう』、『本気でやろうなんて思っちゃいないさ』。そうかたく信じてる人ばっかりがいる感じ。……それだけ、居心地のいい職場を作ってたんだな、俺の親父は。親父ばかりが信用されて、俺の夢は信用されなかった」
「……そ」
子どもの夢が本気にされないような感じだろうか。
「特に、俺の周りって社員さんが多かったんだよ。安定して稼げる……居心地のいい、文句なんてほとんど出ない。そんな親父の会社を蹴って芸人になるなんて、きっと誰も信じられなかったんだ」
……どんだけホワイト企業だ。いっそ怪しくなってきた。
「今から思えば、俺にとって理解者って、ニコニコして送り出してくれた親父くらいだったんじゃないかなって」
「うん」
「俺だって高校の頃はバイト扱いで手伝わされたんだから、あの親父がどれだけすごいことしてたかは分かるよ?」
さとうはこころなしか、疲れた表情で言う。
「どれだけ職場環境に気をさいたかも。あのままバイトから社員になって、役員になって。それで食うのに困らなくなるのは充分理解できた。周りだって見知ったおっちゃんだらけだ。なんとかなる。……生きていける。でも」
「でも?」
「……それで、いいのかなって思った」
さとうの独白が続く。……出会った頃の、あのカラ元気じみた昔のさとうを思い出しつつ、私は頷いた。なんとなく分かる気がする。
「まるで水槽の中みたいだ。自分の手で、もっと違う景色を見てみたい。色々なことをしてみたい。知り合いなんか誰一人いない、完全に未知の場所で……でっかく花を咲かせたい」
そう、だからさとうはあのダサいトレーナーをきて代々木公園にいた。まったく売れない時期を、一人で過ごした。
私と出会ったのはたまたまだろう。同情して、私の前に手を広げたんだろう。本当は、一人で生きていくはずだった。自分の手で、花を咲かせるはずだった……。
「でもこうして売れて、気付けば軌道に乗って。……親父がいきなり死んで、会社継がないかって連絡来て」
「うん」
「潮時かな、って」
頷く。
「……そう」
「そういうこと。勝手な話だろ」
「別に」
「幻滅してくれてもいい」
「……それが本当の理由なら、別に」
何度目かわからないハズレの道。
その最中で、私が言えば――ふっとさとうは口を開いた。
「……お前、空気読まないけど、たまに鋭いとか言われない?」
「言われない」
……即答した。
* * * *
「……あった」
「マジであったな」
何度目のハズレをひいた後だったんだろう。
数えるのを諦めた途端の出現だった。この都市伝説さんはまったく道を覚えさせる気がないらしい。
明らかに街並みから浮いた路地に行き当たったのは、もう夕方になろうという頃。
瞬きの一瞬――突然、道の空気が変わった。建物の雰囲気も。
「入るか?」
目の前にある、いかにもな飲食店。
ドアの取っ手を持ちながら、さとうが聞く。
……今更ビビってきたのを見透かされた気がした。
「……入る」
「ん」
さとうには道中、『ミズドウ先輩が掴んできた都市伝説じみた話が本当なのかと話題になり、パラライズで行ってこいと無茶振りされた』と言ってある。……都市伝説なんて、一歩間違えたらホラーとどっこいだし。そこはほら。
……チリンチリン!
一気に扉を引くと、どこか懐かしいようなドアベルの音と一緒に「いらっしゃいませー」と2人分の声がした。
「おぼっ!? お好きなッ――ケホケホッ」
「どうぞ、お好きな席へ。……コラ」
「すみませんっ」
よっぽど暇だったのか、お菓子か何かをつまんでいたらしいウェイトレスの女の子。それをたしなめながらメニューとリーフレットを持ってきたのが……どうやら、この店舗のボスらしい。
「思ってたよりぜんぜん若いな」
さとうが耳打ちしてきたので頷く。……都市伝説とかっていうからもう少し怪しげなジイさんとか来るのかと思った。普通にその辺にいそうなお兄さんだ。でも、少し。
「……何だろう、この違和感」
不思議と、懐かしいような気がした。それを感じたのは店舗なのか、それともそのお兄さんの方なのかは分からない。……ハッキリしないが、それでもふと思う。
悪い心地じゃない、と。
「先輩言ってたの、これじゃないか?」
「それかも」
「おっと、最初からそれに行くとは珍しい。……まさか、当店の噂でも?」
茶化したような問いかけを店のお兄さんにされて、
「ええ、まあ」
そっけなく私が答えると、さとうがすかさずフォローした。
「仕事の先輩から聞いて、このお店を探してたんです」
「……なるほど、分かりづらい場所にありますからね」
「これじゃない?」とさっきさとうが指したのは、薄っぺらいリーフレットだ。
『気まぐれランチ、750円(一番人気)――お客様の好きそうなお料理を、ひとつは必ず当てることができます』。
私はごくりと唾を飲み込んだ。
……ビビってばかりで、なんになる。思い切って声を上げた。
「あの……これ、2つ!」
* * * *
「……好きなものをひとつ、必ず当てることができる」
リーフレットを見ながらさとうが唸った。
「つまり、やってきたものは絶対大好物だってことだな。外れてたらどうする?」
「どうもしない」
気まぐれランチを待ちながら、違和感のある共通語とオチのない話をし続ける。外ももう暗いのにランチ。ワケのわかんない話だ。
私は聞く。
「……逆に当たってたとして、何がくると思う?」
「母ちゃんの手料理とか?」
「ああ、あんたならそれもありそう」
実を言うと、食事に私はさほどこだわりが無い。なんでももくもく食べるし、もくもく消費する。
特別……ご飯が美味しいと感じたのは一度きりだ。
「……さとう、実家、食品系の会社だっけ」
ただ、さとうは違うだろうなと思う。
思い入れのある味なんて、そこらじゅうにいっぱいありそうだ。実家絡みならもっとあるだろうなってことは、想像に難くない。
「……実はお前、よく食べてたよ。うちの唐揚げ」
「……生姜効いてるよね」
すぐにわかった。
あの、ラーメンの上の唐揚げだ。
「そうそう、唐揚げって醤油でつけたりするだろ。それに紅生姜の汁混じってんだ。だから醤油ラーメンに浸かってても違和感ねえんだよ」
「知り合いか何か? あのラーメン屋」
「親父のな」
その瞬間、まさにふわっと紅生姜の匂いがした。
「お待たせしました」
コトリと丼が置かれた。さとうが苦笑いする。
「……なんだ、同じかよ」
……どっちの丼にも『醤油ラーメン』が入っていて、上にちょこんと唐揚げがのっていた。
* * * *
ラーメンをすすりつつ、話が続く。
「好物に選出されず、残念だったね、あんたの母ちゃん」
「まあ、それだけ汐里ちゃんと食べたラーメンが美味しかったんだろうな」
食べ進めれば食べ進めるほど、それっぽい味なのが不思議だ。さとうから相方に誘われる前。……なった後。潰れる直前。
何度も食べた、安っぽさ。
「……そんな美味しかった?」
「美味しいっつーより楽しかった」
首をすくめてさとうは言う。
「今もだけど」
私はため息をつく。
なら、いいや。――少なくともさとうにとって、この20年間はプラスだったんだから。
「……私も嬉しかったよ、ファンだとか言う不審者にラーメン奢ってもらえて」
「お前、本当に余計だよ後半が」
少し笑う。
「……あんたなら突っ込んでくれるかと」
「やめーや、そうやって頼るの」
「ちょっと口調戻った」
「うっさいわ」
さとうが苦笑して、くいっと水を飲む。
「……まあ、そうだな。楽しかったし、面白かった」
「あんたより私の方が面白かったよ。あんたに言われなきゃここにいないし、お笑いなんかやってない」
「……そう」
「うん」
私は言う。
「――こんなに楽しいなんて、思わなかった」
それを聞いたさとうが変な顔をして、暫く黙った。
「……何」
「……その」
何か、核心をついたらしい。……口を開く。言いづらそうに、重そうに。
「この間のことなんだけどさ」
「うん」
「ウォーターメロンgirl'sに会ったんだ」
「どこで」
「局の廊下で」
そう言いながらさとうは手を挙げた。
「あの、替え玉できます?」
「言うと思いました、替え玉一つですよね」
お兄さんの手にはザル。既に準備されていたらしい。
好物を当てるのみならず、替え玉の数まで分かるのか、この店……
「……どんなカラクリ?」
「さあ? 秘密にしときましょう」
ニコッと笑ってすっとぼけられたさとうは、はあ、と息をつく。
「まあ、いいや……で、続き」
「うん」
「……ミュージックファンファーレって番組あるだろ」
音楽好きには有名な番組だ。
「ミューファン」
「そうそれ。その控えでいたらしい。……『汐里は今どうしてるか』って聞かれたよ」
「そう」
私は替え玉を頼まなかった。スープも飲み干している。相変わらずのあっさりした醤油スープだ。
「テレビで見ない日はない、いつも忙しそうだ、体は壊してないか……『遠山汐里』を追い出したのは向こうなのに、なかなか変な質問だった」
「うん」
「波風は立てられない。勿論ヘラヘラ笑って答えたさ。ただ最後、言われた言葉だけ胸につっかえて」
「何言われたの?」
と、その時替え玉が来た――オマケだろう、唐揚げのおかわりまでのっている。さとうは茶色い冷凍唐揚げを、箸でちょこんとつまみながら言った。
「『砂糖さん、汐里をいいように利用してませんか』」
「……」
……なるほど。
「『汐里とお笑いをしたいって言い出したのは、砂糖さんのほうらしいですね?』」
笑いながら言ったそれは、多分、私の古巣のメンバーの真似だろう。
「『あの子、アイドル志望だったでしょ? お笑いで成功するなんて、はたしてあの子は思ってたんですかね? そんなつもりじゃ――』」
「待って」
私はさえぎった。
「――汐里ちゃん?」
「――バカか、さとう」
すっ、と思わず息を吸った。
「……思ってたよ」
「え」
「成功するって、思ってた」
思えば、『塩りー』になる前の私はぜんぜん運がなかった。
仕事運は今よりあったかもしれない。――ただ、対人運が死ぬほどなかった。
「あんたに声かけられたときから、ずっと。確信じみた直感があった。……トップアイドルには、確かになりたかった。でも絶対じゃない」
……確かに、綺麗どころの仕事が多いあっちとは、またやり方が違う。
体を張ることもある。この間なんか頭からパンストかぶって崖から飛び降りた。
「バンジージャンプなんて滅べばいい」。ビビりな私はそう思った。
ただ、番組を一人で見返した時……
時折、芸人ではない元アイドルの自分として、視聴者側に立った時。
「めちゃくちゃ面白いじゃんこの芸人、誰よこれ」――そう思うのだ。
「……あんたがいたから、もう一度ライトがあびられる」
さとうは、後悔したのだな。……そう、今更ながら思った。
私のことを遠回しに「可哀想だ」と言われた瞬間、頭に何かがよぎったんだろう。『お前に塩りーの何が分かる』、そう言い返せなかった。
今更だ。あの時、『アイドルの遠山汐里』に声をかけて――「可能性を奪った」と思ったのだ。
「……あの時知り合った、私を一番に理解してくれるファンがいたから、腐らずにいられる」
……その点だけでいうなら私もそうだ。
何度も考えた。
「あの時さとうに声をかけられなかったら、私は何をしていただろう」。
……もう一度、アイドルになろうと努力していた? 挑戦していた? それで私の芽は伸びただろうか。それで私の花は、咲いただろうか。
さとうはそのままピンで頑張っただろうか。どこかでガッと売れただろうか……まあ、売れただろうな、さとうだから。でも。
「私は……あんたが声かけてくれて、嬉しかった」
……それでも、あの時の気持ちに嘘はつけない。
私は、作らないのだ。
私は、作らないからこそ。
「……凹んでるって、見てわかってくれて、嬉しかった」
作らないからこそ、おもろいのだ。
……さとうだけだとパンチがない。だから炎上しようが何しようが、天然で無礼な一言をぶちかます。
「……もう一度、『成功するチャンス』をくれて、嬉しかった」
今更だ。後悔なんてするはずもない。――だって、私は間違ってない。
まっすぐ、脇目もふらずに歩いてきた。
その結果、あんたと出会えた。……あの時、池の前で、声をかけられた。
――それで、よかったんだ。
「その子がメンバーの誰だったかまでは聞かない。何を思ってそんなことを言ったか知らない。でもあんたやミズドウ先輩曰く――要らんことをいうなら、こうだと思うよ」
「……。」
「……ふざけるな、佐藤。私には、『パラライズの砂糖』が必要だ」
* * * *
結局、帰り道も覚えられなかった。いつの間にか公園通りに戻ってきていて、財布の中身は減っていた。ただ、鞄の底から謎の750円は出てきた。
……払ったはずだ。小銭を渡した手の感触も、まだ手に残っている。
なのに、領収書もない。
「こッッッわっ」
「怖いなこれ。お金戻ってきた」
確かに謎のお店だったらしい。
……口の中に残っている紅生姜の風味と、懐かしい醤油ラーメンの安っぽさ。
二人して750円を手の中で転がして……どちらからともなく、ぷっと噴き出した。
「さとう」
「なんや」
癖のように返してきたそれは、仕事モードの口調だった。
……うん、それでいい。
もうちょっとでいいから、私の隣で喋っててほしい。
私は少し、ニヤつきながら言った。
「……そのコート、ダサい」
「いや、何で今!!?」




