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★#10 唐揚げラーメン、2丁!(上)

※今回、久しぶりの生者ルートです。


「……あのさ」

「何」

「……別れてくれないか」


 沈んだ声色に、私は思わず振り返る。


 40歳・独身・冴えない顔をとりあえず瓶底眼鏡でごまかした、相変わらずクッソダサい服装のお笑い芸人、『佐藤吉晴(さとうよしはる)』からの口頭宣言。


「……何それ。ギャグにしちゃ、すべってんじゃないの?」


 そっけない響きだな、と自分でも思う。

 女優に憧れたこともある。だからとりあえず、足がかりとしてアイドルなんてものに手を出した……なのに結果的に、『女芸人』としてこんなところにいる、目の前の男とちょうど同じく40歳、遠山汐里(とおやましおり)。それが私。


 年齢だけ見るとおばさんくさいけど、今まで殆ど脇目も振らずに走ってきたせいで――その自覚はあまりない。

 アイドル志望だった当初ならともかく、芸人としてならお互い、まだまだ発展途上だろう。だって70歳の大御所とか意外とバリバリにいるし……


「……ギャグじゃねえよ」

「…………」

「ギャグじゃねえんだよ、だから」


 ……いつもの言葉遣いではない。

 仕事のすぐあとで暑いくらいだったそれが……やけに冷たい空気に思えた。


「……そ」


 さとうにそれを言われたのは、いつもの仕事場からの帰り道。

 コンビを結成して、早20年以上。

 ……いい加減、相手の特性も分かったような気になっていた。




  *   *   *   *




 ……愛嬌がない。表情がどうしても硬くなる。

 つめたい印象を持たれがち。かといってぶりっ子のように媚びをうってみたところで、そういう演技も下手くそ。


 それが、物心ついた時からの私だった。


 ただし『好き』なのと、『なりたい』のと、『やれること』っていうのは、本当に別で。

 気付けばそういう「憧れ」が元で始めた地下アイドル活動も、私が発起人だったのに、殆ど仲間外れになっていた。


 ダンス? ……悪くない。

 顔立ち? ……自分でいうのもなんだが、悪くない。

 歌唱力? えっと、ピカイチだ。間違いない。


 笑顔、バツ。

 トーク、バツ。

 愛想、バツ……バツ、バツ、ダブルバツ。


「……ごめん、明日から来なくていいから」


 ……それを言われた日のことは、今でもハッキリと思い出せる。


「あんたナシって条件で、邑々企画のプロデューサーさんに拾われることになったんだよね」

「ウケるでしょー。汐里だけいらないんだって」

「いうの遅れてごめんねー! わざとじゃないんだー!」


 ……いや、君ら、わざとだろ?

 そう思いつつ、大きく息を吐く。

 いつかこうなる。それは、なんとなくわかっていた。


「……そう、頑張って」

「えっ、何、その『せいぜい頑張って』みたいな言い方」

「イラつくんだけど。可愛くないからってやめさせられてんだよ、アンタ?」


 そうだ。知ってはいる。そういう扱いだったというだけの話。


「……ふんぞりかえってるよ」

「よく上から目線でいられるよねー」


 ……別に、どう捉えてもらおうが構わない。いつものことだから。


 ……ただ。


 ただ、一度だけ。


 一瞬。一瞬の二分の一。

 ああ、0.5秒ぶんだって構わない。


 ちゃんと、()()()()()()()になりたかった。


 ……誰かにこわれて、スポットライトを浴びてみたかった。



「――なぁ、君」


 その同日。

 数分後。

 ……後ろから聞こえた声。


「ウォーターメロンgirl'sの汐里ちゃんやろ?」


 ハッとして周りを見ると、そこは公園の只中だった。砂利を踏む音。近づいてきて、目を合わせてくる不審人物。


「……何してるん、こんなとこで。飛び込みたいんか?」

「え?」

「え? やあれへんがな。……池や、池。入水でもする気?」


 ……代々木公園。さっきまでいたイベント会場とは、目と鼻の先。

 自分でも意外なほど強制脱退がショックだったらしい。こんな無意識にフラフラ出歩くなんて。

 ……手元には、もう使わない衣装が入った鞄。携帯、メイク道具。ああ、ちゃんと荷物はまとめてきたんだ。


「……」


 代々木公園の池の真ん前で、やたらに誇張された下手くそな関西弁を喋る男と、2人きり。


「……ねえ」

「なんや」

「落ち込んでるのなんか、あんたに分かる?」


 男はぱちくりと目を瞬いて、頷いた。


「うん、そんな顔してる」

「…………」


 そんなわけはない。


「……私、何考えてるか分かんないとか、偉そうとか、無愛想とか、よく言われるんだけど……」

「いや、分かるよ?」


 その男は壊滅的にダサいトレーナーの端をモニュモニュ揉みながら言った。


「俺、君のファンやし」

「…………え」

「! 嘘ぉ、まさか自分のファンなんていないと思ってた!? ダッサいわー……でも推しの表情くらい、皆分かるやろ?」


 そう言いつつ、関西弁男は大張り切りで腕をまくる。


「なあなあ、寒中水泳ならてつどーたるで。俺、なんか泳ぎたい気分やってん。あっ、水着ある? ないかー!」

「…………」

「ないんやったら汐里ちゃん、ご飯でも行こーや! 奢ったるて。ええやろ、売れない芸人のなけなしのバイト代やぞ!」

「え」


 ……芸人。


「超貴重! 気にならへん? どんな貧乏メシに連れて行かれんのんか!」

「……芸人って」


 ……スポットライトを、浴びる人。


「うん、俺、ピン芸人、佐藤吉晴! 現在全く売れてませぇん。……なぁ、激安ラーメン食わへん? 麺の上に冷凍唐揚げのってんねんけど」

「……凍ってんの?」

「いや解凍ぐらいはされとるわ!」




  *   *   *   *




 それで、渋谷の寂れた激安ラーメンで唐揚げののったラーメンを食べて。その流れでいつの間にか、私はこの男と友達になった。

 確かに私のファンだったらしいそいつの言動、一個一個にドン引いたが……同時に少し、感謝した。

 照れくさかった。

 そこまで私を()()()()()()()()人間がいたなんて、思わなかった。


 ……やつはラーメンをズルズルかっこみながら言った。


「汐里ちゃんはいろいろ作るのがヘッタクソやねん。……それがええ。自分の気持ちに真っ正直でいることの何が悪いのや。おもろいやないけ!」


 ある日も、またある日も。

 1日2日と間を置かず、私の様子を見に来る彼。対して、愛想の悪さがバイト面接の連敗に直結し、無職を続ける私。


「……ねえ、お金のない私に奢る趣味でもあるわけ?」

「あ、確かに趣味やな。でも金魚飼うより賢いやろ。喋るし踊るし、うまそうに食うし」


 意味と用途がまったく不明だ。


「なあ」

「何」


 どうせこの辺りはいわゆる観光地価格。究極に安くランチをすませようと思うと、あの激安ラーメンかハンバーガー屋しかない。


「……芸人とか、どない思う?」


 そう聞いてきた激ダサトレーナーのピン芸人……「さとう」は『激安ラーメンの次に好き』という大手チェーンのバーガーをもっしゃもっしゃと食べていて、こちらと目も合わさなかった。


「付き合う対象?」

「ちがうって」


 質問自体がイミフなので問い返せば、返ってくる否定。「金魚よりは有用だ」そう言ったばかりの男が突如、私に言った。


「……やる気、あらへん?」

「何を」

「芸人」


 ……ハッキリと、大きく声が響く。


「相方探してんねん」

「…………」

「……君とやれたら」


 黙り込む私に、ケチャップまみれのダサい男、さとうは呟いた。


「……俺。腹よじれて死ぬくらい、おもろいねんけどなぁ」

「そ」

「そ、って」


 私はポテトを食べながら、すぐに口を開いた。


「……やるけど」

「マジか」



 ……必要とされた、それが嬉しかった。




  *   *   *   *




「いや、どストレートすぎひん!?」

「ですか?」


 先輩の指摘に、さとうの共通語がポロッと出る。あのわざとらしい関西弁が素になると外れることもあるのだと知ったのは、そのすぐ後だった。


 そもそもさとうの「関西弁」はキャラ付けの為だけに使っているもので、元ネタになったのはさとうの師匠みたいな存在に当たる、この先輩のしゃべり口調のパロディだと知ったのもこの時だ。


「『ソルト&シュガー』ってお前のネーミングセンスなあ! 佐藤と汐里だからか? ありきたりすぎんねん、ボクの名前見いやお前……」


 ……この先輩、『ミズドウナナメ』。確かに特徴的な名前の、こちらも以前のさとう同様、ピン芸人だ。


「漢字で書いたらホラ、水堂」


 打ち合わせで使うホワイトボードにキュッキュッと落書きされた文字は、顔に見合わず丸っこい。


「普通、この並びでこんな読み方せえへんやろ? 地元の地名やねん。ボクの出身地を聞いた師匠が面白がってつけよった」

「……ああ、確かに珍しいですね」


 そこに首を突っ込んできたのは、そこから暫く仕事が被ることになる、初めて会った時からちょっといけ好かない眼鏡のイケメンだった。

 『時永 誠(ときなが まこと)』。芸人というよりは雑学解説が主な、イケメン先生タレントだ。


「たとえば二字の語って漢語由来が多いから、基本的には音読み2つの組み合わせが多いんです」


 帳簿チョウボ拡散カクサン音程オンテイ


「次に大和言葉が由来の訓読みが2つ」


 ……足音あしおと水面みなも顔色かおいろ

 具体例が手慣れたように書き足されていく。


「……あと重箱(ジュウばこ)読みと言って、音読みから訓読みの言葉も変則的ですが少し。でも湯桶(ゆトウ)、つまり訓から音読みはもっと少ない印象ですよね」


 そう言って、時永はそのまま眼鏡をずり上げドヤる。……気取った腹立つスクエアフレーム。さとうも瓶底だけど、同じ眼鏡でも随分と印象が違う。

 というか実際、本業はタレントじゃなく……どこかの私立中高の先生らしいから、その辺りの正統派な「知的っぽさ」が出ているのかも知れない。だって、顔つきからして頭悪そうだから、さとう……。


「それも『みず』から『ドウ』。これは殆どないわけです。通常はスイドウと読んでしまう人が大半なんじゃないですか?」

「そーやねん!! さっすが時永先生やな! よー頭脳派イケメン!」


 ……でもこの眼鏡、いちいち「僕いいこと言ってますよね?」みたいな雰囲気を出すのだけはやめてほしい。そういうキャラなんだろうけど。


「ボクの家、『水堂町4丁目』ってバス停から見て、ちょーどナナメ向かいでなぁ」


 ミズドウ先輩はカカッと笑いながら言い、ほうじ茶を飲み干した。


「だからミズドウナナメ。由来だけでもこうして話のネタになるやろ? だから例えばの話、うまーく注目を集めるには、『こいつ、何でこんな名前なんかな?』と誰しも引っかかるような名前にせなアカンねん!」

「……なら、どんな名前にしたら?」


 私が聞くと、ミズドウ先輩はううん、と唸った。


「……佐藤、つけてええんか?」

「ものによりますよ先輩」


 さとうが強気な顔で言い返した。


「汐里ちゃんが気に入ったらです」

「……そか」


 少し息をついてミズドウ先輩は言った。


「……なら、『paralyze』」

「パラライズ?」

「君らのつけたソルト&シュガーへの評価や」


 ニッと笑ってミズドウ先輩は言った。


「……笑いの感性が()()っとる!」




  *   *   *   *



「で、パラライズの『砂糖』くんがインフルにかかったわけやねんけど」


 ……ソルト&シュガーで2カ月活動し、そこからミズドウ先輩の一声でコンビ名が「パラライズ」になって4カ月目。……何がウケたのかは不明だけれど、私とさとうのコンビは、ここ半年の間に着実に『波』に乗りつつあった。


 コンビ名はともかく、コンビの改名と一緒にさとうがつけた『砂糖(サトウ)』と『(シオ)りー』という奇抜な個人名は、一発で覚えてもらえた。

 曰く、先輩から「発想自体は悪くない」と言われたらしい。


 さらに、見た目には派手な振る舞いをしつつ、話を振ってみたら【めっちゃ地味】なさとうのキャラと、【全くブレず空気を読まない】私の組み合わせがインパクトに拍車をかけたようで……それもこれも、さとうのおかげではある。

 基本的にネタ作りや作戦立てはあっち担当だ。

 だから、「さとうのいない仕事場に1人だけくる」というのは……さとうにドクターストップがかかった、この時が初めてだった。


「なんや、動じてないな」

「いえ」


 打ち合わせ前の会議室。

 様子を見に来てくれたミズドウ先輩に、私は正直にぶちまけた。


「体が、カッチカチです……」

「普段からカチカチのまま要らんこと言うやろ君。……君のやることは単純や、そのまま要らんこと言うとき」


 「一言多い」と言われがちな私の芸風を流れるようにいじられた挙句、「で」と先輩は振り返った。


「……あとは、しゃーないな。頼りになるのは同期芸人の時永先生だけか」

「! あッつっ、誰が同期芸人ですか」


 ホットミルクティーを飲んでいた、あのいけ好かないスクエアフレーム野郎・時永先生はいきなりお鉢が回ってきたことに慌てたらしい。少しお茶をこぼした。

 ミズドウ先輩が茶々を入れる。


「いやあ、芸人みたいなもんやろ、最近、毒舌キャラになってきてるしぃー」


 嫌そうな顔で時永は目線を返す。


「……ミズドウさんたちが求めるからでしょ……」

「いんや別に頼んでないけど?」


 紙コップを下ろした時永は「はあ」と息をつき、パイプ椅子に腰かけた。


「……まあ、どういう構成になるかは今、スタッフさんが()()()()絞って決めてると思うので」

「今()()()()っていうた?」

「おっと失敬。ともかくサポートはしますよ」

「アカン、問題児が2人野放しにされる」


 ミズドウ先輩が青くなった。……いや、さすがに一緒にはしないでもらいたい。

 問題発言が多いのは自覚しているけれど、この人とは方向性が違う。


「ともかくさすがに独特なキャラの塩りーさん単体が司会席にいても、番組がダレて押す((帰りが遅くなる))だけなので」

「すみません……」


 ……それに関しては申し訳ない。


「いや、別にせめてはないんですよ。むしろ、こういうことは幾らかあって然るべきです。避難訓練みたいなものだ」

「せやな」


 ミズドウ先輩が頷いた。


「……時永先生の言うとーりや。『べき』。これは逆にチャンスかもしらんで」

「え……」

「仲よすぎんねん、君ら」


 慌てて私は言う。


「男女の、アレはないですよ?」

「ちゃうやんか、そういうの云々やなくて、双子みたいや言うてんねん。離したらテレビ的に使えなくなるがな」


 ドキっとした。

 離したら……使えなくなる……


「……そりゃあ、2人でいるに越したことはありませんがね」


 時永も同調するように言う。


「あなた達だって人間です。途中で方向性がズレて、バンドのように解散するかもしれない」


 思い出す、さとうと出会った日のこと。

 


  ――「明日から来なくていいから」



 ……あの、冷たい響き。


「今日みたいにどちらかが倒れるかもしれない。――なら、そんな状態を見越して、最悪ピンでも立っていられるようにすべきだ」

「……はい」


 嫌なものを思い出した。……そうだ、私はどこに行っても「支えてもらって」生きている。さとうがいなければ頼りない一般人でしかない。

 対して、さとうは……。



  ――「俺、ピン芸人、佐藤吉晴! 現在全く売れてませぇん」



 ……売れてたかどうかは、ともかくとして。

 ピンでやっていた時期があったんだ。私と同い年のくせに。


「……」


 もしかしたら私は、あいつの足を引っ張っているんじゃないだろうか。

 さとうは……あの日の『()()()()』は、ひとりでも充分、やっていけるのではないだろうか?



「――あと、いい意味でもチャンスでは?」

「え?」


 私の肩を叩きながら言う、スクエアフレーム野郎の一言に我に返る。


「……普段、塩りーさんを含めた『僕達』が、どれだけ彼に頼ってるか。どれだけ彼が、僕らの仕事場に必要か」


 ……荷物なのは、私だけではない。

 時永の言葉はそう聞こえた。


「砂糖さんがどれだけ、この番組の中核を担う大事な歯車か。……それを確かめてみるチャンスでしょう?」


 私は少し、あっけにとられながら呟いた。


「……そう、ですね」


 言葉選びから分かった。

 なるほど、芸人でもないのに、よく番組に呼ばれるわけだ。


 ……確かに、売れっ子タレントだ。

 私たち「パラライズ」より、今は仕事の多い対抗馬。


 だってこの人、さとうと同じく『周りをよく気にする』。

 周りを気遣った言葉を「作る」。飾ることが不得意なのを逆に利用する私と、まったく真逆の人間だ。

 優しいとはまた違うのかもしれない。要するに仕事を円滑に進めたいからこそ、人に優しくする人なのだとは思うけれど。


 ……彼に勝手に勇気付けられる人間も、一定数いるのだ。有用だから呼ばれる。


 ……私は、どうだ。


 私はどんなことで、必要だと思われたいんだろう。

 さとうがこの世界で埋もれないために。私が、いきていくために。


 ……私に出来ることは、なんだろう。




  *   *   *   *




「いやー、無理でしたね!」


 その日の撮影終わり。清々しいほどのスカッと具合で時永は言った。

 そう、無理だった。……よーく分かった。この番組では長くMC的なポジションだったパラライズ。その中でも違和感なく話を促したり、効果的に引っ掻き回したりできていたのは、紛れもなくさとうだ!


「僕に、砂糖さんの真似事は無理でした!」

「……私も無理でした」


 序盤の進行からそもそも、話が噛み合わなさすぎて逆に笑いになったが。これが毎回だと考えたら恐ろしい。

 そして誤解なきように言いたいのだけれど、急遽司会席に回った時永も全体的に見れば一応うまくはやってくれた。


 ……ただ、私とかっちり合わない。どうしても浮く。そのせいか、気付けばMC席にいるのにあまり発言できずに終わった気もした。


「塩、お前砂糖がおらんとあかんな!」


 番組終盤、ミズドウ先輩に笑いながら言われて……ぐうの音も出なかった。

 ただ。


「……あのミズドウさんのツッコミ、逆に言うと砂糖さんもだって気付いてますか?」

「え?」


 相変わらずのいけ好かないスマイルで時永は言う。


「塩りーさんが気付いた通り、砂糖さんって実は自分一人でバランスよくできてしまう人ですけど、芸人としてみた場合、パンチがないんですよ」


 代々木公園で初めて出会ったときのことを思い出した。

 ……言われてみると、確かにまったく面白そうな人間には見えなかったし、イキイキとした表情もなかった。

 少なくとも最近の方がいい顔はしている。


「……次やることの予想がつくというか、火力がない。うまくまとまりすぎて味気がない、印象にも残らない。僕はそんな印象を受けました」

「見たんですか?」


 ……少し驚く。ピン芸人時代の彼のネタを見た、その感想だと気づいたから。


「動画サイトで少し。無名時代の彼を探すのは骨が折れましたが……でも、塩りーさんもそうでしょう? 作ってはいるが、()()()()が悪い。」

「え」


 ポン、と手首の辺りを叩かれた。


「……角度的に周囲から見えづらくちゃんと計算してありますが、だいたいこの辺りに覚え書きがある」

「…………」


 確かに、私は本番前によくメモを書く。薄く、手首の裏側に。


「よく、気付きますね」

「実は僕も、ほら」


 流れをまとめたMC用のファイルに、しれっと挟まれていた便箋。

 飾り気のない角ばった字が、要点をおさえてビッシリと書いてあった。


「……塩りーさん。あなたは僕と同じく、共演者の下調べをきっちりする方だ。だから発言内容だけは頭の中に出来ている、一応は、作れてるんですよ。あとはタイミングが合わないだけ」

「…………」

「今までその『発言するタイミング』をちゃんと空けてくれたのが砂糖さんだ」


 気取ったスクエアフレームの向こう側――私とは違う意味で、()()()()()()()()()()()()()時永がぼそりと呟く。


「無愛想にも、不遜にもとれてしまうキャラクター。その印象を和らげてくれたのも砂糖さんだ。……だから、あなたは安心して口を開けていた。僕だと、どうにも信用されなかった。グダグダだったのはそれが理由です」


 ……否定はしない。

 自覚はないけど、そういうもんなのだと思う。


「……砂糖さんがちゃんとキャッチしてくれる安心感があって、初めて塩りーさんは相手に踏み込んだ発言ができる。砂糖さんも『失礼極まりないな』とか『言い過ぎやねん』とやわらかいツッコミができる。あなたが言う、空気のちょっとピリつく発言をマイルドにできて、笑いが取れる」

「……」

「持ちつ持たれつですね。お互い利用しあう、合理的な関係性だ」


 私がいるからピリッとするのだと。さとうだけではパンチがないのだと。

 そう彼に言われて、少し驚いた。


「僕では塩りーさんの持ち味を発揮できないし、ミズドウさんでも100パーセントは無理でしょう。今のところは彼だけが、あなたの能力を引き出せる。そういうことですよ、多分」


 ……少しだけ、気分が楽になる。

 なるほど。色々と腑に落ちた。


「……だと、いいんですが」

「自信持ってください」


 苦笑いしながら時永は言った。


「僕が言ったところで素人の意見ですが……こういうのは、きっと素人の方がよく見ています」




  *   *   *   *




 あれから。数年。5年、10年。

 気付けば15年。

 あれから私の古巣だったウォーターメロンgirl'sが、いきなりブレイクしたり。

 あのスクエアフレーム野郎・時永先生が突然テレビに出なくなったり。

 まあ、色々あったけれど。


 パラライズだけはずっとパラライズだった。


 ……更に5年。計20年。


 ……あのとき先輩たちに言われたように、少しずつ個別の仕事も増えた。

 いつまでも2人。それは確かに難しい。

 それでも何だかんだと変わらない。

 そう思っていたのは、私だけらしいとようやく……


 ああ。


 ……ようやく、気づいた。



「……っ……ミズドウ先輩!」

「お? おおお、塩、どうした……」


 ……いい加減、相手の特性も分かったような気になっていた。


「何があったんや」

「さとうが、パラライズやめるって……!」


 別番組の控え室に飛び込んで、泣きついた先。ミズドウ先輩は困惑顔で私を出迎えた。


「ピンに戻るって、もしかしたら、芸人も辞めるかもって……地元、帰るって……」

「……塩、お前……普通に泣くんやな」


 失礼な。


「……いくら、分かりづらい私だって、その……っ」


 鼻水が止まらない。ガタガタと震えがおさまらない。


「……自分の半分が、ひき千切れそうになったら……そりゃあ……!」


 ……そう、半分だ。

 20年――そんな長い時間、仕事を一緒にしていたら。隣にいたら。

 きっと『体の半分』みたいな気持ちになる。

 確かに、私には時間感覚がなかった。20年も過ぎた自覚はなかった。


 毎日必死で、一瞬だった。

 でも、その一瞬が……今思えば、長かったんだ。


 ミズドウ先輩は苦笑した。


「……なんだ。ただのクールっ娘やと思っとったわ、お前」




  *   *   *   *




「でー……なんか、心あたりはあれへんのか」

「ないです」


 詰まった鼻にティッシュを詰め、食い気味に言う。

 ……ミズドウ先輩のあほヅラをみたら、不思議と落ち着いた。


「……お前、泣き止んだら死ぬほど可愛ないな。むしろ、あんな可愛い塩初めてみたわ」

「……可愛さ、どうでもいいんで」

「芸人だからって可愛さ捨てんな、泣かす気かボクを。……そもそも元々の名前とその塩対応な感じをかけて、よくもまあ、そんな凶悪な芸名に納得したなお前」


 私は言う。


「つけてくれたので」

「あ?」

「さとうが、つけてくれたので」


 どうせコンビ名を変えるなら。……そんなノリで、ダッサい男がダッサい名前つけてくれたなあ、とは思ったけど。

 それでもなんだか、心がポカポカしたから、私は『塩りー』として生きてきた。

 この20年間を、この名前と一緒に歩いてきた。


「……そか」

「拾ってくれたさとうが、くれたので」


 ……ポカポカしたこの名前と一緒に生きてきたんだ。

 あの、一瞬みたいな道のりを。


 アイドルをやめたとき、私が見れなかった景色を。

 諦めたスポットライトを。

 私を必要としてくれる、大勢の人たちを。――この名前で、この生き方で、全部見てきた。


「楽しい毎日も、新しいチャンスも、ぜんぶ、さとうがくれたので」

「……手放したくないんやな?」

「はい」


「……わかった。ちょいと待ち」


 ミズドウ先輩は鞄をひっくり返した。机の上にばら撒かれたファイルや充電器。そして、ハンドタオルの下から――使い古したメモ帳を拾い上げた先輩は、私にそれを差し出す。


「ボクのネタ帳や。……199ページ。そう、真ん中あたり」


 開いてみるとびっしりと埋め尽くす文字の列。意外と几帳面な性格のようで……


「……手書きのメモにページ数書くような細かい人だったんですか、先輩」

「ええやろ別に」

「絶妙にキモいですね」

「それ今!?」


 ガクッとツッコミの代わりに先輩が足を踏み外した。


「……やっぱアカンわ塩、お前の一言多いのと空気読まれへんの、うまく笑いに変えるのは砂糖だけや」

「すみません」

「やるなら全力で連れ戻せ、絶対や。お前の面倒なんか見てられへんぞ!」


 少し笑いながらいう先輩の言葉に、ふと思い出す。

 ……あの時。さとうが来なかった日に、スクエアフレームの向こうから言われた一言。



  ――「僕では塩りーさんの持ち味を発揮できないし、ミズドウさんでも100パーセントは無理でしょう。今のところは彼だけが、あなたの能力を引き出せる」



 思えばあの年には、あれだけ『売れっ子』だった時永も、行方が分からなくなってだいぶ経つ。

 芸能界というのは流行り廃れが激しい。

 忘れられるものは、きっとすぐに忘れられてしまう。

 あの時は誰も忘れそうになかった先生タレント・時永の存在を、今誰しもがすっかり忘れているように。


 ああ……それでも、あの時。


 ライバル同然だったあの時永に励まされて、うっかり少し元気が出た昔の私は――この場所で、もう少しだけ「生きてみたい」と思ったんだ。


 スポットライトの当たる陽だまりで。

 さとうと一緒に出来る限り、仲のいいコンビを続けていくのだと。


 ああ……今じゃない。少なくとも。

 私たちが光を失うのは……「消える」のは、今じゃない。


 大きく息を吸い、指定された199ページを開く。

 それは随分前に書かれたネタらしい。かすれた文字は、少し滲んでいる。


「『思い出のメニューを出す店』……?」

「ああ、ボク、一人で喋るのがメインの芸風やろ?」


 ミズドウ先輩は言う。


「その中には先輩方から聞いた話だったり、スタッフが持ってきたスベらない話をパクッてみたりもよう混ざっとんねん」

「知ってます。この間友部(ともべ)さんがパクられたってSNSで書き込んでました」

「は? 友部さんって、時永先生の元マネージャーやろ? 今何しとんねん」


 とりあえず、この間近況を聞いた際の返答を返す。


「シンガポールで地下鉄掘ってます」

「……どう考えても嘘やろそれ……?」


 まあ、あの眼鏡野郎のサポートなんて何年もやれる気はしない。……ヤツは言葉尻だけ見れば優しいし、人に気を使いはするが、その分不満を溜め込む。


「まあともかく、これもそういう人から聞いた、パクッた系の話や。ホラ、『公園通り』ってあるやろ?」

「渋谷から代々木の、あれですか」


 昔、さとうと出会った辺りだ。

 渋谷のイベント会場を飛び出して、代々木公園で出会って……ラーメンを食べに出たのは、また渋谷側だった。


「あそこから一歩左の道に入って、暫く歩いていくと変な路地に出るらしいねん」

「横道なんてたくさんありますけど」


 何本だか数えたことはない。ただ、尋常じゃない数なのは知っている。

 その中の一つだろうか?


「変な路地に出たら、一つ、ポツンと飲食店の看板がぶら下がっとる。そこでとあるメニューを頼むと……不思議と何も言わんのに、客の一番好きな料理を一つ、提供してくれるそうや」


 ……好きな料理。


「塩、お前、好きなものあるか?」


 ミズドウ先輩は静かに言った。


「目的がないと気まずぅて一緒におられへんのやろ、今の君らは。……だったら、一つ確かなミッションを与えたるわ。“砂糖と一緒に食ったもの”。それ、2人で探しながら。お前はいつものように『要らんこと』をぶちかませ」

「……」

「お前の『要らんこと』は、大体作られてへん。本音や。お前の本音なんや」

「でも……」


 あのラーメンを食べられたのは随分前の話だ。冷凍唐揚げをのっけるあの激安ラーメンは潰れてしまってだいぶ経つ。


「……好きな思い出の料理、あるにはありますが……」

「どうせ潰れた激安ラーメンやろ?」


 苦笑いしながらミズドウ先輩は言う。


「知っとったわ。だからこんな都市伝説じみた話に頼るんやろ。もう食えない幻のラーメン。……ええやんか、ロマンがあって」

「はい……」


 ……好きな料理を、食べさせてくれる店……。


「うわぁ、誘いづらー……」


 私の呟きに、ミズドウ先輩は苦笑した。


「勇気出せや、大丈夫やって」

「……」

「……あのな、塩」


 ミズドウ先輩は口を開いた。


「食事っていうのはコミュニケーションや。たとえ1人で食うてても、自分を省みるところや」

「……ええ」

「自分は何で食うてる、何で生きてる。それを、再確認できるところなんや」


 ニッと笑った先輩は問いかける。


「……なあ、お前にとって、砂糖は何や? 何がほしくて砂糖はこの世界に入ったんや、ほんまに砂糖は辞めたいんか、その意思はどっから来た。……聞いたれ、そして、言え! いつものように大胆不遜に口を開け!」

「……はい」

「相手は相方やぞ。……お前の中の、一番『要らんこと』をぶつけろや、塩。それでダメだったら、それまでや」


 私は、お腹の中の息を吐き切った。



「……はい」

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[良い点] 高校時代、バイトしてたラーメン屋のお店の名前を冠したラーメンに唐揚げがみっつ入ってまして。 懐かしいなぁ…… [一言] ついにメガネ登場! いや、それよりも塩ちゃんの心に共感しちゃってもう…
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