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★#1 ドナー・アンド・レシピエント


「だーよねー! パラライズ砂糖、最近あんまり面白くないよねー!」


 ――どこともしれない路地裏を、彼女が軽くかけっこしながら問いかけた。

 年の頃でいうと大学生くらいだろうか? 後ろからは少々あきれ顔の青年が一応ついていくも、こちらは比較的マイペース。

 「歩幅や速度なぞ、彼女と合わせるだけ無駄だ」とばかりの歩き方。

 どうも本気で全く気にしていないのが、どうも彼の特色らしい。


 対して彼女はときおり彼を追い越しては後ろ向きになり、そのままくるくる、てけてけと小走りでうろちょろ!


 やっぱり、まだまだ大人の女性というよりも「女の子」という印象だなぁ……と彼は思う。本当に落ち着きがない。

 適当に蛇行してうろつき回る彼女に苦笑しながら、彼は意外とまんざらでもない様子でついて回った。


 話のネタは他愛もない、ただの世間話だ。――あのテレビ番組が好きだとか、最近あの芸人切れ味よくないとか。


「……それもいいがな、ミカン」


 青年は「女の子」……同い年ではあるが、そうとしか口で表す「うまい言葉」の見つからない彼女に声をかける。


「ちゃんと前見て歩けよ」

「みてるよ!? うあっ」

「こら」


 アスファルトの凸凹に躓く彼女の襟を後ろからつまんだ青年は、25センチは差のありそうな彼女の姿勢を後ろにそらせた。――途端に、前に向かって倒れかかっていたミカンの姿勢が元に戻る。


「……いったっ、もう! 服がのびる!」

「コケかけるのが悪い。足元も見てないし」

「だって!」

「……ふらふらしてるから迷うんだろ。ここはどこだよ?」


 特に困った様子もなく迷子宣言をした彼に、女の子、ミカンはにひっと小学生男子のような可愛げの少ない笑みを浮かべた。


「ハチヤもわかんないか!」

「分かるわけないだろ、ついてきただけだぞ」


 ……たまにこういう顔するから腹が立つんだよなぁ。

 彼はため息をついて、目の前の看板を指差した。


「散策はもういいから、ちょっと休もう。少し疲れたよ」

「えー? さっきサンシャインシティから出たばっかなのに!」

「ばっかって、もう30分は経ってるぞ。どう見ても池袋のそれっぽくないだろこの裏路地……」


 そう、問題はそこだった。

 町を少し外れただけならまだいい。

 だが、明らかに見覚えのない場所――こんな路地、下見に来たときは見当たらなかったはずだ。

 行き当たりばったりな性格のミカンとは真逆に、ハチヤは慎重派。ミカンがふらふらと入りそうな場所は調べ尽くしていたはずだったが、まさかこんなところがあったとは予想外だった。


 それに、とハチヤはスマートフォンに目をむける。


 ……電波状況が悪いのか、取得できない位置情報。うまく動かない地図アプリ。手がかりは「サンシャインシティから30分歩いた」というだけの、時計の表示と自身の記憶。


 まさかデートで遭難するなんて思いもしなかったな。

 ハチヤは苦笑いを強めた。――彼女とのフリートークに気を取られすぎていた。まさかあれから30分も経っているなんて!


「なあ、どこまで歩く気だよ?」


 ハチヤは問いかける。慎重派ではあるが、そうはいっても偶然にだって期待はしている。だってハチヤがミカンと出会ったのは偶然だったし、ミカンがハチヤを気に入ったのもきっと偶然だ。


 ――ただ、ハチヤにはミカンほどの勇気がないだけだ。だからあの時も、好奇心からハチヤは【あの事故】のことを調べて、彼女に――


「だってー」


 【あの事故】のことを思い出す前に、むくっとミカンのほっぺたが膨らむ。


「この路地! どこまで続いてるか気になるじゃん!」


 ああ――そういうところだ、ミカン!

 ハチヤは苦笑いを強めた。なんだかんだでハチヤも「不測の事態」にワクワクはしている。それをいつだってグイグイ引っ張ってくれるのが彼女だった。

 彼女に近づいたのも最初は好奇心だったが、ミーハーからだったが。きっと、そういう中身が好ましかった。


「あー……だってもへちまも。とにかくランチ。ランチにしよう!」


 ――幸せとは、こういうものを言うのだろうか?

 ふと目についた飲食店らしい看板を指さしつつ、ハチヤは「偶然」に問いかける。「おう、そうだよ」とどこかから返ったような気もしたが、多分気のせいだ。


「ランチ!」


 その発想はなかった! と目を瞬かせたミカン。

 どうやら話し込みすぎて「食事」の概念を忘れていたらしいが――次の瞬間。


「やったー! 本格的にデートじゃんこれー!」

「あたたたっ叩くなよ背中……テンション上がって叩くとか妙齢のレディかよ。ってか、逆にデート以外のなんなんだよ!」


 「それっぽさ」に喜び飛び跳ねるミカン。独特のハイテンションに良いように振り回されつつ、ハチヤは少し笑う。

 そう、「それっぽい」のが重要だった。何故ならこの2人……付き合ってから2人っきりで出かけるのは何だかんだと初めてなのだ。


 それが厳密に――「2人きり」なのかはさておくとして。



 ――チリン。



「あ……いらっしゃいませー」


 路地で見まわしたら目に入っただけ。そんな木目調の飲食店。

 扉を開けたらやけに響く古いドアベルの音、それから店員らしきそれの声がして――だが。


「わは――――――っ!!! 中っ、すごいキレイだよ! ハチヤ!」


 それは瞬く間にミカンのハイテンションにかき消された。


「お、おお。なんかいいな」


 あんな路地裏にあるから期待してなかったけど。そんな言葉をようやく飲み込みながらハチヤは辺りを見回す。

 ……レストランにも見えるし、お洒落な居酒屋にも見える。

 特に分類も分からず入ったのに今更気付いたが、初デートに入る店の雰囲気としては、かなりのアタリだ。


 店内に入ってすぐのランプのような照明。突き当たりに見える、大きな砂時計のオブジェ。


「えー……お冷とおしぼり失礼しまーす」

「ありがとう!」

「……あの。ここ、どういったお店なんですか?」


 コップのお冷ではなく、ピッチャー。

 そしておしぼりを置きに来たのは男性の店員だった。他に従業員らしき人物はいない。――まさか、店主が彼なのだろうか?


「まあ……分かりづらいですよね? 表みた限りじゃ」


 さらりとした印象。もう少し身なりを整えればモテそうなその外見。影は薄いが、人当たりは良さそうなそれはまだ随分若く見えた。自分たちより2つか3つ上ぐらいだろうか?

 おそらくまだ20代前半だろう。そう見える。


「何をするお店か? ……そう、なんでもできます。ご飯ものなら。いや、パンでもパスタでもいけますよ」


 ニコッと笑った店主は何故かチラッと横を見ながら、そう言った。

 ご飯、パン、パスタ……。


「なんでも?」

「はい。ああ――でも、ひとつだけ売りがあるな」


 辞書みたいな厚さのメニューを席に置きながら、店主は言う。


「基本は一般的な家庭料理や洋食がメインですが……自分、実はちょっとした特技がありまして」


 ストン! ――次の瞬間、ミカンとハチヤは思わず目をむける。

 メニューとは別個に今、音を立てて置かれたラミネートの紙。


「お客様の好きそうなお料理を――ひとつは必ず、当てることができます!」


 リーフレットのド真ん中。

 書かれたメニュー名は、「気まぐれランチ」。……何だろう、よくある気まぐれサラダ的なアレだろうか?


「と、いうわけで! 只今のおすすめは気まぐれランチです!」

「き、気まぐれランチかー……」


 “どうするー?” そう問いたくて横を見る。自分一人なら頼める気がしない。だが、もしやミカンなら――


「お値段なんと、ワンコ……」

「ワンコインマジで!!?」


 ――やっぱふっつーに頼む気だ!?


「……インと250円っ!」

「期待させんなよ!!」


 凄まじい勢いでワンコイン幻想が打ち砕かれた。――いや、まあそうだ。

 こんなところでワンコインランチにありつけるわけがない。

 大学の食堂じゃないんだから。

 『気まぐれランチ、750円(一番人気)』。

 そんな文字が手書きで書かれたリーフレット。その後ろに見えるのは、さっきの辞書大のメニュー表の開かれたそれだ。視界を覆い尽くす料理名の数々。


 ……っていうか何あれ。


 ハチヤは疑わしげに目を瞬いた。「辞書大」というか、本当に辞書だ。

 よく見たら側面に「あいうえお」がふってある。

 「なんでもできる」というのが事実なら、これらが本当に「全部できる」ということか? そしてさらには「客の好きそうなもの」を、適当にこの中からピックアップできると?


「……ただ、ざっくりと好きなものは当てられてもですね」


 “うさんくせえ” と正直に思ったハチヤの心情をとことん無視し、ニコニコした店主の言葉は続く。


「アレルギーなんかはさすがに当てるのが無理です。なので嫌いなもの、食べられないものがあれば先に言ってもらう形になります」

「あー、そっかぁ」


 ミカンが感心したように言った。


「さすがにそーだよね」

「頼む気?」

「そりゃ勿論」


 当然のように返され、ハチヤは息をつく。――呆れと感嘆と、安堵のため息だ。


「だって面白そうじゃん!」

「だね。――そうじゃなきゃ、俺の知ってるミカンじゃない」

「えーそれ、どーいうことかなー?」

「そーいうことだよ」


 やれやれと笑って、ハチヤはリーフレットを指さした。


「……気まぐれランチ、2つ」

「はい、承りましたー」



 ……店主は頷くと、くるりと方向を変えた。




    *  *  *  *




 そのまま――てくてくとハチヤとミカンの後ろに行くと、トン、と余ったひとつのグラスを反対側のテーブルへ。


「……え?」


 目の前にお冷を置かれた少年が、きょとん、とした顔で店主を見上げる。

 店主はニコリと笑って確認した。


「君もそれでいいかな?」


 少年は目を瞬かせて、確認するように自らの手を見つめた。

 透き通る手。その先にはミカンの背中。「楽しみだね!」「そうだな」「何が来るのかな?」「じゃあ当てっこしようか」……何も変わらない、やりとり。

 こちらには気づいていないようだ。


「……大丈夫、彼女たちに君のことは見えないし、おれが話しかけてもぜんぜんわからない」


 店主はいうと、ハチヤの頭に手を出した。

 手が乗る……いや、スカッ、とすり抜ける手。


「こ、ここは一体……?」


 少年は窓の外を見た。路地の印象は変わらない。ただ、少年には見える。

 ――路地の奥の暗闇が。流星が。この世とは思えない領域が。


「……そうだねえ」


 店主は呟く。


「ここは普通に、『飲食店』さ。何も知らない、生きてる人間にとっちゃ適当に迷い込んで入っただけの、場所も店名もうろ覚えな店……」



 ……その後ろで砂時計が光る。鈍く、重く、照明の光を反射する。

 ふわりと砂がガラスの中を舞った。



「そして、お化けだろうが生きてようが普通に接客される『境目』の店。ようこそ、なんでもありのレストラン、『ZattaGotta.KK』に」



 「雑多」と「ごった煮」と。色々合わさったその店名。……なるほど、「なんでもできる店」だからか。

 先ほどまでの会話を聞いていた少年は正体不明の店主を困惑気味に見た。


「……まあそうなるね。怪しさ大爆発って顔だ、違いない。おれだってこんなところに迷い込んだら、まず間違いなく『は?』って言うさ」

「……『は?』って言っていっすか、今のうちに」

「うん、ご自由にどうぞ!」


 店主は明るく言って、少しだけ苦笑いした。


「というわけでご来店、誠にありがとうございます。……おれはこの店の主で、コースケっていうんだ。これでも死んでんだよ、よろしくね」

「コースケさん」


 少年のおうむ返しに、店主は指に字を書く。


「字はね、サンズイに告白するってあれだ。よくあるやつに、介すると書く」

「浩介」

「そう。なんか、現実味帯びてきた?」


 少年は少し笑って、口を開く。


「幽霊が現実味とか、帯びちゃいけないっすよ」

「だろうね」

「……オレ、柚って言います」


 店主は問う。ミカンについてきた少年・柚に、まるで世間話をするかのように。


「死んだときの年齢は?」

「16です。飛行機事故で死にました」




    *  *  *  *




 「柚」はその時、高校1年生だった。

 たまたま祖母の家に向かう為に国内線のチケットを取っていた彼は、その日搭乗機の中で小柄な女の子とすれ違う。言葉も交わさない。目も殆ど合わない。

 ただ、「同い年ぐらいの人間がいる」という印象だった。


 国内線。旭エア794便。伊丹空港行。

 だがその便は突発的なエンジントラブルの関係で……空中分解した。


 その後気づくと柚は1人の少女の「中」にいた。


 同じ794便。その、唯一の「生き残り」だと、近くにいた看護師の会話から推察できた。そうしてあと一歩届かず生き残れなかった、自分という人間の……その内臓のいくつかが少女の中で命の光を灯した。



「血管の一部と、胃……だったかな」


 思い出話のように語りつつ、柚は頭をかいた。

 ――勿論、自分の作業は終わった後だ。先ほどまで店主を少しだけ手伝っていたが、その手ももう使わない。包丁も持たない。


「なるほどね」


 店主はもっともらしく頷く。「聞いてるよ」と。

 その手元には卵とパン粉。

 ……そう、ここは厨房。仮にも飲食店のそれだというのに、秘伝のタレとか企業秘密のスパイスがその辺転がってそうだというのに。

 なのにあろうことか、店主当人が渋る柚をそこに引っ張り込んだのである。


 ……「死んでから誰とも話してないんだろ!」と。


 柚としても暇を潰せるのは有難い。いや、落ち着きのないミカンに引っ付きまわっていたら暇も何もないのだが、それはそれとして久しぶりに「ちゃんと話せる人」がいるのはまた趣が違う。

 ――何より、興味が勝った。飲食店の裏などほとんど見たことはない。


 何せろくにバイトもしたことがなかった。一度はやってみたいとも思ったが、その前に人生がデッドしたのだ。ミカンも飲食店でのバイト経験はない。


「あんまり覚えてないんだけど……保険証の裏側に臓器提供、丸してたみたいだ。最初こそ戸惑ったけど、今ではこれで良かったって思ってる」

「まあ……そうだろうなあ」


 店主はニコニコ笑いながらひき肉をこねた。



「……だって君、あの子のこと好きだろ」



 こねられたひき肉が、淡々と等間隔に並べられていく。

 それを見つつ、柚は満面の笑みで頷いた。


「あは――やっぱ、分かっちゃいます!?」

「わかるさ、お化けだろうが恋はする」


 でもいいのか? と店主は聞いた。


「あれ、どう見ても彼氏できてるぞ」

「いいんです!」


 フン! と得意げに柚は胸を張る。


「オレ、体ないから、ミカンに認識してもらえないし!」

「そうか」

「でも胃はあるんだよ!」

「! ぶっ」

「思いっきり、胃はあるんだっ!」


 油を火にかけていた店主は思わず噴き出した。

 ……体は無い。「でも、胃はある」。あまりにもカラッとした自己主張だった。


「胃と血管だけだっていいんだよ」


 柚は口にした。


オレ()は、まだ生きてるんだ!」


 店主の口が少し笑う。


「……うん」

「そもそもがさ!? まだまだミカンの中では生きてるんだよ、オレ! この内臓がなきゃミカンは生きてないし、生きていけない」

「そうだな」


 柚は散らばった千切りキャベツをかき集めつつ、高らかに宣言した。


「……オレがいることでミカンを支えてるんだ。そう思えたら、それでいいよ!」

「たっくましいな君は!」


 境遇の割に明るすぎる「お化け」の姿に、大笑いしながら店主は鍋に菜箸を突っ込んだ。……まったく、これだから人生は面白い。何が起こるか分からないし、何を見るかもわからない。


「あっはっはっは」

「何笑ってんですかもー」


 まあ、でもさ。

 ――そう、店主の前で柚はぽつりとつぶやいた。


「……オレ、大学生になれなかったよ」

「うん」

「普通に生きていくもんだとばかり思ってた。高校でヒイヒイ言いながら部活に明け暮れて、家では不健康な生活して、揚げもんばっか食って――」


 ちらりとその目が、鍋を映す。油の張ったそれを。


「あ、食べる?」

「……いや、いいよ別に。いまさら」


 柚は断りながら続ける。


「――そう、揚げもんばっか食ってさ。夜中までゲームして。そんなオレの胃袋が、同じ飛行機に乗ってただけの女の子に使われてる」

「うん」

「そりゃそうだよ、手近な素材だ。お医者さんだって有難かったに違いない、そう思う。……でもそうと知ってたらオレは……もうちょっと自分の体を大事にしてたのかな。ううん」


 柚は空想する。もし。もしだ。あの時――死ぬと分かっていたら。


「……あの飛行機、乗ってたのかな」

「さて」


 柚と同じく『死んだこと』があるのだろう店主は、小首を傾げながら言った。


「どうだろうね」

「……オレ、そのまま大人になってたかな? ミカンと同じように」

「羨ましい?」


 店主は問いかける。


「羨ましくないって言ったら、嘘になるよ」

「だろうね」

「でも、今は……まあ、後悔してないかな」


 それが恋だといえば……まあ、恋なのだろうと柚は思う。


「オレなりに、プランはあったんだ」



 ――勿論最初は戸惑ったし、正直嫌だった。何が悲しくてこんな、死ぬほど落ち着きのない人間に。しかも異性に振り回されなきゃいけないのか。


 ……こっちだって壮絶な死に際を経験したばかりで、精神的にはいっぱいいっぱいだというのに。っていうか正直ちょっとは気を休めたい。休める体はなくとも、気分ぐらいはゆっくりしたい。


 そう思うのに、一体どうして自分の「意識」はここにいるのか。



「……行きたい大学はあったよ。狙ってた部活のポジションも、将来の夢もあった。だから、現状に納得なんていくわけがなかった」



 だってこの「ミカン」って子はグズグズ泣いてばかりだし、怪我をおして歩き回るし。それも病院中を。まあさすがに音を上げた。せめてもうちょっと静かにしてくれと文句を言ったところで伝わりもしない。気が休まるわけがない。


 ただ……暫くしてようやくミカンの口から聞いた言葉が、柚の認識をガラリと変えた。



「……納得いかなかったのは、ミカンも同じだった。自分の『人生』っていうのにさ、普遍的でくだらない、幸せなプランがあったのは……そこに、理不尽っていうエラーが出ちまったのは、ミカンも一緒だったんだ」



 この子のバックボーンを知った時、ようやく違う感情が芽生えた。

 ミカンはあの日、あの場所、あの飛行機で……家族で出かけるつもりだったのだと。両隣に座っていたという、親の行方を捜してあの子は歩き回っていたのだ。


 いない。いるわけがない。病院中を駆けずり回って、どこにもいない。会いにも来てくれない。


 ハッキリとした言葉で、彼女は両親の名前と特徴を何度も看護師に問いかけた。「どこにいますか?」「いつ会えますか?」少女の、必死の問いかけ。それにハッとしたのが最初だった。


 ……ミカンの両親、特に母親の遺体は損傷が激しかった。

 ミカンに覆い被さり、抱きすくめていた。そう、数ヶ月経ってようやく聞くことができたミカンの泣き声。

 またも数ヶ月かけてそれを受け入れて、また泣き続けたミカンの叫び声。

 最初は黙ってそれをぼうっと眺めるしかなかった。



「……なかなか、受け入れられなかったんだよな、あの子も。これだけ探していないって、もうここにはいないんだって。そんな単純なことが巧く飲み込めなかった。まるでオレが死んだことをピンと来てないみたいに。……同じだよ、あれ。まるっきり同じだ」



 だがミカンはだんだんと立ち直っていった。……底の抜けたような明るい性格は事故の反動だろう。生々しい傷跡のようなものだ。

 まだそれは見るたび、触れるたび、隠すたびに痛々しい。でもそれを理解してくれる人間もまた、ミカンの周りにはたくさんいる。

 そんな人間関係を含めたミカンの在り方が、もう何もない柚には眩しかった。


 頑張り屋のその子が……そのとき多分、気に入ったのだ。


 柚は思う。

 ミカンになら自分の一部をあげてもいい。

 あげてよかったのだ、と。



「……聞いてよ浩介さん、あいつ、結構頑張り屋なんだぜ? 暫く勉強どころじゃなかったのに、ぎりぎり行く予定だった高校入って。そこでも少し遅れながら、ちゃんと卒業して――うん、今じゃ普通に、順当に人生を歩んでる」

「…………。」

「オレの代わりにミカンが、ちゃんと夢を叶えてくれたんだよ」

「うん」


 店主は油を片付けながら相槌を打つ。


「ミカンはきっと、そのまんま大人になってくれる……だからそれでいいよ。ミカンがいるからオレ、未だになんでか毎日楽しいんだ」


 そう、あの子は――今やもう1人の自分だ。


「オレ自身がひとりでどこにも出かけられなくても、誰かとこうして喋って笑えなくても。ミカンがその分やってくれる。うん……多分、こう言った方が正しいかな」


 スッと息を吐く。もうどこにもない肺を――動かす。


「……『生きてくれる』んだ、オレの胃と血管を連れて」


 店主は頷く。


「……そっか」

「ミカンがああしてケラケラ笑ってられるのは、彼氏っつったらなんか、まだおかしい気もするけど……あのハチヤのおかげだしさ。嫉妬なんてレベル通り越してもはや有難いよ」



 見るからに凄惨な飛行機事故。その唯一の「生還者」。

 カラ元気としか思えないテンションのそれ。ギリギリ入学したばかりの高校でも少し浮いている……そんなミカンに近づいてきたのは、ハチヤからだった。

 毎日のように普通に挨拶をするクラスメイト。他愛もない会話をしかけてくるそれに、ミカンがある日、ひどく子供じみたイタズラを返した。


 ……柚は驚いた。


 ミカンはいきなりハチヤの背後をとり、思いっきり脇腹をくすぐったのだ。

 それは何故だろう、いかにも「イタズラ好きの柚」が仲良しの男子にやりそうな手口だった。少なくとも何度か覚えがある。


 ああ、客観的に見るとこうなるのね、と思っていると不意打ちで爆笑させられたハチヤがイラっとした表情になり、次の瞬間、見事に仕返しをされた。


 その一連の流れが、次の日も……その次の日も繰り返されて、だんだんとお約束のように毎日の出来事になる。イタズラの応酬だった。

 もう見ている側の柚としては腹が痛い。いや痛がる腹筋はもうないのだが、とにかくおかしい。

 最初はくすぐりだけだったのだが、日によって少しずつ変わるのだ。


 珍しく何もないかと思いきや、通学鞄のストラップがミニたわしにすり替えられていたり、座るはずの席にブーブークッションがしかれていたり。……そんな訳の分からない攻防も、最終的にはどちらからともなく噴き出して終わるのだが。


 そんな仲良しのイタズラ相手がある日、ミカンに真面目な顔で告白してきた。


 「君のことは飛行機事故の報道で知った」と。


 最初声をかけたときは野次馬根性だったが、それからイタズラまじりのやりとりをするようになって、何も考えずふざけあうようになって。

 「見る目」が変わった。ただの友人の1人になった。……最初はあれだったが、そこから君を好きになってもいいだろうか? と。


 あまりにも正直で、素直で、大胆な告白。


 それに対して珍しく真面目な様子のミカンは深く頷き、交際がスタートした。

 柚からしてみれば寂しくはあったが、同時に……とても、いいことに思えた。



「……いい心がけだね」


 店主は言う。


「縛ってない、のろってない、無視ってない。そこにいる」

「何もしてないみたいじゃないっすかそれ!」

「何もしてないのがいいのさ」


 柚の前から千切りキャベツをトングでつかみ取り、彼は言う。


「死んだ何かは何も為してはならない。……いかに目の前の現実が理不尽でも残酷でも、上手くいくように祈ってやる。願ってやる。直接的に手を出すんじゃなくバランスをとって、後ろからポンと背中を押してやる」


 そう言って、店主は揚げたてのそれを持って厨房を出た。


「……それが自分の仕業だと悟られない程度に」




    *  *  *  *




「どうぞ! 気まぐれランチ……メンチカツと大豆のサラダでーす」


 ……皿を置いた瞬間、ミカンの目は丸くなった。

 ハチヤも少し、キョトンとする。


「……当たったじゃん!」

「……予想とちがう」

「違うって何がだよ!?」


 ハチヤは興奮した。

 だって本当にミカンの好物が当たったのだ!


 ――正直さっきまでまるっきり信じてなかったけど、当たってしまった。

 これはすごいことだとさすがに目をむく。


 当たるとしたらミカンのものだというのは、何となくハチヤも想像していた。

 だってハチヤ自身には特に思い出の味もなければ、食べ物の好き嫌いもさほどない。拘りなんてまるでないためだ。

 ……だが、ミカンは違う。彼女は食べることが好きだ。だからやたらに見慣れない飲食店を見ると突撃していくし、変なところにこだわる。


「前言ってたよなミカン、メンチが好きだって!」

「メンチカツもすごいけど!」


 ミカンは目を丸くしたまま、皿に釘付けだった目を瞬かせた。そして店主に向けてまっすぐと見上げる。信じられない、そんな驚いた目で。


「……これ、私だけじゃない……」

「……ミカン?」

「……私たちの、好きなもの!」


 震える声で、ミカンは言った。


「言わなかったっけハチヤ……私、飛行機乗るまで『油物』が苦手だったの」

「!!」


 彼は気づいたようにぎょっとして押し黙った。

 知っている、なんてレベルじゃない。

 彼は「調べた」のだ。気になるミカンに喋りかけるために。告白するために。仲良くなるために。


 だって、それは……



「……私がメンチカツを好きになったのは、移植されてから!」



 ……通常、臓器移植のドナーの素性は「移植された側の人間」、いわゆるレシピエントには通知されないのが鉄則だ。その臓器がどこで育ったか、どこで生まれたか、性別はどうだったかすら分からないこともある。


 だがミカンの場合は少し違う。事情が違った。


 ……794便の飛行機事故。それは一時的ではあるが、世間をひどく賑わせた。バラバラに空中分解した機体。重い瓦礫に押し潰された座席の映像。

 中でも一番話題になったのは、週刊誌発のニュースだ。御涙頂戴、感動的なエピソードに仕立て上げられたある一つの「物語」。

 当時中学3年生だったミカンが生き残ったのは。

 瓦礫に押しつぶされ、大動脈と胃が破裂してなお、どうにか命を残せたのは。


 ……同事故機に偶然乗り合わせていた、高校1年生の『脳死の少年』から大動脈を繋ぐ臓器移植を受けたから。

 少女が生き残ったのは、彼の命を繋いでの「奇跡」だったのだと。


 その記事には当然のように「彼」の名前は載っていなかった。

 中途半端な配慮だ。だって偶然同じ飛行機に乗っていたという「高校生の少年」は、ちょうど連休のシーズンから外れていたこともあり、1人しか該当する人物がいなかった。


 墜落当初は散々報道された個人名。

 少しねちっこく調べればすぐにわかる、その名前。

 ……それを、病院生活で暫く外界から隔絶されていたミカンに、最初に教えたのがハチヤだった。



「実は、ずっと違和感があって……何回も調べたんだ」


 ミカンは呟く。


「内臓も、個人としての記憶を蓄えることがあるの。だから消化器官を移植されると食事の好みが変わったりする……そりゃあ、そうだよね。いきなり脂っこいものが好きになるわけないじゃん」


 大動脈だけではない。被さっていた両親の上から尚、倒壊した瓦礫に傷つけられ続けた腹部には、一時的にではあれど凄まじい負荷がかかっていた。――だから、ミカンはもうひとつだけ、自分のものではない内組織を持っている。


「――メンチカツが好きだったのはね、きっと『立川柚』くん。私の一つ年上の、もう1人の生還者」


 ミカンは皿を囲むように手を置いた。


「……()だって生きてるんだよ」



 ……カラッとあがったメンチカツ。すごく美味しそうなそれに、少し笑った。



「つまり、これは私の味覚じゃない。柚くんが残した『好きなもの』の記憶」

「……じゃあ、もしかして隣のサラダって」

「うん、メンチカツの前に好きだったやつ」


 揚げ物や肉の脂身……「最初の胃」があまり丈夫でなかったのか、とにかく油っこいものが苦手だったミカンに、亡くなった母がよく作っていたメニュー。


「……お母さんの十八番だったんだよね。大豆のサラダ」


 生野菜のサラダにナッツをかけることはよくあるが、それを炒った大豆を砕いて再現するような人は少ない。タンパク質といえば大豆。安直な発想ではあるが心のこもったメニューだと、その料理を『感じた』際に店主は思った。


 ……枝豆でもよかったのにとか、煮豆でもよかったのに、なんて今更思ってはいけない。

 恐らく「歯触り」や「舌触り」を重視したのだ。


 ザクザクとした食感があることで、幼かった彼女はきっと食べる楽しみを覚えた。「苦手なものがあっても、楽しくご飯を食べられるように」。

 「食べることが好きになるように」。


 ……きっと、そういうことだろう。



「……なんでこれを?」



 ミカンは店主に聞いた。

 ……こんなピンポイントで当ててくるなんて、まさか思わない。

 店主は首をすくめて正直に言う。


「言ったでしょ、特技だって。……あなたが店に入った瞬間、なんとなく豆を炒ったような匂いがしたんですよ」

「……匂い?」

「それから水気のある葉物の香り。恐らく生だ。それから……そうだな、お腹の少し上の方から、ちょっとだけひき肉と揚げ物の匂い」

「え」


 慌てたようにハチヤがすんすんとミカンを嗅いだ。


「た、食べてきてないよ!?」

「……だよな」


 朝ご飯くらいならガッツリ食べてきているだろうとは思う。

 だが、そもそもの話……。


「ズボラなミカンがそんな手の込んだことするはずないもんな……」


 油の処理が面倒だろう。


「ちょっとそれ、どういうことかなーっ?」


 女子力がないと言われたようで、変にカチンときたミカン。すぐにいつもの「やってはやり返し」が始まった。一気に騒がしくなった店内。

 ふっと店主の視界に柚が入る。……ミカン同様、イタズラ好きそうな顔はニンマリとしている。


 いつの間にかそこに普通にまざっている、その高校生。

 ああ、本気で楽しそうだ。


 だって別に、彼は自分が相手に見えてなくたっていいのだ。むしろ自分が見えないのをいいことに彼らを指差してケラケラ笑っている。

 その指を、さりげなく店主はぺきょっとへし折った。……人を指さすんじゃありません。



「……まぁ、本当にそういう特技っていうか。すみませんね、感覚的で説明しづらくて」

「わかったけど、なんか釈然としない!」


 ぷくっとふくれるミカン。


「まあ、でもよかった」


 ポカスカやられつつ、ハチヤは忍び笑いをしながら言った。


「……俺さ、メンチカツが好きになってからのミカンしか知らないから。揚げ物嫌いだったの初めて知ったわ」

「えっ……」

「ミカンって割と女の子っぽいもの好きだったんだと思っ、グヘッ」


 ……思いっきりどつかれるハチヤ。


「一言多~~いっ!」

「はい多いっ、失敬な! 一応女の子だ!」


 一応って何だ。そう思った店主は口の前でさりげなくチャックポーズをした。彼が見えているのは今のところ店主一人だけだ。妙なことを言ったらまたややこしくなるに違いない。

 ああ――どつき2回目。悪ノリした柚も参戦するが、その手は思いっきり相手をすり抜けた。


「もいっちょ!」


 ミカンのどつき4回目。柚のどつき3回目。

 しかし、と店主は思わず息を吐いた。……その、楽しそうなこと。


「痛いっつーのミカン! なんか2倍ぐらい痛い! ……でもあれだな、じゃあ、余計に柚くんに感謝しなきゃ」

「なんでよ!?」

「俺さぁ!」


 ミカンとふざけ半分の柚に殴られながらいう、ハチヤの言葉。


「メンチカツ食ってるミカンの幸せそうな顔、結構好きなんだよ!」

「へっ?」


 ……「この状況で何言ってんの?」とミカンの手が止まり、柚のこぶしだけスカッとハチヤを振り抜いた。

 柚はニヤッとしてハチヤを見た。あれは、そう。――見ていた店主はなんとなく内心を予想する。


 「言いやがったな?」という顔だ。


 ……触れることのできないハチヤと柚。柚は勿論、それを理解している。

 理解しているけれど。声は届かないけれど。

 彼は、一瞬訪れた静寂の最中……こう呟いた。



「――なら、もうちょっと感謝しろよな? メンチカツ食べるどころか、ミカンがいるの、オレのおかげだぞ」


「――そうだな。ミカンがいるのは柚くんのおかげだものな。大切にするさ」



 ……ん?



「……ハチヤ?」

「……ん? あ。……はは、何でもない」


 ハチヤは少し笑って耳をほじった。


「聞こえた気がしたんだ。『ミカンがいるのは俺のおかげだぞ』って知らない声で。空耳かな」


 ミカンはきょとんとした後、プッと噴き出す。


「なにそれ、面白いこと言わないでよ」

「怖いこと、の間違いじゃないの?」

「だって面白いじゃん、本当にここにお化けの柚くんがいたら」


 ミカンはメンチカツとサラダに向き直り、ようやく箸を持った。

 そして手を合わせる。


「じゃ……ありがとね、柚くん。いただきます」

「……どうぞ、それ、手伝ったんだぜ」


 キャベツ切るの、と柚は返事を返し、ニヤッと笑う。

 だが奇跡はそうそうもう一度は起きないようだ。

 店主は首をすくめる。……勿論それでいい。通常、死人と生者は会話ができないのがテッパンだ。世界はそういうふうにできている。



「ごゆっくりどうぞ」



 例外は、このお店だけ。

 店主は仲のいい三人から目線を外した。


 ……玄関から突き当たりにある、砂時計のオブジェ。


 下段にしか砂は溜まっておらず、常識として考えればひっくり返さなければ何も落ちないそれ。

 そもそも常人にひっくり返せる大きさでもない……そんな、何もないはずの上段から。


 ……キラキラとした流砂が生まれて、ひとかたまり落ちた。



 店主は少し笑って呟く。


「……お代、確かに!」



 この店で『現金』は意味をなさない。ただ、払われるのは時間と気持ちだけ――そう、今、貯金箱のようにたまったのは、店主の時間だ。


 ――店主の、この世から()()()()までの時間なのだ。

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