キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン/北の勇者と鬼
「お客様少々お待ちください!!」
『明太フランス』の魅力の前に、すっかり理性が消し飛んだウィルの背に、鋭い声が突き刺さった。
荒々しいポニーテールに白いTシャツ、その上から『ベーカリーカグラ』のエプロンをつけた姿のタロウが、仁王立ちで構えていた。
「それに口をつけたら、お前はお客様から犯罪者になってしまうらしいぞ!」
ウィルは一旦手を止めて、タロウに向き直る。
「何者だ!?」
ウィルが問うと、タロウは誇らしげにエプロンのロゴを指差した。
「俺は『ベーカリーカグラ』のタロウだ!お客様!めんたいフランス1つで280円になりまぁす!」
タロウの奇妙な言い回しには、理由があった。
彼の脳裏に浮かぶのは、バイト初日に店長であるヒビヤから言われた、『接客の基本』であった。
『いいかいタロちゃん。お客様は神様なんだ…どんなお客様であろうと、真摯に対応するのが、接客の基本なんだよ…』
店長…!俺は、素性もわからないこの俺を温かく迎えてくれたアンタの恩に報いて見せるぜ…!
しかし、ウィルはタロウの言葉を無視して、即座に背を向けて走り出した。
「すまない!僕、『こっち』で通用する金を持ってないんだ!」
そう言い残し、一目散に逃げ出すウィルを、タロウは観察する。
細い四肢、さほど高くない身長、警戒すべきは腰に下げた…恐らくは剣…捕まえるのは容易そうだ。
タロウは「すうっ」と息を吸い込むと、一気に駆け出し、ウィルの背に追い付いた。
「!?は、疾い!?」
ウィルが振り向いた時には、タロウは既に彼を捕まえようと手を伸ばしていた。
しかしウィルは歴戦の勇者である。殺意の篭っていない腕など、彼にとっては止まって見えていた。
彼は「ひらり」と身を躱し、細い路地へと駆け込んだ。
その瞬間、ウィルとタロウは、互いに互いの強さを認識した。
「只者じゃあないな、店員さん!」
「やるようだなお客様!」
タロウは空振りして前につんのめった身体を立て直すと、ウィルを追って路地裏に突入した。
「!?」
しかし、そこにはウィルの影はなく、ただゴミ箱や、エアコンの配管、室外機が乱雑に並んでいるのみだった。
しかしタロウは即座に理解した。彼の装備を考えると、隠れるとは考えにくい…つまり彼は、上に逃げた!
「はーっはっは!ようやく気づいたな!しかしもう遅い!ハーフエルフの身体能力を舐めるなよ!」
タロウが上を向いた時には、ウィルは既に配管を伝い、路地裏を形成するビルの屋上付近にまで登りってタロウを見下ろしていた。
高笑いするウィルを見て、タロウは即座に配管の入り組んだビルの壁に飛びつこうと、足を踏ん張った。しかし、その意に反し、タロウの両足は地面に沈んだ。
「何だこりゃあ!?」
下を見ると、さっきまで硬いアスファルトに包まれていた地面は、泥濘んだ重たい沼の様になり、タロウの足に纏わりついていた。
「さらば!名も知らぬ強き人よ!」
そう言ってウィルが背を向けた瞬間だった。
「甘いぞお客様ぁ!『骨角』!」
タロウは手足の五指から鋭い骨を伸ばし、いとも簡単に沼から身体を引き抜くと、垂直なビルの壁を突き刺して登り始めた。
「!?…お前もしかして、魔術師か!?」
ウィルはその姿を見て、驚きこそしたものの、恐怖よりも、何処か安心したような気持ちになった。
この世界にも居るのか?僕等の仲間が…!?
タロウはそんなウィルの表情を見て、得意げになっていた。
「驚いたようだな!すぐに捕まえてやるぞ!」
ウィルはその声を聞いて我に帰ると、窓の桟だけを足掛かりに、一跳びでビルの屋上まで
登り上がって見せた。
タロウもまた猛スピードで壁を登ると、2人は屋上で対峙した。
タロウは登り切った勢いのまま、ウィルに襲いかかった!
ウィルは即座に剣を抜くと、タロウの『骨角』を受け止め、払いのけた。
タロウは着地し、その青白い光を放つ剣を見る。
「ほほう!なかなかいい拵えだな!」
ウィルは切っ先をタロウに向けながら、その賛辞に応えた。
「『ドラコ・サンクトゥス』!古の竜より授かりし聖剣だ!」
タロウの半分ほどの背丈の、年端もいかない少年の姿からは想像もできないような迫力を放つ彼の構えに、タロウはめんたいフランスの事などすっかり忘れて、目の前の闘いに夢中になりつつあった。
「いいねえ!楽しくなってきた!」
タロウは好戦的な笑みを浮かべて左手を伸ばすと、掌から『骨弾』を高速で飛ばした!
高熱を帯びて迫り来る『骨弾』!しかしウィルは避けようともせずにただ一言、呟くように唱えた。
「ディヴィヌム・プレジディウム・イン・テラム…ッ!」
その瞬間、タロウとウィルの間に、巨大な樹木が出現した!
否!出現というより、この場合は「生え出てきた」が正しい。
ウィルの魔法は大地の魔法!彼はあらゆる自然を操ることが出来る!
灼熱の『骨弾』を受け止めた巨大樹は、その熱までは吸収できず、すぐに炎上した。
タロウは巨大樹を見上げながら呟く。
「おいおい、『機怪人』やら『機械鎧』やらはすっかり見慣れたが、こりゃあちょっと規格外じゃあねえの?どうなってんだこの世界…!」
立ち竦むタロウだが、ウィルもまた、タロウの攻撃力に驚嘆していた。
「驚いたな…僕の防御呪文を軽く炎上させるほどの高熱とは…相当なレベルの炎魔法だぞ…」
2人は互いに確信した。「この男は俺(僕)と同等以上の戦闘力を持っている!」
そして2人は同時に、久方振りの好敵手の出現に、思わず口の端を歪めていた。
ウィルは聖剣で燃え盛る大樹を切り裂いた。
すると、大樹を包んでいた炎は一瞬で消え去り、黒焦げの切り株だけが残された。
舞い散る火の粉の中、タロウは既に『鬼人』へと変貌していた。
「ハアァァ…いいね!俄然楽しくなってきた!シンプルに決めよう…俺とお前、どっちが強いか!」
タロウは両腕に刀の形を模した『灼骨』を構え、ウィルに向けて叫ぶ。
ウィルもまた、その恐ろしい姿に一歩も引かず、聖剣を構え直す。
「その姿…魔術師ではなく『オーガ』に近いのか?…しかしその強大な力…『北の魔王』に匹敵する程だ…僕も、本気を出さねばなるまい…!」
ウィルは聖剣を眼前に構えると、祈るように目を瞑った。
「アルミス・エト・フェッロ・イン・ドラコ!!」
この魔法は、ウィルの持つ最強の呪文…所謂「奥の手」である。
「竜の鎧」…聖剣の魔力を全身に纏い、魔力と肉体を最大限に強化する魔法だ。
しかし、北の魔王すら打ち破った彼の奥義は、今回ばかりは不発に終わった。
彼が呪文を唱え、魔力の鎧を纏おうとした瞬間である。
「ぐぅううううううう」
響いたのは、ウィルの腹の虫の、大きな鳴き声だった。
それは断末魔の悲鳴のようで、ウィルは先程まで抱えていた空腹を突然思い出し、その場で倒れてしまった。
「えっ」
タロウは俯せに倒れるウィルを見て、目を「ぱちくり」とさせた。
————————
「ぶっ倒れるぐらいに腹が減ってたってんなら、最初からそう言えばいいんだよ。まあ、取り敢えず、そいつは俺の奢りってことにしとくぜ」
「いやぁ、ありがたい限りだよ!まさか、こんなところで魔術師に会えるとはな…僕は『ウィルトゥース』…『ウィル』って呼んでくれ。ジョブは『聖騎士』…最近じゃあ北の方では、『勇者』なんて呼ばれている…君は?」
タロウは、そう言って『めんたいフランス』に齧り付くウィルの顔をまじまじと見つめながら、彼の言っていることの意味を理解しようとした。
まじゅつし?じょぶ?なんのことだろう…
「うーんよく分からねえが、自己紹介だな。俺はタロウ。シンスのタロウっちゃあ少しは通した名だと思ってたが、ここらじゃあ無名らしい。今はあのパン屋で住み込みの奉公をしてる」
タロウがそう言って困惑しているうちに、ウィルは『めんたいフランス』を平らげて、屈託のない笑顔で笑った。
「ご馳走さま!美味しかった!しっかし、この世界の奴らはいつもこんな美味いもん食ってんだなあ」
タロウは彼の言葉に共感しながら、ある一言に気がついた。
「『この世界』…?おい…あー…ウィル、お前…『お前も』、『ここじゃないどこか』から来たのか…!?」
ウィルはタロウの反応を見て、何かを察した様子だった。
「ふむ…『お前も』って言うのは、つまり…タロウ、お前もこの世界の住人じゃあ無いって事だよな?」
ウィルは顎に手をやって、「なるほどな」と呟いた。
「さっきの反応を見てわかった。タロウは、魔術師ではないんだな?」
「ああ、すまんが、そもそも魔術師ってのがなんなのかすら分からん」
「つまり、今僕達がいる世界と、俺とタロウ…それぞれの世界…最低でも3つの世界が存在するわけだ…」
そこでタロウは、一旦ウィルの言葉を遮った。
「待て待て待て、付いていけねえぞ。何だか訳知り顔だが、お前、何か知ってるのか?」
ウィルは困惑するタロウに目を向けて、少しだけ間を置いてから語り出した。
「お前は『あの声』を聞いていないんだな…?なら、僕がこっちの世界に来る前の話からしなければならない…ざっくり言うと、僕らには『使命』がある…らしい」
————回想————
「ウィル!楽しかったねえ!お肉もお酒も美味しかったし、公国のみんなも嬉しそうだったし!」
薄い水色の髪の上に、白いベールを被ったその少女は、先程までの酒宴の残り香を漂わせながら、紅潮した頬をウィルトゥースに近づける。
彼女の名は『アクア・エコピア』、ウィルトゥースの幼馴染で、共に北の魔王を討伐した『大魔導士』だ。
ウィルトゥースは、彼女が不意に顔を近づけるもので、少しだけ照れ臭くなって目線を逸らした。
「あっああ、そ、そうだな!ああいう宴の主役になるってのは少し照れ臭いが、なんて言うか…僕達が守ったものってのを実感できて良いもんだね!」
ウィルトゥースは目を逸らし、赤らめた頬を誤魔化すように、自身の左を歩いている男に、「なあ!チェレブラム!」と、話を振った。
『賢者』のチェレブラムは、その知的な顔立ちに涼しげな笑みを浮かべ、「ふっ」と微笑んだ。
「偉くなったものだな『混ざり物』…僕がいなければこのパーティは始まりの街で全滅だったのを忘れていないだろうな?」
そう言って澄まし顔をする彼の足取りは、一歩ごとにそれぞれ別の方向へふらふらと差し出されていた。
彼は酒に弱いのだ。
ウィルはそんなチェレブラムを見兼ねて、「おっと」と、肩を支える。
「まぁ、確かにチェリィの回復魔法がなけりゃあ、僕達も何回死んでたかわからないもんな!本当、感謝してるぜ」
チェレブラムはウィルに支えられながら、顔を真っ赤にして声を荒げた。
「チェリィと呼ぶな!だいたい貴様!雑魚のくせにいっつも無茶ばかりしやがって!今ここに立ってるのが奇跡みたいなもんなんだぞ!」
腕を振り回して喚くチェレブラムを、アクアが「まあまあ、夜中だよ?」と窘める。
しかしチェレブラムは御構い無しに大声を出し続けた。
「…魔力だってエルフの半分しか無かった癖に勝手に前に出てきやがって…ぐずっ…みんなよりいっぱい怪我して…その内に…えぐっ…勝手に強くなっていきやがって…うおおおおおおん」
チェレブラムはしゃべっている内に、嗚咽を抑えようともせずに泣き出した。
完全に泣き上戸だ。
ウィルとアクアは顔を見合わせて微笑んだ。
長い旅路の中、失った物も沢山あった。道半ばに倒れていった仲間達、僕らを導いてくれた古の竜、敵だった魔王軍の魔物達の中にも、心を通わせることのできた者が何人かいた。
様々な出会いと別れを繰り返し、この三人で旅を続けたからこそ、魔王を倒すことができたのだ。
そんな万感の思いを抱き、三人は肩を寄せ合った。
「なあ、不思議な事が起きてるんだ」
広がる星空の下、三人で焚き火を囲んでいたところ、ウィルが出し抜けに喋り出した。
「なあに?突然に…」と、アクアが眠そうな顔で首をかしげる。
チェレブラムは、既に酔いつぶれて、「ぐーすか」といびきをかきながら眠っている。
ウィルは揺れる火を見つめながら微笑む。
「この旅はさ、ずっと傷ついてばっかで…安らぐ時間なんてこれっぽっちも無かった筈なんだよな…なのにさ…振り返ってみるとなんだか、とっても楽しかったような気がするんだ」
アクアは、そう言って遠い目をするウィルの、どこか寂しげな横顔を見つめて、胸が締め付けられる思いをした。
「なんだ、そんな事か」
不意に、眠っていた筈のチェレブラムが喋り出した。
ウィルとアクアは驚いて彼の方を向く。
彼は毛布にくるまったまま、背を向けて喋り続けた。
「ウィルトゥース…アクア…僕はな、貴様らと旅を始めた時から、ずっとずっと楽しかったんだぞ」
それだけ言うと、彼は再度いびきをかきはじめた。
「え…?チェリィ…?寝言…?」
ウィルが困惑する。
一方アクアは、チェレブラムのアグレッシブな寝言よりも、ある一言に衝撃を受けていた。
「ウィルトゥース…って言ったよね?今…チェリィ!?起きてるんでしょ!?ねえ今ウィルのこと、ちゃんと名前で呼んだ!?」
チェレブラムは寝返りを打って背を向け、より一層大いびきをかきはじめた。
すっかり眠気の覚めたアクアは、ウィルの肩を揺すって、慌ててまくし立てた。
「ねえ聞いた!?ねえねえ!初めてだよね!チェリィがウィルの名前を呼ぶなんて!いつも『混ざり物!』とか『貴様!』なのに!ねえ!」
ウィルもまた、突然の事に戸惑いつつも、「ははっ」と笑った。
焚き火の薪が「パキッ」と弾け、夜は更けていった。
全員が眠りに落ちてから幾ばくか過ぎ、ウィルは、突然に目を覚ました。
気がつくとそこには他の二人の姿は無く、それどころから、星空も、焚き火も、身につけていた服さえ無くなっていた。
真っ白な空間に、全裸で1人。
最初に彼は、この状況を夢かと考えた。しかし、あまりにも鮮明な感覚から、これが現実であることを確信できた。
『意識はありますね?』
何処からか、女生とも男性つかない声が響いた。
ウィルは即座に立ち上がり、周りを見渡す。
体の感覚ははっきりしている。幻覚の可能性が低いとすれば、幽閉された危険性が高い。
「ここは何処だ!?アンタの目的は!?」
ウィルは、恐らくは自身をこの状況に追いやった犯人であろう人間の姿を想像しながら叫んだ。
すると突然、目の前に、脂肪の少ない子供のような体つきの人間が現れた。白い布切れを纏い、その隙間からは、かすかに骨の浮いた胸元や、筋張った太腿が覗いている。そしてやはり、男女どちらとも取れる風貌をしていた。
唯一通常の人間と違うのは、その頭に、竜のような角を生やしていることだった。
「子供…!?君は一体誰なんだい?どうしてこんなところに僕を?」
その子供は、あどけない顔に一切の感情を露わさず、先ほどの男女どちら付かない声で語り出した。
『子供…に、見えているのですね?貴方が望んだから、貴方は私を認識した。…貴方が質問しているのは、私の目的についてです。…答えましょう。貴方は今から、別世界に召喚される。そして、使命を果たすのです』
ウィルは突然の事に言葉を失った。と言うより、ウィルには、この子供が語っていることの意味がわからなかった。
しかし現実は、常に理解を待ってくれない。
ウィルが呆然としいるうちに彼の視界は渦を巻き、身体を強く引っ張られる感覚を覚えた。
「ま、ちょっ…まって!使命?別世界!?何の話…ああああああぁぁぁぁ…」
風呂の栓を抜いた時の、排水溝周りに浮いた髪の毛になったような気分だった。
ウィルは薄れゆく意識の中、必死で先ほどの言葉の意味を考えたが、さっぱりわからない。
『世界に危機が迫っている…使命を果たすのです…』
———————
「何なんだそいつは…意味深な事言うだけ言ってさっぱり要領を得ないじゃないか…」
タロウはウィルの言葉を聞いて、腕組みをして呟いた。
「うん、信じてくれなくても大丈夫だ。とにかく、僕は正直に話したつもりだよ」
タロウは、そう言って俯くウィルが、余りにも寂しげに見えたので、思わずその金色の頭を「ぐりぐり」と撫でた。
「いや、信じるよ。まあ、大体、ここ最近信じられないことばかり起きてるんだ。もう何があっても驚かねえよ」
ウィルは「ぱっ」と表情を晴らして、照れ臭そうに頷いた。
「なんだ、タロウ。君、意外といいやつなんだな」
タロウはウィルの言葉に、「『意外』は余計だな」と、苦笑した。
「それに、『世界の危機』ってやつは、大体目星が付いている…」
ウィルがその言葉に「どういう意味だ?」と質問をしようとした時、どこからか、複数人の悲鳴が聞こえた。
「きゃあああああああ!」「助けてくれええええ!」
2人は同時に悲鳴が聞こえた方向を向く。
「「お前にも聞こえたか!?」」
声が重なり、2人は再び同時に顔を見合わせた。
今の声は、間違いなく助けを求める声だった。
タロウもウィルも、世界は違えど、助けを求める声を無視する事は出来ない人物だった。
2人は、やはり同時に、屋上から飛び出した。