スタンド・バイ・ミー/ヒーローじゃない
「何者だ…!?」
マキナは『ガングローブ』の銃口を向けて、その男の正体を問う。
しかし、男は「きょとん」として、不思議そうな顔でその銃口に手を触れた。
マキナは男の突飛な行動に動揺し、思わず引き金から手を離し、銃口を逸らした。
「な、な、な、なんだお前!?コレが何なのか解っているのか!?銃だぞ!?怖がれよ!」
マキナの疑問も最もであるが、その男にとって彼女は、『何だかよくわからない物を振り回しながら、何だかよくわからない事を喚く女』に他ならない。
「あー…取り敢えず、自己紹介だ。俺の名は『タロウ』…まあ、今は、宿無しの浪人ってところかな」
マキナは自身の記憶を検索し、『タロウ』という名前の人物を探る。
当て嵌まる存在は、著名な音楽家、昔話の主人公、巨大ヒーロー、ラッパー 、果ては小惑星までヒットしたが、どれも『鬼』に変身する様な事は無い人物だった。
マキナが逡巡しているうちに、タロウはヘラヘラと彼女に歩み寄ってくる。
「なあ、そんなに怯えるなよ。まあ気持ちは分かるあんな怪人に襲われて混乱してるんだろ?大丈夫、俺も最初はそうだったが…」
タロウからしてみれば、この少女の姿は、初めて見る世界に怯える生まれたての小動物の様に見えているので、彼は自らに対して敵意を丸出しにする彼女を、猫撫で声と、精一杯の優しい笑顔で宥めようとしていた。
しかし、マキナからの目線には、突如現れた鬼に変身する怪しさ満点の男が、ニヤニヤと気持ちの悪い笑顔を浮かべながら自分に近づいている光景が映っている。
言うなれば、狂人との邂逅である。
「それ以上近寄らないで!さも無いと…」
マキナは再度『ガングローブ』の拳銃モードを構えると、大声で威嚇した。
しかしこの状況は、拳銃と言う存在を知らないタロウにとっては、少女が錯乱し、おもちゃか何かをこちらに向けている図に過ぎない。
タロウは思わず吹き出した。
「ぶは!オイオイ『さも無いと…』何だ?その棒っ切れで叩いちゃうぞってか?…ったく、せっかく助けてやったんだか…」
「バァン!」と、タロウの言葉を遮る様に銃声が響いた。
銃弾はタロウの顔の数センチ横を掠め、後ろの壁に穴を開けた。
反響する銃声が、2人に沈黙をもたらす。
タロウはゆっくりと振り返ると、「マジで?」と、呟いた。
マキナは、煙の立ち昇る銃口越しに、タロウを見つめて言った。
「次は当てるわよ」
タロウは一瞬にして、『それ』が威嚇に充分な威力を秘めている事と、この少女が只者では無い事を察した。
落ち着きを取り戻したマキナは、その場に固まるタロウに、イライラと言い放つ。
「あまり舐めないことね。『タロウ』って…何よ、その偽名丸出しの名前は。それとも何?『名乗るほどのもんじゃありません』って、ヒーロー気取り?」
挑発する様に首を傾げる彼女に、今度はタロウの方が恐怖を覚える番だった。
しかしながら、彼は恐怖以上に、『ヒーロー』と言う言葉に引っかかる。
『ヒーロー』…大体の場合は、「悪を倒す」だとか、「世界を救う」だとか言った、華々しい活躍をした人間の事をそう指すのだろう。
事実、自分はヒーローだったと、彼は回想する。しかし彼は、失敗した。
ヒーローになどなるべきではなかったのだと、後悔している。
「いいや、俺は…ヒーローなんかじゃないよ…」
彼は、自分に言い聞かせる様に言った。
マキナはそんな彼の様子を訝しみながら、「でしょうね」と、言う。
「態度や見た目がそんな感じじゃないわ。ヒーローって言うのは、容姿端麗、真面目で誠実な人間がやるものよ」
タロウはマキナの言い放った理不尽すぎる一言を聞いて、「はあ?」と、片眉を吊り上げた。
「見た目は関係ねえだろ!?余計なお世話………ああ!?」
彼の反論をまたもや遮る様に、今度はサイレンの音が鳴り響く。誰かが騒ぎを聞きつけ、通報したのだろう。
「チクショウこの音!俺を追い回してくる青服達の音だ!クッソめんどくせえ!」
タロウは頭を掻き毟ると、サイレンの方向とマキナとの間を交互に見ると、「おい!」と声を上げた。
「いいか!俺はヒーローなんぞじゃあねえが、ただ、助けたかった!それだけだ!もう会うことはねえだろうが、じゃあな!」
それだけ言い残すと、彼は全力で走り出した。
マキナは唖然として彼を見送る。彼は1秒もしないうちにトンネルの向こうへ消えてしまった。
その内にパトカーが2台ほど到着し、中から警察官が数人出てくる。
マキナは急いで『ガングローブ』をベルトに挟むと、通りすがりの一般人のフリをして、駆け寄ってきた2人の警官に対応した。
「…ええ…はい、そうです。たまたま通ったら奥で大きな音が聞こえて、中に入ってみたらこの怪人の死体が……」
そうして事情聴取をやり過ごしている内にも、マキナの頭の中に、タロウの去り際のセリフが反響していた。
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一夜明けて、朝の7時。
マキナは昨晩ずっと、昨日会った男『タロウ』の事を考えていた。
コミックか時代劇でしか見ないような、小汚い浪人の様な格好、変身能力、そして何より、去り際のあの言葉…「ただ、助けたかった」…この言葉は、嫌でも、お兄ちゃんを思い出す。
そんな事を考えながら、彼女はパジャマを脱ぎ、さほど手入れの行き届いていないブラウスに手をかけた。
マキナの兄は、『安東マサト』は、彼女にとって、そして、この世界の人々にとっての「ヒーロー」だった。
モデルのような容姿もさる事ながら、その高レベルの頭脳と身体能力、そして何より、困った人を見捨てない精神性は、みんなの憧れの的だった。
「人間1人がヒーローになれる瞬間なんて、一生に何度も訪れるもんじゃないんだ。だから僕は、数少ないチャンスに、助けられるのなら、出来るだけ多くの人を助けたいんだ」
安東マサトが、口癖の様に言っていた言葉だ。
どこまでもお人好しな男だったが、マキナ自身、そんな兄の事が大好きだった。
マキナは半裸になって、ブラウスの袖をひっ摑んだまま、ぼんやりと兄の事を思い出していると、はっと気づく。
…思い出せば思い出す程、昨夜の男…タロウとは、似ても似つかないな。
「さて、とっとと着替えて、学校行きますか」
マキナはそう呟くと、急いでブラウスのボタンを閉めて、スカートを履き、ブレザーに袖を通す。
カバンを掴んで玄関に向かい、ローファーに足を突っ込み、爪先で「トントン」と、軽く地面を叩き、強引に踵を入れた所で、靴箱の上に置いてある写真へ向けて笑顔を作った。
出来る限り、兄の様な快活な笑顔にに見える様に。
お兄ちゃん…私ね、お兄ちゃんの『バスター・ガングローブ』と、『機械鎧』を受け継いで2年になるんだけども…何だかまだまだ、追いつける気がしないや。
マキナは心の中でそのようにぼやいてから、「行ってきます」と、誰もいないアパートの一室を後にした。
アパートを出たら突き当たりの角を右に曲がり、『七不思議の道祖神』の丁字路を左、大通りに出てまっすぐ…代わり映えのしない、いつもの通学路。
マキナは、兄の守護った世界が、今日も変わらない事に満足していた。
「マーっキナ!おっはよ!」
不意に、誰かが背後からマキナの肩を叩く。これも、いつもの光景。
マキナは振り返り、クラスメイトの少女に挨拶をする。
「おはようハル。今日もいい天気だね」
ハルと呼ばれたその少女は、栗色の、天然パーマがかかったもじゃもじゃ髪をくるくるといじりながら笑う。
「うんうん、今はいい天気だけど、私の頭の天気予報士さんは、午後から雨だって言ってるよ!」
マキナは、ともすれば自虐とも取られかねないハルの冗談に思わず吹き出した。
「ふふ、たしかに今日は一段とふわふわしてて可愛いわ」
マキナは、肩まで伸びたハルの毛先をモフモフと持ち上げながら微笑む。
ハルは満足げに頷いた後、少し首を傾げた。
「よろしい…もっと褒めなさい…褒めてるのそれは?」
マキナは顎に手をやって、少し考えるそぶりをしてから言う。
「うーん、まあ、受け取り方次第よね、何でも」
「言葉を濁すな言葉を。あっそういえばさ、マキナちゃん、少し寝不足?」
ハルは、突然思い付いたように言い出した。
通常、昨夜程度の事象であれば、外見に目に見えてわかるような変化が出ようはずもない訳であるが、付き合いの長い彼女には、何でも見透かされてしまう。
マキナは、「まあ、少しね」と、目線をそらす。
ハルは、そんな彼女を横目で見ながら口を尖らせた。
「父さんが心配してたよー、バイト先からわざわざ例のトンネル通って帰ろうとしてるんだから。今朝、新聞にも載ってたんだよ。あれ、マキナちゃんでしょ」
マキナは核心を突かれ、「ぐっ」と、呻き声を上げた。
「情報が早いわね…天気予報に続いて、まるでワイドショーだわ」
はぐらかそうとして皮肉めいた台詞を吐いたが、ハルがあまりに「じどーっ」と見つめるので、観念して謝った。
「ごめん…我慢できなくて」
ハルは、マキナのバイト先である『ベーカリーカグラ』の1人娘だ。
マキナの兄『マサト』と店長である神楽坂さんは、『機械帝国』との戦い以前からの付き合いで、機械いじりが得意であることから、2年前の戦いでは、よくサポートもしてくれた。
そんな経緯もあることから、この親子はマキナ達兄妹のことを、実の家族のように大切にしていた。
ハルは、横を歩くマキナを見上げながら、低い声で言った。
「もう、危ない事にすぐ首突っ込むんだから…マキナに何かあったらね、私達、マサト兄ちゃんに顔向けできないよ」
兄の名を出されたら弱い。マキナは、手をもじもじと弄りながら顔を伏せ、言い訳がましく言う。
「ごめんて…でも奴らの残党がさあ…」
弱々しい言い訳を遮るように、ハルはため息をつく。
「まあ、マキナちゃんがヒーローなのは、マサト兄ちゃん譲りだからね、私もそういうところに救けられたし」
そう言うと、ハルは重くなった空気を変えようと、話題を転換した。
「それで?今度の機怪人はどんなのだった?この前のは何だっけ?ナマコード?」
「あー、ナマコードの事は思い出したくないわぁ…えーと、昨日のはね、スピーカーのついた蝙蝠と、ワイヤーを出すモグラだったわね」
「中級と低級ってところかあ…毎度雑な組み合わせで作られてるね」
「まだシチュエーションにあってるだけマシよ。ナマコードなんて、ナマコのくせに電車に乗ってに現れたんだから」
そんな会話を続けながら通学路を歩いていると、ふと、数メートル先の植木に、ボロ布か何かが引っかかっているのが見えた。
「何だろあれ」と、ハルと話し合って近づいてみると、それがボロ布ではなく、人であることがわかった。
「!?これ、人だよ!不審者だあ!」
真昼間から木登りに勤しむ人物に怯え、思わず甲高い声を上げたハルに驚いて、その不審者は「ビクン」と木を揺らした。
動揺してマキナの背後に隠れる彼女に対し、マキナは、既にその不審者の正体を看破していた。
「タロウ…だっけ?何やってんのよアンタ」
マキナが声をかけると、その不審者は振り返り、げっそりとした、無精髭の生えた顔を彼女に向けた。
「おや…昨日の小娘じゃねえか…」
眠そうな口調で喋るその姿は、昨晩の飄々とした男とは正反対に、とても弱々しく見える。彼は昨日から、もっと言えば、この数週間、何も食べていなかった。
マキナは、タロウの物理的な上から目線に、違和感と苛立ちを同時に覚えていた。
「誰が小娘よ。私は『安東マキナ』、高校三年生よ」
「コーコーさん?小娘は小娘だろうがよ。こんなところで何やってんだ?」
「こっちのセリフだけど!?私達は通学中!アンタは木登り中で客観的に怪しいのはそっちだよ!」
マキナが声を荒げたところで、2人の顔を交互に見てオロオロとしていたハルが口を挟んだ。
「え、何?マキナ、知り合いなの?え、彼氏?まさかのカレシ???」
マキナは、「それはない」ときっぱりと言い切ってから、昨晩のことを説明した。
ハルは「ふーむ…」と唸って、しばらく考え込むように黙ってしまった。
真面目な顔で唇に人差し指を添えているが、恐らくこれは、いつもの『ロクでもないことを考えている顔』だ。
一方タロウは、呆れた顔でマキナを見下ろし、自身の跨っている枝の先を指差した。
「何やってるって…見りゃわかんだろ?そこにいる小動物が…」
そこまで言いかけたタイミングで、彼の腹が「ぐぅううう」と大きな音を立てた。
マキナは「はっ」として、枝の先を見る。
タロウが指で示した先では、子猫が毛を逆立てて、「ふしゃー」と、彼を威嚇していた。
「ま、まさかアンタ…!そんな小さな命を食べようと…!」
マキナが怯えた顔で口走ると、タロウも声を荒げた。
「ふざけんな!こいつが木から降りられなくなってたから救けようとしてたんだよ!」
豪快に腹を鳴らしながら、焦点すら定まらない疲れた目でそんなことを言うタロウに、マキナは、溜息を吐きながら近寄った。
「呆れた…そういう事ならね、こうすればいいのよ」
マキナはそう言って木の前で脚を止めると、鋭い後回し蹴りを放った。
「わお」と、ハルが小さく声を上げた。
およそ普通の女子高生然とした、その細脚から繰り出された威力とは思えない程の衝撃が木に走り、そのまま倒れかねないほどの勢いでグラグラと揺らされる。
「ちょっバカ!揺らすな!落ち…あああ!」
タロウはそのまま揺れに負け、枝から落ちる木の葉や小虫と共に落下した。
「どさん」と大きな音を立て、腰からアスファルトに落下すると、タロウはすぐさま子猫の安全を祈るように顔を上げた。
見ると、舞い落ちる木の葉の中、マキナがスマートに子猫だけをキャッチしていた。
「初めからこうすりゃ良いのよ。アンタ、力は強くても、頭の方はあんまりなのね」
ここぞとばかりにタロウを見下ろし返し、得意げな顔をするマキナに、タロウは安心したように長い息を吐き出してから、「危ねえじゃねえか」と、呟いた。
「なによ?文句でもある?」と、言うような笑顔を向けるマキナに、タロウが「お前なあ…」と言い出そうとしたところで、片手にスマホを持ったハルが割って入った。
「あのっ!タロウ?さん!見慣れない服装ですけど、何かのコスプレですか!?それとも、民族衣装とか?よく見ると和装とも少し違うし…あっ、ここら辺の人じゃないですよね?そもそも何処の出身で?あっそれとマキナとの関係は…」
ハルは、矢継ぎ早に質問のマシンガンを掃射した。
突然視界に割り込んできた少女の、余りにも好奇心に溢れた瞳に気圧されつつも、タロウは、マキナの方を見て「何?こいつ」と問いかけた。
結果として、「友達」という余りにシンプルな答えが返ってきた事で、タロウは逆に警戒心が解けて、質問に応じる姿勢を見せた。
「えーと…何から答えりゃいいか…まず、俺の出身は『キツビ領シンス』で、服については、…俺からしてみりゃお前らの方が不思議な服だ」
そこまで答えたところで、ハルは手元のスマホに、「キツビ…聞いたことない国だな…ふむふむ…文化圏の違い…と」などブツブツ言いながら、急いでメモを取った。
そこでタロウは、思い出したようにハルの手のスマホを指差して言った。
「あっ、またその板か。なあ、今度はこっちが質問してもいいか?何だってここら辺の奴らは、事あるごとにその板をなぞっているんだ?おまじないか何かなのか?」
ハルはスマホ操作の手を一旦止めると、スマホとタロウを交互に見て、嘲りを含まず、純粋に驚いたとしたような顔をした。
「…んん?知らないの?スマホ(これ)。ほら、こうしてメモしたり、離れた相手と喋ったりとか、あと…私はあんま使わないけど、ゲームとか、写真とか…」
ハルは戸惑いつつも、スマホの画面をタロウに見せて、スワイプして見せた。
「うおおっ!何だこりゃ!絵が動いた!!」
タロウは驚いて腰を抜かさんばかりに仰け反った。
「ここは本当に現かあ?こんなもん誰でも持ってるなんて信じらんねえ…」
ハルはタロウ反応を見て、何か得心のいったような表情をし、対照的に、マキナは呆れたように「いつの時代よ」と呟いた。
「いやあ小娘よ。俺はずっと驚きっ放しだぜ。昨日、お前が持ってた短筒といい、この板といい、それにあの怪人たち…一体どうなってるんだ?」
マキナはタロウの質問を受け、眉間に皺を寄せた。
ハルは、「何だ、昨日の夜、例のトンネルにいたのね」と、1人納得している。
少しの沈黙の後、マキナが口を開いた。
「奴らは『機怪人』…生物と機械の融合体ってとこね。2年前、私と…ヒーローだった兄が滅した悪の組織『機械帝国』の残党よ」
その答えを受け、今度はタロウが唖然とする番だった。
「…おお、よく分からんが、じゃあ…昨日のあれは残党狩りの最中だったって事か…んん?待て、『ヒーローだった』?妹のお前を闘わせて、そのお兄ちゃんは今、何やってんだ?」
タロウはゆっくりと情報を咀嚼しつつ、マキナに問いかけた。返答はあっさりしたもので、或いはわざと無感情に努めたのか、「死んだわ。闘いの中でね」と、抑揚のない声で返ってきた。
「じゃあ、お前はたった1人で…」
マキナはタロウの驚愕と憐憫の目線を受けながら、「馬鹿にしないで、子供じゃあないわ」と、溜息交じりに微笑んだ。
「私にはね、闘う力があるの。お兄ちゃんが遺してくれた『鎧』と、何より、ヒーローの魂。お兄ちゃんが死んだあの日から、私はヒーローを受け継いだのよ」
毅然とした表情でそう言い切ったマキナの声色が、聴覚の優れたタロウには、何故だか頼りなさげに聴こえ、思わず「なあ、俺も…」と、口をついて言葉が出かけた。
「俺も…何?手助けなんて必要無いわ。アンタはなんだか不思議な力があるようだけど、『受け継いだ』のは私…!」
語気を強めるマキナに、タロウも少々苛立ちを覚えた。
「あ?おい何か勘違いしてんじゃねえか?さっきのもそうだが、お前の言うヒーローって奴はよお…」
タロウがマキナに詰め寄ろうとしたところ、突然、ハルが背後からマキナの袖を引っ張り、「ぐい」と引き寄せた。
「マキナ!急がないと遅刻するよ!」
マキナが「あら?」と腕時計に目をやると、既に始業のチャイムは五分前に迫っていた。
「ごめん!タロウさん!もうあと5分しかないや!…質問に答えてくれたお礼に、これあげる!お腹空いてたんでしょ?」
ハルはそう言うと、カバンの中をごそごそと漁り、ビニール袋に包まれた、楕円形のパンを取り出した。
「はい!これあげる!うちの試作パン『納豆フルーツしるこパン』!」
タロウは何が何だかわからないまま受け取ると、「あ、ありがとう」と呟いた。
マキナはその光景を見て、横から物欲しそうに声を上げた。
「あー!それ、昨日店長が言ってた試作!美味しそう!こんな奴にあげちゃうの?」
「いいの!『出来る範囲の人助け』!マサト兄ちゃんが、いつも言ってたでしょ?」
「私のぶんは?」と、物欲しそうにごねるマキナを、今度はハルが急かした。
「ほら!さっさと行かないと!あと五分で遅刻だよ!」
パタパタと足踏みをするハルに背中を押され、マキナは去って行った。
街路樹の下には、怯えきった子猫と、パンを持ったタロウだけが残された。
タロウは、唸り声を上げる子猫を宥めるようにそっと撫でると呟いた。
「あいつ…お前の事、全然見なかったな」