この体朽ち果てても
ずっと昔から、私の世界は「哉多」だった。
生まれる前から、そして生まれてからもずっと。
何をするにも全部一緒。
でも「哉多」が摩羯神の跡取りに選ばれてから、道は分かれてしまった。
だから……。
××××
バタバタバタ
廊下を疾走する足音を聞いて、少女は眉を寄せた後軽く肩を竦めた。
「菜砂!」
ノックもせずに部屋に飛び込んできた聖水に視線を走らせると、菜砂は深く溜息を吐いた。
「何……?」
所属や役割は全く違う上に特別な接点もなかった二人だったが、王宮で偶然出会ってから早三年、結構仲は続いていた。
「噂を……聞いたの」
息を切らしながらも紅茶を飲みながら読書に勤しむ菜砂に詰め寄り、聖水は偶然耳にした噂の真偽を目の前の友人に問い詰めた。
「本当よ……王に思いのほか気に入られてね。今度の私の誕生日に摩羯神から王族に移動するの」
どうとでもない事のように告げられた菜砂の言葉に、聖水は困惑気な表情を浮かべた。
「だって……だって菜砂は!」
驚愕に声を上げた聖水に、菜砂は真剣な瞳を向けた。
「そう、だから」
信じられないほど冷静な菜砂に、聖水は恐る恐る訊いた。
「……どうして?」
聖水の言葉にひとつ溜息をつくと、菜砂は持っていた本に栞を挟み、聖水を座るように促した。
「どうでも良くなった……のかな」
一言そういうと、菜砂はカップに口を付けて続けた。
「私にとって世界は“哉多”ただ一人。だけど哉多……彼にとっての世界は“私”じゃないの。私は哉多を愛してるけど、哉多にとって私は双子の妹。いずれ誰かを娶る哉多を、私は近くで見たくは無いの」
そこまで話して言葉を切ると、菜砂はカップの中身を飲み干した。
「私はたぶん一生、哉多以外の人間を愛せない。でも、それは絶対に許されない事だから……だから摩羯神から離れるの。誰よりも、哉多の邪魔をしないために」
ポツリと呟くように付け足された言葉に、聖水は困惑しながらも口を開いた。
「でも……菜砂はそれで良いの? 王のモノになるってことは、一生……」
聖水の言葉の途中で菜砂は首を振り、ただ静かに告げた。
「この体躯が王の所有物になっても構わない……私の心は哉多のもので、私の想いは私だけのものだから」
「決め、たんだ……」
しばらくの沈黙の後に訊かれた言葉に、菜砂はただ静かに頷いた。
「決めたの」
告げられた声は何よりも静かで、聖水は息を吐いた。
「辛い、ね……」
独り言のつもりで呟いた聖水の言葉に、菜砂は無意識のうちに口の中で言葉を紡いだ。
―そうでも、無い。
その言葉は囁くように小さく、聖水には届くことは無かったけれど。