貴方の傍で眠る幸せ
「ど……して」
いまさら、そんな言葉を口にしてみたところで、全てはもう、終わりを迎えてしまった。
ただ一つ、分かっていることがあるとすれば、それは……。
××××
「っ……は、ッ」
ぱた、ぱた
息もするのももどかしげに血を滴らせている少女は、気だるげな足取りで王宮内の旧区画と呼ばれる神殿に向かってゆっくりと歩を進めていた。
常ならば鎖骨の辺りで止められているマント代わりのケープは、ズタズタに引き裂かれていて辛うじて肩に引っ掛かっているに過ぎない。
少女が着ている制服の袖やすその部分は、無理に引き千切られたかのように裂けていて服の機能を果たしてはいなかった。
「けほっ」
壁に寄りかかるようにして歩いている少女の右腕は力なく垂れ下がり、肩の周辺は少女の血で赤黒く変色していた。
頬や足には幾つもの裂傷が走り、左の足首は原型が留まっていないほどで、少女が自分の足で歩いている光景が不思議なくらいだった。
夥しいほどの血の量。
けれどそのどの怪我も少女の致命傷となっている脇腹の傷よりは幾分、軽く見えた。
ぱた
左腹部は恐ろしく深く抉られ、どす黒い血がとめどなく流れ落ちていた。
噎せ返るような血の臭いと共に、誰の目から見ても少女の命は今にも燃え尽きそうに思えていた。
どんなに訓練を積んだ人間であっても意識を失っても当然とも思える怪我にもかかわらず、少女は重く感じる体を引きずりながら、旧地区内の神殿に安置されている一人の青年の元まで歩き続けた。
「か……づ、さ……」
死者とは思えない、まるでただ眠っているだけのような香章の姿に、少女―真愛は微笑を浮かべた。
―皇女護衛―
その任を受けた者の中で、真愛と同時期に護衛の任を拝命したメンバーは真愛以外、誰一人として生き残ったものはいなかった。
××××
王国に不穏な空気が漂い始めた頃、香章が任務で命を落とし、第一皇女が姿を消した。
煌は想い人でもあった第二皇女を守って命を落とし、妖水は第一皇女付きの仕官を匿ったとしてその立場を追われた。
真愛が心を許していた者たちは、誰一人としてこの王国内には存在しなかった。
だから、だろうか……。
「どうして……こんな、事に……」
誰にも聞こえないような僅かな声で、真愛は香章の髪を梳きながら、囁くような声で呟いた。
香章が命を落とす少し前―王国に漂う不穏な、不吉すぎるあの空気。
あの頃から全ての歯車は狂いだし、どこかに偽りを内包したまま、誰も止めることなくここまで進んできてしまった。
「私だけ、残っちゃった……でもね、私も、もうすぐ……」
バタバタ
言いかけた真愛の耳に、神殿の入り口の辺りから聞こえるのだろう、複数の人間の足音と人の声が飛び込んできた。
その音にどこか困ったように、さびしげに微笑んだ真愛は、眠り続ける香章の唇に軽く口付けた。
「ず……と、ずっと……愛して、ます」
囁くように口付けた真愛は、香章の横たわっている台に体を持たれかけさせ、眠るように目を閉じた。
「……かづさ……」
弱々しく、一番大切な人の名前を呟くと、真愛の閉じた目からは涙が一筋、零れ落ちた。
××××
「血! 血の臭いがする……真愛様!」
バタン
鎮魂の間、と呼ばれる場所の扉を勢い良く開いたのは、真愛たちと同じく公大家を生家に持つ、後任の仕官の少女だった。
扉を開いた少女は、その瞳に映る光景に呆然と立ちすくんだ。
「真愛、様……」
彼らの瞳に映ったのは夥しく広がる血の海に座り、愛する人が眠る台に体を預けて眠る、前任仕官の唯一の生き残りであった真愛。
安らかに眠りに付いた、彼女の姿だった……。




