さよならの代わりに
「我が声に従い、我が望むままに応えよ。異界より出でにしもの、我が手の中に――」
――ぽふん――
陣の中で詠唱を唱えていた妖水の右手には、先程までなかった地上製の縫いぐるみが召喚されていた。
「……すごいな妖水、もうそんな召喚術まで使えるようになるなんて」
感心した様な従兄の言葉に妖水は軽く息を吐き、食い入るような視線を送る妹に縫いぐるみを贈呈し、左手に持っていた書物を閉じた。
「でもまだまだかな……李矢ほど大きなものは召喚できないし」
どこか悔しそうに溜息を付いた妖水に、李矢は困ったように微笑んだ。
「とはいっても召喚術は始めたばかりだろう。始めたばかりで同じように召喚されたら、それの方がショックだよ」
苦笑い交じりに言われた言葉に、妖水は頬を膨らませて李矢の腕に飛びついた。
「だって……李矢は生きているものの召喚と転送まで出来るでしょ。ずるい」
普段は隠している、本来の年齢よりも幼いような妖水の甘えに苦笑し、李矢は妖水の手から本を受け取った。
「ほら、今日はお祖父様に呼ばれているだろう?」
子ども扱いと変わらない、そんなはぐらかすような李矢の態度に頬を膨らませると、妖水は李矢から離れた。
「お祖父様がこんな時期に呼び出すなんて……李矢は何か聞いてる?」
「なるべく急がせるようにと言われだけたから何も……」
妖水の言葉にどこか苦笑しながら、李矢は語尾を濁して妖水を部屋から連れ出した。
××××
「は?」
告げられた祖父の言葉に、妖水は思わず聞き返した。
そんな妖水の態度に一つ溜息を付くと、妖水の祖父―獅子導の現在の長―は先刻と全く同じ言葉を紡いだ。
「妖水、お前に見合いの話しがある。摩羯神と深双魚、どちらも優秀な人物で摩羯神は王直属の部隊に――」
告げられる言葉に思わず祖父を睨み付けた妖水は、無言で立ち上がった。
「妖水!」
「お祖父様、それは本気で仰っているのですか?」
殺気を孕んだ瞳で射抜かれ、妖水の祖父は深く溜息を吐いた。
「お前も今年で十七、筆頭王宮魔道士になって直に二年になる。このまま仕官として王宮にいるのなら、地盤を固めなくてはならないだろう」
「……二年半前、それが嫌で家を飛び出したのをもうお忘れですか?」
冷えた目で睨み付ける妖水に、祖父は妖水の頑固さに眉間を押さえた。
「お前が李矢の事を想っているのは重々承知だ。だがそれは認めるわけにはいかん」
「何故ですか、従兄妹同士での婚姻は認められています。兄様方にも反対されていません。結婚の自由と私の意志を尊重するという約束で私は筆頭にまで上り詰めました。私に課された条件はクリアさせておきながら、約束の一つも守らないおつもりですか?」
頭ごなしに反対する言葉に妖水にしては珍しく感情を荒げ、思いをぶつけた。
「……李矢、あれは二年前に金牛門の菜亜と婚約した――来月式を挙げる」
それまで知らなかった事実を突きつけられた妖水は、呆然と祖父の顔を見つめた。
「李矢が話すと思っていたのだがな」
そして深く溜息を付くと、硬直している妖水に視線を戻した。
「……わかりました。返事はなるべく早くできるようにします……もしも沿わない時は両方ともお断りしても問題ありませんね?」
先程とはまるで別人のような冷静な態度を取り戻した妖水は、祖父が頷いたのを確認するとそのまま扉へ向かった。
「私はすぐにでも王宮に戻ります……両家に返事を返す前に一度、こちらに連絡を入れますので」
淡々と用件だけを告げると、妖水はくるりと踵返した。
××××
「妖水……」
部屋に戻り王宮へ戻る荷造りを終えた妖水は、書庫に場所を移し書物を梱包し始めた。
薄く開いていた扉から聞こえてきた声に荷造りの手を止めず、一瞬視線を走らせた。
「明後日まで休暇の予定ではなかったか……久方ぶりの休暇で帰ってきたのに」
「えぇ、ですが筆頭魔道士ともなれば私にしかこなせない仕事がありますし……王宮に戻るのが早いに越したことはありません。書物も大分新しいものが手に入りましたし、お祖父様の話も聞きましたので」
あくまで淡々と、冷淡に告げる妖水に李矢は困ったように、けれどどこか安堵したように微笑んだ。
「そうか……」
困ったような、その笑顔。
思い返せば妖水が見たことのある李矢の表情は、妖水が李矢に付きまとうようになってからずっとそれだった。
困っているのに決して妖水を拒絶しない李矢のその態度は、妖水の矜持を酷く傷つけた。
まるで、完全に子ども扱いのそれに。
最初にはっきりと妖水の気持ちを受け入れることができない。と言ってくれれば、潔く諦めることもできたというのに……。
いまさら言ったところで遅い。
自分の中でそう結論付けると妖水は酷薄な笑みを浮かべ、梱包した書物をもって来ていた台車に積み上げた。
「……すごい荷物だね」
ポツリと呟かれた言葉に苦笑し、妖水は射抜くように李矢を見据えた。
「っ」
驚いて目を瞠る李矢に、妖水は艶やかに微笑んで告げた。
「お幸せに」
ただその言葉だけを残し妖水は李矢に別れを告げ、書庫を後にした。
二度と李矢を視界に入れることなく。
それは子供の恋愛と決別するかのように……。