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異界雑兵ばなし  作者: 常陸通勤
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2

 なにもせねば体は弱る。傷や病と違って、体力は使わねば回復はしない。

 余五郎は自身の経験からそう思っていたので、今朝から、歩いて、下りて、上って、棒を振り、草をむしって、周囲の石を拾う()()していた。


 神殿内の中庭に生えた草は、午前中であらかたむしったので、午後からは外に出ることにした。

 敷石で舗装された道にも数は少ないが、石の隙間からはみ出すほど力強く草が生えている。


 さっそく草をむしる。

 どんどんむしる。

 そして、食べる。


 厳密に言えば、葉の端をかじる。

 苦い。味を見てぺっと吐く。

 大概の草は苦い。苦いが、毒はなさそうだ。舌がぴりぴりと痺れない。

食べられそうな草を選んで摘む。


 食べられる草は大事である。

 いざと言う時は、こういった野草のみで食い継がねばならぬ。

 それだのに、この国の草を余五郎は知らない。ならば、自分で試してみるのが手っ取り早い。


 神殿中庭の草はあらかた試した。

 見たことのない草はかじる。危なそうなのは抜いて横に放って捨てる。良い草は葉を摘んで持ち帰る。午前(ひるまえ)に摘んだ草は自室においてある。

 神殿から借りている上着を脱いで端を結んで袋にして、道端の草をどんどん摘む。

思い出すに、蓬はすばらしい。放っておいても増えるし、薬にもなる。


 余五郎はそんなことを思いながら、空が朱に染まるまで黙々と摘み続けた。

 上半身裸で、いたるところが刀傷だらけの男が道端の雑草を一心不乱に摘んでいる。

 時折、摘んだ雑草を食べている。

 さらに無愛想で、厳つく、この辺りでは見ない顔である。


 まごうことなき不審者であった。

 街行く人は、余五郎を胡乱なものを見る目で遠巻きに見ている。

 とてもとても遠巻きに見ている。

 通りすがりの猫が避けていく。


 きわめて怪しい人だった。

 危険人物だった。


「本当に“道草を食っている”人を始めて見ました」


 余五郎を探しにきたシノ神官に、肩を叩かれるまで草むしりを続けていた。どうやら、余五郎の国と同じ(ことわざ)があるらしい。

 この王都では日が落ちれば、警備隊による警邏(けいら)が始まる。治安維持を目的とする公共組織が、この男を見つけたらどうするか。

 間一髪――という程でもないが、もう少し遅ければ間違いなく不審者は捕縛されていたことだろう。

 危険人物の危機であった。


 とかく余五郎は謝った。

 日が暮れる前には帰る予定だったが、迷惑をかけたことに変わりはない。世話をしてもらっている身で大層なしくじりであった。


「次からは、服着てやっから――」


 完全には理解できてはいないようだが。


「そうですね」


 シノも関心はないようだ。


「――王都(ここ)()(てい)らは草を摘まねぇのか?」


「はい」


 帰り途、シノから説明を受ける。


「あと、半裸にもなりません」

「はあ」


 共同体(むら)の掟を訊くのは大事なことだ。村八分はおそろしい。


「――なんでまた草を摘まねんだへか」

「食べないからです」

「――食えんのにか?」

「はい」

「旬が遅いとか――」

「いえ、誰も道の草には見向きもしません」

「――なら、何を食うんだか」

「野菜を買って食べています」

「食える草が生えてんのに?」

「はい」

「はあ」


 豊かな国であった。

 豊かすぎて、まるで意味が分からない。

 雑草食いの半裸不審者は首を傾げた。


 夕闇の中、そんなことを話しながら二人して歩く。

 背筋の伸びた杖持ちの神官と、首をいくらかすくめ、肩を落としたような不審者。妙な組み合わせであったのだろう、すれ違う人々は、ちらちらと二人を見ている。

 気付いているのかいないのか、二人揃って気にするそぶりはない。


「ところで、草は食べるために摘んでいたとして、石はなぜ拾っていたのですか」


 今度はシノからの質問。

 余五郎は道草を食う以外にも、日中石を拾っていた。

 ちなみに、この国で石を拾っている人がいれば、「美観を守る」とか「足を傷つけないように」と答えるのが一般的な問である。


「ぶつけんのに()っから」


 武器だった。

 城に篭ったときや、戦のときには重宝したものである。

 邪魔だから拾っていたのではなく、必要だから拾っていた。ただ大した大きさの石は拾えなかったが。


「呆れました」


 シノは珍しく表情を動かす。


「既に神殿奥に充分な石は貯めてあります」


 シノも街の人の感覚とは少しズレていた。

 言葉どおりの呆れ顔だったが、ほんの少しだけ感心したような顔をした。


「――そら、いがった」


 あたりの家々から炊事の良い匂いが漂っている。

 その中を二人ならんで、あとは口をきくことなく神殿に帰った。


 その日、余五郎が摘んだ草は(くりや)番の神官たちから小鍋を借りて、自身で調理する運びとなった。

 余五郎の調理法は簡素で簡単。難しいことは出来ぬ。

 まず煮る。とりあえず煮る。塩をわずかに入れて煮る。灰汁の強いのは掬ってとる。

 それから、煮た菜を湯から出して適度に刻むと、本来余五郎の晩飯として作られた緩めの麦粥を、鍋へ一緒に放り込み、混ぜ合わせて、ひと煮立ち。

 これで出来上がりだ。


 余五郎は配膳盆の上の湯気立つそれを前にして、いただきますと言って匙で食う。

 黄味がかった粥に青味が映えている。ぺんぺん草(なずな)大葉子(おおばこ)みたいな葉の形をしていたものもあった。


 しゃくしゃくしゃく


 茎を噛むと耳にこころよい音がする。歯ごたえと青菜の苦味が口に沁みる。大分苦くて、固い。おそらくどの草も旬ではないのだろう。


 しかし、それにしても――

 粥はまだ温かく、塩気までついた菜ごと噛み続けるとほんのり麦が甘い。青菜の香味が鼻へ抜けた。

 ――ああ、うめぇ。

 今度は、一緒に出されている酸っぱい漬物と一緒に食う。


 しゃくしゃく ぽりぽり


 無愛想な男の面が、ほんの少し緩む。

 名残惜しくも、すべて食べ終えると、ほうと一息ついて、ごちそうさまと呟いた。







 数日後、実際に余五郎に紹介された仕事はドブ浚いではなくて、井戸浚いであった。

 日毎の運動が効いたのか、足の踏ん張りも手の感覚も大分戻ったので、シノ神官に切り出して貰った仕事である。

 まさか身元も碌に分からぬ輩に、こんなにも簡単に仕事を任せてくれようとは、ナハティガラ神殿。懐が深いやら、恐ろしいやら。


 神殿には井戸がある。

 堀井戸ではなく、神殿に渡されている雨樋や、各所に造られた石造りの孔から雨水を集めて使う溜め井戸であるそうな。


 いざと言うときの備えとして、神殿では普段汲みにいく公共の井戸とは別に、溜池のように水を貯めている。

 雨季に入る前、丁度今の時期にそこの大掃除を行うのが恒例らしく、その掃除を仰せつかったのだった。

 掃除初日。余五郎は日が出る前頃から掃除道具一式を貸してもらい、シノ神官に作業内容の説明を受け、順繰り開始した。


 あたり前だが、井戸掃除は上から下に行う。

 まずは、井戸の上。長い長い梯子をかけて、水の入口、神殿の雨樋(あまどい)掃除から始めた。

 六間(約10.8m)ほどの木梯子は重い。一人で運ぶのも難儀する。

 竹の梯子を使えば良いと思ったが、この辺りには竹は生えていないらしい。


 上にあがると、言われたように箒やら刷毛やらを使い砂埃を下へ落とす。

 高い所らしく鳥の羽やら糞などもちらほら乗っている。羽はともかく、糞は水でふやかさないと落ちない。水に鳥の糞なぞ混ざったら、大惨事である。樋の途中で石砂などに通して濾過(ろか)するのだろうが、綺麗に掃除しておくに越したことはない。


 桶で井戸水を汲み、こぼさぬように持って上がる。作業中は、布で鼻と口を覆って仕事を続けると息苦しくなった。

 何気なくちらと下を覗けば、高い。下も石であるから、落ちたらまずい。

 まあ、死ぬ。


 ()に焼かれながら、大汗を流す。

 水で濡れているから、足元はよくすべった。気を抜いて落ちたら死ぬ。

 風はない。だので、余計なことに気を取られずに済んだ。

 何度、上と下を往復したか数えていないが、桶は重い。片手を塞いで梯子を登るのは危ない。体のつりあいを間違えると、落ちて死ぬ。


 反面、景色はよい。煙の片割れではないが、やはり高い所は気分が()く。

 いい仕事である。

 初めてやったが、やってみると存外に面白い。

 自分がしくじらない限り死なぬのも良い。

 しくじらなくても死地に放り込まれるような仕事ばかりしていたこの身に、こんな好待遇を得られるとは、シノさんに感謝しきりである。

 仕事一つを任せられるなど一端(いっぱし)の親方扱いだ。嫌が応にも力が入る。


 雨樋だけとは言っても、なかなかに広く、休みなしで一日はかかるだろう量。気付けば水でふやけた指の皮が大分剥けていた。

 血が出てくるのはよくない。樋が汚れる。ただただ黙然として作業を続けた。

 昼の休憩をはさんで、遠くの山に日が沈む刻限になるころに雨樋掃除を終える。

 なんとか、間に合った。


 傍から見れば表情はろくに動いていない余五郎なのだが、内心は結構に楽しんでいた。

 塵がなくなって綺麗になるのが、なにか気分が良い。

 雨樋は定期的に掃除しているそうなので、長引かせず、丁度1日で終えられたのはキリがよい。

 ふと、見れば肌が赤い。もともと肌は焼けていたが、久方ぶりの一日仕事でいっそう赤黒くなっている。


「足元が見えなくなってきましたね」


 夕暮れの中、余五郎が梯子を降りようとすると、シノ神官が上がってきた。

 現場の監督と作業指示は、シノが定期的に来ていた。


「お疲れ様でした」

「お疲れさんで」

「では、仕事の報告をお願いします」


 石造りの屋根と樋の上を見渡して成果を確認している。


「今日でここの掃除が終わったんで、明日ぁ井戸の掃除に取り掛かんよ」

「確かに」


 一つ頷いて確認を終えると、二人で下に下りる。


「今日の給金は、あとでお持ちします」


 現金即日払い。神殿への宿泊費などをさっぴいて渡されることになっている。けが人、病人以外にはきっちり銭をとる方針だそうな。

 行く先がない身にとっては、助かる。むしろ銭をとらなければ、いくらか疑心を抱いたかもしれぬ。


 その夜、渡された初めての給金をよくよく見れば、余五郎の国と変らず硬貨であった。ただ、銭の質は随分に違う。一枚一枚が厚く、余五郎の使っていた(びた)銭とは違い綺麗な細工まで施されている。

 銭の重みからして、豊かな国である。

 相場が分からぬ以上、この給金が高いか安いかは分からぬが、毎日飯が食えるのだから不満などあろう筈もない。


 小さい麻袋を貰い、紐で結わって財布にする。この銭には穴が空いていないので、紐を通しておけないから運ぶのは不便そうだと思った。

 初日は、だいたいそのように終わり、翌日から本格的な井戸掃除が始まった。







 ほこり避けの蓋を外し、井戸を覗く。

 さすがに堀井戸と違い、底は深くない。が、円の径が広い。一丈(約3m)はある。いざとなれば50人分の水瓶となるのだ。小さくても仕様がないのだろう。

 雨季前で、随分と水は減っているようだが、水はまだ残っている。釣瓶を落とし、作業を始めた。


 水を汲み、樽に七割ぐらいまで入れる。これ以上入れると背負子で背負ったときにこぼれてしまう。それを神殿内の水槽まで運び、移す。当たり前だが、水を捨てるなどという勿体真似はしない。直近の水瓶として利用する。

 一度に運ぶ目方は十五~六貫目(56~60kg)ほど。上下させないようにそろそろと運ぶ。走らない。疲れてしまっては、長く続かない。運ぶ距離は10間(18m)ほどで、大してない。

 やっているうちに、どんどん背負い紐が肉に食い込む。汗は吹き出て、体が熱くなる。

 昼の太陽が頂点に至るまで、それが続いた。


 頭でものを考えない仕事なので、ただぼんやりと続けられるので楽なものだ。せいぜい皮と肉が裂けて血が出る程度で済んでいる。おお、痛い。

 茫と水を運んでいたら、昼の鐘が響き渡る。もう、飯の時間だ。


 水で手を洗い、腰に差していた手拭で拭く。とかく丈の長いものを神殿に乞うたところ、なんと無料でもらうことができたものである。重宝、重宝。

 (くりや)の外で昼飯を貰う。汚い服のままで中に入る訳にもいかぬので、一応気を遣い裏の勝手口から器を貰い、今日も今日とて石段に腰掛けて昼餉を頬張る。


 盆の上に食器が乗るという豪奢なものだ。

 その日の献立は、なかなか見たことのない彩りであった。たっぷりの豆と、小さく切った赤い根菜(人参)と、白いような透き通ったような甘い葱(玉葱)を混ぜ込んで、煮汁がたぷたぷに出るまで煮たもの。

 こちらにきてから、この豆は麦粥と並んで何度も食べた。大豆より実が大振りで、噛めば柔らかだが、食いでがある。

 余五郎のいたところでは、豆と言えば大豆。飼い馬やら畜獣の飼料になるため、こんなにたっぷりに食ったことなどない。それだのに、目の前には、それより大きな豆がしこたま詰まっている。

 また、ごぼうよりも遥かにやわらかい赤根はすぐに口の中で溶けるは、葱はこんな甘い葱があるのかと殊に驚かされるはで――

 そこに、名も知らぬ香味の強い菜が、えもいわれぬ風味を醸し出している。

 なにより、極めつけは塩が強目に効いている。疲れたところに、これほど有難いことはない。塩は貴重である。小さいころは塩を買うために随分と遠出をしたものだった。


 本当に、ご馳走である。

 ああ、お椀の中いっぱいに幸せが詰まっている。

 余五郎は、また無愛想な顔で、喜んで、よく噛みしめて食った。

 昨日は塩気の強い粥が出ており、出されるものが変わっている。毎日違うものを食えるなど、自分はお大尽にでもなったのだろうか。

 食べ終えると、厨の方に食器を持って行き、手を合わせて頭を下げた。


「ごちそうさんでした」


 戦のときには、よい飯がでるが、それ並か、それ以上のものであった。よくよく感謝せねばならない。

 さあ、仕事をせねば。


 (ひる)の後も、同じ作業だ。水を汲み、水を運び、水を移す。

 休みなく続けると、午前と合わせて、おそらく100往復を数えたあたりでようやく落とした桶に水が入らなくなった。

 日暮れの時刻から足が出て、辺りはすっかり暗い。

 二日目は、この作業で一日を終えた。





 三日目は梯子を下ろして、井戸の内壁を掃除。

 井戸の径が大きいので、転げ落ちれば矢張り死ぬ。

 黴まみれの水を飲んで死ぬような目にあうのは、余五郎も戦場の経験からようく知っているので、強く擦る。


 水で腹を下すとろくなことがない。ひどい時には糞を漏れ垂らしながら、喉をからからに乾かして、目の前がぐるぐると回って、耳が聞こえなくなりながら、槍を振り回して戦場(いくさば)を走ったことがある。

 地獄と言うほどでもないが、いっそ気絶したほうが楽かとは思った。


 一日目に使用したものとは別の掃除用具でごしごし洗う。間違っても鳥の糞なんか食べたら、下手すれば下すどころか死ぬ。水あたりというのは大変こわい。


 よごれをどんどん下に落として、最終的には下の汚水を集める。

 一日中、休まぬように働く。

 水仕事が増えたために手指の皮が、一通りふやけて破れた。

 昨日もらった手拭で血をふくのも悪い気がして、適当に放っておく。


 流石にこれは一日では終らず翌日も続けた。

 事故もなく、二日間かかったその作業を終えると、仕上げである。シノが石工を呼び、井戸を確認。幸いにも石組みに瑕疵はなく大掛かりな改修作業は必要なかった。





 五日目、井戸を()して出来うる限り綺麗にする。天日干し、消毒である。

 最後の一日は、井戸の見張りが主な仕事となった。猫やら鳥やら井戸に入ってしまったら掃除のやり直しである。

 とにかく見張り。じっとしたまま見張り。


 暇。

 暇。

 ひま。


 あくびをかみ殺す。

 余五郎としては、この日が一番つらい。連日の仕事のおかげで、忘れたように色々なところがじくじくと痛んだ。

 動いていた方が気がまぎれる。


 朝から仕事だか休息だかを続けていた、その日の昼のことであった。

 一旦井戸に蓋をし、今日も今日とて階段で昼飯を食べ終え、丁度やってきた作業監督のシノへ報告をしていると、下の方から人が登ってくる。


 それを見て余五郎は初めて気付くことになったが、ナハティガラ神殿の唯一困った点は、たった今己が座っている階段のようだ。

 怪我人が一人で登るには、百段程度でも矢張り石階段は厳しい。

 然も、厄介なことに()()()()いる。

 それを認めると、シノが矢のように階段を駆け下りた。




「緊急っ!怪我人あり。安全確保が必要っ!」


 神殿の中まで聞こえる程の大音声だった。

 周知のための警告。

 駆け下りながら、シノは数通りの対応を頭に巡らせる。


 負傷者をいかに治療するか。それだけを考える。

 目視で既に出血は確認できる。走るだけの体力はまだ残っている。錯乱しているかどうか精神状態の確認。触診と聞き取りによる骨折の有無を確認。けれど、その前に――


 シノは、女神ナハティガラの教えに基づき考える。

 ナハティガラ神殿は癒しと安寧の象徴だ。


 駆け込んできた負傷者も、その点は変わらない。神殿が見え、白い神官服の美女が駆け寄ってくるのを見て、非常時ながら多幸感が心を満たす。

 後ろに脅威が迫っているが、そんなことは知ったことではない。

 無責任でえらく都合のいい考えだが、そんなことを反省するほど余裕なんぞない。


「助――けて」


 と、ついに目前に迫る、やさしいやさしい白い神の使いに訴えすがりつこうとすると――

 天使は横を通り過ぎた。


「え」


 跳んだ。

 飛んではいない、羽はないので。

 その高い位置と速度が生む勢いのまま、追っ手に突き刺すように蹴りを叩き込んだ。

 階段を転げ落ちる相手。体当りと言うには生ぬるいほどの一撃であった。


「えぇ」


 腹の傷そっちのけで驚く逃走者。


「んだ、てめ――」

麻痺魔法(アネスライザ)


 走りながら唱えていた予備詠唱。普段の訓練がものを言う。

 麻痺魔法は施術中の痛み止めに使われるが、こういう使い方も出来る。

 接触魔法なので、使うには工夫が要る。着地して、しゃがんだ姿勢のすぐ横。わめくのを優先した男に、これ幸いと右手で使用した。


 驚愕した顔。

 膝から崩れ落ちる。

 効果あった。

 全身が痺れているはずだ。


 シノは考える。治療の前に必要な絶対条件は、安全の確保だ。

 安全の確保。つまり()()()()()である。

 まだまだ、神殿内でも浸透していない考え方。


 治すために後方で待っていては遅い。けれども、脅威の傍で治療し、一緒に傷つくことは勇気でも美徳でもない。怪我人が一人増えるだけだ。

 私達の仕事は、戦場で共に死ぬことではない。ただの一人も誰とても死なせないことである。


 献身。その意味をはきちがえている者が多すぎる。死ぬ覚悟など最初から持つべき資質なのだ。

 脅威をもたらすものを叩き伏せ、怪我人を治療し、叩き伏せた敵を治療し、我が身を損なうことなく、一切合財を治療し、また別の怪我人を探す。

 それがやるべきことだ。


 敵と味方の区別なく、善きと悪しきの境なく、ただただ癒す。

 実際の戦場を知る導師イミダナ以外には、誰にも理解してくれない考え方。


 二人は無力化。残り一人。

 麻痺魔法の詠唱は間に合わない。

 まともに力比べをすれば、流石に男一人を組み伏せる力はない。


「この、糞がっ!」


 残り一人が、そんなことを叫んだ。

 咄嗟に両腕を上げた。視線は相手から離さず、顔を守る。隙間から相手を見る。

 荒事に慣れているのか、気が短いのか、相手は既にナイフを抜いていた。


 しまった。


 自分の迂闊さに歯噛みする。自分で否定した軽率な行いを自分がやってしまった。

 失血死は避けられるように、魔法詠唱できるように、立ち上がり、急所と顔と喉を守る。

 体が緊張で強張っていたが、石段の後ろに下がろうとして――



 ごっ



 目前の圧が呆気なく消える。

 え。

 ナイフを持った男が、横から、横合いから、一撃。押しこまれるように蹴り落とされた。


 一体誰が。


 腕を下げてみれば、そこに居たのは余五郎だった。

 シノが駆け出した、そのすぐ後に追ってきていたのか。


 余五郎は間髪置かずに、そのまま蹴り落とした相手を追いかけると、頭を踏みつけ、蹴り上げ、ナイフが当たらぬように、男が動かなくなるまで続ける。

 慣れている。

 そういう動きだった。


 ああ。

 なるほど、傭兵だ。間違いようもない。口先だけの威嚇はなく、ただ相手を制圧する。

 体格的には余五郎よりも、今蹴り飛ばした相手の方が大きい。だが、そこに何の躊躇も感じない。

 シノの知らぬ、戦場の動きだ。


大丈夫(だいじ)か」


 全ての始末がおわると、余五郎に声をかけられた。


「――ええ」


 追手三名は全て動ける状態にない。一人一人確認してみれば、死んだものはいない。

 念のため全員に麻痺魔法(アネスライザ)をかけておく。


 追われていたものも、複数の傷跡はあったが、ナイフで切りつけられたのみで、ひどい失血はないようだ。なぜか呆然としていたが、面倒がなくてよい。


 しかし――

 己の至らなさを反省しなければならない。反省して改善しなければいけない。

 昔から、私はこういうところがある。

 気が短い。短慮なのだ。


「シノさんは――」


 余五郎の声。

 ――何と言われるのだろう。

 一瞬、孤独感が襲う。

 無茶だとか、粗暴だとか。そんなことは、さんざん言われてきた。

 ナハティガラ神官になっても、それは変わらない。

 むしろ、頻度は増えたかもしれない。

 家族には、自分の考え方や生き方を理解してもらうことができず、同年代の女性には乱暴な所業だと話しが通じない。ならば男性に受け入れられるかと言えば、気味悪がられ避けられる。

 にこにこ笑って、ただ怪我を治す。それだけしか求められない。許されない。

 子供の頃から常にさいなまれた、この感覚――


「――得物持ったほうがいいよ」


 ―

 ――

 ――なんと言った?

 得物?


「――武器のことですか?」


 思わずそんな間の抜けた答えをしてしまった。


「シノさん、目方が(かり)いから、鎌でもなんでも持って歩った方がいいよ」

「鎌ですか」

「武器じゃなきゃ警備の(てい)()も、大概見逃してくれっから」


 ――なるほど。


「なら、ヨゴロウさんは、普段は何を持ってらしたのですか」

「鉈ぁ、持ってた」

「なるほど」


 そうか、そういう手があるか。

 いや、違う。


「ヨゴロウさんは――」

「すげえ、()たぐりだったね」


 言葉が重なった。

 しかし、シノの聞きたいことは、それで分かった。

 揶揄でも、皮肉でもなく、余五郎は自分の蹴りを賞賛した。

 愛想のない顔。

 感情の読みにくい男ではあるのだが。

 そこで、上の方が騒がしい。

 神官達が降りてくる。

 シノの警告が聞こえていたらしい。

 きちんと装備を整えている。手には杖を持ち()()している。自分の作った行動指針は守られているようだ。

 笑った。

 きっかりした笑みではなく、シノは笑った。







 全ての清掃作業を終えたのは数えて六日目のことであったが、今期初めての雨が降ったのは作業を終えた翌日のことだった。


 異界に来て、余五郎初めての仕事は、出来すぎなほどにうまくいった。

 ちなみに、警邏隊に引き渡された追っ手の三人は借金取りであることがシノから余五郎に伝えられた。

 ナハティガラ神殿での治療中に、シノが()()()()聞き出したらしい。

 (くだん)の騒ぎは、借金を踏み倒そうとした男と揉めた上での刃傷沙汰だったそうな。


 驚いた。

 この国にも借金があんのか。

 仕事と荒事の始末を終えた余五郎が覚えたのは、そんな埒もない感想であった。







 監督を終えたシノは、イミダナに余五郎の仕事ぶりを――


「ありえません」


 と、言葉少なに評した。


「めずらしいわね、あなたがそんなことを言うなんて」


 イミダナが、にこりともせずに応える。

 事業報告を行う一室。シノが余五郎の働きぶりを報告していた。


「六日で終わらせるには、四人は必要です」


 元よりこの仕事は、一人にまかせるような仕事ではない。なんなら家畜も使っての大仕事である。

 余五郎は知る由もないが、この仕事人気がない。

 食い詰め者どもが、安い金で、こき使われる。そんな仕事なのだ。


 シャルメィアでは、溜め井戸の掃除は今頃に行うが、短期間で行わなければならない上に、長時間の肉体労働である。

 しかも掘り井戸や泉よりも雨水の溜め井戸は使用頻度が低く、雨水を溜めてまで非常時に備えているところなど、そうはない。

 水の汲み出し、泥砂のかき出し、かび、よごれ落とし。深い井戸ならば石作りの底に転落もありうるので、なかなかに危ない。もしも井戸を構成する石にひびでも入っていれば石工を呼んで積みなおし、敷きなおしである。きわめて忙しいし、手間がかかる。

 特に大きい井戸の汲み出し作業は、その水の重さと嵩から人の手に余る。汲み出した水は樽に入れ荷車に積んで家畜に引かせなければ、運ぶのがきつい。

 運んだ水は、どこかに貯めておく。その場にぶちまけるのは迷惑な上、もったいない。


 雨季前の青天の下、日の出ているあいだ中仕事して、毎日休みなく働く。

 雨が降ったらやり直し。

 季節限定の大仕事。


 それが溜め井戸掃除であった。

 ナハティガラ教団側は、無論それを承知で仕事を任せた訳であるが、これには意図がある。

 この神殿では、異界の者が来たとき、その人となりを見定めるために少々無茶な仕事を押し付ける。


 人間の本質は非常時に表れる。その仕事量に対して、その者が逃げるか、耐えるか、助けを求めるか、はたまた意図を見抜くのか。

 そのようにして、人を観る。人間、口ではなんとでも言えるものだから。

 素行の悪しきもの、狼藉を働くもの、能なし、根性なし、ろくでなしどもを、怪我を治したからと何の手も打たずに放り出すことを、()()神殿はしない。


 きちりと更正させて送り出す。

 更正するまで逃がさない。

 彼女らの徹底は善意という生易しい程度ではない。確保、管理、執念という概念に近しい。

 社会不適合者は、地域の治安を悪化させる。そのイミダナの思想のもと、余分な不安要素を野には放たない。


 シノも通常通り、そのように余五郎に接した。

 変わった男だとは思ったが、まさか仕事を終らせようとは思いもよらなかった。


「楽にこなしている風ではないのですが、とにかく休みません」


 体は細いが延々と動く。観ていないところで手を抜いた様子はない。屋根の上を右に左にゆらゆらと回り、重たい水を、ただただ、とぼとぼと運び続けた。

 そこらの兵士でも筋肉痛で動けなくなりそうな仕様を、病み上がりでやりとおした。しかも、それを誇るふうでもない。


 魔法を使ったか――

 と、一度だけ頭をよぎったが、それにしては呪文も詩もない。導具も符もない。特別な所作もない。

 やはり、身体のはたらきのみでやりとおしたとしか思えない。


「あれでは、馬車(ばしゃ)(うま)のほうがまだ呑気です」


 そういえば、料理番の神官達も首を傾げていた。厳つい男が神妙な顔で、毎食いたく感謝してくると。

 普通の料理を出していただけなのに。

 余五郎が食べていたのは、野菜と岩塩が割合簡単に手に入るこの国では一般的な料理ばかりである。むしろ、子供に出すと「また、これぇ」と言われて母に怒られる類の料理である。

 毎日の恒例行事となっていたのだが、いったい今までどんなものを食っていたのか。


 シノは余五郎が生きてきた世を知らない。

 仕事が終われば終わった分だけ、できたらできた分だけ仕事がある生活である。

 そこで生きていれば、飯がほぼ食えなくても、そういう生活に体が慣れる男もいる。体の動かし方を会得する男もいる。

 だが、シノたちの常識からは、余五郎の働き方は少しばかり外れていた。


「それで、最終的にあなたの見解は?」

「――“善良”と判断はできかねますが、“悪質”な者ではありません」

「根拠をきこうかしら」

「――傭兵を生業としていたにしては自己顕示がなく、冷静でおとなしいようです。好戦的でもなく、極めて忍耐強い。社交的ではありませんが、人と会話をするのが苦痛というような社会不適合者でもありません。無闇に従順という訳ではなく、一定の規範を持っています。金銭への関心はありますが、給与への交渉もなく、こちらの提示額を疑うことなく飲んでいます。ただ――」


 一旦区切る。


「危機管理においては、私達の水準と同等以上です」


 シノも説明が難しい。人格を説明するのに「~でない」という否定形を重ねたのは、過去の類例を当てはめて余五郎を判断するのを避ける意味もあった。


「なかなか、面白い人材ね」


 それに、とイミダナは内心付け加える。

 シノと普通に会話できる、稀有な変わり者だ。


「悪質でない“働き者”です。もう少し神殿において気質を判断すべきかと具申いたします」

「確かに」


 見た目は細身の不審者。特別な力を持たないが、極めて頑健で、働き者の変わり者。そして、傭兵。


「シノ・イハド。引き続き、手順に則って彼の面倒を」

「はい」

「遍く癒しを」

「遍く癒しを」


 ナハティガラ神殿による余五郎の現在の評価は、大体こんなものであった。







 数日後のことである。

 また一人で街内の草を摘みに出た余五郎だったが、ふと気付くと、遠くからこちらを見るものがある。

 五人。

 誰も彼も余五郎より体格のよいものばかりだ。

 人気(ひとけ)のない所まで来るのを待っていたのか、とにかく一塊になって見ている。


 街の中でも、まだ緑の多い川辺。

 何かを仕掛けようにも、ここに来るまで余五郎は当然のように隙なく目を配り歩いていた。

 例えば辻を歩くときにも壁の近くを歩かない。曲がり角の出会い頭、死角から襲われぬようにと、視界を広くとって歩く。

 普段からの癖であったが、そのせいでなかなか不意打ちもできなかった。


 余五郎に見られたことに気付くと、五人は大振りの短刀(ナイフ)を引き抜き、すぐさま走り寄ってくる。

 慌てず、騒がず、余五郎は大急ぎに近くの辻まで逃げ込んだ。

 両脇は壁。

 二人通れるくらいの道幅。

 逃げて、進み、振り返る。


 相手まで八間(約14m)ほどか。

 遠間であった。

 足を止めた余五郎。腰の袋に用心のために用意していた石塊(いしくれ)を一つ取り出すと、愛用の手拭いを二つに折って包み、ひゅんと風切り音を唸らせた。

 縦に一回り。

 振り回し、投げつける。


 礫打ち。

 いざという時にはこれで狩りをしてきた。外せば飯が食えなかったので、連なり、鋭く、重く、速い。

 矢継ぎ早に、五つ打つと、三当たる。

 内二つは見事に顔を捉えた。連中は利き腕で短刀(ナイフ)を抜いたせいで、咄嗟に顔をかばうも間に合わない。

 拳よりいくらか大きい石が、矢と変わらぬ速さで当たれば、肉が削がれ鼻と歯などは簡単に折れる。

 血やら涙やら色々なものが顔から溢れ出た。


「ぃぃいぃ…」


 持っている石の数は十。重いが色々に使える。

 あと三つ、躊躇なく容赦なく打ちこむと、意識が残るかどうかはともかく、計三人を戦闘不能に追い込んだ。

 相手が、近い。

 腰の石を二つ、手拭いで包んで縛る。

 不思議なことに、足を止めていた襲い手に――



 ごっ



 投げ込むように、顔にそれを叩き落とした。

 焦らず、狙って打ち付ける。

 得物は長い方が良い。

 短刀の刃渡りはおよそ七寸(約21cm)。咄嗟に作ったこの鈍器は二尺(約60cm)程度。不意打ち出来るなら、まだ使える。



 ごっ



 間合いを計り、もう一度。

 頭を捉え、瞬間。白目を剥き、血を吹いて倒れた。


 残りは一人。

 どうも荒事には慣れていない連中で助かった。

 人やら獣を殺したことがある()()だろうか。


「ありゃあああっ」


 意を決したのか、叫び声を上げ、短刀を腰に構えて体ごと向かってくる。

 こりゃ、かわしにくいな。


 右脚を引き、左腕を前。胸を縦。相手から的を小さく、薄くして、僅か待つ。

 むこうの左肩が触れるかどうかの時に、受け止めるように前に出た。

 左腕で短刀を上から押さえ込むように、いなすようにして、左脚を、すうと左奥にずらす。右脚を継ぐ。

 短刀の刃が上になっていたので、左腕がえぐられた。


 が、そのまま、ずるりと相手の躰が横を抜けた。

 踏ん張ってこちらに向き直ろうとした刹那、余五郎の右手の鈍器が、ひゅんと風を切り、鈍い音を顔面に叩き込んだ。

 よろめいて、ふら付いていたので、もう一振り。



 ひゅん ごっ


 ひゅん ごっ


 ごっ



 二度、離れて石で殴り。三度目は石を握りこんで、直接殴った。

 どさりと倒れる音。


 これで暴漢五人が動かぬようになった。

 あたりを見回し伏兵がいないのを確認すると――

 ――始末のつけかたが分からない。

 ほとほと困った余五郎は、ナハティガラ神殿に戻ることにした。


 左腕からは血が流れていたが、その足取りはここまで来たときの()()となんら変わらなかった。


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