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異界雑兵ばなし  作者: 常陸通勤
2/4

1

 目覚めてから、ずっと余五郎は驚き通しであった。

 まず、初めに見た人間。


 異人だ。

 髪の色が稲穂のような黄金色で、肌が白い。目の色も翠だか蒼だか。顔の表情はほとんどなく、背は余五郎よりも高い。そんな女が立っていた。

 それだけではない。その女はこちらに気付くと。


「目を覚まされましたか?」


 急に異様なまでに清潔な笑顔を浮かべて、流暢な日本語で話しかけてきた。


「あっ、あ」


 言葉にならなかった。

 驚いて、ではない。単に口も体も動かず、全身が引きつるように痛い。

 そうだ、自分は無数の槍に浴びるように貫かれたはず。


「無理をなさらずに、今導師(マリード)を呼びますから」


 と、手近の小さな鐘のようなものをチリンと鳴らした。

 毬井戸?

 なにがなんだか分からない余五郎だが、胸が痛くて声がでない。どうも、横になったままでも構わないようなので、そのまま待つことにした。


 辺りは、剛健なつくりの部屋。見覚えのない部屋。

 小さい鐘を鳴らした女を見ると、立ったまま誰かを待っている様子。

 先ほどの毬井戸というのは、人の名前だったのだろうか。

 ひょっとすると豪農か何かの偉い人であろうか。

 そうだとすると、それを呼び捨てにしている、この女性は身内のものだろうか。

 それとも、案外に大変な礼儀しらずか――


「目を覚ましたかしら?」


 すぐに、また異人が入ってきた。

 異人の祭りでもあんのか?


「はい、導師(マリード)


 マリイドと呼ばれたのは、年の頃は50歳を過ぎたくらいか、背筋がぴんと伸びた女性である。呼ばれて怒らないあたり、マリイドは敬称なのだろうと当りをつける。

 背はおそらく余五郎と同じぐらいはあるだろう。赤々とした髪を後ろで縄のように編んで纏めており、皺浅く、眉が強い、なかなか苛烈な顔をした女性だ。


 よく見れば、先の女と同じ服装である。

 洗濯の大変そうな真白い服。異人の着物らしく自分達が着ているような前で合わせる服ではない。余五郎に仕組みは分からないが、なかなかに動きやすく、いくらか格式ばった服装だと思った。


「あっぅ」

「動かないでください、傷に障ります。そのまま、落ち着いて聞いてください」


 表情をぴくりとも動かさず、そっと手が触れて制される。

 寝台の上で、余五郎は言われたとおりに力を抜く。

 そのマリイドさんは、元からいた女性が差し出した腰掛に座った。


「座ったまま、失礼します。まず、私の話す言葉の意味が解るでしょうか。解るならば、うなずいてください」


 こくりと頷く。


「ありがとう。それならば、今あなたが置かれている状況を説明できます」


 よくわからないが、それはありがたい。


「申し遅れましたが、私の名前はイミダナ=ローゲニアル。あなたがいる、この神殿の導師(マリード)、主宰を務めています」


 やはりマリイドは敬称であったらしい。神殿と言えば、寺社か。坊主か宮司みたいなもんか。


「最初に何点かお聞きしますが、シャルメィアという国の名前を聞いたことがありますか。知っているならば、うなずいて。知らないならば首を横に振ってください」


 横に振った。


「では、ドラックネア大陸と言う言葉は?」


 横に振る。


「ご自身の幼少から今ここに至るまでのことを覚えていらっしゃいますか?」


 うなずく。


「あなたが目覚める前と目覚めたあとで、周囲の景色、状況は一緒でしたか?」


 横に振る。


「わかりました」


 イミダナは一度、言葉を切る。


「前もって断っておきますが、これから話すのはおとぎ話でも法螺でも冗談でもありません。わたくし達が知っているかぎりの事実です」


 きな臭い前置きである。


「あなたが、今いる『ここ』は、あなたが住んでいた世界とは別の世界です。異国と言う意味ではなく、本来どうやっても行くことのできない場所に、あなたは連れて来られたのです」


 はあ。と余五郎は思う。

 神隠し。

 ぼんやりと、そんなことが思い浮かんだ。


「あなたを、こちらに導いたのは女神ナハティガラ。俗世間では慈愛と傲慢を冠される神です。この世界には多くの神々がおられますが、その中で私達が奉る女神があなたを呼びました」


 本当に神隠しのようだ。

 イミダナの語気は強いが、あたり前のことを話すからなのか、そういう性格なのか、表情を変えず淡々と語る。


「かの女神は、(あまね)く全てのものを護り慈しむと同時に、全ての傷ついたものは庇護せねばならぬとお考えになられました。それは、この世界だけではなく、他の世界も同様です。例外は存在しません。遍く全てです」


 そりゃあ立派なことだ。

 素直にそう思う。お地蔵さんか、阿弥陀さまみたいな神様だなや。


「閉じようとする命、その出来うる限りのものを、()()()に呼びこんでいるのです」


 ――つまり、儂のことか。


「残念ながら、他の忌々しい神々の妨げで数は多くありませんが、あなたはそれにより死の淵からこちらに助け出されました」


 ん。忌々しいとは――


「あなたが祭壇に現れると同時に我々は神託を得ました。それは数多ある神の慈悲。全て神聖なる生命庇護の機会の刻が来たのであると。だから我々は、あなたを助けます。必ずあなたを癒します。我々は敵と味方の区別なく、善きと悪しきの境なく、ただただ癒します」


 ようやく余五郎は気づく。イミダナが尋常でないことを。

 まるで、そう、一向門徒か名だたる武将のような気迫。

 そして、もう一人。


「口が利けないなら丁度良いので、胸に刻みなさい。我々はあなたの傷が癒えるまで逃がしません。逃げても追います。執拗に、静かに、躊躇なく、確実に、あなたの傷が癒えるまで、猟犬のように追い続けます。拒否は無意味です。我々は神より預かりし奇跡を使い、策略を使い、連携を使い、不断の意志を使い、必ず捉え、掴まえ、癒します。よろしいですか」


 若い神官が、そう言う。

 うなずいた。


「結構」


 すくりと立ち上がる。話は終わった。そう終りだ。こちらは、そもそも何も話せない。


(あまね)く癒しを」


 若い神官が、そう声を上げる。


「遍く癒しを」


 イミダナは、そう答える。

 驚いた。驚いたが。

 なかなか楽しい神殿で、なかなか楽しい人たちらしい。








 銭がない。

 家もなければ、(あて)もない。

 ついでに故郷に帰る術もない。

 元より渡り鳥のような暮らしであったが、根無し草か浮草か。本当にぷっつりと、今は何処にも繋がらぬ身の上である。


 ――とりあえず、どうにか飯の種を得ねばなぁ。

 余五郎は、そんなふうに身の振り方を考え始めた。


 今は仕事も役目もなにもない。

 ようやく起き上がれるようになったので、せめて草鞋(わらじ)でも編んで当座の(つい)えとしようとしたのだが、この国にはそもそも草鞋を履く習慣はなく、その上藁もすぐに手に入らないと聞いて、やることがなくなってしまった。

 もちろん力仕事など出来るわけもない。一通り骨肉を動かしてみると、足は歩くのが手一杯で手は強く握れない。

 有難いことに神殿の手伝いに駆り出されることもないので助かったが――


 どうにも暇なのである。

 最初は焦った。が、動く体がなければ、焦ってどうなるものでもない。

 そんな訳で、日向ぼっこをしつつ、風景を眺めて、徒然なるままに、呆けながら身の振り方を考えだしたのであった。


 最初は逸っていた心も、一日かけてのんびりと考えることにすんべぇと、自然そのような心持になっている。

 しかし、贅沢な身の上である。

 これほど、のんびりとしたのはいつぶりだろうか。

 思い返しても、思ひ出の中にはない。

 それに、目の前の風景は飽きがこない絶景である。


 今、腰掛けているのはナハティガラ神殿前の石段の上。余五郎が知るような、人が転げ落ちたら2、3回おっ()ぬような山上に建っている寺社と違い、この神殿は街中に建っている。

 高台にあり、それほど遠くまで見渡せる訳でもないが、参拝やら仕事するには便利でよいところだと思った。


 そこから街の景色を眺める。

 途轍もない。とんでもない。なんとも言いようがない。そんな、格別の景色が広がっている。


 見たことのない造りの家が所狭しと並んでいる。こんな量の家など見たことがない。みっしりと並んでいるのは、なにやら風通しの悪そうな建屋で、平屋でなく、二階以上がある屋敷ばかり。中には石造りの家まである。

 二階なんて造れるのはお金持ちだけだろうに。

 大層な武家か商家ばかりなのか。土豪ばかりなのか。洒落にならないくらいに豊かな国なのか。

 余五郎の郷里は、あばら屋が数件。その家も隙間風がいやというほど身を苛んだ。そんな家とは大違いの建物()()ない。


 人も多い。

 神殿前は大きく開けていて広場になっている。地面には全て石が敷き詰められ、そこには人がおり、露天があり、芸人がいる。

 鰯の群れみたいに人が群れをなしている。


 はじめにこれを見たとき、縁日か祭をやるのかと神官に尋ねたら、これが普通の日常らしかった。

 絶句した。

 見たところ、10人や20人ではない。100人や200人もいるというのに。

 儂の村総出でも足りんほど人がいるというのに。

 合戦でもやるような人いきれであるというのに。


 しかも、露店だけでなく店がある。とても、たくさん。

 (いち)ではない、店なのだ。大店(おおだな)なのだ。ずっと店が建っているのだ。おそらく毎日のように、ものを売っているのだ。

 儂の村じゃ月に二度の隣村の市まで行くしか()かったのに。

 この街では四半日歩かなくとも、ちょいと家を出れば店に着くのだ。

 帰りに雨に降られて、背中に背負った買ったもんが濡れる心配をしなくてもいい。

 買った塩を濡らして、ぼこぼこに拳固を喰らわなくてもよいのだ。


 露天を遠目に見れば、食い物が毎日売られている。

 売れ残らないのか。売り切らなければ帰れないのが普通ではないのか。まさか、畑の肥やしにするには勿体なすぎる。一体どうなっておるのか。まるで分からない。

 とおい噂に聞く極楽浄土かなにかであろか。


 豊かな国だなや。

 思わず感嘆が口から出そうになったが、なんとか洩れずにすんだ。


 厳つく、無愛想な男の目がわずかに子供のように光る。

 これほど大きな街は生まれてこの方、今朝外に出るまで見たことも想像したこともない。

 堺やら、上方の国々や、武蔵には大きな街があるというが、おそらくそれ以上ではなかろうか。


 何より驚いたのは城である。

 景色の奥に、そびえたつ石の城。

 余五郎が、(いくさ)働きでよく篭った山城と違う。平野の城である。

 総石作りで、背が小山のように高い城。しかも、何か屋根が尖っている。刺さりそうなくらい尖っている。

 天を突くとは、この事か。

 そして、大きい。とにかく大きい。地震で崩れないのかと心配するほどに大きい。

 石積みの建物なぞは、大地震(おおじしん)がくれば役に立たぬ筈なのに、ここにある。

 つまり、あれは崩れないように作ってあるのだ。城普請がめっぽう巧みなものが建てたのだ。

 近場によれば果たしてどれほどの大きさなのかと、息を呑む。

 ありゃあ、どうやって守んだへかと、いらぬ心配まで沸いた。


 幸い、最後の疑問は辺りを見渡すと答えがあった。街全体が石壁で覆われているのだ。

 周りに堀と柵を作った町村ならば見たことはあるが、これはとんでもない規模であった。この街全体を要害にしたというか、(くるわ)の中に街を作ったというか、そういうものらしい。


 はぁ。

 どうにもこうにも、豊かで強い国である。

 (やぐら)のような物見の建物を壁のように渡すとなると、どれほどの石と石切と土と人足と銭がいるのだろうか。

 とても余五郎には勘定できない。

 千から先の位はよく分からない余五郎である。

 途方もない話しであった。


 近くに目を戻せば、ずっと人が絶え間なく動いている。

 仕事で(せわ)しないのかと思えば、子供らが仕事もせずに遊んでいる。しかも、それを大人たちが咎める様子もない。

 生まれてこの方、己の人生を振り返れば、仕事のない日などなかったように思う。

 夏も冬もない。物心がつけば働かされるのが世の道理だった。

 正月も盆も、縄を綯い、草鞋を作り、皮をなめして繋ぎ、布を縫い、刃物を研ぎ、薪を取り、薬草を採り、ものを担ぎ、食う物を探す。お前は出来が悪いとよく怒られた。あとは、ただただ戦働き。

 やることは、いくらでもあって手が足りない。

 買う金がないのに、入用のものを駆けずり回って集める。

 世の中は、そういうものだと思っていた。

 生活とは、そういうものだと思っていた。

 それが、この国では違うらしい。


「豊かな国だなや――」


 余五郎は、ついに心の(うち)を我知らず漏らしていた。




 と――

 規則正しい靴音がする。


 音のする方を見れば神殿から見知った神官が現れた。

 余五郎よりいくらか高い背丈。後ろで編み上げられた稲穂色の長い髪。背筋の伸びた歩き方。

 肌は白く、日除けなのか白い布を頭に被り、丈の短い真白い小袖のような上着に、真白い裁付(たっつけ)のような袴。

 唯一白ではない革帯がなんだか印象に残る。

 そんな白い出で立ちのシノ=イハド神官であった。


 余五郎がこちらで目覚めて初めて見た女性であり、現在、自分の世話を焼いてもらっている、その人である。

 そう言えば、ナハティガラ教団には不思議なことに女性しかいない。

 教えの根幹に関わっているらしく、例外なく女性だけなのだ。

 一応、目前のシノさんから教義について聞いたが、よく分からない。

 書かれた書物も勧められたが、字が読めない。

 こちらの文字が読めないのもあるが、余五郎は元々ろくに文字を知らない。

 シノさんとイミダナさん以外は、なにやらいつもにこにこと笑うばかりで、どうにも頼りないが、とにかく女性のみだ。


 まあ詳しく聞いても神も仏もよく知らぬ。尼寺みたいなものだんべ、と早々に気にしないことにした。

 シノさんは、こちらに気がつくと薄い表情が目に見えて動く。


「体に障るので、遠くまで行かぬようお気をつけください」


 目を細め、口の端が上がり、笑顔で言う。

 初めて見たときと変らぬ、何か鋭利な刃物のような綺麗で厳烈な笑みである。

「にっこり」ではない。「にっかり」でもない。うまく言い表せないが、こう、「きっかり」笑う。

 おそらく当て字は鬼狩(きっかり)と書く。

 背筋がひやりとして、夏に重宝しそうな笑みである。


「はぁ、あんがとさんで」


 そう返事をした。


「ここで何を」

「特には――なんも」

「そうですか」


 そんな会話だった。


「シノさんは、どうした」

「昼の鐘までは休憩時間です」

「はあ」


 常から、シノと余五郎の会話は大体このようなものであった。

 シノは概ね、人と話さない。

 仕事の話はよくする。が、周りから一目置かれているというか、畏敬されているというか、そういう立場だ。


 シノが横に座る。

 二人して、そのまま街の方を見る。

 余五郎の風体は、真っ黒い蓬髪に、日焼けで真黒い肌。こけた頬に厳つい顔。

 髪は目にかからない程度には短くなっているが、武家のように月代を剃ってはいないので、無精髭とあいまってむさ苦しい。

 横の真っ白い神官とは、似ても似つかぬ姿だが、“きっかり”笑うとき以外は余五郎同様に表情の薄いシノ神官。

 似たような顔をして、二人はそこに居た。

 何を話すでもなく、そこに居た。

 そのまますこし時が過ぎ――



 ――仕事を探さねばなぁ。

 余五郎の思索は、そこに戻った。

 いくら豊かな国でも、仕事もせずに生きている訳はなかろう。

 まず(はじめ)に自分のできることを考える。


 生きてきたことの大半は足軽傭兵で過ごしてきた。

 やるとすれば、まずこれなのだが――


「ここいらで、戦が起こりそうなとこはあんだへか」


 珍しく、余五郎が話しかける。


「ありませんね」


 シノが極めて端的に答えてくれる。

 確かに眼下の街について、どう見ても戦になる様子もなければ、そんな話も聞こえない。

 無口無愛想な性格から人との会話は得意ではない余五郎だが、入院している別の人達から話しかけられることもある。

 長いこと怪我や病で神殿に長逗留すると誰でも口は軽くなるらしい。


 天下泰平。世は事もなし。


 会う人に聞けば口を揃えて、皆そんな意味のことを言う。

 戦のない世というのも、まるでピンとこないが、それで世の中が回っているのなら文句をつけるところなどなにもない。

 よい国である。

 まことによい国である。

 しかし、それだと自分の生計が立たない。


 我がことながら因業な生き方をしてきたものだ。

 最初の(あて)は無理そうだ。それならば、次になにができようか。

 この国には「サンダル」という履物はあるから、草鞋は駄目でも草履(ぞうり)を編んだなら、あるいは当座の凌ぎになるかと思ったが、そもそも藁が手に入る(あて)がない。


 何かを作ろうにも、もとも伝手も腕も作業場もない。家も土地も銭もない。タネがないのだ。

 タネなしで始められるものと言えば――

 ――狩などどうだろう。

 これならば経験はある。山中にあばら家でもこしらえられれば、少しは糧もできるだろう。

 うまい具合の山川が近くにあるならば、草木に果に魚、獣をとればよい。

 この辺りに大熊やら、大猪などの手に負えない獣連中が多くなければ――

 ――やはり難しいか。


 暮らしを思い浮かべてみれば、今は、弓も矢も網も竿も鎌も鉈も竹も縄も刀もない。

 小刀は石包丁でも作ればよいが、布や糸は、神殿の人に頼みこんで分けてもらうしかなかろう。

 うまく山に入ることができれば、勝手に居着いても早々見回りなどには見つからないだろうが、どうにも矢張り始めるだけの「もの」がない。

 (つぶて)打ちで鳥か動物でも仕留められれば御の字といえようが。

 それに、肝心要な山川の場所や地形を確認して見覚えることは、足を治さなければ廻れない。これは待つよりほかない。今できそうなことは、なにも思いつかない。

 ならば、ほかの案はと、また知恵を絞る。


 絞る。搾る。しぼる。

 ――

 ―――

 ――――

 ――なにも思いつかない。


 下手な考え休むに似たり。つくづく、そっくりである。

 やはり、儂の頭ははたらきがよくねえな――

 改めて余五郎は嘆息した。


 ――後ろの石造りの大層な建物に視線を移す。

 まことに立派なもので、なんという石かは分らぬが、白亜の輝くような建材を使っており、木材は使っていないらしい。例えるもののない剛健な造りの寺社である。

 しかも、銭を払わなくとも世話までしてくれている、ありがたい御殿。

 結局には唯一の伝手であるここに働き口を相談するのが、職探しの早道のようだった。

 シノを始めとして、おおよそ神官が30名。別棟の余五郎ら怪我人病人が今は20名ほどで暮らしている。

 城も街もすさまじいが、ここもすさまじい。

 神殿も神官も尋常ではない。


 余五郎の知る大きな寺社の坊主なんてものは、ちぃともわからぬ難儀な説法を説き、僧兵だか坊兵だかをごまんと近くに置いて、寺社領の関銭をかっさらっていく、有難味もなにもないものであるが、そんなものとは出来が違う。

 なんと、ここの神職らは本当に神様の力を使うことができるのである。


 これには普段あまり表情の動かぬ余五郎も目を剥いて仰天した。

 神殿の祭神、女神のナハティガラさまは四生(ししょう)を問わず、どんな生者でも助けようという神様であるそうな。

 それだけならもろもろの仏様と一緒なのだが、特に敬虔な信徒のもとには実際に神殿内に顕れ出でて、色々な自身の御業、恩恵を授けられるとのことである。


 なんでもナハティガラ様自身が自由に出歩くことが出来ないため、一つでも多くの命を助けるために、門徒衆らに加護を与えるのだそうだ。

 なんとも気軽な神様である。

 弘法大使さまも真っ青である。


 それで、その神様からの賜りものは「魔法」と呼ばれ、なにやら滔滔(とうとう)(うた)のような、祝詞(のりと)か念仏のようなものを唱えて使う。

 余五郎も実際にその(わざ)の一つ「治癒魔法(ハイリス)」なる魔法をシノが使うのを見たが、両手から僅かに光を放ち、その手の平をかざしたところから、みるみると怪我人の傷がふさがっていった。

 余五郎の重症を治すのにも「治癒魔法(ハイリス)」が使われたらしい。

 思わず合掌して拝みそうになる、まさに神様仏様の御業だった。


 ほかにも「通訳魔法(ネプリタ)」という魔法を人にかけると、その人が異国の言葉しか話せなくても自ずとその国の言葉に翻訳され、かけられた当人も周りの言葉が分かるように訳される。

 異国に来て、いきなり余五郎に言葉が通じたのはこのお陰であった。

 余五郎の国の言葉にはない「マリード」のような言葉などはそのままに聞こえるが、大概は自分の知る言葉か近いものに言い換えられる。


 シノに通訳魔法のことなどを教えてもらったが、その口の動きをよく見れば、確かに聞こえてくる音と口の動きが違っている。

 朝に「通訳魔法(ネプリタ)」を一度かければ、その日一日は効果が続く。

 試しに一度魔法を切ってもらったところ、何を言っているのかまるで分からない言葉が聞こえてきた。その音こそが本来の発声の仕方なのだろう。


 便利である。

 便利であるが、反面早くこちらの言葉に慣れねば神殿の側から離れられない。

 元より余五郎の物覚えは良くない。


 困る。

「はいりす」「ねぷりた」と言う名前も、音を覚えるだけでずいぶん苦労した。

 寝たら忘れる。

 人の名前もあやしい。

 シノさんは、覚えやすくて助かった。

 イミダナさんは、1日かかった。

 残りの人等()は、あやふやだ。

 こちらで暮らすならば、第一に難儀するのは働き口より言葉(これ)であろう。

 なんとか覚えねぇとなあ。と、思い至る。


 改めてみると余五郎の身の上は、仕事も言葉も、なにをするにもナハティガラ教団頼りなのであった。

 そのまま、ナハティガラ神官と二人で黙って座る。


 遠くで鳥の声、人の声がする。

 思い出したように余五郎が口を開いた。


「こっちで働きてんだけど、紹介してもらうことはできんべか」

「なかなか働き者ですね」

「――こら、どぅも」


 話せるようにまで回復した頃には、既に余五郎の身の上は話してある。


「戦争の口はありませんよ」

「飯が食えんなら、なんでも」

「ドブ浚いでもですか」

「なんでも構ねよ」


 即答すると、シノの表情がぴくりと動いた。


「毎日、悪臭ただようドブの中ですよ」


 言外に何かを聞いているようだったが――


「――道具とかなんもねぇけど、それでも大丈夫(だいじ)なら」


 余五郎にとって、仕事を選べる立場ではない。


「心配することは、それだけですか?」

「とりあえずは、はあ」


 足の踏ん張りと手の握りがよくなれば、仕事自体はどうにかなるだろう。とは、思っていた。


「始められる体調になったら私におっしゃってください。段取りをつけます」

「――願ってもねぇ」


 余五郎がシノに向き直って立ち上がるとぺこりと頭を下げる。シノは軽く目を伏せうなずく。

 何も話すことがなくなったのか、それから昼の鐘がなるまで、二人並んで座って、不景気な顔のまま黙って街を見ていた。


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