終幕からプロローグへ
ああ、儂はここで死ぬのだと、石野 余五郎は思い至る。
兄たちを戦場から逃がすために殿に立った。
まるで、怒濤のように押し寄せる追手の数は千か。それとも二千は居ようか。
こちらの寄せ集められた手勢は三十にも満たない。それでも、その大浪を堰き止める堤となるべく余五郎たちは残ったのだった。
簡単な策はある。
山間の細い道。そこを見通せる林間の叢に伏せて待ち、横合いから、できるだけ追手の中で偉そうな鎧兜をつけた者に、矢と石を上から撃ち掛ける。ありったけ撃ち終われば、皆で槍を並べて、寄せてまとめただけの布陣で突っ込む。
そうやれと言われた。
それ以外の策が出来るかどうか分からぬし、思いつきもせぬ。なので、それで迎え討つより仕方ない。
そもそも思いついても、余五郎には差配出来ぬ。
だから文句もなければ、むしろ難しいことは覚えていられないので助かった。
余五郎は槍と石を持って一番前にいる。無口、不器用、口下手、朴念仁。そういう性質である。
だから、前に出る。言われぬでも前に出る。
いの一番に前に出る。
ここが良い。ここが一番良い。
そう、決めていた。
今からやることを確認する。石を打ったあとを頭に思い描く。
走り、叫び、手当たり次第に槍で突き、払い、叩く。自分の後ろの者は、儂を楯にして突き、払い、叩く。儂が死んだら、後ろの者が前に出て叩く。
それだけだ。
眼下には、一つ二つではない。群でなして、並んで、固まって、追手がいる。
自分達の間合いの中に既にいる。
みな、笑う。
これほど酷いときは流石に今まで無かったが、大体鉄火場では、みな笑う。
皆が皆、己等が捨石であることを知っていた。
畑も持てぬ痩せた郷里。その郷の機転の利かぬ次男、三男なぞは軍働きで稼がねば、ただの厄介者だ。みな、大体そんな連中だ。
余五郎の家は、名字のとおり石の野だ。なにも作れぬ。なにも採れぬ。物心ついたころには、一番上の兄の下で兄弟全員が戦場で槍を担いでいた。
兄弟は六人いて、半分死んだ。
末の弟は利発なやつだからうまいこと生き残って欲しい。兄はいつものように「死ね」と言って自分を送り出した。
郷の同じ歳のくらいの連中も大体死んだ。
最近は相撲をとって遊んでくれる相手もいない。
(二十二年も生ぎて残れた儂ゃあ運が良がったんだな。)
だからもう、「死」に慣れている。
だから一世一代の晴れ舞台と心が躍る。
こりゃあ祭りだ。先に往生した輩のお祀りだ。
誰か、マシな者を生かすためか、銭のためか、とにかくなにかの為に、誰かに遣われ、己は死ぬ。
余五郎は、そのように思い定めた。
ひゅっと音がする。横の誰かが敵に矢を打ち掛けた。
かねて言われた通りに始まった。
山に馬でくる阿呆は居ない。とにかく、上等の具足目がけて余五郎も石を打ちこんだ。
それが、終わる。
あっという間に、自分等の矢は射尽くし、投げる石も無くなった。
敵はまだ一杯にいる。
みな笑う。
普段表情の動かぬ余五郎も笑って、死地に躍り込んだ。
走り、叫び、手当たり次第に槍で突き、払い、叩いた。余五郎の後ろの者は、余五郎を楯にして突いて、払って、叩いた。
それをした。夢中でした。ただ、した。
それをし続けた。出来うる限り続けた。
そうして、どれくらい経ったか。
捨石が寄り集まってできた、急ごしらえの堤は嵐にばらけて、呑まれて、消えた。
もう余五郎の横にも後ろにも仲間は誰もいない。
おそらく全員死んでいる。
眼も開けられぬような鉄の暴風と槍の雨。血だか、汗だか、視界がゆがむ。聞こえるのは、豪雨と聞き紛うばかりの怒声のみだ。
持っていた槍もどこかにいった。
手には刀が一振りあるだけである。
刃渡りは二尺八寸(約84㎝)。余五郎の唯一の贅沢で買った宝物だ。
刀は高価い。槍より鋼が多いからなのか値段が張る。しかも、今手にあるのは随分吟味した、それ相応の業物である。
よく手になじむものを選び、更になじむよう使い慣らしていたものだ。
今日でこれを使い潰さねばならぬ。
何人斬ったかは、もう分からぬ。気づけば、どうも十や二十ではきかぬほど血華に沈めたような気がする。
刃を鈍くして殴る、叩く、の戦研ぎではなく、切れるように研いである。血脂がついても大丈夫なように、鋸刃に研ぐのは骨が折れた。
この刀は良い。叩き切らんでも、当ててから切ればいい。
ぴたりと寄せて、押し斬るか、引き斬るか。
無論、鉄に当てては刃が大欠けするか折れる。
(だが、こりゃあ、この遣い出は、すきだな。)
目前にいた足軽の頸を“ぬるり”と引き切り、蹴り飛ばす。すると、その後ろの敵共が大分間合いを取っていた。
離れれば矢襖、槍衾で討ち取られるのは道理。とにかく奥へ向かう。
槍で囲まれる前に奥へ。
眼前には横に五人おり、長槍を五本並べて上から叩かれる。かわせそうもない。とても受けきれるものでもない。仕様もない。
体を沈めて、刀を右手一本、左から右上に斬り上げる。
怒号にまみれて音は聞こえぬが、手応えはあった。
槍を一本、打ち下ろすに合わせて半ば程から切り飛ばし、真上に隙間を作る。振り終えた槍に息を合わせて踏み込んだ。
この勢いのまま、槍の繰り手を刺したいが、抜くのに手間がかかる。
やはり斬ろう。そう判断して体を相手にぶつけながら、突くように頸を刃で押し擦る。
血飛沫を浴びながら、斬った相手の横を抜けて、奥へ。奥へ。
立派な具足を着ているものが居れば、それを斬ろう。
相手の後ろでも取らぬ限り、まともな鎧兜に斬る隙間などない。
だが、どうせ後はない。無茶なことの一つも試してみたい。
どうしようもなければ、頸がへし折れるようにでも投げ落とせばなんとかならんだろうか。暇さえあればやっていた相撲の投げを思い出す。
余五郎は、難しいことは分からぬ。
だが、雑兵の長槍は置くか、突くか、叩くか。そんなものだ。それでいて長いから、取り回しが利かぬ。それは知っている。
それゆえに一度懐に入ればなんとかなる。現になんとかなっている。
まあ、その懐に入るのが難儀なのだが。
敵を楯にして切る。斬る。伐る。
大きく、小さく、緩く、早く、止まらず、ぬるぬると動く。息を切らさぬよう、息を止めぬよう。
そうして、そのように、また一人斬り倒した。
すると、きちんと当世具足をつけた武者が前に立ちはだかる。
随分と奥まで辿り着いた。
余五郎は笑う。
相手は頸も頭も胴も脇も脛も肩も腕も鉄で覆われて、どうにも斬れそうにない。背も高い。肉も堂々たるものだ。
余五郎も背は五尺六寸(約168㎝)と低くはないが、細い。
六尺(約180㎝)はあろう、太い体躯。
その武者が余五郎の刀より六、七寸は長い三尺超えた陣太刀でもって攻め寄ってきた。
自分の足は止めずに、体が動きながら、如何するか考える。
刀で受けたら、そのまま刀ごと頭を割られそうな気迫。
そしたら、と迷いなく肚がすとんと決まった。
相手の踏み込みより、相手の想うより速くこちらも思い切り踏み込んだ。
体当たりの勢いのまま、おそらく今日一番の専心にて、ただ刃を“突いた”。
狙うは胴。常ならば、弾き、逸らされるのが道理。そのように防ぐための胴鎧なのだから。
だが、而して鋼の切っ先は――
ぎっ
鈍い音と共に、鎧曲面の芯を捉え、鎧を貫き、見事に肚を串刺した。
儂にこんな芸当ができっとはなあ――
己がやったことに、余五郎は、そう少しだけ呆れて、楽しく思った。
互いの勢いが、真っ向からぶつかり二人の脚が止まった。
次の瞬間、刀を引き戻そうとすると、その鎧武者が陣太刀を捨てて、肚に刺さった刀そのままに自分を抱き捕まえる。
「今じゃ!!!」
鎧武者の声。景色が回る。首と腕を組まれ、いなせず諸共に転がされた。
すると、どどどっと地鳴りのように何かが押し寄せる。
槍だ。
名も知らぬ武者ごと、無数の槍が己に刺さる。
ろくに見えぬが、すぐに分かる。生まれてこの方、何度も刺されている。
目の前には、自分を捉える武者の顔。
見えるのは面頬の奥の目。口。
表情は分かりようもないが、それでも必死の形相だと分かった。
それを見ると、唐突に、どうしようもなく、不憫だと思った。
こんなにいい鎧を着て立派な侍だろうに、儂のような雑兵と相討ちかよ。
自分はよい。どうせ、このように死ぬのは分かっていた。
しかし、この男は野心もあり、出世も栄達もしたかったのではなかろうか。もしかすると、そこそこに名のある家のものかもしれん。
ここにきて、何故かそれが申し訳ない。
「悪ぃなぁ」
そう口から洩らす。が、半分は口から溢れる血で言葉にならなかった。
ああ、と思った。
全身が動かず、熱い。
何も聞こえぬ。
嵐が過ぎて、心中が凪のように静かになる。
終ぇだ。
兄と弟は、首尾よく逃げられただろうか。それを想う。
何人斬ったか覚えていない。
今さら手柄とか、そういうものはどうでもいい。
ただ最後の武者の形相は最期まで覚えていようと思った。
儂のようなもんと、あんな立派な武者が身を捨てて相打ってくれたことが、申し訳なくもあるが、どうしようもなく有り難かった。
次々に大小の思いが心に浮かぶ中、ただ一つの未練が余五郎の胸に湧いた。
もっと剣をふるいだがったなや。
ただ、思うまま剣を振るったのは初めてであった。
自分のためだけに振るった。
それが、どうしようもなく“よかった”。
生まれてこの方、ろくな望みはなかった余五郎だが最後に、そんなふうに思った。
そして、それを最後に余五郎の意識は途絶えたのであった。
名も残らぬ雑兵たちは、数えて百二十一名もの追手を死傷せしめた。
およそ千四百人の追撃隊ではあったが、これにより足を鈍らせざるを得ず、余五郎の兄たちの居る二百の本隊は辛くも逃げおおせた。
死傷者のうち、四十三名は石野余五郎の手によってもたらされたものであるが、敵は余五郎の名を知らず、味方は誰がやったのかを知らない。
乱戦の最中であったせいか、余五郎の死体はおろか何も残らなかった。雑兵の首など手柄にならぬ。
希代の戦果は知られることなく、兵士の噂話として残り、そのうち消えた。
これが、石野余五郎、末期の話である。
この名もなき男の短い話はこれにて終り――
――となるはずであった。
声が聞こえる。
謡のような抑揚ある声がする。
はて。儂は死んだ筈ではなかったか。
あるとは信じても居なかったが、黄泉の平坂ころげておちて、あの世についたか。
夢うつつで、引きずり出されるように意識が浮かぶ。
「かっ、あっ」
声が、いや息がうまく、出ない。
肺腑が、たった今動き出したかのようにぎこちなく、痛い。
全身がひきつって、ちぎれたのか、思うように動かない。
「導師、呼吸が戻りました!」
「治癒魔法を途絶えさせないように」
目が、よう見えね。刺されでもしたんだっけか。
いや、しかし何か灯りがあるのは分かる。
儂は生ぎていんのか。
「かっ、はっ、がっ」
人の声と歌が聞こえる。厳しく、暖かい。
「麻痺魔法をゆるめて、自分で呼吸をさせて!」
「内臓の傷は塞ぎ済み、腹腔内部の血は出来うる限り洗浄済です、あとは経過を報告」
「彼には、女神の加護があるでしょうが予断を許さない状態です」
「脈を診て、安定したら治癒魔法を終了。部屋に移してください」
「――吾等の行いが、神の御業に叶わんことを」
不思議なことに痛みはあまりない。
浮かんだ意識が再び沈む。
余五郎の物語は再び始まるのであった。
「小説家になろう」作品に憧れて、おっさんな作者が書いたものです。いやあ、読むと書くとは大違いでした。むずかしいね、小説って。
ヤマもオチもない短編なので、とりあえず第1話は、2回で終わります。少しだけ物騒な日常作品ですが、気楽にお読みいただければと思います。