一章三話 軍師、何でも屋さんとなる
「パルメちゃん、大丈夫かな?」
銀髪の少女は、赤髪の女の子を心配そうに見つめながら、そう言った。
赤髪の女の子はパルメという名前のようだ。
「薬を飲んで寝れば治ると思うよ。多分ただの風邪だ」
アキトは銀髪の少女にそう答えた。
アキトはパルメと言われた女の子の上半身を少し起こして、薬を飲ませる。
魔法医でも神官でもないアキト。回復魔法は基本しか抑えていないし、医学の知識があるわけでもない。
しかし軍師学校では軍事カリキュラムによって、疫病の見分け方なども学んでいた。
--恐らくは風邪でまちがいない…… だが、アキトは気になることがあった。
「この街に神官や魔法医…… いや、回復魔法を使える人はいないのかい?」
この程度の容態、回復魔法とちょっとした薬があればすぐ治せるからだ。
「もちろんいるよ! 十人ちょっとぐらいかな。だけど皆すごい忙しくて、とても全員を診れないの」
「十人じゃなあ…… 専門的な医者はもっと少ないってことだよな」
この街の人口をアキトは把握しているわけではない。
だが、ここに来る道中通り過ぎた人を見て、明らかに少ないということは察しがついたようだ。
加えてアキトは、この街の人々の健康状態が悪いということも分かった。
まずは帝都の市民のように太っている人間が皆無だということ。
ただそれだけなら珍しくない。だがアキトの前の女の子パルメ、それにここまで来る人は皆、病的なまでにやせ細っていた。
アキトの隣にいる銀髪の少女も、そこまでではないが随分と細い。
畑が壊滅しているので、主食の小麦も取れないのだろう。目抜き通りを通っても、パンの焼ける匂いが全くしなかった。
アキトが街道で見た人々が運んでいた物。木の実や野草。
それらがこのアルシュタットの人々の主食で、良くて魚が手に入るぐらいだった。
「ところで、お兄さん…… 誰?」
「ああ。ごめん、言い忘れていたね。俺はアキト。帝都からアルシュタート大公の軍師になるためにここに来たんだ」
「軍師? 何それ?」
「何、と言われると難しいな」
相手は子供。
軍師とは、戦闘、内政等、幅広い分野で為政者に助言、献策する者。
……などと言っても通じるかは分からない、とアキトは頭を悩ます。
「そうだな…… 何でも屋さんって言えば分かるかな?」
「何でも屋さん? じゃあ、スーレの言うこと何でも聞いてくれるってことだね!」
「そう言うことになるかな…… ん、スーレ? そうだ、そのスーレさん、アルシュタート大公に会わせてくれるか?」
「スーレはわたしだよ!」
「え?」
アキトは思わずそう言った。銀髪の少女の方は、アキトを見て不思議な顔をしている。
そして銀髪の少女は、大きく息を吸ってこう言った。
「わたしこそがこのアルシュタットの領主にして、アルシュタート大公スーレ!」
銀髪の少女は元気な声で自己紹介した。言い終わると少し恥ずかしそうにして、両手を腰に胸を張ってこう続けた。
「……えっへん! 偉そうでしょ! お父様の真似だよ」
アキトはそれを見て驚いた。まさかこんな小さな少女がアルシュタート大公だとは。
「き、君、何歳なの?」
「わたしは十歳だよ。アキトは?」
「俺は十五歳だけど……」
自分も軍師としては相当に若い。だが目の前のスーレはまだ子供と言って差し支えない年齢だ。
お父さんは、とアキトは聞きそうになった。だが、先程の執事リベルトの言葉を思い出す。
きっと何らかの理由で死んでしまっている。こんな小さな子にそれを聞くのは酷だと、アキトは言うのをやめた。
「スーレ。いや、大公殿下」
アキトはそう言った。自分はスーレの軍師だということを伝えようと。
だが、スーレは……
「スーレで良いよ! 何、アキト?」
アキトはその言葉を聞いてこう言った。
「これから俺は…… 君の何でも屋さんだ」
こうしてアキトはスーレに仕えることになった。
およそ主君と軍師のむつかしい契りとは思えないこの光景。
だがこの”約束”が、後に繁栄を極めるアルスの運命を決めた出来事になったのである。
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「こっちだよ! アキト、こっち!」
「待ってくれ!」
アキトはそう言ってスーレを追う。
足には自信が有ったアキトだが、スーレには一向に追いつけない。
痩せているのに何という健脚だ…… アキトはスーレを見てそう思った。
「アキト様、私に乗っていかれますか?」
アキトの少し前にいたリーンが、そう気遣う。
青い身体をプルプルと震わせ、体の一部をアキトの手に伸ばす。
アキトはそのひんやりとしたリーンの体を手で取り、こう言った。
「ありがとう、リーン。俺は大丈夫だ。そうだ、俺よりベンケーは……」
アキトは後ろを振り向いた。
そこにはゴーレムのベンケーが、地鳴りのような音を響かせてその巨体を動かす姿が。
アキト達とはずいぶんと離れてしまった。道行く人たちは皆、自分たちの三倍も背丈が高いベンケーを見上げて驚いている。
小さい子供達はそんなベンケーに興味津々なのか、後ろから群を成して付いていっているようだ。
「ベンケー! ゆっくりでいいからな!!」
アキトがそう言うとベンケーは大きく手を上げて応える。
ベンケーの影は更に大きくなった。
ベンケーの後ろの子供たちはそれを見て、「「おお」」という声を上げる。
少し広いところに出たら、子供達と遊ばせてやろう。アキトはそう考え付く。
引き続き、スーレを追うアキト。少し小高い場所を登ったところは、大きな広場だった。
白い柱の並んだ神殿から放射状に広がる広場。この広場こそ、ここアルシュタットの中央広場だった。
だがその美しい広場に広がるのは、横たわる人々。
順番に神殿の神官や、修道女が回復魔法をかけたり薬を与えているようだ。
「大司教様! パルメ、ベッドで寝かせてきたよ!」
「おお、大公閣下。ご協力感謝いたします」
スーレにそう答えたのは、立派な白髭を生やした大神官だった。
だがマヌエルはスーレを見た後、不審な目をアキトに向ける。
「うん? そちらの男の方はどなたかな?」
「アキトだよ! わたしの何でも屋さんなんだ!」
「ほう……」
大神官は、アキトに対する表情を緩める。
アキトは頭を下げて大神官に挨拶した。
「私はアキトと申します。帝都の軍師学校から参りました」
「ほう、それでは大公閣下の軍師に…… ワシは、アルシュタート大司教、マヌエル。申し訳ございません、リボット家の私兵かと思いまして、睨んでしまいましたわい」
「……リボット家?」
「ええ、この街に本拠を構える商人、いや、くずどもで…… 噂をすれば来たようです」
マヌエルはそう言って、広場で大声を上げる者達の方を向く。
アキトもそれに倣い、体を振り向かせた。
騒いでいるのは槍を持った傭兵たちだった。
十人ほどいる傭兵は、一人の女性と一人の女の子を囲んでいる。
親子であろうか、とアキトは二人を見る。来ている服はボロボロで、脚はやせ細っている。
女の子は震えて、お母さんの脚に引っ付いているようだ。
傭兵の一人、禿げ頭の傭兵がこう言った。
「……払えないって言うなら、体で払ってもらおうか!!」
「勘弁してください。もうお金はお返ししたじゃないですか! そんな膨大な利息を払う契約を結んだ覚えはありません!」
どうやら借金の問題らしいと、アキトは会話の内容から推察する。
どちらに非があるかは分からない。だが暴力沙汰は防がねばいけないと、アキトは考えた。
「リーン、奴らが手を出そうとしたら妨害を頼む」
「かしこまりました、アキト様!」
リーンはアキトの言葉に応え、するりと移動する。アキトも傭兵たちに向かって歩き出した。
マヌエル大司教がそれを見て、アキトを止めようとする。
「あ、アキト殿! やつらは悪名高き奴隷商人の手先。下手に手出しは……」
アキトはマヌエル大司教の言葉に、それならば遠慮はいらないな、と刀の鞘に手をかけた。
「マヌエル大司教。治安の維持も軍師の務めです。お任せを。スーレ行ってくるよ」
「うん…… でも、気を付けてねアキト」
「もちろん。任せてくれ」
不安そうなスーレに、アキトは笑って答えてみせた。
アキトは傭兵の元へ歩き出す。
「アキト殿……」
そう言ってマヌエル大司教は、アキトを見つめた。
他の者達も、傭兵に向かうアキトに視線を送る。
皆手が出せなかったリボット家の傭兵。それに逆らう愚か者がいるとは、と驚きを隠せないようだ。
「……ぐだぐだとうるせえ! 口答えするんじゃねえぞ! 払えねえならその子供を売ってもらおうじゃねえか!!」
そう言って禿げ頭の傭兵は、他の傭兵たちと一緒に女の子を引き離そうとする。
「待て」
そう言って禿げ頭の傭兵の手を掴むアキト。
「な、なんだてめえ?!」
「人身売買とは聞き捨てならん。魔物を取引するのも許可証が必要だし、人間を取引するのは帝国法で禁止されているはずだが?」
アキトの言葉に、手を無理やり放す禿げ頭の傭兵。
「は、はあ?! お前、俺達が誰だか分かってんのか?!」
「くずの奴隷商人、その金魚の糞ってことはな」
「ぅんだとぉっ! おい!」
傭兵が十人ばかり、アキトに槍を向ける。
「市街地で暴力沙汰を起こすのは、処罰の対象だぞ?」
「ごちゃごちゃとうるせえんだよ! やっちまえ!」
禿げ頭の傭兵のその声で、三人の傭兵が槍でアキトを攻撃する。
アキトは刀を抜くと、その穂先を切り捨てた。
「こ、こいつ! 剣に覚えがあるのか。おい、全員でかかるぞ!」
槍を斬られた傭兵は剣を抜き、他の槍を持った傭兵と共に、アキトとの距離を詰める。
だが一人、いや二人三人と足を滑らせる。
「な、なんだ足がぬめぬめして! 隊長、動けません!」
「何をふざけている! ええい、不甲斐ない奴らめ!」
禿げ頭の傭兵はそう言って、アキトに突っ込んできた。
アキトは刀の峰を向け、禿げ頭の傭兵の腕、足、頬と打撃を喰らわせる。
禿げ頭の傭兵は打たれた頬を手で押さえ、涙声を上げてる。
--やはり、兵などと呼ぶのがおこがましいぐらいに、弱い者達だ。
そこらの山賊の方がまだ強いだろう……
このままでは防衛戦力としては役に立たない…… アキトはいずれ来る南魔王軍との戦いを憂い、肩を落とした。
「い、いてえっ!!」
「傭兵のくせに殴られたこともないのか? 人を殴るのは慣れているようだが?」
「き、貴様あ! 殺せ! こいつを殺せ!!」
禿げ頭の傭兵の声に応じて、五人が一斉にアキトへ迫る。
だが、リーンが、アキトを支援するように傭兵の足を止めてくれる。
おかげでアキトは、敵の武器を狙って落とすことが容易になった。
大勢でかかってもアキトを倒せない。
傭兵の一人がこう言った。
「た、隊長。こいつは俺らが倒せる相手じゃ」
「っ! 弱音を吐くんじゃない! 相手は一人だ!!」
そう禿げ頭の傭兵が言った瞬間。その禿げ頭の上を巨大な影が通り過ぎる。
「え?」
思わず冷や汗をかく禿げ頭の傭兵。
岩が砕ける音が、傭兵たちの後ろに響いた。
「ベンケー、むやみに投げるんじゃない!!」
アキトはそう言って、後ろを振り返った。
そこには神殿の前で、その柱の高さまであるゴーレム、ベンケーがいた。
アキトの言葉に申し訳なさそうに頭を下げるベンケー。だが、先程から付いてきている子供達は、ベンケーを称える言葉を送っている。
ベンケーは、照れ臭そうにその岩の頭を掻きだした。
「お、おい、何だよあれ?!」
傭兵の一人がそう言って、ベンケーを指さした。
傭兵だけじゃない。広場の人も皆ゴーレムを見て、驚いている。
「隊長…… さすがに」
「ああ、撤退だ! あんなの勝てっこねえ! 屋敷まで撤退だ!」
禿げ頭の隊長の言葉に、傭兵たちは皆、逃げようとする。
だが、次々と転ぶ傭兵たち。そして、皆上手く立ち上がれないようだ。
ぬめぬめとした足場。皆、何度も滑っている。
広場の人達はそれを見て、皆、笑い出した。
傭兵は恥ずかしさで、更に焦って立ち上がろうとするも、すぐに滑ってしまう。
「リーン。もういい。それぐらいにしとけ」
「……これで終わりですか。かしこまりました、アキト様」
リーンはそう言って、再び地面に広げていた体を一つに戻した。
やっと立ち上がることができた傭兵たち。皆、そそくさと広場の外へ逃げていく。
「お、覚えてろよぉ!!」
禿げ頭の傭兵はそう言った。
それを広場の人々は笑いながら見送るのであった。