一章最終話 軍師、師駒に感謝する
「アキト!」
スーレがそう叫んで、アキト達の元へ駆け寄った。セプティムスとハナ、ベンケーもアキトの周りに集まる。
命からがら逃げてきた兵士たちは、砂浜で待機していた人々から水や食料を受け取っている。
アキトは、こう言った。
「スーレ聞いてくれ。マヌエル大司教は」
「え?」
アキトは、スーレにマヌエル大司教がアルシュタットに残ったことを伝えた。
そして無理にでも連れて来なかったことを謝る。
それを聞いたスーレは、アキトへこう答えた。
「大司教様…… 分かった。大司教様は嘘を吐く人じゃないから!」
「そうだな。マヌエル大司教は、また俺達の元に帰ってくる」
アキトはスーレにそう答えた。
嘘を吐く人ではない。それはアキトにも分かっていた。その顔が嘘を吐いていなかったように。
しかし、とアキトはアルシュタットの神殿の方を見た。以前は見えていたはずの高い屋根は、今では見ることができない。
アキトは本当にこれで良かったのかと後悔する。
そんなアキトに、スーレが驚きの声を上げる。
「アキト! それ……」
スーレの視線は、アキトの手に握られていた杖に向けられていた。
アキトが海底で拾った、天使の羽の彫刻が付いた杖。
「やっぱ、エリオさんの物か」
「うん。おじい様ので間違いない。わたしが小さい時、おじい様は必ずそれを持ってたから……」
「そうか。じゃあ、これはスーレが持ってないとな」
アキトはスーレへ杖を渡した。
スーレは涙ぐみながら頷くと、その杖を受け取った。大事そうに杖へ、頬を寄せるスーレ。
「おじい様の…… アキト、ありがとう」
「俺は拾っただけだ。フィンデリアが海を開いてくれたんだから。きっとその杖が、スーレにも良い出会いをもたらしてくれるはずだ」
「うん!」
スーレの声にアキトは、自分の師駒達の顔を見た。そして頭を下げる。
「皆、本当によくやってくれた。アルシュタットへの移住計画が上手く行ったのは、皆のおかげだ」
アキトの言葉に、まずセプティムスが答えた。
「アキト殿の計画があればこそ、ここまで逃げてこられたのです」
「某、此度はこれといった手柄を立てておりませぬ、アキト殿。礼には及びませぬよ」
「姉様の言う通り。旦那様のため尽くすことは、我らにとっての悦びですから」
シスイとアカネも、アキトへそう返した。
「いや。セプティムスと軍団は、細かいことから居住区の水道まで幅広く仕事をこなしてくれた。シスイとアカネは偵察、それに先程矢を放った者達へ訓練してくれたじゃないか」
アキトは、ハナとベンケーに向かって更に続ける。
「ハナは食料の生産、ベンケーは居住区の建設をやってくれたな。それに、リーン。お前が危険を冒してまで敵の接近を知らせてくれたり、流言を放ってくれたおかげで、俺達はここに立っている。皆、改めて礼を言わせてくれ」
そう言って、アキトは再び頭を下げた。
それを見た師駒達は、皆アキトへ微笑んだ。ベンケーだけは、胸をドンドンと叩いて喜んでいる。
「そんな皆の働きに、俺は何か報いたい。しばらくここでは貧しい暮らしを強いられることになると思うが、俺に出来ることなら何でも言ってくれな」
アキトはそう言い残して、足早にフィンデリアの方へ向かって行った。
スーレもそれに付いていく。
アキトの言葉に、アカネははしゃぐ。
「聞きました? 姉様。旦那様が望みを叶えてくださるそうですよ! わたくしは床を共にさせていただこうかしら」
「アカネよ…… 我らは本当に手柄を立てていない。それで褒美に与ろうなどと」
「む! 姉様は本当に堅物ですね!」
アカネはシスイの言葉に、頬をぷくっと膨らませた。
それを聞いていたセプティムスがこう口を開く。
「あれもアキト殿のお優しさの顕れなのだろう。師駒に過ぎない我らに、礼を言うのだからな」
「うむ。主君は、家臣に討ち死にしろと言うのが、その務め。アキト殿は、正反対だ」
「そ、そんな乱暴な主君がいらっしゃるのですか?」
アカネの答えにセプティムスは、困惑した表情を見せる。
「私としては、アキト様のためもっとお役に立ちたいです」
リーンは、独り言のようにそう言った。
セプティムスはその言葉に答える。
「うむ、リーン殿の仰る通り。我らもより一層アキト殿のため、尽くさねばいけませんな」
「某とアカネは戦闘以外、とてもお役に立てぬ。何かしら、我らなりにも貢献できることを探さねば」
シスイの言葉に、ハナが何やら人には分からない言葉で語り始める。
「何々。私はアキト様に、育てた美味しい物を食べていただきたい…… ハナ様、素晴らしいお考えです!」
リーンはハナの言葉を訳した。ハナはその植物の成長を早める力で、美味しい物をアキトへ食べさせたかったのだ。
そんな中、セプティムスはベンケーが何かをしていることに気が付く。
「うん? ベンケー殿何をされて?」
ベンケーは近くの岩を取り出すと、それを器用に掘り出していく。一分もかからない内に、アキトの等身大の彫像が出来上がった。
少し本物のアキトを美化したような顔立ち。持ってもいない立派な剣を、天に向かって突き上げている。その像を見て、アキトの師駒達は驚く。
「おお! これは何とも見事な!」
セプティムスは声を上げて、ベンケーを褒めたたえた。
他の師駒達も、ベンケーを褒める。
「ああ、何と勇ましい!! わたくしにも一体下さい、ベンケー様!」
アカネの言葉に、ベンケーはもちろんと頷く。
「お見事です、ベンケー様! 私の変身能力以上です」
リーンも、ベンケーが作った彫刻をそう評価した。
ベンケーは、恥ずかしそうに自分の頭を掻く。
アカネは、それを見て再び口を開いた。
「姉様、これは負けておられませんよ!」
「うむ。しかし、アカネ。我ら姉妹は何をすれば良いのだろうな」
「まずは湯浴みの際、アキト殿のお背中を流すというのはどうでしょうか!」
「それは名案だ! だが風呂など有るのか?」
シスイの声に、セプティムスが答える。
「浴場なら造ったことがございます。ベンケー殿のお力が有れば、民衆のための大浴場も造れるでしょう」
「おお、ならば早速お願い申し上げる。我ら姉妹もお手伝いしますゆえ!」
シスイはそう言ってセプティムスとベンケーへ頭を下げた。
いつしかどういう褒賞をもらうかと言う話ではなく、アキトへどう尽くすかに、師駒達の話題は移っていった。
盛り上がる師駒達を背に、アキトはスーレと共にフィンデリアの前で足を止める。
素足で砂浜に立つフィンデリア。長いブロンドの髪と白い長衣が、潮風に揺らされた。 すっかり昇っていた陽の光が、その髪と服を照らす。
海を割るという神業も相まって、アキトにはフィンデリアが女神のように見えた。
「フィンデリア…… ありがとう。君のおかげで、皆を助けられた。だが、体の方は大丈夫なのか?」
アキトの言葉に、フィンデリアは海水を指さした。
ただの綺麗すぎる透明な水。一瞬アキトは頭を捻るが、すぐにその意図を理解した。
「アルスの水…… マヌエル大司教が人々を癒す水って言ってたな」
アルス島の頂上、丘の上の湖に湧き出るアルスの水。
その膨大な水の力が、フィンデリアに海を割る力を授けたのだろうと、アキトは納得する。
スーレはアキトへこう言った。
「昨日からずっと、フィンデリアさんにアルスの水を飲ませていたんだ」
「そうだったのか。この水でフィンデリアは元気になれたんだな。スーレ、ありがとうな」
「わたしなんて何も。このアルスの水がすごいだけだよ」
「スーレが看病してくれなかったら、こんなにフィンデリアは元気にならなかったぞ」
アキトの言葉にフィンデリアは頷いた。
「そうかな?」
「もちろん、誇っていいことだよ。スーレもアルシュタットの人々を救ったんだ」
スーレはそれを聞いて照れる。
そんなスーレを微笑ましく思いながら、アキトはフィンデリアへこう続けた。
「しかし、本当に良かった…… もう君が目覚めないんじゃないかって。君がいなければ、俺はここにいなかっただろう」
フィンデリアは、それを聞いて顔を赤らめる。その恥ずかしさを紛らわすためか、すぐに両手を腰に置いて、どうだと自慢するようなポーズを取った。
スーレが口を開く。
「フィンデリアさん、本当にすごかった! わたしもあんな魔法が使えたらな」
「スーレ。多分、あれは魔法じゃ真似できないと思う。って、フィンデリア何を!」
フィンデリアは再び、両手を天にかざす。すると、アルシュタット側へ大きな波を引き起こした。
沿岸の南魔王軍を殺すつもりだろうか、とアキトは焦る。
「ま、待てフィンデリア。これ以上、殺す必要は!」
アキトはそう言って、アルシュタット側の砂浜を見た。すると、そこには続々と南魔王軍の魔物が打ち上げられているではないか。
「魔物達を、助けてあげたのか」
フィンデリアは、アキトを見て深く頷いた。
その圧倒的な力にも関わらず、殺生を好まない。アキトはフィンデリアに感心した。
師駒が元々何なのか、どこからやってきたのはアキトや人間にはよく分かっていない。帝国の軍師達の間では、違う世界の人間や魔物だとか、天に召された者達なのだと言われている。
しかし、どれも推測の域を出ない。師駒は決して、自分がどうしてこの世界に召喚されたのかを語らないからだ。
「すごい…… フィンデリアさん、かっこいい!!」
スーレはフィンデリアの足元へ抱き着く。
フィンデリアは嬉しそうに微笑み、スーレの頭を撫でてあげた。
髪の色は違えど、まるで親子みたいだと、アキトは心を和ませる。
そんなアキトの名を呼ぶ声が。
「アキト様!!」
声の主はリーンだ。その後を追う、アキトの師駒達。
リーンはアキトの胸へ飛び込むと、こう言った。
「私達、アキト様へ進言したいことが有るのですが!!」
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こうしてアルシュタート大公領の人々の新たな生活が始まった。
風光明媚なアルスの島々。大陸との間には、南魔王軍を阻む海と潟湖が広がっている。
質素な家と、いくつかの農地しかないこのアルス。それが帝都や魔都をはるかにしのぐ大都市になるのは、そう遠い未来の話ではなかった。
アキトは、スーレ、師駒、領民と共に、このアルス島を発展させていくのであった。
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夕方を迎えるアルシュタットの広場。今朝ウドゥルが死んだと聞いて、アルフレッド王子は急ぎアルシュタットへ入城していた。
「面目有りません…… アルフレッド王子」
パシュバルは額を地に付けて、アルフレッド王子へ謝罪する。
アルフレッド王子は、八本足の黒馬の上でパシュバルに答える。
「いや、パシュバル、顔を上げてくれ。これは私の責任だ。こんなことになるとは予想もつかなかったからね」
「いえ、アルフレッド王子は何も!! 僕がもっと警戒していればこんなことには」
「ウドゥルは…… まあ、惜しい事をしたが、海にのまれた者も少しづつ帰ってきているのだろう?」
「はい。ですので、思ったよりも被害は軽いかもしれません。しかし、海が割れたと思えば、今度は大波が迫ってきて…… もう僕の頭は、理解が追い付きません」
「うん。にわかには信じがたいことだね。だが、これであの島には、とんでもない化け物が潜んでいることが分かった。放って置くわけにはいかないな」
「攻めるのですか?」
「まさか! 船もない我々に何ができる。空を飛べる者は少数。空から攻めるのも難しい。だからと言って、このまま放置するのは後方を衝かれる恐れもある。 ……困ったものだね」
「何もさせないという交渉が出来ればいいのですが。ああ、そう言えば。アルフレッド王子…… これを」
パシュバルは思い出したように、アルフレッド王子に金の師駒石を渡す。
「ほう? これは随分と立派な師駒石だな」
「この神殿の神官…… 私を救った師駒が残した物です」
「ふむ。使えるかもしれないね」
パシュバルから渡された金の師駒石を見て、アルフレッド王子はそう言った。
--どうする? こんなところで遠征が躓くなんて。
アルフレッド王子は必死に頭を捻らせ、アルスへの対処を考えるのであった。
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軍師学校の、学長室。
その中でエレンフリートは一人、メルティッヒの布陣図を見ていた。
あの時どうすれば、リヒト以上の勝利を収めることができたか。メルティッヒの戦い以降、エレンフリートは毎晩のように、こうして頭を悩ませていた。
だが回答は出てこない。勝ちの判断も、全ては理論上での勝利。それですらリヒトの勝利には遠く及ばない。
エレンフリートの白髪頭はすっかり伸びっぱなしとなり、パサついていた。
「くそっ!!!」
エレンフリートはそう言って、布陣図を置いた机を両手で叩く。乗せられていた駒のいくつかは、机から転げ落ちていった。
「くそがっ!!! あの若造がっ!!!」
更に布陣図をビリビリに破り始めたエレンフリート。
自分より若いリヒト。しかも自分の学校の生徒が自分を超えるなどと。
利己的なエレンフリートは、それが許せなかった。
そんな中、扉を叩く音が。
「誰だ?!」
エレンフリートの声に、真っ黒いローブを身に着けた者は許可もなしに扉を開ける。
黒いフードを目深く被った男は、学長室に入り、エレンフリートに向かってこう言った。
「エレンフリート…… 真の皇帝陛下が、あなたを必要としておられる」
リヒトの勝利に沸く帝国。
その帝国の裏で、動き出す影があった。




