序章二話 軍師、駒を得たり
アンサルスの敗戦から二か月後。
帝国軍は南魔王軍に対し、攻勢に出ることはなかった。南方軍総司令官、ディオス大公が城砦を中心とした籠城戦に切り替えたからだ。
戦略としては無難。一進一退の攻防が帝国軍と南魔王軍の間で展開された。
しかし、帝国南部の農村区や城壁を持たない街はもれなく南魔王軍の手に落ちていく。
--それを知っているのに、自分は何もできない……
この戦乱とは遠く離れた帝都軍師学校の教室、窓際の席でアキトは遠く空を眺めていた。
軍師学校という、安全地帯にアキトはいた。
帝国にはいくつか学校が存在しているが、軍師学校はその一つだ。
そもそも軍師というのは、所領を持つ者の補佐をするのが仕事で、その軍師を育成するのが、この軍師学校であった。
他の士官学校や貴族向けの学校が一つの専門家になるのに対し、軍師学校はそのどちらも勉強しなければいけない学校であった。
軍師は仕事上、軍事と内政に関する助言を領主に行うからだ。
領主の命令が有れば、軍の指揮を任される事もあるし、領主不在の間、内政を担当することにもなる。
そういった仕事の幅広さから、軍師学校は、未来の領主も通う場所となっていた。
その未来の領主様が、何やらアキトの隣で騒いでいた。
黒い学生服を着た男女が向かい合って机に座っている。
女性は待ちきれないと、男にこう急かした。
「早く開けましょ、セケム!!」
「そんな急がなくたって大丈夫だよ、エルゼ」
エルゼという女性にそう答えたのは、エレンフリート学長のお気に入りセケム・リュシマコスだ。
セケムの向かいに座る女性。長い黒髪を頭の後ろでまとめたエルゼは、セケムの持つ麻袋に黄色い瞳を向ける。
学生服の黒いスカートは、長くほっそりとした白い脚を他者に見せびらかしたいのか、どうにか下着が隠れるような長さまで短くしている。
この女性の名は、エルゼ・フォン・エレンフリート。苗字から分かる様に、この軍師学校の学長ルドルフ・フォン・エレンフリートの娘だ。
セケムは袋からじゃらじゃらと、光る石を机の上に広げる。
エルゼがそれを声に出しながら、指でそれを数える。
「だいたい黄石が五、白石が十…… ”ナイト”が出る確率も有るわね」
「白石からも、極まれに”ナイト”が出るらしい」
「本当? 白石から出た”ナイト”なんて、ランク低そ」
セケムとエルゼが話してるのは、師駒のことであった。
師駒は、言ってしまえば、消えない召喚獣のようなものだ。
召喚魔法の召喚獣は存在できる時間に限りがある。そして術者が魔法を解けば、召喚獣は消えていく。
それに対して、師駒は一回召喚すれば、召喚者の持つ師杖が壊されるか、師駒自身が殺されない限りは地上に存在し続ける。
その師駒にはクラスやランクが存在している。
セケムと、エルゼが口にした”ナイト”というのは、その師駒のクラスの事だ。
アキトは教科書を机から出して、師駒についてのページを開く。
帝国の|師駒(ピース)管理局の定めるクラス……
キング、クイーン、ビショップ、ナイト、ルーク、ポーン。
例外も結構な数が存在されているが、ほとんどはこれらの中のどれかに該当する。
キングが一番強くて、ポーンが一番弱い。その認識は子供に言い聞かせるのは、間違いではないかもしれない。
実際問題、キングの能力値をポーンが上回った例はない。しかし、キングより強いクイーンはいるし、ポーンよりも弱いナイトも存在する。ビショップの魔法能力はしばしば、キングとクイーンを上回る。
そう。あくまでクラスは、何が得意かの指標に過ぎないのだ。
では強さは何を以て表すのか。
それは師駒管理局の定めるランク表で分かる。
軍師協会の格付けも同じだが、そのランクは、父祖の文字A~Fの順で表す。
A級が一番強く、B、C、D、E、Fの順で弱くなっていく。
規格外の強さには、S級と付けられることもある。
しかし帝国の歴史でS級の師駒を召還した者は、初代皇帝マリティア一世以降現れていない。
「とにかく三人目のナイトが欲しいんだ」
「あんた、すでに百個ぐらい師駒石を使ってんじゃない?」
「うん、おかげでF級のポーンばっか引いているがね。まあ、それでも正規兵ばりに戦えるから、私兵としてはちょうどいいんだが」
師駒は、絶対的な忠誠とその人間離れした能力で、師杖を持つ者すなわち主人に奉仕する。
それにとどまらず、周りの味方の能力を上昇させたり、他者の能力改善も行えるのだ。
それ故、戦闘に使役されることが多い師駒だが、土木建築、採掘、生産、農林水産業…… 内政方面で力を発揮する師駒も最近では増えてきているようだ。
将軍や為政者に助言をし献策する軍師には、師駒は正に必須と言って良い。
この師駒のランクは、軍師のランクにも影響する。
そして本来であれば、軍師のランクは戦績によって評価される。
だが、所有している師駒の数とその強さも、軍師協会の格付けに少なからず参考とされるのだ。
つまりは、実戦で戦功を立てられない軍師学校の生徒や新米軍師にとっては、師駒のランクと所有数が自分のランクを決めると言っても過言ではない。
……だから、師駒のないアキトは、剣術で一番強かろうが、歴史の試験を満点になろうが、全く評価されることがなかった。
軍師学校での成績と軍師協会の格付けは、イコールではない。
また、この前のアンサルスでの活躍は、軍師協会の役員でもあるエレンフリートの意向もあって、戦績とは見なされなかった。
なので、アンサルス以前と変わらず、アキトは軍師協会の最底辺F級軍師として日々を過ごしている。
「とにかく引いてみなさいよ。後で、私にも一個くれるんでしょ?」
「もちろん。じゃあ、引いてみるとしよう」
エルゼにそう答えて、セケムは自身の師杖を取り出した。
師杖などと呼ばれてはいるが、その形態は何も杖に留まらない。セケムの師杖は、どうやら刃以外すべて彫刻が施されている白銀の斧のようだ。
師駒の召喚方法は簡単だ。師杖で、師駒石を一回叩くだけ。
早速セケムが、黄色い師駒石をその仰々しい師杖でポンと叩いた。
「頼む!! ナイトよ来てくれ!!」
セケムは神に頼む様に、大声を出した。
光る師駒石…… 光が収まり現れたのは、風変わりな鎧に身を包んだ男だった。
「ポーンか、ナイトか……」
セケムは真っ新な紙を一枚机の上に取り出すと、師杖をそれにかざした。
「ちっ、D級のポーンか……」
悔しそうにそうぼやくセケム。それを見たエルゼはこう言った。
「良かったじゃん。D級なら、ポーンの中では上級でしょ?」
「そうなんだが、やっぱナイトが欲しいんだ。だが、まだ師駒石はこんなにある。どんどん、召喚するぞ!!」
セケムはそう言って、次々と師駒を召還する。
だが期待もむなしく、ポーン以外出ないようだ。
増えてきたポーンたちに、師駒が控える侍人棟へ移動するよう伝えるセケム。
アキトはポーンばかり出るのも無理がない、と心の中で呟いた。
師駒石の色によって、召喚できるクラスの確率は異なる。白石では、ほぼポーンが。まれにナイトかルークが出てくる。黄石は白石よりもいくらかナイトが出やすいが、それでもほとんどポーンだ。
白石ではなく、黄石を沢山用意すれば、ナイトを引き当てるかもしれない。
しかし、師駒石は非常に高価なのだ。
白石一つで、帝都の一般的な市民の家を買えてしまうような代物だ。
セケムは、父親であるリュシマコス大公の財力によってこれだけの師駒石を調達した。
だが、普通の軍師学校の生徒であれば、入学時に必要な師駒石一個だけで終わってしまう。
運よく手に入れても、一年に一個手に入れられるかというものなのだ。
もちろん、アキトも親から師駒石を与えられた。
軍師学校に預けられたそれを、早速入学時に使ってみたが……
壊れた師駒石だったのか、全く反応がなかったのだ。
そうして、一つの駒も持たない”駒無し”のアキトという生徒が出来上がった。
「くそ! 最後の一個になってしまったぞ!!」
「セケム、あんたさっき私に一個くれるって言ったよね?」
「……約束は守る。まあ、どうせ白石だからな」
「やったあ! じゃ、早速引いてみるわ!」
エルゼはそう言って、自身の師杖である鞘に入った短刀を取り出す。
そして短刀の柄で師駒石を叩いた。
「ナイト、こい!!」
エルゼがそう言い終わるや否や、光が収まる。けれども、エルゼの目には何も見当たらない。
「人型じゃない?」
「もしかして、聖獣かもしれないぞ、エルゼ」
セケムも周りをキョロキョロと見まわしてそう言った。
「え? もしかして、こいつ?」
エルゼは一点に視線を止め、そう言い放った。
師駒の召喚についてもう一つ大事な事。
それは、師駒石には人間しか出ないもの、魔物しか出ないものなども存在しているのだ。
エルゼが召喚したのは、青みがかった透明のスライムだった。人間の頭ほどの大きさで、プルプルと震えている。
「スライム…… F級のポーン」
エルゼは師杖を紙にかざしてそう言った。
「ちょっとセケムどういうことなのよ!!!」
「わ、わからないよ! ん? これってもしや白魔石?」
使用済みの師駒石を見て、セケムはそう言った。最後にエルゼが使った師駒石は、セケムが使ったものよりも黒ずんだ色をしている。
「白魔石?! 白石と見分けがつかない奴よね。魔物が使うやつじゃん。はあ……最悪」
エルゼは立ち上がってスライムを見下ろす。そしてスライムに師杖を、叩きつけた。
一瞬、光のようなものがスライムと師杖の間で弾けた。
エルゼが行ったのは主従関係の解消である。
「本当、最低な気分よ…… ねえ、アキト! あんたこれ外に捨ててきなさい!」
突然のことにアキトはビクリと体を震わせる。
「お、俺?!」
「F級軍師が、このD級の私に逆らうっていうの?!」
「逆らうとかそう言う問題じゃなくて。別に魔物でもいいじゃないか?」
「馬鹿なのあんた?! 魔物なんて下等な生物、この世から消えるべきなのよ!!」
そういってエルゼは、風魔法でスライムを窓の外に吹き飛ばした。
べちゃりという音が教室の外から響く。
「なんてことするんだ!?」
アキトはすぐに窓から身を乗り出して、校舎の四階から校庭を見下ろした。
スライムはバラバラになったが、今一度体を元に戻そうとしているようだ。
……だが長くはないだろう。師杖から切り離された師駒は、主人がおらず本来の能力を発揮できない。
回復力もそのうちの一つだ。
「まーだ死んでないのね…… ゴミ捨てたって父上から怒られちゃう。消し炭にしてくるわ」
窓からスライムを見たエルゼはそう言って、廊下へ行こうとする。
「待った、エルゼ……」
「なに、セケム?」
セケムはひそひそとエルゼに何かを伝えた。
「ぶっ何それ…… セケム、あんたやっぱ天才だわ」
「だろ?」
エルゼとセケムは目を合わせて笑う。少ししてエルゼがアキトにこう言った。
「アキト、あんた駒ないじゃん。だったらあのスライム、駒にしちゃえばいいじゃない?」
「お前が召喚した駒だ。なんで俺が?!」
アキトはエルゼに振り返り、そう答えた。
「したくないならいいんじゃない? でも、あのスライム、このままだと死んじゃうわよ?」
エルゼの言葉に、アキトはもう一度窓の下のスライムを見る。
「ま、死んだって誰が困るわでも、悲しむわけでもないけどね!」
「……この人でなし」
アキトはそう言ってエルゼの横を通り過ぎた。
「本当に助けるんだ!? やっば!!」
エルゼはそう言うと、意地悪そうに笑いだす。セケムも腹を抱えて笑っているようだ。
アキトはそれに振り返らず、ただ校庭へと階段を下りていった。
つい百年前までは、帝国は人間と魔物が共存していた。しかし、五十年前、北と南の魔王軍と戦争になってからは、ここ帝都で排斥運動や、奴隷化が活発化している。
アキトは魔物を差別するような人間ではなかった。
しかもこの前のアンサルスの戦いで、魔物は人間と変わらない戦争ができることを目の当たりにしたのだ。
校庭に着くと、アキトはすぐにスライムの元へ駆け寄る。
スライムは、体を元に修復することが出来ず、水のように溶けていく。
アキトはすぐに、鞘に入った刀の柄でスライムに触れた。
帝国では見られない独特の反りがあるこの刀が、アキトの師杖であった。
スライムと、アキトの間で小さな光が弾ける。
するとスライムは、直ぐに体を一つに集めだした。どうやら、スライムは主人を得て、回復能力を取り戻したようだ。
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こうしてアキトは”駒無し”ではなくなった。しかしこの後、魔物を駒と認める教師と生徒はおらず、軍師協会もアキトをF級のまま格付けを変えることはなかった。
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教室の窓からアキトを見下ろすセケムとエルゼ。他の生徒達も、アキトを覗き込む。
そしてアキトに浴びせられる罵声と嘲笑。
その中でアキトは、自身の師駒となったスライムを大事そうに抱きかかえるのであった。