一章十六話 軍師、神の助けを得る
アキトが埠頭からアルス島を眺めると、帆船はまだ一ノ島のすぐ側だった。
何とか櫂で漕いだり、風魔法で帆に風を送るが、その速度は人の歩み寄りも遅い。
一緒に見ていたリーンがこう言った。
「アキト様、南魔王軍のほうが到着が早いかもしれませんね」
「ああ。間違いなくそうだろう…… 仕方がない、北方へ逃げるとしよう」
これでは、南魔王軍がアルシュタットへ到着するほうが早い。アキトはすぐに、兵士たちを集めさせる。
だが、機動力を持った魔物もいる以上、そう遠くまでは逃げられない。
それまでに船が到着するには、再び帆船へ追い風が吹かねば難しいだろう。
もはや神頼みと言って良い。
この時期は常に東風が吹くので、このような日は例外と言って良かった。
アキトは自然が最後に立ちふさがるとは、と天に向かい嘆いた。
だが、こんな時のための逃亡計画。
最後まであきらめては駄目だ、とアキトは気丈に振舞う。
「旦那様! 兵をすべて集めてまいりました!!」
アカネは走りながら、アキトへそう伝えた。
アカネとシスイ、そして兵士たちが前に止まると、アキトは口を開いた。
「おお、そうか! 諸君、今より俺たちは……」
アキトは喋り始めて、兵士の視線が海へ向けられていることに気付く。
シスイとアカネでさえも、信じられないといった顔で海を見つめていた。
「何だ?」
アキトも振り返って、海を見た。すると、アルシュタットからアルスの間の海が、真っすぐに凹んでいく。
何事か、と皆ざわつき始める。
「「海が割れた!!」」
一人の兵士がそう叫んだ。
次第に海は、凹むというよりは二つに割れていくようになった。
海は綺麗に真っ二つになり、海底にアルスまで続く道が出現する。
海はガラスで仕切られているかのように、その道の両側で壁の様に留まっていた。
「道だと?!」
アキトだけでない、皆ただ口を唖然とさせ、我が目を疑っている。
だが目の前には緩やかに海底まで続き、まっすぐとアルスまで伸びる道が確かにあった。
その時、シスイがアキトへこう言った。
「む? アキト殿、一ノ島で何やら必死に旗が振られているぞ」
「本当だ。何かの信号か」
アキトもその一ノ島で振られている旗に気付く。
すると軍団兵の一人が、アキトへこう報告した。
「アキト殿! あれは我が軍団の旗信号です。 ……フィンデリア殿が目覚められた。進まれよ。とのことです」
「フィンデリアが?! 目覚めたのか。だがこんなこと、フィンデリアでなければ確かに納得がいかない」
だが、フィンデリアは起きたとしても病み上がりのような状態のはず。アキトは急がねばと焦る。
「よし全員、アルスまで走れ!! 全速力だ!」
「「おお!!」」
風に乗るまで時間がかかる帆船と違い、人の足なら走って二時間かからないと、アキトは早速皆に走らせた。
「ん、そう言えばマヌエル大司教は……」
アキトはマヌエル大司教を探そうと、走る兵士たちを見る。
アキトはマヌエル大司教が、自分たちを見送る様に埠頭に立っていることに気付く。
「マヌエル大司教!」
すぐにアキトはマヌエル大司教の元へ戻った。リーン、シスイ、アカネも続く。
「マヌエル大司教、走るのは大変でしょう、俺が背負っていきます」
「いや、アキト殿。ワシはもうよい」
「何を仰います?!」
「歩いて行けるなら自信はあるが、とても追いつけませぬ。ワシは体力以外、どれも人並み以下でのう」
「大丈夫です、俺達が連れて行きます! さあ早く」
そう言って、アキトはマヌエル大司教の手を引くが、微動だにしない。
「マヌエル大司教……」
「アキト殿。ワシのような者を背負っていては、敵に追いつかれてしまう。それに誰かが敵を神殿へ引きつけねば、必ず神殿に集まるとも限らない。ワシにお任せくだされ」
「しかし、それではマヌエル大司教が!」
「ワシは死にませぬ。すぐに降伏します。神官ともなれば、人質として敵は捕らえるでしょうからのう」
「ですが……」
アキトは、マヌエル大司教の言葉では不安を抑えられなかった。
南魔王軍は確かに人を捕まえ、奴隷にする習慣がある。高位の人間であれば、身代金を要求することもあった。しかし人間もそうだが、敵が必ず捕虜にしてくれる保証など、どこにもないのだ。
「旦那様、わたくしと姉様なら、鎧を脱げば背負って走れます」
「うむ。マヌエル殿。某の背に乗られるとよい」
「私の上なら、ただ座っているだけでアルスまでお連れできますよ」
アカネとシスイ、リーンは、そう言ってマヌエル大司教を運ぶ役目を買って出た。
「お三方、かたじけない。だが、ワシは本当に大丈夫なのだ。それに皆が追い付かれれば、元も子もない。ワシに時間稼ぎを任せてくだされ」
「だがマヌエル殿、囚われるというのは、どのような辱めも受けるということですぞ」
「姉様の言う通りです。何をされるか分かったものじゃありません」
「ははは! ワシのようなひげもじゃの男、何の価値もありませぬよ。それこそ金に換えるぐらいしか、面白みがない」
マヌエル大司教は笑いながらそう言った。アキトはそれを見て続ける。
「マヌエル大司教、やはり危険です。それにあなたがいなくては、このアルシュタットの人達、いやスーレだって困ります」
「大丈夫、アキト殿。ワシに何かあっても、大公閣下……いや、スーレ様にはあなたがいる」
「俺なんかじゃ、まだ何の役にも立てません! スーレにはあなたがいないと」
「アキト殿はもう、十分スーレ様のお力にはなられている。それに焦ることはない。何事も日々の積み重ね。次第に、自信も付いてきますから」
マヌエル大司教の言葉に、沈黙するアキト。
それを見て、マヌエル大司教はアキトの手を取った。
「アキト殿、スーレ様をお願いします。なーに、ワシは死にません。少しの間のお別れです。ワシ一人となれば、敵は情報のためにもワシを生かさねばならない」
「……マヌエル大司教」
「さあ、アキト殿。早く行きなされ、フィンデリア殿が途中で力尽きるかも分からない」
「……分かりました、マヌエル大司教。ですが、約束です。また必ずお会いすると。すぐに捕虜返還を求める交渉を行いますから」
「うむ。お願いします。そして必ず、またアキト殿、スーレ様、皆の元に戻りましょう!!」
「はい!」
かくしてアキト達は、アルスへと向かって行った。それをマヌエル大司教は、笑みを浮かべながら見送るのであった。
そのマヌエル大司教の後ろから、声を掛ける者が。
「……行ったか」
「うむ。ところでリベルトよ、お主は行かなくてよかったのか」
マヌエル大司教は、男にそう答えた。男はアルシュタート大公家の執事、リベルトであった。
「お前は、この老骨に走れというのか。お前こそ体力馬鹿。行けばよかったではないか」
「そうはいかぬ、このアルシュタットに残る者がおるまではな。それにここまでアルシュタートを衰退させてしまったのは、ひとえにワシらが無能だったからに他ならない。ならば最後は若い者達のため、尽くすまでよ」
マヌエル大司教はそう言って、遠くなっていくアキト達の背中を見つめた。
リベルトも、それを見てこう続けた。
「そうだな。私もアキト殿から、すべての石頭どもを説得するよう言われている。まだ全員ではない。最後まで説得せねば」
「……では皆、もう神殿に集まってるのだな?」
「ああ。私達も行こう、マヌエル」
「うむ」
神殿へ向かうマヌエル大司教とリベルト。
「……ううむ。この坂もきつくなったものだ。昔はお前よりも、数倍速く走れたのにな」
「お主は老いたのだ、リベルト。ワシはこの通り、昔から何も変わらん」
マヌエル大司教はそう言って、リベルトを置き去りにする。
「悔しかったら、追いついてみよ。リベルトよ」
「あ、おい! 待て!」
「お主に昔、こうしていじめられたからのう」
「そんな昔の事、よく覚えてたな……」
「お主と違って、頭もボケん」
「このくそじじい!!」
「お主も今では、ワシと同じくそじじい。なぁ、ちびのリベルトよ」
マヌエルとリベルトは、在りし日のことを思いだしながら、人気のない坂道を進んでいくのであった。
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「守備兵は多くて三千……」
パシュバルはアルシュタットの城壁を見て、そう言った。
ウドゥルはそれを聞いて、こう呟く。
「三千…… 一飲みに出来る数だな」
「念のため、斥候を送りましょう。ウドゥル殿」
「斥候?! 城壁もないようなものなのに、何を怖気づく」
「はい。壊れた城壁しかないアルシュタットは必ず占領できます。この戦、我らの負けは有り得ません。ですから被害を少なくするため、慎重に進軍するのです」
「馬鹿な!! もし敵が逃げたら、どうする?!」
「逃がしておけばよいのです。城壁や住処のない人間など、すぐに死んでいきます」
「ああっ!! お前は我が兄みたいなこと言う!! 兄アエシュマも、そのようなことをいつも言っておったわ!」
「だからこそ、あのアンサルスで」
「うるさい!! あのような戦いは邪道! 慎重に戦った結果、兄は死んだではないか! 人間など、ただ正面から叩き潰せばよいだけ! 皆、俺に続け!!」
ウドゥルはそう言って、部下の先頭に立ち、アルシュタットへ向かって行った。
パシュバルも急いでそれを追うが、体力のないパシュバルはどんどんと離されていった。
「はあ、何であんな馬鹿な男を大将に……」
パシュバルはウドゥルを見て、そう毒づいた。
だが、アルフレッド王子が任命した男。それ以上、パシュバルはウドゥルを悪く言わなかった。
アルフレッド王子は有能、いや天才。そうパシュバルは信じてやまない。
慎重な人間を重用する一方、ウドゥルのような浅はかな者にも、活躍の場を与える。
このようなどうでも良い場所ならば、ウドゥルを向かわせても問題は起きない。
そうアルフレッドは判断したのだと、パシュバルは息を切らしながら分析していた。
自分は万が一の時に備え、付かせただけの人物。パシュバルはそう自覚していた。
恐らくはあの三千の兵も、殆どがはったり。三千の兵など、事前の情報では有り得ないとパシュバルは踏んでいた。
だからウドゥルを必死に引き留める必要もない。だが、何か胸騒ぎを感じるパシュバル。
それはウドゥル率いる先鋒が城壁に着くも、全く抵抗がないのを見て、更に強いものとなった。
「城を放棄した? もう逃げたというのか」
偵察隊からは、敵が四方のどこへ逃げたという連絡はない。
では一体どこへ逃げたというのか。
そんなパシュバルの疑問をよそに、ウドゥル率いる先鋒はアルシュタットへ入城するのであった。




