一章十四話 軍師、敵を知る
メルティッヒの戦いの二日後。
メルティッヒの戦いの結果は、昼夜問わず空を駆けたガーゴイルによって、南魔王領全体へ報せられた。
南魔王軍の赤黒い天幕では、敗戦の報に魔物達がざわついていた。
だが、一人だけ落ち着きを保つ男が。
「へえ? アエシュマが破れたと」
椅子のひじ掛けに、肘をついた男はそう言った。褐色の肌に、白く長い髪。真っ赤な瞳と切れ長の目。
この細身で長身の男こそ、南の魔王、数十の王子のうちの一人、アルフレッド王子であった。
吸血鬼特有の長い八重歯をちらつかせて、アルフレッドはこう続ける。
「で、敵将の名は?」
「はい。帝国のプライス将軍です」
そう答えたのは、アルフレッド王子の師駒。種族は吸血鬼、名はパシュバルと言った。
普段は目深く黒いフードを被っているが、アルフレッド王子の前ではその素顔を見せていた。人間の若い男と変わらぬ顔。眼鏡を付けていることもあって、頼りない印象を見る者に与える。
「プライス将軍…… 前の戦役でも、数々の同胞を殺した男の名だね。しかし、その戦術は包囲を狙ったものばかり。用心深いアエシュマが、易々と包囲を許すとは思えないが」
「はい。僕もアエシュマ様が敗れたとは信じられません。しかし敗残兵の話によれば、ロードス選帝侯という若い貴族に率いられた騎兵によって、アエシュマ様は討ち取られたそうです。中には、天から雷が落ちたなどと、錯乱する者も少なくないようです」
「雷ねえ…… しかしアエシュマも予備を用意して、騎兵の対策を練っていたはず。むざむざ奇襲されるような男じゃないはずだけど」
「まだ敗残兵からの情報を、魔都ではまとめきれていないようです。ですが、敵が包囲以外の戦術でアエシュマ様を制したのは間違いなさそうですね」
「うん。より一層気を付けないと。我々はアンサルスで勝利を掴んだとはいえ、まだまだ帝国の方が国力は上。機略に富んだ者が、軍に抜擢されてもおかしくはないからね」
アルフレッドはパシュバルにそう答えた。
だが、その声を聞いて、アルフレッド王子の前に歩み出る者が。
「アルフレッド様!! 我が兄アエシュマの弔いのためにも、どうかこのウドゥルにアルシュタート侵攻の先陣を!!」
そう言ったのは、ウドゥルと言うオーク。兄アエシュマよりも高い背は、人間の男性の倍もある。
彼はアエシュマの弟であり、アルフレッドと共に東海岸から帝国へ侵攻する南魔王軍の将であった。
そのウドゥルへ諫めるように、パシュバルが口を出す。
「ウドゥル殿。アルシュタットは取るに及ばない場所。軍事的な脅威でないことは、すでに開戦前から分かっていたことです。寄り道はしないと、最初の軍議で決めたではありませんか」
「人間は、この大陸から絶滅させねばならぬ!! アルシュタットの人間すべての首で、兄のための手向けとせん!!」
「ウドゥル殿、お気持ちはわかります。しかし、アルシュタットにこだわる意味など」
「意味? 意味はある!! まず、アルシュタットには金がわんさか有る!! 先程アルシュタットへ放った偵察隊から報告を受けた。人に囚われている魔物が、アルシュタットから逃げているところを我が偵察隊が助けたのだ。それによれば、敵は金塊や宝石をアルシュタットの神殿へわんさか貯め込んでいるらしい」
「それは私も聞き及んでおります。そんな宝が、あのような辺境の地にあるわけがない。加えてかのスライムは、人間は内陸の山中に兵を隠してるとも言うではありませんか」
「人間が何匹いようと、我らオークには勝てぬわ!!」
「我らは十年前まで負け続け、しかもメルティッヒで敗れたばかり。それにアルシュタットの民は、もはや逃げ場もない。思ってもいない抵抗を受けるかもしれませんぞ」
「ええい、黙っておれ!! この貧弱な半魔が!!」
ウドゥルはそうパシュバルを怒鳴るが、すぐに自分の失言に気付く。
半魔である吸血鬼なのはパシュバルだけではない、アルフレッドもそうなのだと。
アルフレッドの前で、ウドゥルは平伏しこう言った。
「も、申し訳ございません。アルフレッド様」
「よい。気にしなくていい。 ……確かにアルシュタットは碌な戦士がいないという。だが万が一と言うこともあるからね。占領しても良いだろう」
「おお! では早速奴らを!!」
「だが。略奪は許さない。虐殺も禁ずる。人間といえど奴隷になるからね。それと我が師駒、パシュバルを相談役として付れていくんだ」
「こ、こいつをですか…… かしこまりましたアルフレッド様」
ウドゥルはパシュバルを不快な顔で見つめたものも、すぐにアルフレッドに頭を下げ承諾した。
天幕から去っていくウドゥル。すぐにパシュバルはアルフレッドへこう訊ねた。
「アルフレッド様。本当にアルシュタットなどを攻められるのですか」
「攻めると言っても、ろくな抵抗もないと思うし。それに少数とは言え、敵に背を向けたまま西へ進むのは不安だ」
「それは仰る通りです。しかし、一刻も早く帝国を東から急襲するのであれば」
「分かっているよ、パシュバル。だがウドゥルの性格を考えてみるんだ。あいつなら落城までに一日もかけないよ。欠点を言えば、あまりにも人を殺し過ぎてしまうことだろうね。そこをパシュバル。君が抑えろ」
パシュバルはアルフレッドの言葉に、少し納得がいかないと沈黙する。
しかし、自分はアルフレッドの師駒。言われたまま動くだけだ、と口を開いた。
「……かしこまりました、アルフレッド様。僕はあなたの師駒。与えられた命、かならずや成し遂げてみせます」
「頼んだぞ。君の数秒先を予知する能力。今回はその力を振るえないかもしれないけど。いつも以上に慎重に頼むよ」
「はっ! 常に万全を期して、慎重に事を運びます。それでは、行って参ります!」
パシュバルは頭を下げて、天幕を出ていった。
アルシュタットは通過点。慎重かそうでないかはさておき、南魔王軍の誰もがそう考えていた。
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一方、そのころのアルシュタットでは、すでにアルス島へ殆どの住民の避難が済んでいた。
本日最後のアルス島への輸送。そのための帆船が、アルス島から戻ってきたところだった。
海の見える埠頭の一角で、アキトはセプティムスから報告を受ける。
「アキト殿。一ノ島での居住区建設。とりあえず終了いたしました。今は二ノ島の農地のため、水道を造っております」
「順調みたいだな。こちらも殆どの住民、必要なものを輸送できた。明日の二往復で、移住は完了するだろう」
「素晴らしい。 ……それで南魔王軍の動向は?」
「敵の偵察隊らしき者を見つけさせて、リーンに探らせてはいるよ。あとは流言も頼んである。デマが通じる相手かは分からないけど」
アキトはセプティムスにそう答えた。
アルシュタットへ来た道中。アキト達がゴブリンに襲われたように、南魔王軍の偵察隊が城外にはたくさんいる。
アキトは南魔王軍の偵察隊へ逆偵察と流言を目的に、リーンを派遣した。
これはリーンの発案であった。しかしアキトは当初、リーンの身を案じ、偵察を許さなかった。
だが結局は、リーンの必死の進言で、アキトはその偵察を許可する。
リーンはまだ帰ってこないか。アキトは不安で、ここ数日よく寝れなかった。
セプティムスはアキトへこう続ける。
「なるほど。馬がないのでは、偵察隊も組織できませぬからな。しかし、リーン殿お一人とは。魔物であるとはいえ、不安ですな」
「うん。くれぐれも無理はせず、すぐに帰ってきてくれとは言ったんだけど」
「明日までに帰ってこなければ…… いや、ここはリーン殿を信じましょう。それでアキト殿、今回はスーレ殿とフィンデリア殿もお連れしてよいのですね」
「ああ。スーレは最後まで俺と残るって言ってくれたけど。領主が死んでしまったら、議会もない今、領民だけではやっていけない。よくセプティムスと相談するようにって言ってあるから、万が一の時は頼んだよ」
今だ回復しないフィンデリア、まだ子供のスーレも先にアルスへ渡る。
もっと早めにスーレをアルスへ行かせたかったアキトだが、結局はスーレの希望もあって移住の最後の方になってしまった。
セプティムスは少し複雑そうな表情でこう言った。
「は、かしこまりました。しかし、アキト殿。必ずや、我々の元へお戻りくだされ」
「もちろん死ぬ気なんて毛頭ないさ。だけどセプティムス。予想外の事態は必ず起きる。その時は多数の命を助けることを考えてくれ」
「はっ。お言葉、肝に銘じます!」
「うん、ありがとう。それじゃあ俺はマヌエル大司教の元へ行ってくるよ。スーレも呼んでこないと」
アキトはそう言い残して、マヌエル大司教のいる神殿へと向かった。
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アルシュタットの中央。神殿前の広場。
そこにはマヌエル大司教と話すスーレの姿が。その後ろには、フィンデリアを担架に乗せた兵士の姿もあった。
「あ! アキト!」
スーレがアキトへ、そう声を掛けた。
アキトもすぐにスーレの元へと向かう。
「セプティムスと話してたんだ。スーレ、もう少しで船が出るから向かってくれ」
「うん。だけどね、アキト。大司教様が、一緒に来てくれないの」
スーレの言葉に、アキトはマヌエル大司教の方を向く。
マヌエル大司教は笑みを絶やさず、スーレに続ける。
「大公閣下。何度も言いますが、ワシは最後、アキト殿と一緒に向かいますので」
「でも……」
「大丈夫、神様やおじい様が我々を守ってくださいますから」
そう言ってマヌエル大司教は、スーレの手を両手で優しく握った。
スーレは少しの沈黙の後、顔を上げて、こう答える。
「うん…… 大司教様、それにアキト。皆、無事にアルスまで来てね」
「もちろんです。スーレ様もフィンデリア殿の看病、お願いしましたよ」
マヌエル大司教はそう言って、最後にもう一回スーレの手をぎゅっと握り、ゆっくり両手を離した。
「スーレ、俺からもフィンデリアや皆の事頼んだよ」
「うん! 任せといて!」
スーレはアキトへ元気な声で答えた。
アキトは、自らの師駒、フィンデリアの元へ歩いていく。
「……フィンデリア」
担架に眠るフィンデリア。苦しそうな表情ではなくなったものも、一向に目を開ける気配はない。
アキトは担架を運ぶ二人の第十七軍団の兵へこう言った。
「二人とも、フィンデリアの事よろしく頼む」
「「はっ! 我ら、命に変えましてもフィンデリア殿をお守りいたします!!」」
「ありがとう。もう船も出る。スーレと一緒に船へ向かってくれ」
「「はっ!」」
兵士はそう答えて、広場の外へと向おうとする。
スーレもそれに付いていき、こう言った。
「二人とも! 約束だからね!!」
「ああ!」
アキトはスーレにそう答えた。マヌエル大司教もスーレへ手を振って応える。
その時、どこからともなく声が聞こえてくる。
「……アキト」
そう言ったのは、女性の声。だがスーレとは違ってもっと落ち着いた声だった。
軍団兵と、スーレが思わずフィンデリアへと顔を向ける。
アキトもフィンデリアの元へと駆け寄った。
「フィンデリア!!」
「フィンデリアさん!」
アキトとスーレが、フィンデリアへそう呼びかけた。
フィンデリアはまだ意識が朦朧としているようで、目をぱちくりとさせるだけだ。
そして、またすぐにフィンデリアは目を閉じてしまった。
「意識が戻ったのか?」
「少しだけですがな。ただ、アルスの水は体力回復に効果がある。向こうに行けば、もっと回復が早まることでしょう。さあ、皆さん。フィンデリア殿をお早く船の船室へ」
兵士の二人はマヌエル大司教の言葉に頷くと、そのまま広場へ向かって行った。
「安心してアキト! フィンデリアさんの目が覚めたら、わたしがアキトが来るまで、話相手になるから!!」
スーレもそう言って、フィンデリアに付いていった。
「ああ、頼む」と答え、手を振るアキト。
フィンデリアが一時的とはいえ、目を覚ました。それだけでアキトの不安の一部が晴れた。
スーレ達を見送ると、マヌエル大司教が口を開く。
「ようやく移住も大詰めですな、アキト殿」
「ええ。これもアルシュタットの皆さんと、俺に協力してくれた師駒達のおかげ。マヌエル大司教、ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらです、アキト殿。ここアルシュタートに変化をもたらしてくださった。そのきっかけは全て、あなたが軍師としてここに来てくれたからだ」
「俺なんかは何も…… 本当に皆のおかげでここまできたので」
「ふむ、奥ゆかしいお方だ。ところで、アキト殿。まだ気になることがおありのようですな?」
「はい、いくつか。というより俺、そんなに顔に出やすいですか?」
「ははは。正直者ということですよ。が、外交をする立場になるなら、多少は表情を隠せるようになった方が良いでしょうな。それで、気になることと言うのは?」
アキトはいくつかの疑問を、マヌエル大司教に聞いた。
「これはさして重要な事ではないので、聞かなかったのですが。アルス島の頂上、湖の近くに地下へ続く階段があったのです。そこが何か気になりまして」
「ああ。そこは古代の神殿です。奥はただの石室に、石の棺が置かれているだけ。古い言い伝えでは、死者の墓とも言われております。今でもアルシュタットでは遺骨の一部を取っておいて、それを一年に一回の祭祀の時、そこへ祀りに行きます」
「そうでしたか。では、神聖な場所ということ。入らなくてよかった」
「まあ、あまり立ち寄る場所ではないでしょうな。とはいえ、一ノ島で亡くなる者がいるとすれば、今度は納骨へ行く機会も増えましょうが」
「なるほど。ありがとうございます、マヌエル大司教。それと神殿の件ですが……」
アキトは少し複雑そうな顔で、マヌエル大司教へそう言った。
マヌエル大司教も、真面目な表情でこう答えた。
「良いのですアキト殿。策を成すにはうってつけの場所。それに、リーン殿へ流言を頼んだのであれば、今更もう中止も出来ませぬ。大事なのは神殿ではなく、信仰。気になさるな」
「はい。マヌエル大司教、感謝いたします」
「元はと言えばその策に対して、ワシが神殿を勧めたのです。神罰が下るなら、ワシ一人」
「マヌエル大司教…… 本当にありがとうございます」
アキトはそう言ってマヌエル大司教へ頭を下げた。
南魔王軍が来たときのための、対策。その一つが神殿へ南魔王軍を集めることだった。
マヌエル大司教は、アキトがまだ不安そうな顔をしているのに気付いた。
「ふむ。まだ気が晴れないのは、リーン殿ですな」
「はい。俺の大事な師駒…… 多少きつく言っても偵察をやめさせるべきだったかなと」
「リーン殿か。偵察は確かに必要な事。だがあの方は、少し焦っておられるようにも見られる。あなたのようにな」
「え?」
アキトは驚いたように、マヌエル大司教へ答えた。
「いや。早く仲を深めなければと、必死になっているように見えましてな」
「……分かりますか」
「皆、誰しもそういうものです。早く仲良くなりたいと。ですが、そんなに肩の力を入れる必要はない。自然に接していれば、信頼は必ず芽生えてきますから」
「……はい、マヌエル大司教」
年の功には勝てないな、とアキトは思いつつ、マヌエル大司教へ頷いた。
その時であった、バタバタという翼の音が聞こえてくる。
アキトは何かと、空を見上げてこう言った。
「鷲?」
その鷲のような大きな鳥は、アキトの前へ降りてきて、体を溶かした。
そして青い半透明の丸い身体が、出来上がっていく。
アキトはその液体のようなものへと駆け寄り、胸へと抱き上げた。
そしてその名を呼ぶ。
「リーン!!」
アキトはリーンの体をギュと抱きしめた。心配でたまらなかったリーン。それが無事に戻ってきたと。
「只今戻りました、アキト様!! ご心配をおかけしたようで、申し訳ありません」
「いいんだ、リーン。本当によく無事に戻ってきてくれた」
アキトはリーンを見て、そう言った。リーンは嬉しそうに体を震わせ、体をアキトの頬へ摺り寄せるも、すぐに真面目な口調でこう言った。
「アキト様、嬉しい…… 嬉しいのですが…… 今は色々と報告しなければいけません」
「ごめん、リーン。そうだ、南魔王軍の事をまず聞かないとな」
「結論から申し上げます、アキト様。南魔王軍はすぐそこまで迫っています!!」
リーンはアキトへそう言った。
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ウドゥル率いる南魔王軍五万が、すでにアルシュタットへ一日というところまで押し寄せていた。
東海岸方面軍の先遣隊に過ぎない、五万の軍勢。それがアルシュタットを目掛けて進軍していたのであった。




