序章一話 軍師、帝国の行く末を案じる
--これで勝とうというのか。
軍師学校の一生徒アキトは卓上の布陣を目にして、そう心の中でぼやいた。
黒髪のその男、アキトの黒い瞳は、先程から駒が並べられた卓上のみに向けられている。
「右翼と左翼の我らが帝国騎士団が、そのまま下等な南魔王軍両翼を包囲。中央の我が精強なる軍団兵がそれに呼応して前進。敵の殲滅を図ります!!」
アキトの同級生、細身のセケムは声を大にしてそう言った。
男性にしては長いセケムの金髪は、貴族特有の巻きがかかった髪型をしている。
セケム・リュシマコス。リュシマコス大公の子息にして、軍師学校で一番の優等生。
軍師協会の格付けでは、軍師学校で到達できる最高ランク、D級軍師とされている。
その赤い瞳は、何か落ち着かない様子だった。どうやら、先程からうんうんと頷く壮年男性の顔ばかりを気にしているようだ。
白髪交じりの壮年男性は、椅子から立ち上がる。
卓を囲んでいる生徒達の視線が、この恰幅の良い壮年男性に向けられた。
壮年男性は、手を叩いてこう言い放つ。
「……素晴らしい!! セケム君、実に素晴らしい!!」
「この上ない名誉なお言葉です、エレンフリート学長!」
セケムはそう言って、満足そうな顔をする壮年男性エレンフリートに頭を下げた。
ルドルフ・エレンフリート…… 軍師学校の学長にして、十年前、第二次南戦役で帝国に勝利をもたらした名軍師と褒めたたえられる男だ。
「セケム君、君はしっかりと講義の内容を覚えているようですね。諸君、この戦いは、私が十三年ほど前に勝利を収めたザマルの戦いによく似ています。あの時私が編み出した包囲戦術を、セケム君はしっかりとこの場で選択することができました」
「エレンフリート学長の戦歴の中で、最も輝かしい勝ち戦です。包囲以外にどのような戦術が取れましょうか?!」
セケムはそう言って、エレンフリートを称えた。
「よく言いました、セケム君! 諸君、何を隠そう私も最高司令官ディオス大公に、セケム君と同じ包囲による攻撃を、先程具申したところです! 皆、セケム君に拍手を」
エレンフリートの言葉に生徒達が、セケムに惜しみのない拍手を送る。
だが生徒達の最前列で、拍手をしない者が一人。
拍手もせず、ただ卓上を眺めるのはアキトであった。
--確かに前の戦役では、帝国軍はほぼ一方的に包囲戦術で勝てた。
しかし、今回はどうだとアキトは不安を覚えていた。
--南魔王軍は、統制のとれていない魔物の集団。十年前はそうだったかもしれない。
だが、あれから十年。今日俺が丘から眺めた南魔王軍は、種族ごとに分かれ隊列を組んでいた。
「おや? アキト君、何か意見がおありですか?」
満面の笑みを浮かべていたエレンフリートが、口角をわずかに下げ、そう言った。
「エレンフリート学長。南魔王軍は第二次南戦役の敗戦を反省し、我々のように陣形、戦術を駆使すると思われます」
「魔物ごときに、我々のような高等な戦争が出来るはずがない!!」
アキトの言葉に、そう横槍を入れたのはセケムだ。
「まあまあ、セケム君。F級とはいえ、アキト君も我が栄えある軍師学校の一生徒。話を聞いてみようじゃありませんか」
「忌々しい! こんな辺境貴族のせがれ、同じ帝国人とは言えませぬ!!」
「こらこら、セケム君。辺境貴族と言えど、帝国語を解するのであれば帝国市民ですよ。落ち着きなさい」
「……申し訳ございません、エレンフリート学長。学長がそう仰るのであれば」
「ありがとう、セケム君。 ……では、アキト君、君の意見とやらを続けてもらえるかね?」
エレンフリートはそう言って、その細い目でアキトを睨んだ。
エレンフリートだけでない。周りの生徒もアキトを軽蔑の目で見ている。
軍師協会の格付けの最底辺、F級軍師。しかも”駒無し”の軍師。
しかしアキトは居づらい空気の中でも、帝国のためと意見を述べた。
「では、述べさせていただきます。敵は俊足のケンタウロス族を擁しております。彼らケンタウロス族は我らの包囲を阻止…… いえ彼らは我らの騎士よりも多数、恐らくは我らを逆に包囲してくると思われます」
「……ほう、それで」
威圧されるようなエレンフリートの言葉に、アキトは卓上の駒を動かしながら解説する。
「……そこで両翼へ均等に布陣した騎兵戦力を、最低限両翼に残し、大半を中央に集結させることを具申いたします。敵のケンタウロスの出方によって、こちらの騎士団の動きを変えるのです。ケンタウロスに勝利できなくとも、足止めさえすれば、後は数に勝る我が軍団兵で敵を撃滅できます」
アキトの立案に皆、ざわつく。策の奇抜さにではない。
エレンフリートの案に、文句をつけたことを皆驚いているのだ。
エレンフリート学長は、苦虫を噛み潰したような顔でこう言った。
「ふむ…… 諸君、どう思われるかな?」
「荒唐無稽で、愚かな策だと思われます!」
真っ先に学長に答えたのは、セケムだった。
「まず第一に! 我らが精強なる帝国騎士団が半人半獣のケンタウロスに負けるわけが有りませぬ! たとえ倍の数がいたとしても、無敗を誇る帝国騎士団の敵ではありません!」
語気を強めてセケムはそう怒鳴る。
周りの生徒達からも、「そうだ」と声という声が上がる。
アキトはそれに怖気づくことなく、こう返した。
「十年前であればそうだったかもしれません。しかし、彼らケンタウロス族は今では、我らが帝国騎士に劣らない重厚な鎧を身に着けている」
「そのようなものは、所詮は魔物の作る張りぼて!! それにだ、白銀の鎧は帝国人の美しさを引き立てるものに過ぎない!! 決して鎧が強さではないのだ!! 皇帝への絶対的な忠誠! これが我が帝国騎士団が最強たる所以!! 貴様のような外面だけを気にする者を、弱腰と言う!!」
どちらが荒唐無稽か。アキトはセケムにそう反論しようとした。
しかし、エレンフリートが透かさず口を開く。
「諸君、戦は気からと言います。セケム君の言うこと、真に的を射ている。完璧な戦術、最高の戦士達…… 一見勝利に必要なものはすべて揃っているように見えます。ですが、最も必要なことは勝てるという断固とした自信です! アキト君のように敵を過剰に恐れていては、勝てる戦も勝てないでしょう!」
精神論が全くの悪だとはアキトも思わなかった。しかし、数多の運命を左右する軍師たる者が、そのようなもので策を決めてはいけないとアキトは心の中で反論する。
だがアキトは生徒で相手は学長。しかもF級軍師で、相手は前戦争の名参謀でS級の軍師……
アキトは、エレンフリートに言葉を返すことはできなかった。
--しかし、帝国のため最善は尽くさなければいけない。
アキトは騎兵を集中運用しての、敵中央の分断を具申しようとする。
「エレンフリート学長。では、もう一つの策をお聞きください」
そう言ってアキトは、卓上の駒を動かそうとした。その時。
「この愚か者!! これ以上我が偉大な布陣に手を触れてくれるな!!!」
エレンフリートはそう言って、指揮棒でアキトの手を叩いた。
突然のことにアキトは目を丸くして、エレンフリートの顔を見た。
眉間にしわを寄せ、目をかっと見開いている。
「……さっさとここから出ていきなさい。君にこの神聖な帝国軍師の幕舎にいる資格はない! さあ、早く出ていきなさい!!!」
エレンフリートは声を荒げてそう言った。周りの生徒達も、普段温厚なエレンフリートが怒ったことに驚きを隠せないようだ。
「エレンフリート学長…… 申し訳ございませんでした」
アキトはそう言って、生徒と教師で溢れた軍師の幕舎を出ていく。
そのアキトに、ひそひとと悪口が浴びせられる。
「駒無しが偉そうに…… いい気味だわ」
「あの英雄エレンフリート学長の戦術に文句を言うなんて。やっぱ辺境の人間は頭がおかしいんだな」
クスクスと笑う声。エレンフリートとセケムは、それを見てニヤリと笑みを浮かべる。
「さあ、諸君!! F級軍師はこんな愚か者だという、悪い見本を見れましたね! 諸君は、ああはなってはいけませんよ! まあ彼以外、わが校にはF級軍師は存在しないのですがね! さあ、帝国の栄えある有望な軍師諸君、講義を続けましょう!」
エレンフリートは、そう高らかに言い放った。幕舎が生徒と教師の笑い声で埋め尽くされる。
幕舎の外に出るアキト。そのまま丘の一番高い部分まで登っていった。
--自分の策が最善とは思わない。しかし、慢心することは必ず良くない結果を生む。エレンフリート学長達の策も良くない結果を生むに違いない。
エレンフリート学長と、帝国軍の慢心。それは敵を侮りすぎていることだ。
アキトは眼下に広がる南魔王軍の敵陣を見て、そう思った。
アキト達軍師学校の生徒が講義で見聞かされていた魔物達は、皆まとまりがなく、粗末な防具を身に着けた姿だ。
--けれど今日の魔物達はその脆弱な外見と違う。皆、種族ごとに分かれて、綺麗な列を作っているじゃないか。
背の低いゴブリンは、投石器や投げ槍を。オークは大盾に、大斧……
人と比べれば粗末である。だが種族ごとあるいは隊ごとに、装備の統一を図ろうとしているようだ。
見た目の凹凸は激しい。しかし、それぞれの得意分野、身体的特徴を活かすつもりなのだろう。
そんな彼らに戦争を仕掛けたのは、帝国であった。
だが、彼ら南魔王軍はこの有事のため、勝つためにこの十年努力してきた。
それに比べ、過去の栄光に溺れ、慢心した帝国軍。
その帝国軍の栄光の象徴、機動戦力による包囲。確かに優れた戦術であることは、アキトも知っていた。
--しかし、臨機応変に戦術を変えなければ、帝国はいつの間にか周りの国々に後れを取ることになる。
エレンフリートが軍師として策を献じた勝ち戦のほとんどは、機動戦力による包囲殲滅だ。
だがそれは、敵が優秀な機動戦力、いや、機動という概念がなかったことも考慮しなければならない。
アキトも決して包囲が駄目と言うわけではない。しかしながら、今の学長は包囲に固執して作戦の柔軟性を欠いているように見ていた。
数でも質でも帝国軍は勝っているという。
しかし、ふたを開けてみないと実際のところは分からない。
「……アキトか?」
アキトの後ろから澄んだ声を掛ける男性。
肩まで伸ばした金髪。セケムとは違い巻きがなく、真っすぐとした髪だ。
だが、それよりずっと存在感を感じさせるのは、切れ長の目が与える印象だろうか。
その黄金色の瞳は、アキトが振り返るのを目にする。
「……リーンハルトか」
「その言い方はやめろ。リヒトで良い。君がまさかあの堅物、エレンフリートに意見をするとはな」
リヒトと呼ばれた長身の美男子はそう言って、アキトの隣で歩みを止める。
アキトは再び視線を南魔王軍に戻すと、口を開く。
「……あれも帝国のためだ」
「その守るべき帝国は、また魔物と戦争をするようだぞ。南魔王軍の領地など、全く旨味がないというのに」
「ああ、何も得られるものがない無駄な戦だ。皇帝陛下もさぞ心を痛めておいでだろう。しかし、元老院で決まったこと。皇帝と言えど、従うしかない」
「その決定権を持った愚かな元老院議員どもは、己の脂ぎった腹を肥やすことしか頭にないようだ。今の帝国の政情を、正に衆愚政治と言うのだろうな」
リヒトの言葉に、アキトは頷きもしない。
優れた者が帝国を導くべき、というかねてからのリヒトの言葉。
アキトはそれを否定することはできなかった。だが正しいとも、アキトは頷かない。
「なあ、リヒト。この戦い、勝てると思うか?」
「俺が師駒と騎兵を率いて、敵の急所を突けばあるいは。君が最後にエレンフリートに進言しようとしてた策も、そんなところだろう?」
「……ああ。だがその策を考え出す者は、恐らくあの幕舎にはもういないだろうな。いても、あの空気の中では口も出せないだろう」
「うむ。将軍たちも同様のようだ。先ほど俺はディオス大公の天幕を見てきた。天幕の将軍たちも皆、エレンフリートの包囲ありきの作戦で固まっている。誰も異を唱える者はいなかった」
「そうか……」
アキトは唇をかみしめるようにそう言った。
「だが、アキト。この戦いは保守的な帝国軍、ひいては帝国の政情までも変えることになるかもしれんぞ」
「……一度ボロボロに負けた方が良いということか」
「そうだ」
リヒトは淡々とそう答えた。
それに対して、アキトの顔はどこか複雑だ。
「何を考えこんでいるのだ、アキトよ」
「リヒト…… せめて俺達で帝国軍の被害を少なくしないか?」
リヒトはアキトの提案に少し考えこむ。
「……俺は反対だ」
「どうして?」
「徹底的に敗北したほうが、帝国軍のためになるからだ」
「お前は変わらないな……」
アキトはそう言って、その場から離れていく。
「待て? どこへ行くつもりだアキト」
「俺は”駒無し”だ。しんがりは出来ない。だが、皆が撤退しやすいように多少でも、退路を確保しておくよ」
「ふん…… つくづくお人好しな奴だな」
リヒトはそう言って、足早にアキトの横まで歩いていった。
「行くぞ。君の計画を実行しよう」
「でも、お前、今反対だって」
「君のような稀代の才器をこんなところで失うのは、俺にとってもこの世界にとっても大きな損失だからな」
「……買いかぶりすぎだ」
アキトは少し恥ずかしそうに、帝国軍の後方へ振り返る。
そこには長い黒髪の女性がいた。
アキトと同じ黒い瞳。切れ長な目はリヒトとそう変わらない。
「なあ、アリティア? 君もそう思うだろう」
リヒトは黒髪の女性アリティアに向かってそう言った。
「え? あ、いや、私今来たばかりなのだけど」
「ほら、アキト。アリティアも君の策に賛成のようだぞ」
「ちょっとリヒト! あなた人の話を聞いてるの?」
「アリティア、俺とアキトは帝国軍の退路を確保しに行く。君もその駒で協力したまえ」
そう言ってリヒトは、どんどんと帝国軍の後方に向かって行った。
アリティアは何が何だが分からないと言った様子だ。
「……アキト、何をするつもり?」
「聞いての通り、退路の確保だよ」
「退路の確保? 私達が負けるって思ってるの?」
「思いたくないけどな…… じゃあなアリティア」
アキトもそう言い残して、リヒトの後を駆け足で付いていく。
「ちょ、ちょっと。二人とも!」
アリティアもその二人の後を追うのであった。
一人を追う、二人。
三人の幼少時から変わらない、いつもの光景であった。
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この戦い…… アンサルスの戦いはアキトが憂いたように、帝国の惨敗であった。
しかし、ここまでの敗北はアキトも予期していなかった。
格下とみていた南魔王軍に、帝国軍は完膚なきまでに叩き伏せられたのだ。
アキトとリヒトの読み通り、包囲ありきの戦術は失敗に終わる。
南魔王軍は、左翼を少数のケンタウロスと軽装の槍持ちゴブリンに任せ、右翼にケンタウロスの大半を集結させた。
それを見て、ディオス大公は布陣の変更を考えるが、結局はエレンフリートの言葉もあり、左右に均等に配した騎兵をそのままにしてしまう。
戦闘が始まると、前進した帝国軍右翼の帝国騎士団は、南魔王軍左翼のケンタウロス少数と、ゴブリンに足を止められた。
その隙に南魔王軍右翼は、帝国軍左翼を簡単に打ち破る。
そのままの勢いで、南魔王軍右翼のケンタウロスは、帝国軍中央を半包囲。
南魔王軍中央の歩兵隊がそれに呼応して前進。帝国軍中央の軍団兵は挟み撃ちに。
結果、帝国軍は全滅、潰走する。
この時の南魔王軍は、十年前のようなただ帝国人に屠られる下等生物ではなかった。
装備を統一し、異なる兵科で組み合わせ、無敗の帝国軍を破ったのである。
また、以前は魔物の世界でただの便利な従僕に過ぎなかった師駒。
南魔王軍は優秀な能力の師駒を部隊長に任命するなどして、戦力の増強を図っていた。
こうしてアンサルスの戦いは、南魔王軍の指揮をとっていた吸血鬼アルフレッド王子の名声を大いに高めることになった。
また帝国側にも少なからず名声を高めた者が。退路に罠を張り、追撃する南魔王軍をその場で留めた二名。
すなわち自らの師駒を用いて撤退を指揮した、ロードス選帝侯の長子リーンハルト・フォン・ロードスと、第一皇女アリティアである。
後に英雄と呼ばれるにいたる両名。そして両名と撤退戦に加わった辺境貴族の一子。
その名は帝国新聞で、リーンハルトとアリティアの下に小さく添えられるに留まる。
しかしこの後しばらく、その男の名が世間に広く知られることはない。
そしてこの出来事が、後に名軍師にして名宰相と呼ばれるアキト・アルシュタートの、帝国史における初出であった。