薬草採取はお約束
あれからしばらくたったが、その間何事も起きることはなかった。ケイネス達の一派に目をつけられることもなく、ギルドで時折ばったり出会っても威嚇はされるも、ちょっかいをかけてくることはなかった。そのため、心おきなくアルクは冒険者稼業に精を出すことが出来た。
今現在、アルクはメレンの町の下水道にいる。悪臭漂う下水道の中をひたすら散策し、ジャイアントラットや、ジャイアントコックローチをひたすら狩りつくすという駆け出しの定番のクエストに従事していた。それらは命を落とすリスクが低いため駆け出しには向いており、放置すれば疫病などが流行るために定期的に行わなくてはいけない、ギルドと駆け出しとの利害が嚙み合ったクエストとのことだ。
日々の糧を確実に稼ぐ駆け出しになくてはならないクエストだが、それでも命を落とすものも稀におり、アルクも誰かわからぬ人骨らしきものを何体か目にしていた。故に気を抜けば同様の未来がアルクにも待っているかもしれず、実質ソロということもあり、絶えずマップを確認し周囲に気を張り巡らせる。
また、不衛生な下水という環境で汚染の対策が必要であり、ここではすぐ駄目になるとのことで安くボロイ厚手の布であつらえた服や手袋を身にまとっていた。そのためにアルクの全身は汗まみれで、服の中は蒸し風呂のように熱されており、それが激しく体力を奪っていっている。ハル曰く、ダンジョンにおけるペース配分を身に着ける初級の良い鍛錬になるとのことだ。
「やああっ」
背後に回り込もうとしていた多くの足を持つ、通称ゲジゲジと呼ばれる魔物をアルクは振り向きざま切り伏せる。白銀の刀身が容易くその胴を裂くと同時に、アルクは駆け抜けるようにして魔物の横を通り抜ける。そうすることであまり体液を被らず、スムーズに敵を倒すことが出来ることを、アルクはここでの過去の戦闘で学んでいた。最初の内は何度か飛沫をもろに浴び、ときに口内に入ることも許してしまっていた。そのため毒消しの薬で何度もうがいをする羽目になっていたものだ。
『よし、今のは中々な動きだった。ここでの戦闘も大分やったし、それそろ別のクエストを受けてもいいかもしれないな。ここでのクエストはあまり実入りも良くないしな』
「はあ、はあ……。そうだね、僕も正直ここにはあんまり長くいたくないなあ」
『今日はギルドに寄ってから帰るとしようか』
アルクはハルの言葉に頷くと油と体液でぬめる手袋をはめなおし、死骸を開いて魔石を取り出す。ここの魔物は多く倒しても、一日の宿代を稼げるかどうかの実入りにしかならなかった。身一つで冒険者を目指すということがどれだけ大変なのか、その一端を垣間見たアルクであった。
「はああ、さっぱりしたー」
あれから下水道を出たアルクは、一度コテージに入り入浴を済ませていた。
浴場はギルドにも併設されており、一度利用したことがあるが、ぬるすぎる濁った湯に入る羽目になり、それ以降はコテージの風呂を利用している。汚れを落とせるだけ僥倖という奴らしい。冒険者は娯楽としての入浴は、もっぱら民営の浴場を利用しているとのことだ。
下水での作業服は、駆け出しは洗って何度も使用するのが普通らしいが、手間がかかるし金銭的にはあまり変わらないとのことで、都度廃棄することにしている。
石鹸ですっかり汚れを落とした肌を、夕暮れの風が優しく撫でていく。足取りも軽く、アルクはギルドへと入った。そしてアネットの姿を見つけると、アルクは迷わずその受付を選ぶことにする。何度かこのギルドを利用しているが、他の職員は子供のアルクを見下したり、いい仕事を斡旋してやるから金を寄越せと言う者がいたりとまともな職員が少なく、ハルもそのレベルの低さを嘆いていたものだ。幸いアネットはそんなそぶりは見せもせず、親身に色々なことを教えてくれるため、自然とアネットとのやり取りが多くなっていた。
「アネットさん、依頼されたクエスト完了しました」
「そう、それじゃあ確認させてもらうわね。……うん、凄いじゃない、こんなにたくさん。大分下水にも慣れたみたいね」
「ええ、まあ」
「いい経験になったでしょ。初めは大抵皆通る道だからね。こういうのを嫌っていきなりゴブリン退治から始めるパーティーもいるけど、悲しい結果になることも多いのよ」
悪臭漂う下水を思いだし苦笑いを浮かべるアルクを見て、アネットが微笑む。アルクに初心者として、このクエストを薦めたのはほかならぬ彼女であったのだ。ハルもその意見に賛同したため、ここ最近はアルクは下水でまる一日を過ごしていたのであった。
「とはいえ、君は優秀みたいね。これだけ多く下水の魔物を狩ってくるのはそう見たことないわ。もうそろそろ別のクエストも考えてるの?」
「ええ。とはいっても、具体的には考えてはないんですけど」
「そう。下水の次と行ったら」
「アネットさぁん」
アネットが顎に手を当て考えているとき、泣きつくようにパナシェがやってきた。その表情はしょげており、幾分くたびれた様子だ。
「あら、パナシェ君。また駄目だったの?」
「うん、やっぱりオイラ一人じゃ駄目みたい」
『大分くたびれてるみたいだな。クエストを失敗すると徒労感も強いからな』
項垂れるパナシェを見て、ハルが気の毒そうに呟く。二人の様子が気になったアルクは、パナシェに尋ねてみることにした。パナシェも冒険者として手広く色々やってるらしく、何か参考になることもあるかもしれないと思ったからだ。
「何が駄目なの」
「あっ、アルクだったのか。ごめん、気付かなかった」
「うん、下水から帰ってきたところなんだよ」
「そっかあ、お疲れ。オイラは薬草採取のクエストだったんだけど、ちょっと難航してて」
『ほう、薬草採取か。これまた駆け出しの定番パターンだな』
薬草採取という言葉にハルが興味を示す。アルクも最初薬草採取のクエストを考えなくもなかったが、叔父夫婦の下で散々採取活動をしていたし、ここに来るまでにも山の中で採取を行っていたため、選択肢から外したのだ。
「知り合いの小さな娘さんが珍しい病気になっちゃってね。薬師に薬を依頼したんだけど、色違いの珍しい薬草を5種類程、鮮度が落ちない一日の内に採取しないといけないんだ。いままで3種類はいけたんだけど、それ以上はどうしても無理で」
「そうね。本来なら複数の冒険者にやってもらうクエストだけど、基本報酬が少しね……。それでも精一杯出してくれてるってのは分ってるけど。パナシェ君も無理しちゃだめよ。君が倒れたら元も子もないからね」
「うん、でものんびりもしてられないし」
「まあ、確かにねえ。……仕方ないし、あいつに頼むしかないのかしら」
アネットに諭されるも、納得しきれない様子でパナシェは再び項垂れる。アネットはアネットで頼るべき相手に心当たりがあるのか、嫌々そうにそう呟いたのがアルクの耳に届いた。
『どうする、アルク?』
(そうだね、結構行き詰ってそうだしね。アネットさんもなんか事情がありそうだし)
『それぞれに何か理由があるのだろうな。だが今は余計な詮索をするよりも、だ』
(うん、わかってるよハル)
「アネットさん、パナシェ。よかったらその依頼、僕に受けさせてもらえないかな」
「えっ⁈」
「いいの? あんまり得するクエストではないわよ。それに薬草採取といってもさっき言ったように結構難易度の高い内容よ。君は冒険者になってから薬草採取は……」
突如立候補したアルクに、不安げに二人が見つめてくる。
「大丈夫です。こう見えて僕は山育ちですから。採集はお茶の子さいさいってやつですよ」
『私の権能を使えばなお容易いことだな』
「じゃあ、お願いしようかしら。パナシェ君はどうするの? 先に依頼を請け負ったけど」
「うーん、じゃあオイラもついていっていいかな? 色々説明できると思うし。報酬は全部アルクのものでいいから」
『せめて折半というところだな』
「それじゃあ悪いよ。折半でいこう」
『依頼を横取りする形になってしまったし、パーティーを組むならその方が気は楽だろう。現在の生活はコストというものがほとんど掛かっていないため、別段金銭にはこだわらなくてすむ。だが、全部相手に渡すというのも矜持を傷つけてしまうかもしれないし、ここは折半が無難だな』
パナシェは少しばかり悩む素振りを見せたが、アルクに向かって頷いて見せた。
「そういってもらえると助かるかも。じゃあ明日の朝、ギルドの前でいいかな」
「うん」
こうしてアルクは初の薬草採取のクエストを受け、冒険者になってから初めてフィールドへと出かけることになったのだった。そして、仲間を迎えて、共に同じクエストへと挑むのもまた初めてであった。
翌日の早朝。アルクとパナシェは、ギルドの前で落ち合い、メレンの門へと歩いた。パナシェは、いつもよりも厚手の服を纏い、大きなリュックとスコップを背負っていた。
「うん、よく晴れてる。絶好の冒険日和だね」
パナシェはそういって、手を大きく広げて空を仰ぐ。つられてアルクも空を見上げる。確かに空は青々としており、白い雲がのんびりと浮かんでいた。パナシェに習って大きく手を広げ、空のみが見えるようにしてみる。すると、まるで宙に浮いているような浮遊感を覚えた。姿勢を直したとき、パナシェの背中にあるスコップに視線がいく。
「ああ、コレ? 気になる? フフン、実はこれ魔法の武器なんよ」
ドヤァと笑みを浮かべて、背中のスコップを外し、掲げて見せる。
「へえ、そうなんだ。変わった武器だね」
「うん、死んじゃったオイラの師匠から譲り受けたやつでね。師匠曰く戦場でもっとも多く人を殺してる武器なんだって。頑丈で壊れにくく、頼りになるやつさ」
(そうなの? ハル)
『ん、まあ言っていること限定的だが間違えていないな。魔力付与がされてるというのも本当だ』
「だからゴブリンとかそういった相手がいたら、戦力になれると思うよ。普段は戦闘とかあんまし率先してやろうと思わないし、戦闘経験自体はあんましないけどね。でも今日はアルクが一緒だから何とかなりそうかな」
パナシェは白い歯を見せてニッと笑う。顔全体が煤で汚れているため、やたらとその綺麗な歯とのアンバランスさが目立った。ボサボサの髪の隙間からは大きな青い瞳がキラキラと輝いている。
「ようし、今日は絶対成功させるぞお」
意気込んだパナシェは天に向かって拳を突き上げる。その声は広々とした平原に響いた
暫くして、山の中にて――
「次のレッドハーブで最後だね。たぶんこの先にあると思う」
「……そう」
薬草の採取を初めたアルクは、ハルの権能マップとサーチによって順調に薬草を採取していった。マップには以前の所有者たちの残したデータが入っており、どこに何が自生しているのかなども知ることが出来るのだ。それとサーチを組み合わせて、瞬く間にクエストは終了しようとしていた。
パナシェは信じられないといった表情をずっとしている。最初の頃はアルクの山育ちの勘という言葉を信じ、無邪気に喜んでいたが、確信的に次の採取場所へ直行するアルクを見て、それ以外にも何かあるのではと感じているのだろう。しかし、面とむかって聞いてくることはなかった。ハルの権能はそれを見せびらかすことで、高価な魔剣と思われ、他の冒険者に目をつけられないように隠しておくというのが、ハルと定めた基本方針だ。パナシェには別段話してもいいのだが、そこから第三者に話が漏れると、パナシェが危険にさらされるかもしれないとのことで、権能のことは伝えないことにしていた。
「あ、でもこの先に魔物が三体いるね」
「そんなこともわかるんだ。山育ちだから?」
「うん、まあね。それよりどうする? 戦闘が嫌なら迂回しようか」
「うーん。でも、ここ迂回すると結構時間かかりそうだし、突っ込んじゃおうか」
ここでは正面突破を選択する。いくら規格外の速さでクエストをこなしているからといって、一日という制限がある以上、行軍による体力の消耗や、想定外のトラブルなども考慮して時間のロスは抑えたいからだ。
アルクはハルを腕輪から剣の形態へと戻した。それを見たパナシェが目を丸くする。
「それがアルクの武器? すごいねえ」
「うん。お祖父ちゃんの形見みたいなものかな」
「じゃあ、オイラのスコップと一緒だね。大切なものだね」
パナシェはニコニコと己のスコップを背から外し、胸に抱く。
「じゃあ、いこうか。先行は任せていいの?」
「うん、パナシェは僕の後ろで」
「わかった」
互いに武器を携え、二人は先へと進んでいった。茂みをかきわけ、忍び足で進んだ先には、ゴブリンが三体、木の枝を振り回してキャッキャッと遊んでいる。チャンバラ遊びのつもりなのだろう。ひっそりと、茂みの中に身を潜める。
「なんかとても楽しそうだね」
「うん。でも魔物だからね。ほっとくと他の人に被害が出るかも」
予想外にほのぼのとしていたため、少し襲うのが躊躇われてしまったアルクをパナシェがそう諭す。
『パナシェの言うとおりだ。特にゴブリンは群れを作る社会性の魔物だ。そういった魔物を放置すると、小さな村が滅ぼされることも考えられる』
ハルの説明に心の中で頷くと、覚悟を決め、腰に差した短剣を取り出す。
「準備はいい? いくよ」
小声でパナシェにそう告げる。パナシェはスコップの柄を握りしめ、アルクに頷き返す。
敵がこちらに気付いていない状況においては、奇襲がもっとも選ぶべき戦法であり、ファーストアタックは初撃が大事というのが定石である。バーチャルにて何度も練習したスローイングナイフを、出来るだけ外さぬよう、威力を殺さぬように意識しながら投擲する。
「ギャアッ」
ナイフはゴブリンの肩へと突き刺さった。うめき声をあげ、仰け反るゴブリン。頭部を狙う技量はないため、胸を狙ったが無事当たってくれたようだ。アルクは一つパナシェに目配せをすると、ゴブリンに向かって飛び出した。
奇襲によって硬直状態にあるゴブリン三体。アルクは立ち竦む無傷なゴブリンへ勢いよく飛び掛かると、ハルの絶大な切れ味に任せ、その肩口からゴブリンを両断する。
仲間のあっけない死に突き動かさせるように動き出す残りの二体。手負いのゴブリンは片腕で木の枝を振り回し、必死に防戦する。しかし、アルクは冷静に詰め寄ると、ただガムシャラに振り回される攻撃を避けつつ、大きく姿勢を崩したところを薙ぐ。
「あと一体」
「まかせて」
残りの一体には既にパナシェが詰め寄っていた。パナシェはスコップを振りかぶり、気合の声を発しながら、スコップを振りぬいた。
「やあああああ」
「ギィ!」
ゴブリンは木の枝にてその一撃を受け止めようとする。しかし――
ドゴン
そんな鈍く、そして何かが爆ぜるような音が響いた。アルクが見たのは、スコップの一撃を受けたゴブリンの肉体が回転しながら宙を舞い、木へと激突する光景であった。
「うわぁ……」
ゴブリンの四肢は原型を留めぬほど折れ曲がり、その頭部からはわずかに神経のつながった眼球が二つ眼窩から零れ落ちていた。その有様はとてもグロい。
「どう、スコップって強いでしょ」
パナシェはゴブリンの返り血を浴びながら、エヘンと胸を張る。
「うん、そうだね……」
『成る程! パナシェの怪力ならばスコップは最適な武器かもしれないな。リーチ、威力とも最適だ』
感心するハルの言葉に頷きながら、アルクはパナシェと喧嘩することは決してすまいと心に誓うのだった。
ゴブリンとの戦闘の後、奥へと進んだ二人は目的の薬草であるレッドハーブを入手した。これですべてが揃ったため、後は町へ帰還するだけだったが、まだ太陽も上りきっておらず、余裕もあるため、近くにあった木洩れ日のさす小川の側にシートを敷き昼食を取ることにした。
「わあ、今日もすごいなあ」
「パナシェの分もあるから遠慮しないでね」
パナシェがランチボックスの中を見て歓声を上げる。その中にはサンドイッチやフライドチキン、それに色鮮やかな果物が数種綺麗に切られ、並べられていた。これらは今日の冒険のために、バトラーが作ってくれたものだった。
「これ、食べていいんだよね」
「うん、二人分あるから遠慮しないで」
「ありがとー」
アルクの初めての同年代の友人との遠出とあって、バトラーがいつもより腕に寄りをかけ作った弁当であった。アルクも、ハルもバトラーが常日頃成長期には栄養が何より必要と言っているし、良好な関係である年の近いであろうパナシェには何か形のあるもので報いたいと思っていた。そのため昨日のうちに、バトラーにこのことをお願いしたのだ。
「おいしー」
満面の笑みを浮かべ、パクパクとサンドイッチを口に運ぶパナシェを見てると、アルクの腹も急激に唸り声をあげた。アルクはパナシェにならいサンドイッチに手を伸ばし、次々に口に運んでいく。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
魔法瓶に入れてあった温かい紅茶をコップに注ぐと、パナシェに渡す。自身もコップに注いだ琥珀色の液体を啜る。爽やかな清涼感が口内と鼻腔を満たし、気分を落ち着かせてくれた。陽気に降り注ぐ太陽の光を浴びながら、川のせせらぎを聞き、のんびりしていると陶然とした感覚が全身を包んでくる。
「このお茶、凄く美味しいね」
「淹れ方にコツがあるんだ。ゴールデンルールっていうらしいけど、淹れ方一つで大分味は変わるんだよ」
実際、自身の淹れたものとバトラーが淹れたものでは、これが同じ茶葉なのかと疑うくらい違うのだ。アルクも何度も挑戦してるが、今だバトラーには遠く及ばない。バトラ―曰く経験の差らしいが。
「ハア、落ち着くなあ。こんなに美味しいお茶は師匠に淹れてもらったとき以来だよ。師匠はお茶道楽でね。よく淹れてくれたんだ」
『ふむ、愛用のスコップといい、パナシェはその師匠のことが大好きだったのだな。パナシェの基礎がしっかりとしているのも、その師匠の教えが優秀だったからだろう。もしかしたら名のある人物なのかもしれないな』
(そうだね)
ポカポカと太陽の光を浴びながら、昼食を終える。食休めの間に、アルクとパナシェは他愛のない話をしながら、しばしの時を過ごしたのだった。