駆け出し冒険者
目の前にいるのは豚の頭部をもった巨躯の魔物、オークだ。アルクは、現在バーチャル内にて討伐ランクD相当のその魔物と現在戦闘を繰り広げていた。きっかけはEランク程度の魔物なら、単体でならいなせるようになってきたアルクに対し、ハルが少し上のランクを試してみないか薦めたのが始まりだった。案外いけるか、と挑戦してみたはいいものの――
「グオオオオッッッ!」
「わあっ」
絶大な膂力から凄まじい速度で振り回される棍棒の暴威。アルクの現在の実力では逃げ延びるのが精一杯なのが現状であった。今も頭を掠めそうになった棍棒をなんとか屈んでやり過ごすが、息をつく間もなく棍棒はオークの頭上で旋回し、今度は真上からアルクを襲った。横に転がることでそれをなんとかやり過ごす。
『やっぱ厳しいか』
「攻撃だって通らないよっ」
アルクがやっとの思いで隙を見つけ振った攻撃も、固い筋肉に遮られて大した傷にはならなかった。もっと深く踏み込もうにも、オークの攻撃を受け止めたアルクの身体は容易に宙に浮かされ、仰け反らされる。吹き飛ばされてしまうことで、まともな体制をとることなど到底出来なかった。故に踏み込むことは出来ず、もし強引に潜り込もうとするなら、オークの攻撃でアルクの身体は弾け飛んでしまうだろう。
「もう、これしかっ」
アルクは呼吸を整えると、体内に巡るというマナに意識を集中する。最近、ようやく掴みかけてきた魔力の運用を行い、練り上げていく。すると、アルクの髪が逆立ち始め、身体の周囲をパチパチと雷が巡る。
「こいッ、サンダーボルト」
ハルを突き出すと、オークの頭上より雷鳴と共に一筋の雷が落ちる。しかし、それはわずかに逸れて地面を焦がすに止まった。突然の魔法に驚き、そして憤ったオークは雄たけびを上げると、猛然とアルクに襲い掛かった。気を落としつつ、オークを迎撃しようとしたアルクだが、魔法の行使により全身を倦怠感が襲う。そのため、動作が一瞬遅れ、攻撃を受けとめた衝撃で手から剣が弾き飛ばされる。
「あっ」
呆けたように見上げたアルクの頭上に、アルクの身体よりも大きな棍棒が振り下ろされる。スローモーションのように呆けながら、それを眺めるしかないアルクの意識はそこで闇に閉ざされた
「わあああっ」
修行部屋にて目覚め、アルクは飛び跳ねるように起き上がった。咄嗟に自身の頭部を触り、それが存在していることを確かめる。そして、何事もないことを確認すると大きな安堵のため息が自然と出た。あの自らの頭部が爆ぜたような生々しい感覚は、当然ながらバーチャルによる虚構だったのだ。
『うむ、まだオークは早かったな。60点といったところか。臆せず、攻撃に対処していたのは上出来だった。初めての魔法を成功させたのも悪くない。だが、後先考えず魔法を行使し、その疲弊によりやられてしまったのはいただけないな。まあ、知らなかったからしょうがない、次から気をつければいい、とバーチャルだからこそ言ってやれるということも肝に銘じておいてくれ。本番では自身の生存をしっかり確立できるよう、常に考えることが必要だ。冒険者に必要なのは冒険心もだが、それ以上に慎重さだからな』
「そうだね、反省しないと」
アルクはいまだ動悸がし、冷や汗が滴り落ちる身体を奮い立たせる。部屋の片隅においてあったタオルで体を拭き、水筒の中の水を飲んだ。大きく息を吐き、ようやく人心地ついたアルクは身体のこわばりを取るため、屈伸運動を行う。そして暫くすると、ようやく心臓の鼓動も気にならなくなってきた。
『とはいえ、バーチャルによる疑似死はこれが初めてか。かつてこれで戦いがトラウマになってしまった者もいる。今日はクエストはどうする。休んでもいいんだぞ』
「いや、行くよ。親方に今日も行くって言っちゃったし。後、パナシェにも」
『そうか、無理するなよ』
アルクがメレンに来てから一週間が経っていた。その間、初めに受けた仕事というのは土木工事であった。町の外壁を修復する仕事であり、肉体を酷使するだけあって実入りは悪くはない。給料も日払いで、日雇いで参加できるために町の借金持ちや、その日暮らしの者、それにアルクと同じような駆け出しの冒険者が参加していた。今日でその仕事も一区切りつくらしく、アルクとしてもきちんと終わらせてから次のクエストを行いたいと思っていたのだ。
ここにきてからはもっぱら、朝は修行、その後メレンに出て駆け出し用のクエストをし、帰ってからも修行という生活を送っている。修行の内容としては、変わらず剣と魔法、そして座学をハルの教授のもとで学んでいた。
「アルク様―、今日持っていくお弁当を持ってまいりました」
「ああ、ありがとうバトラー。それじゃあ、そろそろ行こうかな」
修行部屋に入ってきたバトラーからお昼の弁当を受け取り、それを鞄に詰めるとアルクは立ち上がった。
「それじゃあ行ってくるね、バトラー」
「はい、行ってらっしゃいませアルク様、ハル様」
手を振るバトラーに見送られながら、アルクはコテージをでた。
今回受けた土木作業での外壁修繕で、アルクに与えられた仕事は石材の運搬だった。一輪車に石を積むと、ひたすら現場に運んでいく。周囲にはそれぞれ役割を与えられた日雇いの者や冒険者が同じように働いていた。城壁を実際に修繕するのは職人が行っており、アルクたちはそのサポートに当てられている。
「おう、アルクか。今日も真面目に働いてるみたいだな。感心感心」
「あ、親方」
現場監督であり、アルクと同じぐらいの年の子供がいるらしい親方が、アルクに声をかけてきた。子供と年が近いせいか、目をかけてもらっているらしく、気さくに声をかけてきてくれる。
「もう、ほとんど完成してるね」
「ああ、これで魔物も近寄ってこれねえ。ドラゴンだって無理だろうよ」
そういって、親方は豪快に笑う。
『この規模の外壁ならワイバーンですら来たら危ういとは思うがな』
ハルのつっこみに、心の中で相槌を打ちながら、親方の言葉に頷いていると、大きな石の塊がふらふらと動いているのが見えた。
『あれはパナシェだな』
「相変わらずの怪力だなあ。おーい、パナシェ。気をつけろよ、そのデカさだと落としたら、やばい事態になるぞ」
親方の呼びかけに遠くから「大丈夫―」と、大きな声がしたが、そのためか左右に少しふらつき、周囲の人たちが慌てて退避する。親方は額に手をやると「言わんこっちゃない」とパナシェに向かって駆け出していく。アルクもその後を着いていった。
「ほら、気をつけろ。もうそれそこでいいから。ゆっくり置いて」
「うん、わかったよ親方」
親方の指示にパナシェは頭上に担いだその大きな石を割れぬように、そっと下す。手をパンパンと払いのけるパナシェは息一つ乱していない。
「あ、アルクだ。今日も来たんだ」
「今日で完成だからね。最後までやってみたかったんだ」
「そっか、初クエストだもんね」
パナシェがアルクににっこりと微笑みかける。先輩冒険者として、初クエストがどういったものなのか知っているのだろう。うんうんと、何かを思い出すようにして一人頷き、合間ににやりと笑みを浮かべる。
「お前たち、もう大分日も上ったから休憩にしていいぞ」
「はーい」
そんな二人に親方がそう告げる。一緒に食べようとパナシェを誘い、少し離れた広場の木の下に移動する。アルクは持参した鞄から、バスケットを取り出した。その瞬間パナシェの瞳が輝きを増す。
「あ、今日も作ってきたんだ。凄いなあ」
「パナシェの分もあるよ」
「信じてたよ、アルク。ありがとぉ。やったあっーーー!」
バスケットの蓋を外すと、中にはハンバーガーやポテトフライ、それに茹でた野菜やミニトマト、カットされたフルーツが入っていた。いずれもバトラー早朝に作り、バスケットに詰めてくれたものだ。アルクは中のハンバーガーを取り出し、パナシェに渡す。
「はい」
「うわあ、美味しそう。いつもわるいねえ」
「だって、パナシェはいっつもパンだけなんだもん。健康に悪いよ」
「うーん、まあオイラも入り用だからねえ。あんまり金はかけたくないっていうか」
「冒険者は身体が資本だから。倒れたら元も子もないよ」
「ハハ、気を付けるよぉ」
パナシェは苦笑すると、ハンバーガーを大口を開けて食らいつく。この仕事に来た時、パナシェと偶然出会い、昼食をともにしたのだが、パンと水だけという食事内容の貧困さにアルクは絶句してしまった。弁当を分け合うという名目で少し分けてもらったが、石のように固く、水でふやかさなければ食べられないような代物であった。
それ以来、この仕事をしている間は毎回パナシェの分の昼食も持ってくることとなったのだ。年の近い相手とこのように接することは、下男のように扱われ友人のいなかったアルクにとって初めての経験でもあり、とても楽しく感じられていた。
「パナシェはこの仕事が終わったらどうするの」
「んー、他の冒険者グループにポーターとして雇ってもらったり、どぶさらいとかかなあ。オイラ、魔物との闘いにまだ、あんまり自身がないんだよね。オイラの師匠から少し基本は習ってたけど、すぐ病気でなくなっちゃったからさ。他の冒険者に加えてもらうにも、オイラ訳ありだから、ちょっと厳しいんだよねぇ。アルクは、戦いとかは大丈夫なの?」
「まあ、今特訓中かな。お祖父さんの知り合いにも鍛えてもらってるし」
ポテトフライをつまみながら、とりとめなく会話を交わす。アルクは水筒からキンキンに冷えた紅茶を注ぎ、パナシェに渡した。パナシェは礼を言い、それをグビッと呷る。
「くぅ、お茶もまた美味い。しかも冷えてるし。その水筒ってマジックアイテムなの?」
「うん、お祖父さんの遺品的なやつかな」
「へえ、いいなあ。あ、親方が皆を呼んでる。休憩も終わりかな」
「じゃあ、行こうか」
「うん。ごちそう様。美味しかったよ」
休憩を終えると、親方に呼ばれ現場へと二人で戻る。そうして再び労働に勤しみ、夕刻に外壁の修理は完成した。問題ない優の評価の書かれた紙を渡され、アルクとパナシェは、親方から「また、何かあったら頼むぜ」と肩を叩かれた後、給金を貰う。それは本来受けとるべき金額よりも少しばかり多かった。
仕事の報告を行うため、アルクはパナシェと共にギルドへ着いた。足を踏み入れると、酒のむせるような匂いが鼻を突く。まだ陽は落ちきってはいないが、仕事を終えたのだろう冒険者のグループが既に出来上がった様子で酒盛りをしていた。アルクたちは、それを横目に受付へと並ぶ。順番が来ると、カウンターにいたアネットに、冒険者カードと依頼主からの報告書を渡した。
「アネットさん。終わりました」
「ああ、アルク君か。初クエストお疲れ様。評価は……うん、優ね。冒険者は信用商売。こういった仕事でも手を抜かずにやることが大切よ」
「はい」
アルクは提示した冒険者カードを鞄にしまい、後ろのパナシェに席を譲る。
「パナシェ君もお疲れ様。君がいると捗るって評判よ。またお願いって」
「えへへ」
「頑張ってるもんね。もう少しなんじゃない」
「はい、この調子なら年内には何とかなりそうな感じです」
「凄いじゃない」
アネットとパナシェはそんな会話を交わしている。パナシェの事情とやらをアネットは知っているのだろう。正直興味はあったが、聞き耳を立てるのもはしたないと思い、すこし席を外して周囲を見る。すると、先程とは違った喧噪が酒場から起きているのにアルクは気付いた。
「どうしたんだろう」
『喧嘩かな。ギルドではよくあることだが。あまり巻き込まれないように気をつけねばな』
しかし、そのざわめきの中で、小さな女の子の泣き声らしきものが聞こえ、アルクは少し近づいてみることにした。すると、そこには小さな子供が倒れており、同じくらいの子供が必死に泣きながらそれを助け起こそうとしている。そのすぐそばには、酒瓶を持った巨漢の男が顔を赤らめながら、腕を振りまわしている。
「おうおう、どうしたリタ。一人前に口答えしてきたくせに、そのざまかよ。そんなんじゃ、まともに魔物とだって戦えねえぞ」
「おいおい、デク。そのぐらいにしといてやれって」
「ガキ相手に大人げないぞ」
その後ろにはその男の仲間らしい者達が、酒を片手にニヤニヤと笑っている。周囲の冒険者たちは「またかよ」などと呟きながらも介入しようとはしない。
「いや、こういう根性ナシは鍛え直さないと駄目なんだよ。別に虐めてるわけじゃねえ。なあ、そうだろ」
「ごめんなさい。許してください。お兄ちゃんは何もしてないです」
「ああんっ、リラッ、なんだその言い方は。誤解されんじゃねえかよ」
デクと呼ばれた男の怒声が響き渡る。必死に哀願する少女の様子に加虐心が一層刺激されたかのようだった。リタとリラと呼ばれた兄妹らしき二人は、その様子にビクッと身体を竦ませる。その弱々しい姿に、ついアルクは以前の己の姿を重ねてしまう。
「ハル」
『……ああいう手合いは顔を覚えられたら面倒くさいぞ。アルクだけの力では処理しきるのは難しいかもしれない。そんな顔をするな。まあ、いざとなったらギルド職員もいるし、私の権能も一応とっておきがある。ここで見て見ぬふりは主人公にふさわしくはないからな』
「ありがとう」
アルクはハルの了承を得て、その騒動の渦中へ足を踏み入れた。突然の闖入者として、アルクは周囲の注目を集める。兄妹と男の間に割る様にしてアルクは立ちふさがることにした。その目的がどういうものなのか理解したらしい男は、新しい獲物が小さな少年であるという事実に、犬歯を覗かせ醜悪に笑う。
「なんだテメエは。文句あるのか、オイ」
「その子たち、怖がってますよ。正当な理由もないのに殴るのは良くないと思います」
その言葉に男は一瞬キョトンとした後、馬鹿にしたように爆笑する。後ろの仲間たちも心外だといわんばかりに肩をすくめて、ニヤニヤと笑いあっている。アルクの心に屈辱と怒りが沸き上がった。しかし、次に男が吐いた言葉にその気持ちは一瞬で鎮まることとなった。
「おう、ボウズ。俺たちはな、身寄りのないコイツラに仕事をやって食わしてやってるんだぞ。もし、俺らがいなかったら、コイツラは飢え死にだ。だから、今も冒険者としてのわきまえかたを教えてやってんだ。それともなんだ。お前が代わりにコイツラを喰わしてやれんのか、オイ」
「それは……」
男の言葉に、アルクは声を詰まらせてしまう。考えもなしに飛び出してしまったが、アルクにこの兄妹をこの先ずっと食わしていくことなど、到底出来ないだろう。大人の庇護なくして生きていくのが難しいのは、両親を亡くし、叔父夫婦にこき使われていたアルク自身がよくわかっていた。もし奴隷に売られるなどといったことが無ければ、アルクは今でも黙々とあの家で奴隷的な労働に従事していたかもしれない。
『……ふむ。この男のいうことにももっともな部分はある。だが、だからといって年端もいかない子供を酔いに任せて嬲るなどというのは教育でもなんでもないし、看過されるべきものではない。そうだろう、アルク』
(うん、そうだね、ハル)
ハルの助け船に冷静さを取り戻し、心を決めたアルクは再度男に向き直る。
「あなたのソレは唯の暴力だと僕は思う。本当にこの子たちのことを思ってるなら、せめて素面で叱るべきじゃないんですか」
「テメエ」
男は怒気を込め、アルクの襟をつかみ、捻り上げてきた。喉元を圧迫され、息苦しさを覚えたアルクはいざとなったらいつでも行動に移れるよう、右手の腕輪に意識を集中する。
「やめなさいっ! ギルドでの暴力行為は認められていないわよ」
『やっと来てくれたな』
その時、声を張り上げてアネットが駆け付けてきた。後ろには心配そうにこちらを見つめるパナシェの姿もある。これでなんとかなりそうだと、アルクもホッとため息をついた。まだ人間相手に戦う訓練はしていないし、目の前の屈強な大人たちをどうにかできる実力はアルクにはないため、なにかあったらぶっつけ本番でハルの権能に頼らなければならないところであった。
巨漢の男が怯み、後ろを振り返る。するとリーダーらしい痩身長躯の男が立ち上がった。その男の目は糸のように細く、そこから覗く冷たい瞳はアルクに爬虫類を思わせた。
「アネット、そう怒るなよ。若い冒険者たちと少しいちゃついてただけじゃねえか」
「ケイネス、またあなたなの。問題ばかり起こして。いますぐこの場を立ち去りなさい。ここはあなたたちの暴れていい場所じゃないのよ」
アネットはそういってケイネスの顔を睨み付ける。しかし、ケイネスは意に介した様子もなく、アネットに近寄るとなれなれしくその肩を抱く。
「ちょっと、放しなさいよ」
「ああん、いいじゃねえか。少し付き合えよ。俺の目にかなうなんてそうそうないことなんだぜ、アネット」
「上に言うわよ」
「ああ、いいぜ。俺も名前が売れて、結構お友達も増えてるから、どうなるかはわからないけどな」
「くっ」
アネットは肩に掛けられた手を、振りほどこうとするが、びくともせず、ケイネスが元いた席へとじりじりと連れられて行く。周囲は緊張感の中、静まり返り、ケイネスの仲間だけがニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。
(ハルっ、このままじゃアネットさんが)
『むう、どうやらあの男はギルドの上層部となにか繋がりがあるらしい。これは計算外だな。まだ教えるには早すぎるが、状況を打開できる奥の手は一応ある。リスクも高いし、成功するかもわからない。本来ならもっと相応しいシチュエーションがいいんだが』
(なんでもいいから、早く)
『では……』
「そこまでだ」
しかし、ハルが権能を発動させる直前、一人の男の声が割り込んできた。声のする方を見ると、ギルドの入り口に一人の長身の男が立っていた。男はがっしりとした体つきで、鍛え上げられた筋肉を纏い、背中には身長と変わらない大剣を背負っている。男の登場にいつの間にかギルドは静まり返っていた。
「ちっ、モルトか」
ケイネスが舌打ちをすると、アネットから手を離す。すかさず、アネットはケイネスから距離を取り、アルクの側にまで退避してきた。モルトはちらりとこちらを見ると、ケイネスの側にまで悠々とした足取りでやってきた。
「よお、ケイネス。見ない間に随分出世したみたいだな」
「ああ、あんたが負け犬に成り下がっている間にな。これでもメレンでこのケイネス様に逆らえる奴はいねえ。あんまり出しゃばるなよ」
「そうかい。だが、負け犬だからこそ見過ごせねえこともあるんだよ。お互いやり合うのは得策じゃないだろう」
暫しの言葉の応酬の後、二人はしばし睨みあう。一瞬即発の雰囲気にギルド内は息苦しい緊張感に包まれ、誰かが飲み込んだ唾の音もやけに響いて聞こえる。
『あのモルトという男、なかなかの手練れのようだ。万が一戦闘になっても問題はないだろうが、その際は加勢するか?』
(そうだね。でも……)
アルクの目に、ケイネスが緊張を緩め大きく息を吐く姿が映る。ケイネスはデク達に向かい、顎をしゃくり上げると出口へと向かう。
「負け犬と一緒にいると、俺たちまで駄目になっちまう。行くぞ」
デク達も急いでケイネスの後を追い、ギルドから出ていった。その後ろから、リタとリラと呼ばれた兄妹も後を着いていく。途中アルクと目が合うと小さく会釈し、去っていった。
ドアが閉まった途端にギルド全体が緊張から解かれ、再び騒めき始める。そんな中、アルクはアネットがじっとモルトのことを睨みつけているのに気付いた。
「大丈夫か」
「別に感謝なんかしないわよ」
モルトの言葉に素気無い返事で返すと、アネットは急ぎ足でギルドの奥へと行ってしまった。モルトも傍らのアルクをちらりと一瞥すると、踵を返し、ギルドから出ていく。
(あの子たち大丈夫かな……)
『今の我々だと、これ以上踏み込むことは無理だろう。後でギルドに報告するにとどめておくのがベターだ。まあ、先程の一件で、このギルドが信頼できるかどうかは疑問に思うが。しかし、アルクよ。駆け出しの冒険者が身を寄せたパーティーで下積みをするのと引き換えに雑務を行うのは当たり前のことだ。その待遇が虐待に近いことも多い。それすら得られない駆け出し冒険者の大抵は、基礎すら学べず、冒険先で死亡しているんだ。そういった者から見たらあの兄妹もまだまだ恵まれていると私は思う』
(うん、わかったよハル。僕はこれ以上は踏み込まない)
それに踏み込めない、と悔しい思いを心の中で押し殺す。
「ふう、モルトさんが来てくれて助かったね。最初はどうなるかと思った」
「パナシェ」
そのとき、隣に歩み寄ってきたパナシェがアルクの肩を叩いた。
「アルクがケイネス達のパーティーともめていた時は心臓が止まるかと思ったよ。あいつら、最近凄い幅を利かせてるからさ。なんでもメレンのギルドの上層部に賄賂を贈ってるって噂だけど」
「そうなんだ。あのモルトって人は」
「モルトさんはこの町一番の凄腕だよ。なんでもアデルハイドに行って、Cランクにまでなったって人らしいから。最近帰ってきて、街の話題になってったなあ」
「アネットさんとも何かありそうな感じだったね」
「え、そうなの? そこまではオイラも知らなかったなあ。まあ、それはいいとしてもう大分日も暮れてるし、夕食にしようよ。オイラ、美味い串焼き屋を知ってるから行こう。今日はオイラが驕るからさ。恵んでもらってばかりじゃ独立不羈の冒険者の名前が廃るからねえ」
まだ今起きたばかりのことを消化しきれていないアルクだったが、悩んでも仕方ないとばかりに陽気なパナシェに誘われ、夕食へと出かけることにした。パナシェに案内された串焼き屋は確かに美味く、腹が満腹になるにつれ、先程の胸のしこりもいつの間にか消えていった。店先でパナシェと別れると、アルクはコテージを使うために寝床に定めた町の外れの小さな丘へと歩いていく。しかし、心の中では冒険者の現実の厳しさに,忸怩たる思いが渦巻いて消えることはなかった。