プロローグ
早朝。
山を越え街道を進んだアルクは、メレンの街の門へと着いた。アルクよりも先に着いた人たちが、門が開くのを待つために列となっていた。アルクはその最後尾へと並ぶ。目の前の行商らしい男が、馬車からアルクをちらりと一瞥したが、特に声をかけてくることはなかった。アルクぐらいの年の子供が、一人で並ぶのもそれほど珍しいという訳ではないのかもしれない。商人のマップ表示は一瞬黄色を示したが、すぐさま緑となる。
時間となったため門が開くと、守衛が門から出てきて、行列の人々を検分し始める。その後次々と町へと通され、すぐさまアルクの番となった。
「次の者、前へ」
「はーい」
元気よく返事をすると、守衛の前へ進む。アルクの姿を見つけると守衛の男は一瞬眉を顰めるが、すぐさま無表情へと戻った。
「小さいな。メレンには何をしに来た」
「冒険者になるために、ユーリカ村から来ました」
「……だろうな。まあ、うるさいことは言わんよ。荷物は検分させてもらうぞ」
「どうぞ」
アルクは肩に掛けていた鞄を守衛に渡す。流石に手ぶらだと怪しまれるため、アイテムボックスから適当に見繕ったものだ。中には薬草やスライムの魔石といった、アルクの年齢でも持っていておかしくない採取物を少量入れていた。また、普段は腕輪の形状を取っているハルも、なにかしら目を付けられる可能性があるため、リストバンドをして隠している。その変わりに適当な短剣を腰へと吊るしておいた。
「うん、問題ないな。通行料は500マルクだ」
「わかりました」
あらかじめ祖父が用意してくれていたという硬貨の中から値段の分を取り出し、守衛に渡す。なくすんじゃないぞ、といいながら通行手形を渡してくる守衛に礼を言いながらアルクは門をくぐる。
(問題なく通れたね)
『ああ、やり取りも問題はなかった。ある程度大きな町へ入るときは大体こんな感じだ』
「わあ、すごい」
門をくぐると、メレンの街の景観にアルクは目を細める。多くの家が立ち並び、今日一日の商いを開始するために商人たちが露店などの準備をしている。冒険者らしき姿の団体もちらほらと見られ、街の外へと出ていく者達もいた。そういった人々に提供するための朝食の屋台なども見られ、暖かい湯気や香しい匂いが周囲に漂って、アルクの胃袋を刺激した。
『ギルドに行く前に散策していくか。時間も金も余裕があるしな』
「うん、とりあえずアレ食べたいな」
アルクは近くにあった串焼きの露店に駆け込むと、串焼きを一本買うと口へと運ぶ。炭で焼かれ、塩と香草で味付けされた肉はシンプルでとても美味しかった。食べながら、露店などの商品を眺める。薬草を原料に精製したポーションといった冒険の必需品や、店主がしきりに魔導具と謳っている胡散臭い小物など様々なものが陳列されている。
『こういうところでは大したものは売っていないが、ときおり掘り出しものがあるから侮れないんだよなあ』
「そうなんだ。面白いねぇ」
アルクは食べ終わった串をゴミ箱に捨てると、歩き始める。時間が経つにつれ、徐々に人が増え活気が増してきている。
『こういった場所ではスリにも、っとアルク、後ろだっ』
「あっ」
気づくとマップ上で自分の背後に急速に接近する者がいることに気付く。色が緑であったため反応が遅れた。
「うわーー、そこの人、どいてー」
「ッ」
振りむくとそこには、自分の背丈よりも大きな籠を背負ったアルクを同じぐらいの子供がいた。どうやら坂を下っていたときに加速し、止まれなくなってしまったらしい。アルクも一瞬どうしようか迷ってしまい、結果として避ける余裕もなくなり、二人は衝突した。
「いたたっ」
「うーん、やっちゃった。あっ、君大丈夫?」
地面に倒れたアルクが、痛む腰をさすっていると、うつ伏せに倒れていた子供がガバッと起き上がり駆け寄ってくる。
「うん、大丈夫みたい」
「本当ごめんよ。オイラ坂を下ってたら止まれなくなってさ」
謝罪し、手を差し伸べる子供をよく見る。髪がボサボサで、顔は大分煤で汚れているが、どうやらアルクとあまり年の変わらない少年のようだ。背丈はちょうどアルクと同じぐらいで、少し高いくらいだろう。アルクは素直に手を取ると、立ち上がる。そして周囲に果物らしいものが散乱しているのに気付いた。
「すぐ拾わないと」
「そ、そうだ。果物屋のおっちゃんが待ってるのに」
少年は急いで地面の果物を拾い集める。時折、通りかかった者が果物をラッキーとばかりにこっそりとくすねていく。それを見たアルクは、果物を拾うのを手伝うことにした。
「手伝うよ」
「えっ、いいのかい。ありがとう」
「大変そうだし、僕も別段急がないから」
そうして二人は急いで果物を拾い集めた。全部拾い終え、サーチにも反応がないことを確認したアルクは、身体を起こし、籠を少年に渡そうと持とうとする。
「重ッ」
持とうとしたアルクの腕に、ずっしりとその重量がのしかかり、顔をしかめる。少年はその籠をまるで重さを感じさせないようにヒョイと背負う。
「ありがとう。おかげで助かったよ。オイラはパナシェ。こうみえて、冒険者なんだよ。といってもまだ、もっぱら雑用ばかりしてるんだけどね。君は?」
「僕の名前はアルク。僕も冒険者になるために、今日この町に来たんだ」
「そっかあ。じゃあアルク、分からないことがあったら聞いてくれよ。一応、先輩ってことになるんだしさ。ということは、これからギルドかあ。ちょうどよかった。果物拾ってくれたお礼もあるし、案内するよ。ちょっと、ついてきてもらっていい」
アルクは頷くと、パナシェについていく。先ほど、アルクが数秒しか持てなかった籠を平然と担ぎ、軽快な足取りで進んでいくパナシェを見て、アルクは舌を巻く。
「すごいなあ。僕とあんまり変わんない年っぽいけど、冒険者って皆あんな感じで鍛えられてるのかな」
『いや、今のアルクは年齢から言えば中の上から上の下ぐらいの基礎能力はある。パナシェが少しばかり怪力なのだろう。だが、そのわりに体つきは普通だな。もしかすると何かしらの……』
「あっ、おっちゃーん」
パナシェが前方の中年の男に向かって手を振る。男はこちらを見つけると同様に手を振り返してきた。
「おお、パナシェか。すまないな」
「いいよ、いつもお世話になってるからね。さっき、アルク、あっ、この子にぶつかって、果物たくさん落としちゃったんだけど、大丈夫かな。見た目はそんな傷ついてないけど。それに通行人にもすこしくすねられちゃったし」
「ああ、すこし見てみるよ。……うん、このぐらいなら全然問題ないさ。数も全然問題ないよ。毎日ありがとうパナシェ。腰を壊してから今日まで、本当に助かってるよ」
「腰の方は大丈夫なの」
「大分な。あと数日ぐらいで、元通りに動けそうだ。パナシェのおかげだよ。これはお礼だ。ギルドには少ない報酬しか払えていないからな。そこのお友達と一緒に食べるといい」
「ありがとう、おっちゃん。また明日ね」
「ああ、頼んだよ」
パナシェは果物を二つ手に持ち、こちらへと駆け寄る。その内の一つをアルクへと差し出してきた。それはつるりとした真っ赤な外皮の丸い果実で、受け取るとずしりとその重みが手に加わった。
「お待たせ、アルク。このリンゴ、アルクのぶんね」
「ありがとう」
「オイラ、朝ご飯まだだったんだ」
パナシェは言うやいなや、服の袖でリンゴをこすると、がぶりと噛り付く。シャクシャクと咀嚼しながら、アルクにむかって食べないのと言わんばかりの視線を向けてくる。アルクはせめて水で洗いたいなと思いながらも、近くに井戸なども見つからないため、しかたなく同様に袖で拭い、噛り付く。
「ん、美味い」
「でしょ」
程よい酸味と、蜜の甘さが心地よく喉を通り過ぎていく。村にいたとき食べた酸っぱいばかりの木苺や、ハルやバトラーに貰った頬が溶けるような甘さの菓子とは違った美味さがリンゴにはあった。
『スーラの数少ない特産物がこのリンゴだ。スーラがアデルハイドに勝っている唯一のものと、スーラ国民の自慢と自虐の種になっているほどにな』
ハルが悪戯っぽい口調でそう説明してくれる。しかし、パナシェにはその声は聞こえない。ハルがアルクにだけ聞こえるよう、周波数とやらを調整しているからだという。アルクも口にせずとも意思を伝えようとするだけで、ハルと会話を交わすことが出来た。故に、他人が目の前にいようとも密談がいつでも可能なのであった。
「さっきのはお仕事?」
「うん、あのおっちゃんが仕事で腰を壊しちゃってさ。それでギルドに毎朝、商品を届けてほしいって依頼を出したんだ。でも、受ける人がいなかったからギルドの受付のアネットさんにやって欲しいって頼まれてね」
『冒険者の仕事は多岐に渡る。巷で言われているような怪物退治や迷宮探索の他、どぶさらいや土木工事、それにパナシェが今言ったような雑務などもある。新人の冒険者などはそういった仕事でようやく食つなぐことが出来るのが現状だ』
どうやら新人の冒険者というのは、想像以上に厳しいらしい。アルクは、そういった仕事をこなしているであろう自分とあまり変わらぬ年のパナシェに対し、普通に尊敬の念を抱いた。かたやアルクといえば、冒険の最中ですら毎日風呂に入り、空調の整った快適な部屋の柔らかいベッドで安眠しているのだから。
「これからギルドへ行くんだよね。じゃあ案内するよ」
「いいの?」
「うん。オイラもなにかいい仕事ないか探しにギルドに行くからさ」
「じゃあ、お願いするね」
「うん、こっちだよ。アルク」
そうして、パナシェの案内に従い、アルクはメレンのギルドへと向かった。
「着いたよ。ここがメレンのギルドさ」
「へえ、おっきいんだね」
その建物は周囲の建物より大きく、色々な棟に分かれている。武具に身を包んだ冒険者の集団が多く出入りしていた。
『ここで冒険者はクエストを受けたり、狩った獲物を売買したりすることが出来るのだ。他にもクエストで汚れた体を清める浴場や、素材を解体する解体所、歓談するための酒場、必需品を売る道具屋などが置かれている。』
「さあ、行こう、アルク。今ならまだ人は少ないよ。これから混み始めるから」
パナシェがアルクの手を取り、中へと誘う。扉をくぐると、すぐ奥にはカウンターらしきものがあり、そこで冒険者と制服を着たギルド職員らしき人物がなにやら手続きを交わしている。
隣からいい匂いが漂ってくる。そちらを見るとテーブルが並べられているスペースがあり、そこで朝食らしきものを冒険者が食べていた。流石に酒を飲んでいる者はまだいない様子だった。
「ほら、アルク。あそこが受付で、登録もクエストの受注も出来るよ。今日は……あ、アネットさんがいた。ちょうど空いたし、いこっ」
二人がカウンターに行くと、アネットというらしい赤毛のセミロングの髪の女性がこちらに気付いた。その髪は光輝くように艶やかで、服装も体にぴったり合うように仕立てられており、顔も白く滑らかであり、唇は驚くほど紅かった。その洗練された美しさに貫頭衣のような副しかなかったユーリカ村出身のアルクは、それを見ただでなぜか不思議と顔が熱くなる。
「あら、パナシェ君。いつも早いわね。今日はお友達と一緒なの?」
「はい。アルクとは今日出会って、果物屋の仕事を手伝ってもらったんです」
「ああ、サムさんの……。ありがとうね、パナシェ君。サムさん、とても喜んでくれてたわ。真面目でいい子が来てくれたって。報酬も決して安すぎるということはないんだけど、受け手がいなくてね、ギルドとしても助かってるわ」
「えへへ」
二人は顔馴染みらしく、そんな気兼ねない会話を交わしている。会話が終わると、アネットはアルクの方に向き直る。
「アルク君だったかしら。今日は冒険者登録にきたのよね」
「あっ、えっ、ハイッ」
「じゃあ、これの記載事項に記入してもらえるかしら」
声を上ずらせるアルクに優しく微笑みながら、アネットは一枚の紙をアルクに渡す。その紙には名前や、出身地、年齢、生年月日から、習得した特殊技能や魔法、自己PRなどを書く欄がある。それに従い、記入を終えると、アネットにそれを提出する。
「うん、不備はないようね。じゃあ最後にこれね。このカードに血を一滴垂らして手続きは完了よ」
アネットは書類を受け取ると一度奥へと行き、小刀とカードを持ってきてアルクへと渡してきた。カードには先ほどの記載事項などが書かれている。
「それも一種の魔道具で、血を垂らすことでマナの波動を記録し、本人認証をしてくれるわ。だから冒険者カードは身元の確認をする際に重要になってくるから無くさないようにね」
「わかりました」
アルクは小刀を指に押し当て、血を一滴垂らす。すると、カードは血を吸い取り、一瞬淡く輝いた。カードを手に取ってみるが、血はもうどこにも見受けられない。血を拭くようにとアネットに渡された手ぬぐいで指を拭い、次に渡された軟膏を塗る。
「はい、これで冒険者登録は終了よ。冒険者はランク制になっていて、FからSまでの8ランクあるわ。推薦なんかが無ければ、皆Fランクからスタートよ。クエストをこなして実績を積むことで、ランクは上がっていくから頑張ってね。ランクが上がれば依頼を優先的に受けられたりと優遇措置もあるからね。上を目指すならガンガン依頼はこなすべきよ。まあ、説明はこんなところかしら。ああ、技能なんかを身につけたかったら有料で講習なんかもやってるから興味があるなら受けてみるといいわね」
「はい」
「それじゃあ、今日からクエストの受注は可能だけど、何か受けていく? クエストはそこの掲示板に掲示されてるから、受けたいのがあれば持ってきてね」
「わかりました」
アルクはアネットに礼を言い、カウンターを離れる。すぐさま後ろの冒険者が呼ばれ、クエストの話を話し始めていた。
「アルク、冒険者登録おめでとう」
「ああ、パナシェ。ありがとう。おかげで助かったよ」
「ついでにメレンの町の案内もしてやりたいけど、この後も仕事が入ってるんだよなあ。まあ、何かあったら相談ぐらいには乗るよ。オイラもこの町は長いから。一応、ポーターとしても活動してるから何かあったら言ってね」
じゃあね、とパナシェは手を振りながらギルドから去っていく。
『なかなか、良い少年だな』
「うん、僕と大して変わらないのに凄いね」
アルクはパナシェの去っていった出口を眺めながら、先程受け取った冒険者カードをそっと撫でる。
「なんか、呆気ないね」
『まあ、冒険者といっても職業の一つ、生計の一手段だからな。どの職業にも言えることだが、最初は地道な作業の積み重ねだ。最初はそういったことを学ぶ意味でも、駆け出し用の依頼をこなしていくのがいいかもしれないな』
「うん、そうだね。頑張るよ」
『まあ、来た早々当日から依頼を受けなくてもいいだろう。幸いラッドが後進のためにと残してくれた軍資金もあるし、数日ぐらいは普通に町で暮らしても生活にも困らない。今まで集めた採取物も一気に売らなくてもいいだろうしな。今日は観光でもしたらどうだ』
「それはいいね。僕も初めての他の町だから」
何をしていいか悩んだアルクは、結局今日は何もしないことにし、メレンの町を観光した。整備された街道や下水設備などに目を見張り、人の多さに終始驚嘆しながら、店で食べ物を買い、食べ歩きながら散策する。町はずれの少しばかり小高い丘に着くころには、すでに日が暮れかけている。
『だいぶ歩いたな。もうこんな時間か』
「楽しかったね。ユーリカ村とは全然違う」
『そうか。だが、このメレンも世界の確たる都市や町に比べると慎ましい方なんだぞ』
「そうなんだ、凄いなあ」
そう呟きながら腰を下ろし、露店で買った肉をパンで挟んだものを取り出し、噛り付く。日は大分落ち、見下ろすメレンの町にはボチボチ火の明かりが見られ始めていた。この規模の町になると、夜でも酒場などが開かれ、人々が行き交うとハルから聞き、アルクは感嘆し通しであった。
『さあ、陽もくれたし、今日はコテージに帰ろうか』
「そうだね。今日も修行して、お風呂入って、寝て、やることは変わらないね」
『そうだ、それが強くなる一番の道だからな』
メレンの町の灯りが徐々に増していくのを見ながら、アルクは立ち上がる。周囲に誰もいないことを確認した後、コテージの扉を召喚する。ドアを開けた後、一度メレンの町へと振り向く。今日訪れた初めての町。明日からは冒険者として、活動を開始していくのだ。よろしくとばかりに微笑むと、アルクはコテージへと入っていった。