エピローグ 旅立ち
茂みをそっとかきわけて覗くと、目当ての生物が数匹、草をもぐもぐと呑気に食べている。一角兎という討伐ランクFの魔物だ。肉が美味いとの評判で、駆け出し冒険者がよく狩る魔物としても知られている。
アルクはハルを腕輪から剣へと変えると、まだ警戒していない一角兎との距離を測り、そして一気に駆けだした。一角兎はアルクの姿を認めると、生来の臆病な本能そのままに脱兎のごとく逃げ出す。しかし、逃げ切れないと判断したらしい一番前の一角兎は、身体を捻るとアルクの胴体目掛けて突貫してくる。一角兎は討伐ランクこそFだが、追い詰められたときに見せるドリルのように飛び掛かる決死の体当たりは殺傷能力が高い。そのため、一角兎は駆け出し冒険者をもっとも殺傷している魔物の一匹に数えられる。しかし、ハルの座学とバーチャルによって予習したアルクにとっては、それは想定内の行動であった。
「やあっ」
躱しざまに撃ち落とすように、剣を振り下ろす。肉を裂く確かな感触が手に伝わった。地面に落ちた一角兎は軽くもがくように手足を動かし、そして絶命する。
『次は解体だ。予習通りにな』
「うん」
近くに川があることはマップで確認できていたので、一角兎の死体を掴み、そこまで歩く。
到着すると地面に一角兎を置き、腰に差した短剣にて腹を裂いた。その際、糞で肉を汚さないよう注意する。まだ暖かい臓物を取り除き、足の骨を外し肛門まで切り開くと、中にある動脈に切り込みを入れた。そして最後に胸部付近にある石を取り除く。これが魔石と呼ばれるもので、魔物と共に成長していく器官である。冒険者はこれを換金し、収入源としているのだ。最後に、死体を血抜きのために川の流れの緩やかな場所へと晒した。
『うん、上出来だな。血抜きした肉はコテージ内にある熟成庫にいれるといい。さっき狩ったゴブリンの解体も問題なかったし、現実での採集もこれで完璧だな』
「そうだね、実戦もバーチャルと同じように出来たから、難しくはなかったよ」
アルクがハルと出会ってほぼ一か月が過ぎた。その間、アルクはひたすらにハルから冒険者の手ほどきを受け、鍛錬に励んでいた。二日前から洞窟を出て、実物の魔物を倒し、素材や肉を回収し始めていた。命を奪うことには最初は抵抗を覚えたが、数度それを繰り返すと殺生には慣れてしまう。生きるとは奪うことであるとのハルの言葉に、今は理解も納得もできないアルクはただ頷いた。
それと同時に拠点も洞窟から変え、目的地にむかってゆっくりと移動を開始する。目指すはメレンの町。道なき山を越えた向かい側にある町で、アルクの村からだと迂回して行かねばならないため、叔父に見つかることもないという理由からの選択だ。
『もうチュートリアルも終了だな。今までよく頑張った』
「色々出来て、いっぱい知れて、とっても楽しかったよ」
『ああ、だがもう十分だ。このまま街へと進もう。駆け出しの冒険者としては文句ない技量は身に着いた筈だ。思春期の少年を長期間人と隔絶した環境におくのも、色々と問題が多いだろうしな。今回はいわば合宿のようなものだ』
腹も空いたので昼食にすることにした。アイテムボックスから魔導コンロを取り出し、火をつけると川の水をケトルにいれて沸かす。湧いたお湯でお茶を入れると、今朝バトラーと一緒に作った、梅干しやおかかなどを入れた握り飯を頬張った。塩気が疲れた体に染み渡る。
「外で食べるご飯は美味しいね」
『うむ、健全でけっこうなことだ』
食後のお茶を飲みながら、空を見上げ、ぼーっとする。鳥や虫の鳴き声がただ響き、穏やかな気分に包まれる。
「そろそろいいかな」
一角兎を川から引き上げると、それを木に吊るす。そして手で皮を勢いよく剥いだ。取れた毛皮と肉はアイテムボックスへと収納する。一仕事を終えると、達成感が胸を満たす。大分体も休めたし、アルクは出発することにした。
「もうそろそろ、山頂だね」
『ああ、大分ゆっくり来たが、ようやく半分といったところか』
「次の街にいったら、冒険者ギルドに登録するんでしょ、楽しみだなあ」
『メレンの街には冒険者ギルドがあるからな。メレンではとりあえず冒険者として登録し、依頼をこなすところから始めよう。メレンには小規模ながら迷宮も存在しているから、潜ってみるのもいいかもしれないな』
「それもいいかもね」
この一か月、バーチャル内では迷宮探索も行い、魔物との訓練を繰り広げたが、やはり現実で本当に行うのとは多少勝手が違っていた。外に出て気付いたが、ハルはバーチャル内での難易度を意図的に少し高くしているらしい。バーチャル内での魔物は、現実よりも少し強く感じた。故に、初実戦から現実の魔物は意外とあっけなく倒せ、また素材の回収もバーチャル内と同様に行うことが出来たのである。そうして得た素材や魔石が手元に残るというのも、アルクにとって嬉しい体験であった。初の実戦後は、暫く得た魔石を掌に乗せ、その日一日握りしめながら時折眺めたほどであった。
「じゃあ、お昼ごはんも食べたし行こうかな」
『ああ、食後は警戒が緩むことが多いから気を付けるんだぞ』
アルクは再び木々の中を歩き始める。そうしている間、アルクは常にマップを展開し続け、魔物が密集しているスポットなどは避けて、進む。こうすることで、危険らしい危険はほぼなく、行進することが出来ていた。もしこの権能がなければ常に魔物との緊張を強いられるのだなと、アルクはマップの便利さをしみじみと実感する。
「あっ」
そのとき、マップ上に宝箱のマークがあることに気付く。これはハルの権能の一つサーチであり、一定以上の価値の物をマップ上にて投影することが出来るというものだ。すぐさま、その場所へと移動すると、木の下に薬草が群生しているのを見つける。アルクは、それを傷つけぬように細心の注意を払いながら採取していく。
『いいぞ、アルク。こまめな採取は冒険者の基本だ。まあ物量の問題もあるが、私たちにはアイテムボックスがあるからな』
「そうだね」
手にした薬草をアイテムボックスに入れると、とたんに手の中の薬草が消失する。もし、この権能がなければ、自分は一角兎も薬草も、なんらかの袋にいれて運搬しなければならない羽目になっていただろう。そう思うとやはりハルの権能は規格外すぎた。たった一つでも、持っていないものに対して大きすぎるアドバンテージとなるだろう。
「ハルって持ってない人からしたら、結構ずるいよね」
『私はこの世界にたった一本の、チートな剣だからな。とある友は私のことを時にハルえもんと呼ぶ』
「? そう、なんだかよくわからないけど凄いね」
そうしてまた歩き始め、しばらくすると山頂へとたどり着いた。大分日が落ち始めている。空は少しオレンジ色になり始めていた。周囲一面を見渡せるパノラマの絶景にしばし見惚れながら、息を大きく吸い込む。
『今日はここで終わりにしようか』
「そうだね」
アルクは地面に腰を下ろすと、夕食の準備をすることにした。今夜は、自身で外で調理をしようと決めていたのだ。そこらへんに置いてある石を組み立て、そこに木の枝を入れる。火の魔石を取り出すと、マナを込め着火し、火を起こす。
『今日はアウトドア料理だな』
「えへへ」
ハルに冒険者の野営についてのレクチャーを受け、試したくなったのだ。そのためバーチャル内で予習もしっかりとしておいた。鍋で湯を沸かし、以前取った一角兎の肉や野菜、香草を煮込む。あらかじめ、焼いておいた手作りパンもたき火の側であっためる。フライパンにて塩と香草をこすりこんだ肉を焼く。
まだ春先で夕方は涼しくなるため、山頂は少し肌寒く、たき火の暖かさが快適だった。料理が完成したとき、もう陽は落ちて辺りは暗くなっていた。
「出来たっ」
アルクは料理の完成に歓声を上げる。いただきますをすると、さっそくスープを口にする。一角兎の肉の甘味が溶けだしており、塩での簡素な味付けでも十分美味しい。パンを頬張り、肉を口にする。
「うん、いい出来」
『自分で作る料理は格別だからな』
「すっごく楽しいよ」
食事を終え、茶をすする。空を見上げると星々が見えた。山の山頂で見る星々は空一面に煌めいており、アルクは我を忘れるほどに目を奪われた。
「村にいたときは、こんなに余裕をもって空を見上げたことはなかったかな。いつか何かが変わるかなって、心の奥底で望みながら、変わらない明日に備えていただけな気がする」
『でも、今は違うのだろう』
「うん。今はどんな冒険ができるんだろうって、常にわくわくがとまらないんだ。毎日、何があるんだろうって、ドキドキしながら過ごせてる」
『ふふ、そうか』
アルクの呟きに、ハルが優しく答える。こうして、話せる相手がいることも、村にいたときとの大きな違いで会った。バトラーともたき火を囲みながら話せたらいいのに、と思った。しかし、バトラーはコテージ内からは出ることが出来ないと本人の口から聞いていたので、仕方ないと諦める。
「これからいっぱいいっぱい冒険して、いろんなところを見て、美味しいものを食べて、そうやって生きていきたいな」
『アルクなら、出来るさ。これは君の物語で、君が主人公だ。それに、私を手にしているのだからな。中途半端で投げ出すことは私が許さない』
「うん、そうだね。せっかくハルと出会えたんだから、出来ることは全部したいな」
空にある星に手を伸ばしてみる。いつもより少し近く見える星はまるで掴めそうな気がする。ああ、自分は今冒険をしているのだ、とアルクは実感し、また少し胸の鼓動が高鳴った気がした。しばらくの間、アルクはそうしてたき火の側で星を眺めていた。
翌日。
「わあ」
扉を開けてコテージを出て外を見たアルクは感嘆の声を上げる。自分と同じぐらいの目線の雲の間から、鮮やかに太陽が昇り始めていた。陽が昇るにつれて、山々の陰影が次第にくっきりと見え始めてくる。景色を楽しんでいたアルクは、眼下に小さな村があるのを発見する。
「あれって僕の村かな」
『ああ、ユーリカ村だな』
「小さいねえ」
かつてはあの小さな村が、自分の世界の全てであったと思うと不思議な気がした。村で生活していたころは、もしかしたらあの世界で自分の人生が閉じてしまうかもしれないとの想いに、胸が苦しくなったものだ。
暫くそうして村を眺めた後、アルクはコテージへと戻り、朝食を取った。そして、再びメレンの街に向けて歩き始める。
山の頂上からは同じくらいの高さの山へと長い尾根を歩く。比較的平坦な道を延々と歩いていく。そうして歩いていくと、アルクの胸の中からは余計な感傷などは全て抜け落ちていき、自然と体全体が弾むような気になった。今、アルクは自身の全てを、誰のためでもない自分のためだけに使うことが出来ているのを実感する。
次の山の頂上についた時、その前方には大きな町が見えた。そこはユーリカ村とは比較にならないほど大きく、また街の外側をぐるりと城壁が囲んでいる。
「あれがメレン?」
『そうだ』
「おっきいねえ」
『メレンは仮にも迷宮を所持する都市だからな。それなりに富も産出するし、それを目当てに周囲から人も物も集まる。敵も魔物だけでなく、それを狙って賊が来る場合もある。故に周囲を城壁で囲んでいるのだ。何層も壁があるのは、大きくなっていく過程での名残だな』
ハルの説明に頷き、アルクはメレンを眺める。確かに絶えず街道から馬車がやってきてたり、逆にメレンから出て行ったりしている姿が見える。メレンの郊外には畑らしきものも見えている。山の中で一月あまり一人で暮らしたアルクは、生活の匂いのする光景に無性に人恋しさを覚えた。
「このままのペースで行けば、明日の朝には着くね」
『そうだな。最後まで気を抜かずに行こうか』
「うん」
アルクは駆け出すように、メレンへと向かって進みだした。