チュートリアル
コテージにて暮らし始めて数日後。
薄暗い洞窟の中をアルクは進んでいた。壁に生えている発光植物のおかげで、松明がなくとも歩くことが出来たが、それでもこの薄暗い空間はアルクの精神を圧迫するようであった。
『どうだ、アルク。本当のダンジョン探索みたいだろう』
息を潜めながら先を進むアルクにハルがそう話しかける。
ここは今ハルが言ったように、現実の世界ではなかった。今朝、朝食を取った後にハルの権能であるバーチャルを使用して、自身の脳内に投影されているダンジョンを疑似探索しているのだ。現実のアルクの体は修行部屋にて、大の字になって横たわっている。
「うん、凄いね。匂いも土っぽくて本物みたいだし」
『ああ、ここでの体験はほぼ現実と変わらない。出てくる魔物も本物と変わりなく動くし、傷を負えば現実と同じぐらいの痛みも当然ある。まあ、ここで鍛えても現実の肉体が強化されるわけではないので、そこは注意が必要だ。しかし、限りなく現実に近い実戦訓練を行うことが出来る。それにここで死んでしまうぐらいの傷を負っても、命を落とすこともない。まあ、死ぬほど痛いがな』
「死ぬほど痛いんだ」
『ああ、痛みに鈍くなり、実戦でも攻撃に対する意識が低くなっては元も子もないからな。ここを現実と同じものとして、しっかり行動してくれ』
ハルの言葉にアルクは黙って頷く。仮想現実といえ痛いのはごめんだ。
『では、次はマップの権能を使う。頭の中で地図をイメージしてくれ』
「こう?」
『そうだ』
言われた通りにやってみると、頭の中にふっと画像のようなものが浮かんでくる。そこには俯瞰した地図のようなものの上に、黄色や緑の点が存在していた。
「これは?」
『緑の点は、現時点でこちらに対し無害な生命体を示している。黄色は警戒中という意味だ。緑よりも索敵範囲が広く、こちらを察知したら何かしらの攻撃行動に出てくるぞ。そうなると交戦中となり、点が赤に変わる』
「この点滅してるのは?」
『それはアルクの現在位置を示している。試しに歩いてみてくれ』
アルクが数歩前へ歩く。そうすると点滅している点も同時に動き出した。
『敵の位置を常に掴んでいるというのは、こちらにとって限りないアドバンテージとなる。これだけであっても、他の冒険者と一線を画すことのできる権能だ。これは対人にも使える力だから、よほどの安全地帯でもなければ常に展開しているといい。まあ、初めの内は展開し続けるのも疲れるかもしれないから、適宜切り替えてもいいが』
確かに、敵の位置が常にわかれば、奇襲などにもびくびくせずに対応することが可能だろう。それだけでも強いられる緊張感がまるで違う。現に今、マップを展開してから奇襲に対する警戒心は一気に薄らいでいた。
「この先に一体黄色の反応があるね」
『ああ。ここが現実なら君はアレを避けてもいい。まあ、今日はチュートリアルだから、初めての仮想空間での戦闘訓練と洒落込もうじゃないか。敵も単体ならアルクでも対処できるようセッティングしてある。昨日教えたことを忘れず、ことに当たるといい』
戦闘ということに覚悟を決めて、先へと進む。すると、すこし開けた場所にそれはいた。
「あれ、ゴブリンだよね」
『そうだ』
アルクと背丈はそう変わらない人型の異形が、棍棒を片手に彷徨っていた。物陰から、更にその姿を観察する。ゴツゴツとした緑色の肌をし、髪のない頭部には角のような隆起物が存在している。
『アルク、次の権能アナライズを教えよう。相手の姿を目によく捉え、頭の中で情報として引き出すんだ』
アルクはゴブリンをよく見て、頭の中でゴブリンという単語を反芻する。すると、目の前のゴブリンという種がゴブリンの中では平凡なノーマルゴブリンであり、単体での冒険者の討伐ランクは最低のFであるということなどの情報が頭の中に流れ込んでくる。
(わかったよ)
『ああ、それでいい。敵を知り己を知れば百戦危うからず、という言葉もある。戦闘になる前にはよく周りの状況を集めてから戦いに臨むといい』
「じゃあ、行くよ」
アルクは、敵が目の前のゴブリン一体であるということを確認し、その目の前に自身の姿をさらす。アルクを発見したゴブリンは牙をむき出しにして、威嚇行動を開始する。途端にマップ上の点が黄から赤へと切り替わる。アルクもハルを構え、対峙した。そうして、互いに牽制し合い、睨みあう。
「ギィィ」
先にゴブリンが飛び掛かり、棍棒をアルクの頭部目掛けて振りかざしてきた。
「ぐうっ」
アルクはハルにて受け止めるが、その斬撃から両手の骨が痺れるような感触が走り抜ける。歯を食いしばり、身体が後ろにのけぞりそうになるのを耐え抜く。
『まだ来るぞっ! 気を抜くな』
「ガアアアッ」
立て続けにゴブリンはアルクに対し、棍棒を振り下ろしてくる。初撃を受け止めたアルクは、それによってできた余裕のおかげか、二撃、三撃と振われる追撃を受け流し、攻撃を躱す。
『そうだ。振るわれる動作だけでなく、相手の全体の動作をよく見ろ』
防御に徹するアルクに、ゴブリンは埒が明かないとばかりに大上段から大振りの一撃を見舞う。それは剣ごとアルクを叩き潰そうとする意図のもとに振るわれたものだった。しかし、アルクはゴブリンの意図を察し、極力動きを小さくしながら、ハルで受け止め横へと受け流した。地面に棍棒を叩きつける形となったゴブリンは、その姿勢を大きく崩す。
「ここぉ!」
『そうだっ!』
がら空きになったその胴を、アルクは全力で横に薙いだ。白銀の刀身は滑り込むようにゴブリンの胸部に入り、そしてすり抜けるようにして切り裂いた。
「ギャアアア」
絶叫を上げ、のけぞるゴブリン。傷口からはけたたましく緑色をした血が噴出する。大地に倒れ、二、三度痙攣するとゴブリンは動きを止める。
「倒した、の?」
『ああ、マップを確認するといい。点が消失している筈だ』
「本当だ」
先ほどまで存在していたゴブリンの点が無くなっており、この空間にはアルクのものである点滅している点しか存在しない。
『ここで、本来なら解体して素材や魔石を採取するんだがな。冒険者はそうして得たものをギルドに売って生計を立てる。そのため、ある程度の規模になった冒険者のグループの中にはポーターと呼ばれる専用の荷運びを雇うところもある。まあ、アルクには私がいるから別に要らないがな。アイテムボックスに収納してしまえばそれで済む。採取や解体は別の講義で行うから、今はやらなくていいぞ』
ハルに説明を受けながら、先へと進む。
『しかし、先程の戦闘は見事だった。アレならば十分合格だ』
「えへへ、そう。ハルの今までの持ち主と比べても結構いい線いってる? お祖父ちゃんとか」
『うーん、ラッドは私と出会う前から、ゴブリンとかスライムとか、短剣一本で狩ってたからな。その時はアルクと同じ年だったか。ラッドは戦闘に関しては本当に天才的だった。アルクはまあ中の上といった感じかな』
「そ、そっか」
予想以上に辛口な評価にアルクは肩を落とす。もしかしたら結構いけているのでは、と今の戦闘で自信を持ったばかりになおさらだった。
『気に病む必要はない。私の所有者は皆、例外なく一角の人物として身を立てている。その中には最初剣すらまともに振うことも出来ず、スライムに腰を抜かしてしまうものもいた。それを考えるとアルクの現在は充分すぎるぐらい合格だ』
「それを聞けてよかったよ」
暫く歩くと、また魔物の反応がある地点に近づく。今度は三体いる。
『複数の戦闘では自分の有利な状況で戦うことが大事だ。囲まれたらやっかいなので、気をつけろ』
「了解」
果たして空間には先ほどと同じぐらいのゴブリンと、それより少し大きな甲虫のような魔物が存在していた。アナライズの結果、名前はシェルワーム、討伐ランクはFの甲虫型魔物ということがわかった。しかし、もう一匹が見当たらない。
『アルク、上だ』
ハルの声に上を見上げると、天井に張り付くように黒い魔物が一体存在している。ノーマルバット、討伐ランクFだ。
『飛行型は機先を制されると非常にやっかいだ。注意しろ』
「わかった。行くよ」
ゴブリンが近づいてきたのを契機に、こちらに完全に気付く前に斬りかかる。こちらを発見したゴブリンは、一瞬体を硬直させる。その機を逃さず、その肩口を斬り下ろすが、焦りのためか、追わせた傷は浅く、悲鳴を上げながらゴブリンは背を向け逃走する。シェルワームがこちらへと突進してきたため、追撃を諦めたアルクは横へと駆け抜け、攻撃を躱す。
『アルク、まだもう一匹いるぞ』
「ぐあっ」
ハルの声に反応し、身体をよじるが、それでも上から飛来したノーマルバッドの爪はアルクの左腕を浅く切り裂き、痛みにうめき声が出る。
『次々に来るぞ。集中しろ』
果たして、それを好機と見たのか、シェルワームは再度アルクに向かって追撃の構えを見せ始め、遠くから逃げたゴブリンが再びこちらに向かっているのが見えた。上空にはノーマルバットが旋回しており、攻撃する手段はこちらにない。囲まれたらやばいと危機感を覚えたアルクは、咄嗟に後退することにした。
背中を向けて、全力で来た道を戻る。途中、後ろより追いすがる気配を感じて後ろを向くと、シェルワームがその体を丸めて転がるようにアルクを猛追していた。まさに背中を取られようというそのとき、アルクは地面に倒れるようにして横に跳び、その攻撃を回避する。
攻撃を避けられたシェルワームは勢いを止められず、壁へ追突した。起き上がったアルクはゴブリンがまだ追いついていないのを確認すると、シェルワームに攻撃を加える。
「おおおっ」
振りかぶり加えた斬撃は、シェルワームの甲殻に阻まれ、浅くしか斬りつけられない。
「ならばっ」
その甲殻の節目を縫うようにして、剣の切っ先を突き入れる。剣はたやすくその体内に侵入し、シェルワームの体をびくりと震わせる。何度か剣を突き入れると、その体から力が抜けていくのを、剣越しに感じたアルクはマップ上にてシェルワームが消失していることを確認する。それと同時に素早く自分に近づいてくる敵のことも。
素早く身を屈ませると、頭部の近くを再びノーマルバッドが掠める。こめかみ付近に鋭い痛みを感じたが、目を閉じず相手の姿を確認したアルクは、その小さな黒い体躯に剣を振り上げる。
「キィィ」
刀身はノーマルバッドを両断し、短く甲高い断末魔と共に地に落ち絶命する。
「あと一匹っ!」
ようやく追いすがったゴブリンを視界に収めると、アルクは一歩前に踏み出す。その気迫に慄いたのか、ゴブリンは歩みを止める。アルクはゴブリンの面前に出ると、ハルを力いっぱい何度も振う。ゴブリンは最初の太刀は防げたものの、右肩の怪我もあるのか、攻撃を振う度に動きが鈍くなり、やがてその肩越しにハルの刀身が振り下ろされる。
「はあ、終わったあ」
マップ上に敵が消失したのを確認し、アルクは息も荒く腰を下ろす。傷ついた左腕と、こめかみは暖かな血がいまだ流れ出て、ずきずきと痛みを発している。
『うん、初めての対集団戦闘。死ぬこともなく生き残った。合格だな』
「疲れた。それに腕がすごく痛いよ」
『ああ、それじゃあ応急処置の方法を教えよう』
最初の攻撃でアルクの左腕は三分の一ほど切り裂かれていた。そっと触れてみると、激痛がアルクの体を電流のように走り抜ける。ハルに教えてもらい、アイテムボックスから出したアルコールにて傷口を洗浄すると、包帯を巻きつける。
「でも、これじゃあ先には進めないかな」
『ああ、実際の冒険でこれ以上進んだら、デッドエンドは確定だな。最初のノーマルバッドの攻撃を受けた時点で、詰んでいた可能性もあった。途中、逃走し自分に有利な状況にもっていったのはいい判断だったが、最初からそうするべきだったな。ソロはそういったことが特にシビアに求められる。常に地の利を得るように動くんだ』
「そうだね。迂闊だったよ」
『まあ、今日得た教訓は次の戦いに活かしていけばいい。そうやって経験を積んで人は一人前になるのさ。それではバーチャルを解くぞ』
目が覚めるとそこは修行部屋だった。アルクは体を起こすと、左腕やこめかみに触れてみる。そこには先ほど受けた傷はなかった。
『お疲れさまだ、アルク。よく頑張ったな』
「うん、でもちょっと悔しいかも。まだ先があったんでしょ」
『まあ、別にいますぐクリアしなくても問題はないさ。今日戦ったことで課題も多く見えてきただろう』
「うん、とくにあの蝙蝠はやりにくかったね」
すぐ空中という安全圏に逃げ込んでしまうため、複数の敵との間合いが非常に取りにくかったのを思い出す。
『ああ、ああいった敵には原始的だが投石なんかも有効だ。それと遠距離攻撃として魔法も覚えておくと楽になるかもしれないな』
「魔法? 僕にも使えるの?」
『ああ、アルクには潜在的に高いマナが存在してるからな。属性の相性を確かめて、適切に鍛えていけば実戦レベルで使える魔法もすぐにでも覚えられるさ』
その言葉にアルクは興奮する。冒険者として一番の憧れはもちろん剣だが、魔法にも浪漫は感じるのであった。
「本当に? じゃあ、今すぐにでも」
『そんなに矢継ぎ早にやっていたら身に着くものも身につかないぞ。とりあえずは今日の反省を踏まえての剣術の鍛錬が先だ』
「そっか……確かにそうだね」
ハルに窘められて、アルクは反省する。なんにせよ時間はあるのだ。焦らずしっかりモノにしなければならない。アルクは昼食までの間、ハルの指導のもと、ひたすら剣を振った。
午後、アルクは書斎で座学を行っていた。そこには歴代所有者が集めたという書籍が本棚にたくさん、収集されている。
読み書きの基本は祖母に教わっていたが、しばらく文字に触れていなかったため、多少危うい箇所があった。一通りおさらいした後、算術や地理、歴史、一般教養をハルから教わる。
「それじゃあ、この隣のアデルハイドってところが、今一番すごいんだね」
アルクは自分が現在いるスーラ国の隣にある大きな国を指さした。それは西に存在する国の中でもっとも大きく、中央に堂々と位置している。
『ああ、何代か前の王が名君でな。その王が冒険者の支援制度を整え、迷宮管理をよりより機能的に行うようになってから、多くの富を産出するようになったんだ。また、そこから得た資源を研究し、魔導科学も大陸で一番進んだ国になっている。海運力の増強もし、世界各国の未到達の迷宮の攻略の協力などもしていたりする。ラッドもアデルハイドを拠点として、色々な国に行っていたよ』
「へえ、じゃあ僕等も」
『そうだな、この貧しいスーラ国では冒険者の活躍の機会は少ない。スーラは国家の中でも冒険資源の乏しい国家だからな。我々もアデルハイド王国を目指すのがいいだろう』
「そっかあ」
そんなとき、バトラーが書斎に入ってきた。トレイにはおやつを載せている。
「精がでますね、アルク様。ですが、根は詰めすぎませんよう」
「わあ、ありがとう」
アルクはバトラーの持ってきてくれたお菓子を口にする。ふんわりとした生地の中にとろりと甘い黄金色をしたクリームが入っている。
「これ、美味しい」
「シュークリームというお菓子です。カフェオレと一緒にどうぞ。糖分は頭の巡りをよくしてくれますよ」
シュークリームを二つ、ペロリと食べると、カップに入った甘いカフェオレを飲み干す。
『では、おやつも食べたことだし、もう少し勉強したら、最後は魔法訓練をして今日は終了しようか』
「え、いいの」
『ああ、こういうのはメリハリが大事だからな。それに魔法の訓練も日々の鍛錬がものをいう。早めに始めるに越したことはない』
「やったあ」
『だが、まずは目の前の勉強に集中だ』
アルクははやる心を抑えながら、書斎での勉強を続けた。
座学を終えたアルクは再び修行部屋にいた。座禅を組み、呼吸をひたすらに整えている。ここにきてからまず基礎となる四大元素や独立した光や闇、雷といった元素の説明を受けたアルクは己の中のマナを探るため、ひたすら座禅を組まされていたのだ。
「ぐぬぬ」
『集中が途切れている。もっと無心に呼吸のみに心を砕け』
もっと派手にバチバチと魔法を出すと思っていたアルクは、想像以上に退屈なこの修行に早くも辟易してしまっていた。
『人は皆、属性的な相性を持っている。そのうちの相性のいい属性の魔法を習得するのが一般的だ。だが、それにはまず己の中に宿っている魔力、すなわちマナをコントロール出来なければいけない。まあ、暫くは座禅、瞑想だな』
「そっかあ、こんなはずじゃなかったんだけどな」
『魔法も先天性がものをいうが後天的努力で、それを覆し名を成したものも多い。そう言った者たちが口をそろえてこの瞑想の重要性を唱えている。毎日一時間はこの瞑想修行に時間を割くといいだろう。頭のすっきりしている早朝が一番望ましいかもな』
「うーん、これは苦手かも」
『子供はじっとしているのが苦手だからなぁ。だが、役に立つ。頑張れよ』
結局、この日はマナらしきものを探ることは出来ず、一時間超の瞑想修行は終わりとなった。
夕食を食べ終えたアルクは、今浴室のサウナにて汗を流していた。
「うー、整うなあ」
『ああ、サウナは筋肉の痛みを和らげてくれる。水風呂とセットで入ると効果的だ。自律神経も整えてくれるから、安眠効果も期待できる』
すでに2セット目であり、水風呂にて体を冷やして再チャレンジしているところであった。熱い蒸気が体を蒸すと、汗と共に疲労が流れ出てくる気がする。十分で落ちきる砂時計の中の砂が全て落ちると、アルクはサウナを飛び出て、水風呂へと身体を沈める。
「はあああああ」
火照った体を、キンキンに冷たい水が冷ましていき、その心地よさにアルクは深く息をつく。
『筋肉の損傷は冷やすことで抑えられるからな。鍛錬の後なんかでも効果的だ』
「うん、気持ちいい。なんか体が軽くなったみたい」
暫く浸かると、流石に息苦しくなり、水風呂からでると、椅子へと腰かける。
「ふう、少し休んだら、最後にもう一回入ろうっと」
『アルクもすっかり風呂が気に入ったな』
「うん、やっぱり一日の終わりはこれだね」
笑いながら、アルクはふとこれは冒険の途中でもしようするのだろうか、と疑問に思い、ハルに尋ねることにした。
「ねえ、ハル。普通の冒険者って、冒険中はお風呂ってどうしているの」
『入らないぞ』
「え、本当に」
『ああ、別に入らなくても死なないからな。まあ今の冒険者はそういうのにも力を入れる者も結構増えたから、身体を清める浄化の魔石や、洗浄効果のある薬品で清拭したりして、清潔の保持に努めている者も多い』
「じゃあ、僕は冒険中入っていいの?」
『無論だ。別に他所に合わせる必要はない。アルクがここを使用しなかったといっても、他の冒険者が綺麗になるというわけでもないしな。アルクは私の所有者なのだから遠慮せず、私の権能を使用するといい。他の歴代所有者も皆、迷宮探索中であろうと遠慮なくコテージを使用し、食事、排泄、入浴、入眠を済ませていた』
「そうなんだ。じゃあ、そうする。最後にもう一回入ろうっと」
アルクはそれを聞いて、少し安堵した後、3回目のサウナに入り、浴室を出たのだった。
「ふう、極楽極楽」
風呂から出て、寝室に戻ったアルクはその体をベッドに倒れこませる。今日はバーチャルとはいえ魔物と闘ったり、魔法の訓練をしたりと充実した一日だった。結局、アルクはコテージから一歩も出ることなく過ごしてしまっていたことに気付く。
「ねえ、ハル。もしかしたら、ずっとここで過ごせたりもするの」
『ああ、可能だ。ここに備蓄されている食糧がある限り、ずっと籠ることも出来る。実際、そうしたものも何人かいたが……』
「いたが?」
『まあ、一人の例外を除いてすぐ外の世界に冒険を求めていったな。人は退屈には勝てない生き物なんだ。ここにも多くのものがあるが、多くの人がいて、多くの冒険がある外の世界程刺激的という訳ではないということだ』
「そっか……」
アルクとしては、その一人の例外というのも聞いてみたかったが、何故か聞くのが怖いといと感じ、何も言わないことにした。ベッドに体を横たえていると、どんどん瞼が重くなっていく。
『今日も疲れただろう。明日からもハルメソッドによる厳しい訓練が待っている。今日は
もう休むといい。よく寝ることも鍛錬の一環だ』
「うん、そうする。お休み」
ハルに促され、布団をかぶる。途端にアルクの意識は一瞬で眠りへと落ちていった。