隠し古城での戦い7
先ほどの倍はある巨大な竜。だが、異常なのはその体躯だけではなかった。竜はその全身に漆黒の鎧を纏わせている。歩く度に地響きと金属の擦れる甲高い音が響いていた。
『さあ、怪我人たちを連れて森に退避しよう』
「……うん」
皆の先頭へと歩み出し、敵を眺めるヨルカの背中を見ながらアルクは頷く。今、彼女と肩を並べて戦える程の余力はもう残っていない。下手すればゴブリンにだってやられてしまうだろう。
「皆、足手まといにならないように森の中に退避するわよ」
「こっちにゃん!」
ライムとカシスが先導し、周囲に声をかけると、冒険者たちも一斉に後方へと退避しようと動き始める。
「アルクも!」
「うん」
パナシェがアルクの疲労を慮ってか、手を差し伸べてくれる。その時、漆黒の鎧に身を包んだランドドラゴンがけたたましく咆哮した。
「きゃあっ」
「う、動けないにゃん」
その咆哮を聞いた瞬間、アルクの体は耐えきれぬように自然と膝をついていた。仲間たちや他の冒険者も同じように地面へと膝をつき、動けなくなってしまっている。
「アルク、これって」
「うん、メレンのときと同じだ」
『そうだな。恐らく威圧の権能だ。これを喰らうと魂の位階の弱き者は動きを封じられてしまう。だが、ランドドラゴンにこのような権能は存在しない。例え、あれが希少種の類であってもな』
ハルが怪訝な様子でそう呟く。だが、差し迫った問題はアルク達が身を隠すことが出来なくなったことだ。敵はまっすぐこちらに向かってきている。その足元には壮麗な軍服に身を包んだ男が馬へと騎乗し、部下を引き連れていた。あのアイアコッカという隊長だ。
「困ったわね。ハルさん、何とかできないの?」
『すまない。この状況を覆すことのできる能力を私は保持していない』
前方に立つヨルカが心配そうにこちらを振り返っている。威圧の咆哮の影響を受けないのは残念ながら彼女一人しかいなかった。弓使いの彼女がアルク達を庇いながら戦うのは、どれほど実力差があっても厳しいだろう。そう思うと、アルクの胸に焦燥感が湧いてきた。
「すいません。ヨルカさん」
自分一人だけであったら、自分に構わないで欲しいといえるが、今はパナシェやライム、カシスが共にいる。故にアルクはただ謝ることしかできない。だが、それを聞いたヨルカはしょうがないなあとばかりに微笑みを浮かべる。それは少しばかり悪戯好きな少女の顔であり、大人の雰囲気を常に纏わせていたいつもの彼女と少しばかり異なっていた。
「謝っちゃだめよ、アルク君。あなたは何も悪いことをしてないのだから。あなた達はまだ子供なのだから、上出来すぎるくらいよ。華を持たせてあげたかったけど、まさかこんなデカ物が二匹もいるなんてね。大丈夫、そんな顔しないで。ここはお姉さんに任せなさい」
そう言って小さくガッツポーズをしてみせ踵を翻したヨルカは、敵の方へと悠々と歩き始める。しばし距離を詰めると、両者は立ちどまり、互いに相手を射抜くようにその視線を交錯させた。
「やってくれたな、ゼリカの冒険者たち。ランドドラゴンたちの巨体を一緒に収容出来ず、仕方なく個々に管理していたのが仇となったか。ドライでこれだと、砦に向かったツヴァイの方もダメかもしれんな。こんな時のためにあの狂人を雇っていたんだが、肝心なときに役に立たない」
アイアコッカが忌々し気にそう吐き捨てる。それを見たヨルカは挑発的に相手に嘲笑を浮かべて見せた。
「そうね。あの砦の中にはラカンがいるから。ランドドラゴン如きじゃ絶対に勝てないわね」
「得意げに言う。だが、お前たちの倒したドライもツヴァイも所詮はおまけに過ぎない。本命はこのアイン。希少種のコイツがいれば全てことが足りる。今、お前たちを憂さ晴らしに屠った後で、私は国境を超え聖戦を開始する」
頼もしそうにアインを見上げるアイアコッカ。
『ランドドラゴンの希少種とは厄介だな』
「うん、おまけに武装もされている」
ヨルカに怯む様子は一切見られないが、それでも見てる方は不安になってしまう。ましてや、今のアルクは彼女にとってもハンデにしかなっていないのだから。
「やれっ! アイン」
「GURUA」
巨竜はその命令に答えるように小さく叫ぶと、首を大きく振り上げ、そしてその口から灼熱の火をヨルカやその後方にいるアルク達に向かって吹いてみせた。それを見たハルが驚愕の声をあげる。
『なっ、火を吹くだと⁉ 希少種だろうとランドドラゴンにそんな能力はない』
「フハハ、驚いたか。このアインは頼れる支援者から種族値、個体値、努力値全て厳選されたうえで、特殊な改造も施されている。もはやアインは新たな種といって過言ではない」
勝利を確信したのか、アイアコッカが甲高い笑い声をあげる。だが、迫りくる業火にもひるむことなく、ゆったりとした動作で片手をあげると、火の粉を振り払うようにその手を横へと払った。
「お願いね」
途端に凄まじい風が舞い上がり、ヨルカを避けるようにして業火が左右へと分かたれていく。
「なにっ⁉」
「自分で振った力でもないのに、勝利を妄想して高笑いなんて三流のすることよ」
「うおぉっ⁉」
ヨルカが無造作に放った矢をギリギリで躱したアイアコッカはそのまま落馬する。周囲の部下が慌てて駆け寄り、護るようにアイアコッカを囲む。
「隊長っ!」
「くそっ、油断のならない女め。アイン、あの冒険者たちを皆殺しにしろっ‼」
激高したアイアコッカがアインへとそう命令する。それに従うようにアインは首を低くして突進する構えを見せた。ヨルカもアイアコッカをそれ以上追撃せず、弓を深く引き絞り、アインをけん制する。
「ねえ、アルク。ヨルカさん、大丈夫かな」
パナシェが心配そうに声を上げる。
『今は信じるしかない、彼女の力を』
「うん」
アルクはハルの言葉に頷くと、ヨルカの背中を凝視する。両者の緊張は限界まで高まっており、まさに一瞬即発といった感じだ。そんななか、最初に動いたのはアインだった。放たれた弓のように、勢いよくヨルカへと向かって突進する。巨大な足が大地を蹴ると、アルク達のいる場所まで激しく揺れた。
すかさずヨルカが、引き絞っていた矢を放つ。風を纏った矢はアインの目へと一直線に放たれるが、アインは顔を少し動かし、額にて受ける。弾けるような轟音が響くが、アインはわずかに減速しただけで、敵を喰らわんと顎を向ける。
しかし、ヨルカは己も前に出ながら、素早くその牙を回避する。そして、弓を構えたまま流れるような動作で、前足へと近づき鏃を密着させると、矢を放った。再び響き渡る轟音。密着状態で矢を受けた前足は大きく横へと流される。
「GURUッ⁉」
「凄いっ!」
『成る程、密着状態ならダメージも風の力もダイレクトに与えられるな。弓の使い方としてはどうかと思うが』
アインの巨体がバランスを崩され、ヨルカを下敷きにするように大地へと倒れる。
「ヨル姉っ⁉」
「大丈夫、上にゃん」
ヨルカを案ずるライムに、カシスが冷静な様子でそう告げる。カシスの言葉通り、ヨルカは空中へと舞い上がり浮遊していた。風によって舞い上がっているのか、ヨルカの長い黒髪が絶えず風に靡いている。
「全力よ。これならどうかしら」
空中で体を横にし大地と正対したヨルカは、指に四本の矢を番え極限まで振り絞った後、それを同時に放つ。放たれた瞬間、暴風が吹き荒れ、矢を受けたアインを中心として爆ぜるように砂塵が舞い上がった。
「馬鹿なっ⁉ あのアインがっ」
アイアコッカが驚愕の声をあげる。
「凄まじい。成る程、【弓姫】と呼ばれるだけはありますね」
「すげえ、姐さんあのデカ物をものともしねえ。やっぱアデルハイドの二つ名持ちは伊達じゃねえぜ」
「美人なうえに強いなんて、反則過ぎだぜ」
ロゼがその凄まじさに感嘆する。ゼリカの冒険者たちも口々に目のあたりにしたヨルカの実力に歓声あげていた。
「でも、あれならさっきの奴ならヨル姉一人で大丈夫だったんじゃない?」
「きっとヨルカさんはカシスたちに経験値稼ぎをさせてくれたにゃん。俗にいうパワーレベリングっていうやつにゃんね」
確かに今見せたヨルカの力であれば、先ほどのドライ程度であれば一瞬で方を付けることが出来たに違いない。だからこそ、アルク達に前で戦うことを許したのだろう。
「やったの? アルク」
パナシェが安堵したかのようにアルクの袖をそっと掴んだ。強敵との連戦で緊張していたのだろう。だが、
「いや、まだ……」
『マップの反応は消えていないな』
アルクはハルの言葉に頷く。それは、まだ敵は倒すには至ってないということだ。問題はどれだけ削れたかである。今も空中に浮かんでいるヨルカは追撃をしようとはしていない。あれだけの攻撃を放ったのだ。彼女も体力をかなり消耗しているのかもしれない。そんななか、砂塵の中から赤い光が浮かび出たのをアルクは見た。
「ッ⁉ 皆ッ」
動けぬことには意味がないが、それでもアルクは周囲に警戒を促す。途端に砂塵の中から業火が舞い上がり、無軌道に周囲へと振りまかれ焼き尽くしていく。
「ひいぃ」
「ギャアッ」
それは危うくアイアコッカにも当たりそうになり、横へと跳躍することで難を逃れていた。逃げきれなかった部下の数名は瞬く間に消し炭へと変わっていく。
「わっ、こっち来たっ⁉」
業火は再び軌道を変え、こちらにも向かってくる。パナシェが焦った様子で叫ぶ。アルクもヒヤリと背筋を冷たい汗が伝ったが、自分たちのピンチに気付いたヨルカがその前方へと降り立ち、再び風の壁にて防いでくれた。
「大丈夫、皆?」
滝のように汗を流し、髪を頬にまとわりつかせたヨルカが、いつものように穏やかな瞳で笑いかけてくる。
「はいっ、ありがとうヨルカさん」
「おかげで無事にゃん」
「ヨル姉、あんなやつ早くやっつけちゃってよ」
安堵した仲間たちは笑顔でそれを出迎える。
「そうね、とっとやっつけたいんだけれど」
ヨルカの視線の先ではアインが立ち上がっていた。ところどころに深い裂傷を負っており、身に着けた装甲もボロボロで今にも剥がれ落ちそうになっている。アイアコッカ達もその惨状を見て、慌てふためいているようであった。
「た、隊長ォ⁉ ひぃ、拘束がぁ」
「お、おのれぇ‼ こんなところで解放されたら、奴を制御できないではないか。静まれっ、アイン。その鎧を剥ぐことは許さんぞ」
だが、心配しているのはアインのダメージではなさそうであった。
「?」
怪訝に思ったアルクの前で、アインは体をくねらせ、尾を大地へと叩きつける。それだけで鎧の残骸は脆くも体から剥がれ落ちた。それを見て再び悲痛な声をあげるアイアコッカ達。アインはそんなことは意にも介さず、ただ敵であるヨルカに向けて、その鋭い眼光を向ける。兜のない今、その目にはしっかりと怒りの感情が宿っているのがアルクにも確認できた。
「GURUAAAAAAAAAAAAAAA」」
緊張が支配する中で、アインはおもむろに天を仰いで咆哮する。
「ぐうっ」
突如として、アルクの胸の奥から得体のしれない何かが湧き上がってくる。心臓が一人でに早鐘のように鼓動し、全身に氷が流されたように、己の血液が冷たくなっていく。アルクはそれが圧倒的な恐怖だと少しばかり遅れて気付いた。
「まいったわね。あの子、追い込まれて本気を出すタイプだったのね」
『おまけに一定のダメージで自己修復をする能力もあるらしい。傷が治り始めている』
「ええ、それにあの鎧はあくまで人が制御するためのものだったみたい。ほら」
ヨルカが指さした場所では、アイアコッカ達が地に蹲り、中には嘔吐しているものまでいた。先ほどの威圧はアルク達のみに向けられていたが、どうやら今のアインにとっては周囲の者全て敵らしい。
アインは一度こちらを睥睨すると、アイアコッカ達に向かって歩き出す。部下たちが悲鳴をあげる中、アイアコッカはなんとかアインを治めようと必死に語り掛けた。
「あ、アイン。お前は魔物だが、私の同士だ。お前には見どころがあると思ってた。そう、その瞳、知性に溢れている。私の志も理解してくれているだろう?」
「GU?」
「だから、手伝ってほしい。その気高き力で無知蒙昧な輩共を蹂躙しようじゃないか。私とお前なら」
「GAU」
妄想にも近い語り掛けを無視するように、アインは無造作に尾を振る。その巨体に似つかわしくない敏捷さで、鞭のように放たれた一撃は人も馬も石ころのように弾き飛ばし、アイカコッカと部下たちは無造作に空高く跳ね上げられ消えて行ってしまう。
「GURUU」
邪魔者はいなくなったとばかりに、アインはこちらに視線を向かる。その瞳はただヨルカ一人を見据えていた。アルク達のことなど気にも留めていないようだ。ヨルカも敵意が己一人に向けられていることが分かっているのか、アルク達から距離を取り始める。
「さて、第二ラウンドといきましょうか」
少しうんざりしたように、そう呟きながら。