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「やっぱさ、ウチらってちょっと違うと思うんだよね」

 ベッドの上、気だるそうに足の爪を弄りながら、二年半の付き合いになる彼女は言った。

「ごめん。別れよう」

 どこか遠くを見やるように足の爪を見つめながら、結婚まで考えていた彼女は言った。

 確かに昨夜からどっか上の空だった。だから俺は「どうかしたの?」って訊いたんだ。だけど彼女から返ってきたのは「なんでもない」の一言だけ。その素っ気ない物言いが多少引っかかりつつも、それ以上を追求するのはやめておいた――んだけど。

 朝目が覚めてそんなやりとりもすっかり忘れていたこのタイミングで、そう来たか。

「急だなぁ」

「そうでもないよ。割と前から考えてた」

 あぁ、つまり昨夜は切り出すタイミングを計ってたわけか。

 微妙というか絶妙というか。おかげで不思議なくらいにショックは小さい。

「俺、お前のこと好きだよ」

「うん。それは本当だと思う……でも、多分あんたは私のことそんなに好きじゃないよ」

「なんだそりゃ」

 俺の言った「好き」は本当なのに、俺はお前のことが好きじゃないって? 自慢じゃねえけど、俺はなぞなぞは苦手なんだわ。

 ただどうしてか。その意味を考えようとすると、妙に胸の辺りがモヤモヤする。上手く説明できないけど、なんだか変な感じだ。 気持ち悪いと言ってもいい。

「荷物は次の休みに取りに来るからさ。悪いけど、捨てないで置いといてよ」

「お、おぉ……」

 有無は言わさず、か。いや、言うつもりもないけど。

「今までありがとね」

 彼女はそう言って、少しだけ悲しそうに笑った。


          ◇ ◇


 猛烈な違和感とともに目が覚めた。

 あー、あ?

 …………あー、うん。そうだ、そうだった。

 アイツと別れて、それから住んでた部屋を出て実家に戻って、もう一週間経ったってのに。まだこの部屋に慣れない。学生時代ずっと使ってた部屋だってのになぁ。

「う……むぅ」

 軽く体が軋む。ちっと寝過ぎたか。

 時計を見ると正午を少しばかり過ぎていた。ゆうべ寝たのが十一時ちょい。そりゃ体も固まるわ。

 けだるい体を無理やり動かして一階へ下りる。家ん中が妙に静かだ……日曜だってのに誰もいないのか。

 リビングを覗くと、やっぱり誰もいなかった。テレビも付いてない。オヤジもオカンも出掛けてんのか。あぁ、もしかして二人でどっか行ったか。 声でも掛けてくれりゃいいのに。そしたらついでに起きられたし。

 まあいいや。とりあえずなんか食おう、と思ったらテーブルの上にサンドイッチと書き置きを見つけた。

 紙にはオヤジと音成夫妻と出掛けるから夕飯はテメエでなんとかしろ、とオカンの無駄に綺麗な字で書いてあった。

 んー、自炊はめんどくせぇなぁ。同棲中は元カノに任せっぱだったし、ビニ弁はあんまり食いたくねぇし、ホカ弁にすっかなぁ。などとのんびり考えつつレタスハムサンドを頬張る俺の心臓が、一瞬止まった。

『追伸、ミヤちゃんが帰ってるよ』

 ミヤちゃん? ミヤちゃんって、誰…………え?

「……都子? えぇ?」

 マジかよ。アレからだって十年ぐらい経ってんだぞ。なんだって今さら。

 あーいや。ここがアイツの地元なんだから別に帰ってくるのはいいんだけども。いなくなってからこっち、一度も帰ってこないどころか俺に連絡もハガキも一つとしてよこさなかった奴がさ。

 急にいなくなって、急に帰ってきて。なんだよそれ。

 ま、なんにせよ。わざわざ俺の方から会いに行くこともねーわな。向こうに俺と会う気があんならそのうち来るだろ。気にしない気にしない。

 ……。

 ………………。

 ………………………………。

 ぶっちゃけすげえ気になるんですけどっ。

 アイツどうしてんだろ。今家にいんのかな。つーかいつ帰ってきたんだ? 今朝? それとも昨夜か? そんならウチに挨拶ぐらい来りゃいいのによ。いや待て、わざわざ手紙に書いてるってことはオヤジとオカンは知ってるわけだよな。なんですぐに俺に言わんのだ。俺が寝てたからとかそんな言い訳は許しませんよ。

 今どんな感じになってんだろうな。学生ん頃もそれなりに可愛かったけど、やっぱあの頃よりキレーになってんのかね……なんか元ヤン風味になってたらヤダな。プリン頭にピンクのジャージとか。うわー、なんか簡単に想像出来んですけど。

 いや待ていや待て。

 そういやアイツ、結婚したんじゃなかったっけ? 五年ぐらい前に都子母から「あの子結婚したみたいよ。年賀状が来た」なんて聞かされた時にゃなんていうかこう、言葉に言い表せないなにがしかが胸に湧いて出たもんだ。だって都子母、さらりと言うんだもの。相手の男がどんなんか知らない。会ってないし聞いてもないとかさ。どんだけ平和脳やねんって。

 それがこっちに帰ってきたってことは、旦那も一緒なのか? それとも一人? うーん、さすがに旦那と一緒にいるところは見たくねーなー。別にもう都子に未練はないけれども、やっぱり一度は惚れた女が他の男とよろしくやってらっしゃるところは見たくない。それが純情な男心。

 ……ちょっとコンビニに行ってこよう。いや、別にうっかりばったり都子に会えたらいいなー、とかちょっとついでに向かいを訪ねてみようかなーとかそんなこと思ってるわけじゃないよ。ただコンビニ行きたくなっただけ。うんそれだけ。

 そんなわけで、もそもそと着替えして後頭部にビンコ立ちの寝グセを帽子で隠して家を出た。

 ドアを開けるなり、音成家が眼前にそびえる。

 おっちゃんおばちゃんはウチの二人と出掛けてていないんだよな。ってことは今は都子が一人でお留守番か? んー、アイツも出掛けてっかな。

 おそるおそるといったぐわいで音成家の門をくぐってみる。

 おそるおそるといったぐわいで呼び鈴を押してみる。

「………………」

「はい」

「お、よぉ……いたのかよ、久しぶり」

「あぁ、アンタ。つーか来んの遅ぇし」

「え? あ、いや。え? どういう、意味?」

「……分かれよバカ」

「………………都子」

 そして熱い接吻。

 などという展開になるわけもなく。反応は全くなし。

 やっぱ出掛けてんな。まあいいや。

 と、ホッとしたようながっかりしたような心持ちでコンビニへ向かう。

 春も近づき、気温も上がってきたもののまだまだ肌寒いこの季節。なんていうかこう、朝と昼の気温差が激しすぎて困るっていうか。寒いのか暖かいのかどっちかにせいやっていうね。

 さてコンビニでなにを買おうかしら。

 ぶっちゃけレタスハムサンドだけじゃ足りないテンションなので、もっとこってりしたなにがしかを買うとしようか。後スナック菓子。 コーラ。エロ本、はいらないね……いらないよ?

 んー、しかしなんだなぁ。この道をこうしてのんびり歩くのも随分と久しぶりな気がするなぁ。実家帰ってきた時は普通に歩いてるのに、今そんな風に感じるのはなんでだろう。

 いやさ、単純に歳を取ったというだけか。

 コンビニへと向かう道の途中で、公園に人影を見た。

 陽光に照らされる小さな公園の小さなベンチ。そこに座る一人の女性。物憂げに煙草をくゆらせるその姿は、懐古的な美とともに、一種のうら悲しささえかもし出していた。

 俺は道を行く足を止めて、ただ無言でその郷愁めいた風景に見入る。

 ……なーんつーか、アレ、お向かいに住む音成さんところの娘さんであるところの都子さんじゃねーのか?

 なんか普通にいすぎて驚きとか緊張とか感慨とかそういうのが、相変わらずの自分の名ポエマーぶりさえスルーしたくなるくらいに湧いてこないな。ま、いいか。

 公園に入り、俺に気付いてるのか気付いてないのかさっぱり読めない挙動で喫煙中の女の横に立ってみた。

 めんどくさそうにこっちを向いたその顔を見て、ギョッとした。

「あぁ、アンタ。久しぶり」

「お、おぉ……あ、や、お前、その顔どしたん?」

 右目には眼帯。右頬にはでかでかと湿布。

 左側だけを見れば、あの頃のまんまキレイに歳を取った感じなのに。あからさまに痛々しい右側とのギャップが、なおさら痛々しい。

 つか、それ。その怪我の仕方、明らかに誰かに殴られた、んだよな? おそるおそるながらそう訊こうと思った矢先。

「別に。転んで豆腐の角でぶつけた。そんだけ」

 と返された。豆腐の角て。お前の身の回りには足元に豆腐が転がってんのかよ。どんだけだよ。

「いやいや、笑えねーよソレ」

「笑かすために言ってんじゃねーし。ほっとけよ」

 すげえ投げやりな言い方。言いたくねえってか。

 ふむ、まあとりあえずそれは置いといて、と都子の隣に座る。左側に。

「お前一人なの? 旦那は?」

「は? …………あー、あたしもう離婚してっから」

「え? そうなの? いつ? いや、待て待て。もしかして離婚の原因ってその顔の――――」

「離婚したのは三年前だよ。怪我とは関係ない」

 あー、あぁ、そう。少し安心……ん? 三年前? 結婚したのが五年ぐらい(のはず)だから、実質結婚生活は二年ってところか。なんだそれ、超聞いてねぇ。

「東京行って二つ目のバイト先の上司だったんだけどね。この人とだったら、って思ったんだけど……これが意外と上手くいかないもんでさ。あっちゅー間に破綻したよ」

 他人事みたいにそう独りごちて、都子は溜め息と一緒に煙を吐き出した。その様がかっこよくて一瞬見惚れてしまった。むぅ、クールじゃねえか。必死で背伸びしてたあの頃とは大違いだな。

「離婚した後はどうしてたんだよ。東京にはいたんだろ?」

 東京にいたこと自体知らなかったけどよ。

「適当にバイトしてた。そんで合コンで知り合った相手と同棲始めて。気付いたらソイツからことあるごとに殴られるようんなってた」

 呆と前を見たまんま、やっぱり他人事のように語る。

 なんでもないことのように、どうでもいいことのように、抑揚なく自分のことを話す。

「暴力も束縛もひどかったけど、そう簡単に離れられなくてさ。でも最近ソイツが傷害でパクられてさ。もうこれ以上は限界だって思って逃げてきたんだ」

「簡単に離れられなかったって、なんで? 監視でもされてたのか?」

 それとも、どれだけ殴られようがどれだけ束縛されようが、好きなもんは好きだから、とでも言うのか?

 しかし都子は質問には答えず、なにかを考えるように煙草を吸って、吐く。

 すっかり短くなった吸殻をポイと捨て、そして言った。

「あのさ。今さらだけどさ――あたしのこと、幸せにしてよ」


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