第1話:その少女、カガリ
その日は、鉛のような、重苦しい、薄暗い曇り空でした。
「遅かった、か」
多くの建物が焼け、視界のどこにでも焼け跡が映るような高台の集落に、1人の少女が立っていました。
腰まで届く黒髪、精悍な顔付き、やや細めの身体が特徴の、10代半ばの少女です。背には30口径の半自動式狙撃銃を負っています。木製の銃床にはスコープが載せられていました。引き金の前から四角形の20発弾倉が飛び出ています。
「カガリ、聞こえるか? やはりというか、生存者はいなかった。焼かれた家と血痕だけだ」
軍用ヘッドセットから、仲間の声が聞こえてきました。低い、男の声でした。
「……了解。合流する」
カガリと呼ばれた少女は、ヘッドセットを外してから、
「クソ喰らえ、こんな世界」
世界を呪い、歩き始めました。
さて、とカガリは呟き、目の前の男に目を向けます。筋肉質で背が高く、伸ばした髪を後ろで纏めた20代後半の男です。彼の背には、22口径の、黒い、プラスチック製の自動式突撃銃がありました。カガリの持つ銃よりかなり小型で、30発弾倉が前に軽く湾曲していました。光像式の光学照準器が銃身上部に載っています。
「で、何かあった? ハボック」
「いんや。いつも通り、無かった。死体も、オートマタの残骸もな。そっちもだろ?」
男にそう返されると、カガリはうん、と短く答えました。オートマタに襲撃を受けたと思しき集落には、人間の死体が残っていないのです。これまでの調査、その全てに共通する点でした。
「オートマタの残骸が無いなら分かる。私達に中覗かれるのはマズいでしょうし」
ああ、とカガリに相槌を打ち、ハボックは言葉をかぶせます。
「しかし、用の無いはずの人間の死体をどうしているか、だな」
この戦争が始まって以降、人類を攻撃するオートマタに関して分かったことは多くありませんでした。技術を持ち出せなかったというのもありますが、解析しようにも検体が手に入らないのです。理由は主に2つ。
その1、オートマタが単純に強く、生け捕りはほぼ不可能なこと。
その2、証拠を残さない為の自爆プログラムが組み込まれていること。
「まあ、取り敢えず、燃料も弾薬も食糧も手掛かりも無いみたいだし」
拠点に戻りましょう、と言おうとした瞬間でした。ハボックが人差し指を口の前に立て、掌で地面を押すような仕草をしました。隠れろ、のサインでした。
「敵?」
カガリが静かに聞き、ハボックが頷きました。彼らの延髄周辺には金属部品が見えます。オートマタで間違いありません。カガリが尋ねます。
「何体?」
「最悪だ、10体。近接戦闘型個体が6、残りは遠距離戦闘型個体」
分隊クラスでした。オートマタ1体を倒すのに、50人が必要とされています。それが、10体。人間にとっては1個大隊を相手取るに等しい事です。そして、こちらの数は2。彼我兵力差、500対2。戦ってどうなるかは明白です。
「さっき焼け残ってる家屋があったわ。隠れましょう」
カガリが言い、ハボックも賛成しました。2人は半壊した家屋に駆け込み、銃を構えました。カガリはスコープを覗き込み、距離800、と呟きます。こちらは高台にいるので、オートマタよりも先に索敵する事が出来ました。
「頼むから、気づかないで……」
狙撃の姿勢を取りながら、カガリが密かに祈ります。狙撃は最後の手段です。
そうして少しの時間が経ち、雲間から、陽の光が差してきました。その瞬間。オートマタの人間のようにしか見えない顔がこちらを向き、虚ろな眼とスコープ越しに目が合いました。
「ッ……なぜ、位置が……?」
顔を上げて、その理由が分かりました。光が、自分に向かって差しています。
「スコープかッ⁉︎」
スコープのレンズに太陽光が反射していたのです。ここに来た時は曇り空だったので、失念していたのでした。
「落ち着けカガリ。見つかった以上、応戦するしかない。銃を交換しろ」
ハボックが静かに言いました。こんな時に銃を交換するという意味が分からず、カガリは自分の銃を渡し、もう片方を受け取ります。弾倉も一緒でした。
「俺が囮だ、早く逃げろ」
「それってーー」
見つかったのは、「スコープ持ちの奴」だけ。つまりーー。ようやく意味を理解し、抗議しようとした瞬間、ガガガガガガッと音が連なり、遮蔽にしていた柱が抉られました。その音は途切れる事無く続き、家屋を抉っていきます。
「早く行け、全滅だけは避けにゃならん。今ならカガリ、お前だけは助かる。運転の仕方は分かるだろ? 拠点に着いたら皆に宜しく。お前は皆の篝火だ。皆を、導いてやってくれ」
ハボックが薄く笑います。
「でもっ、」
反論しようとしましたが、カガリは分かっていました。このままでは、2人とも死ぬ事を。ならば、とハボックはカガリを逃がす道を選びました。自らの命と引き換えに。
「……ごめんなさい」
消え入りそうな声で、カガリは謝罪しました。
「『ごめんなさい』よりは、『ありがとう』の方がいいなァ」
ハボックは軽口で返します。
「……ありがとう……っ」
そう言って、カガリは踵を返し、車に乗り込みました。
「……強く、生きろよ。カガリ」
ハボックは晴々とした笑みを浮かべ、1人の呟きました。
「……さあって、と! 人生最期の仕事だ。人生最高の出来を見せてやる」
迫り来る10の死神。
「1体でも道連れにしてやらぁ」
カガリは、30口径特有の、低く響く銃声を20発分聞き、それから1回だけ爆発音を聞きました。
「……ッ! ハボックの、バカァーッ‼︎」
泣きながら、カガリはアクセルを踏み続けました。オートマタは、追って来ませんでした。
どのくらい走ったでしょうか。辺りは既に夜の静寂に包まれていました。荒野に響くのは、カガリが運転する即席戦闘車両のエンジン音だけでした。
「皆に、伝えなきゃ……」
そう呟き、カガリは、拠点まで一度も休むことなく走り続けました。やがて、拠点が見えて来ました。そこは、廃墟群でした。
車を止め、カガリは廃墟群の中心へ行きました。そこは、拠点の中枢を担う施設でした。カガリ達は「ハブ」と呼んでいます。
「お帰りなさい、お疲れ様でした。ハボックは?」
2人の帰りを待っていた1人の若い男がカガリに尋ねました。
「ハボックは、私を助ける為に、死にました」
カガリは、静かに言いました。男は一瞬目を見開きましたが、直ぐに沈痛な表情になり、
「……そう……ですか……。……本当に、お疲れ、様でした」
搾り出すようにそれだけを言い、下がっていきました。カガリは自室に入り、一晩中泣き通しました。どうして、ハボックが。あんなに、いい人が。なんで、私なんかを助ける為に。
「お前は皆の篝火だ。皆を、導いてやってくれ」
ハボックの言い遺した言葉が、何よりも重くて、押しつぶされそうになり。
「無理だよ、私なんか……ッ!」
もう何もかもがどうでもいい。そんな気持ちになりました。
「なんで、ハボックは、私を助けたの……」
自分には出来ない。
身体を投げ出したベットには、ハボックから渡された銃がありました。彼のチェストリグも一緒でした。
「……整備、しないと」
カガリは机の上に銃を置きました。弾倉を外し、テイクダウンピンとピボットピンを引き抜き、フレームを上下に分解します。次に、チャージングハンドルを外し、バレルを引き出しました。バレル内を覗き、異常が無い事を確認してから、クリーニングをしました。機関部には潤滑油を差して、先の手順とは逆に銃を組み立てました。
チェストリグには8本の弾倉が入っていました。全て弾を抜き、スプリングが弱っていないか確認して戻します。
「……?」
チェストリグのポーチに、くしゃくしゃになった1枚の紙が入っていました。カガリは、手に取って読んでみました。
「これが読まれてる頃には、俺はもう死んでるだろう。カガリへ。お前と二人一組を組めて良かった。お前と組んだ時間は長くはなかったが、ようやく決心がついた。お前に、俺の最後の希望を託させて欲しい。いつか、お前は俺に、こんな戦争、いつか終わるか、人類は勝てるか、と聞いた。あの時は答えなかったが、今なら答えられる。終わる。人類が負ける」
容赦のない答えに、カガリは息を呑みました。それでも読み続けます。
「だが、このままやられるほど、人類は間抜けじゃないだろう。俺は、1つの手掛かりを掴んだ。最近、『オートマタを殺している人間』を見つけた、という噂を聞いた事がある。どうか、そいつを探し出して欲しい。我ながら、馬鹿げているのは重々承知だ。だが、そいつが実在すれば、人類の大きな矛になりうる。こんな事を頼めるのは、カガリ、お前しかいなかった。頼む。どうか、この戦争を、終わらせてくれ。人類に勝利をもたらしてくれ。お前が、皆を、率いてやってくれ」
手紙を読み終わったカガリは、ただ呆然としていました。オートマタを殺せる人間? いる訳がない。……でも、ハボックが、最期の言葉に選んだ「希望」。もし実在するのなら。人類がこの戦争に勝つ道。それが、開けるかもしれない。
「……ハボックは、こんな私に託してくれた。今際の際に、私を選んだ。選んでくれた。それを、嘘にしたくない。だから」
やってやる。静かに、カガリは燃え上がっていました。皆の、篝火に、なってやる。
腰まで伸びていた髪を、首の後ろでバッサリと切りました。
「私の名前は、カガリ。皆を、導く者。見ていて、ハボック。こんな戦争、私が、終わらせてやる」
今、1つの火が、全てを変えんと、燃え上がり始めました。