コロナ村の襲撃
心地よいまどろみの中、アレックスは体を激しく揺さぶられて起こされた。「起きろ、アレックス」
「ど、どうしたの、お父さん」ベッドの上で眠そうにまぶたをこすりながらアレックスが言った。
「よく聞け、今、この村は怪物に襲われている。母さんは畑からそのまま集会場へ避難している。父さんは様子を見てくるから、お前は絶対にここを動くな、いいか、絶対だ」念を押すようにアルが言った。その顔はいつもの優しい父の顔じゃなかった。大変なことが起こったことは今年10歳になるアレックスにもよくわかった。その顔に不安を見てとったのか、アルはアレックスの肩をポンと叩き、かすかに笑った。そして素早く身を翻すと剣を掴んで戸口へと向かった。扉を薄くあけ、怪物がそばにいないことを確かめると一気に外に飛び出して行った。
「お父さん…」ベッドの上で何がなんだかわからずに上体を起こして座っていたアレックスだったが、すぐに眠気は覚めた。ガランとした部屋に、なんとも言えない心細さを感じた。窓からの細長い光が部屋の唯一の家具である小さな丸テーブルにかかっている。いつも見慣れている光景のはずなのに、なぜかひどくよそよそしく見えた。
怪物って言ってた。話では聞いたことがあるが、子供心にも話の中だけのことだと思っていた。でも、本当にそんなものがいるのか。急に不安になって頭から毛布をかぶって再びベッドに寝転んだ。しかしベッドに転がっても寝返りを打ってみても怪物のことが頭から離れない。それどころか、まだ見ぬ怪物の姿はアレックスの中でどんどん膨らんでいった。怪物の姿がそら恐ろしい形を伴って頭の中に像を結びそうになる度にアレックスは身体を動かしてそれを阻んだ。
背筋に氷が張り付いたようだ。張り付いた氷は少しずつ体中に広がって行った。村の羊がオオカミに襲われているとは聞いていたが、怪物なんて聞いていない。怪物ってなんだ。なんで村が襲われてるんだ。アレックスの頭の中は分からないことだらけだ。
「…や、やめ」毛布をかぶって寝ているアレックスの耳にかすかな声が聞こえた。うまく聞き取れなかったが、何かに追い詰められたような切羽詰った声だった。だれかが襲われているのだろうか。心臓が激しく鼓動を始めた。
アレックスは上半身を起こして、扉を見つめた。数枚の板を金属板でつなぎ合わせただけの質素な扉。いつもと変わらないはずなのに、怪物がいる外につながっていると思うと不気味に見えた。黒っぽい板はいつもより黒く、扉についた汚れやシミは悪魔の顔のように見える。
家が崩れるような音に混じって男の声で「殺すな、やめ…」と聞こえた。嫌な単語ばかりが断片的に聞こえてくる。後を追うようにガチョウの羽ばたく音とガーガーと騒がしい鳴き声が続いた。
男は泣きながらわめいている。大人の男が泣いているのをアレックスは初めて聞いた。泣き声とは別にほかの男たちの野太い声と笑い声が聞こえた。男が泣けば泣くほど、ほかの男たちははしゃいでいる。笑っているのも間違いなく人間の声だ。村がどこかの男たちに襲われている。近くなっているのか、だんだんとはっきり聞こえるようになった。
「なんでも言うことを聞くから、殺さないでくれ」
「どうすっかな、おい、どうする」
「どうするって言ったって、どうすっか」
「お前、歯が痛いんだろ」
「へっ、何だいきなり、別に痛かねえよ」
「痛いんたよな」
「へっ?」
「痛いんたろう」
「そ、そうだ、痛かったんだ。今思い出した」
「そりゃあ、気分も悪くなるわな」
「そ、そりゃあ、気分は悪りいが」
「それじゃあ、コイツには死んでもらうしかないんじゃないの」
「へっ?」
「そうだろう」
「そ、そうだ。そりゃあそうだ。おりゃあ、気分が悪いからお前を助けることはできねえ」
「というわけだ、あきらめろ」
「えっ」戸惑う男の声の後、沈黙があった。聞きたくないのに、聞かない方がいいとわかっているのに、なぜか男たちのやり取りが耳に入って来る。聞きたくないと思えば思うほど内容がはっきりと聞こえる。
沈黙は男の叫び声ですぐに破られた。声を限りに泣き、喚き、抵抗している。その度に大きな笑い声が起こった。
ひと際大きな叫び声の後、「ぎゃああああ」という悲鳴が聞こえた。そして男の声は二度と聞こえなくなった。同時に悪魔ような笑い声が聞こえた。アレックスは思わず耳をふさいだ。ふさぐ手が小刻みに震えている。
震えはいつまでも収まることはなかった。緊張でのどはカラカラ、体の芯は氷のように冷たいのに、全身は汗びっしょりだ。
「どうしよう」アレックスはベッドから降りた。そしてベッドの前を意味もなくぐるぐると歩いた。このままじゃいけないことはわかっているが、何をしたらいいかわからない。また聞こえてくる男の悲鳴。さっきより近くなっている。「お父さん、どこへ行ったんだよ」アレックスは小さく怒鳴った。
「なんだよ、ちっとも女がいねえじゃねえか。どうなってんだ、この村は」男の醜い声が聞こえて来た。この声が村を襲ってきた者の声であることはアレックスにもすぐにわかった。
「よく探して見ろ、絶対どっかにかくれてる」
「そうだよな」
「女がいなきゃ、楽しみも半減だぜ。男じゃ食ってもうまくねえし。女を生きたまま食う。これに限るぜ」
「食っても?」アレックスは耳を疑った。人間を食べる?奴らやっぱり人間じゃないのか。言葉を聞いているうちだんだんと気持ちが悪くなってきた。だみ声を聞けば聞くほど、吐き気がこみ上げてくる。その声は少しずつ大きくなっている。こっちに向かって歩いている証拠だ。
「このままじゃ殺される」まだ距離はある。今ならまだ逃げられるかもしれない。動くなと言われたけど、このままここにいたらだめだ。その前に外で何が起こっているのか、様子を確かめなくちゃ。アレックスはゴクリと唾を飲み込んだ。
勇気を振り絞って、扉へ向かって歩き出した。窓から自分の姿が見えないようにかがみこみながら一歩ずつ進んでいく。足が重い。自分の足じゃないみたいだ。アレックスは両足をバンバンと叩いた。そしてやっと扉の前にたどり着くと扉を開けようとゆっくりと手を伸ばした。今度は手が縮こまってうまく伸びない。仕方なく左手で右手を持って、無理やり伸ばした。
ギィ…。扉は小さな軋み音を立てた。思わず手が止まる。気付かれたかもしれない。祈るように目を瞑った。シンとしたまま、数秒が過ぎる。ほんの数秒が途方もなく長く感じる。どうやら奴らには気付かれてはいないようだ。ほっと胸をなでおろした。再び時間をかけて少しずつ扉を開いた。ようやく5センチほどの隙間が開いた。
額からはボタボタと汗がとめどなく流れている。右腕で汗を拭った。そして扉がこれ以上開かないように手でおさえながら扉に右のこめかみを付けるようにして外の様子を見た。
オレンジ色をした屋根と白い壁の家が並んでいる。ゆっくりと視線を上下させる。細い路地は50メートルほど先で分岐し、左右に分かれている。右の道は大きく曲がっていてその先は家の陰に隠れて見えない。ところどころに農具が立てかけてある。いつも見る村の風景だ。襲われた痕跡のようなものは何も見つからない。でも現実はそうじゃない。アレックスは重い息を吐いた。
気がつけば手も足もガチガチだ。アレックスは一旦覗くのをやめ家に入った。そして手足を大きく伸ばした。それから体をほぐそうと手足を触った。自分の体を触っている感じがまるでなかった。手足をゆすりながら、小さく息を吐き、ふと周りを見渡した。ベッドと小さな丸いテーブルと椅子が1脚、四角い窓と外へと繋がる扉、あと父の作業場兼寝室に繋がる扉があるだけの簡素な部屋。でもあの窓から怪物が顔を出したら、突然扉が大きく開いて怪物が押し寄せてきたら、作業場の扉の隙間から怪物が通り過ぎるのが見えたら、そんなことばかりが頭に浮かんだ。
再び外から男の声が聞こえた。思わず身がすくむ。怖くてしようが無いが、確認しないわけには行かない。恐る恐る隙間から覗いた。誰かがこっちに来る。すぐに顔を引っ込めた。胸がドキドキする。フウーとため息をついて、再び隙間に顔を近づける。
男2人が1人を引きずっている。引きずられているのは多分村の男だろう。引きずっているのは村の者じゃない。ひと目見て寒気が走った。黒い肩当と胸当てをつけた男のうち一人は村の男よりもひと回り以上も大きく、鎧のような筋肉をまとっていた。もう一人は村の男よりも随分と小さい。見た目は人間だけど、人間の感じとは違う。オオカミを初めて見たときに感じた感じだ。でもそれよりもずっと怖い。父さんが怪物と言っていた意味がわかった。見つかったら絶対殺される。
大男が後ろに回って、村の男を小突き始めた。男が抵抗しようとすると今度は後ろから蹴飛ばした。崩れ落ちるように倒れる男。追い討ちをかけるようにして顔面を蹴りつける小男。泣き叫ぶ男を見て2人とも声をあげてゲラゲラ笑っている。完全にいたぶるのを楽しんでいるのだ。
やられた男はなす術もなく、されるがままになっている。下手に抵抗すると余計にひどい目に合うことがわかっているのだろう。このままやられるのを見てるしかないのか。アレックスは悔しさに唇をかんだ。恐怖と怒りで扉を押さえる手が震えた。「父さん、どうにもならないの」声にならない声で呟いた。
しかし、ここでアレックスは初めてあることに気づいた。歩いてくる奴らから見えないよう、家の陰に隠れている男がいる。影からそっと大男たちの様子を伺っている。見渡すと1人や2人じゃない。しかも手には剣を握っている。村の男たちが反撃のチャンスを狙っているのだ。アレックスの胸に希望の光がともった。
アレックスは知らぬ間に胸のところで手を合わせていた。「お願い、アイツらを倒して」小さい声で祈った。村の男たちは7~8人はいる。対して相手は2人。「大丈夫、絶対倒せる」自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
大男は再び男を引きずって歩き出した。散々に痛めつけられた男はもうなんの抵抗もできなかった。よろよろとよろめいては怪物たちに引きずられるままになっていた。「今に見てろ」アレックスは大男たちをにらみつけながら小さくうなった。
「オラ、モタモタしてんじゃねえ」後ろから大男が蹴り飛ばす。男は崩れるようにうつ伏せに倒れた。もたつきながら起き上ろうとすると前から小男が蹴飛ばした。大きくよろめいて仰向けに倒れる。男は空を仰いだまましばらく動けずにいた。
男が起き上がれないでいると大男が言った。「面倒くせえな、もうやっちまうか」そのまま剣を抜くと男の前に立ちふさがった。
男は急いで立ち上がろうと身を起こすが、全身を痛めつけられているのでうまくいかない。
「おい、ちょっと待て」小男が言ったが、大男は剣を振り上げた格好のまま「残念、時間切れだ」と言うとそのまま男を袈裟に斬りさげた。
「ひっ」男が声を上げた。それが最期の声となった。男はぼろきれのようにその場に倒れた。大男はトントンと剣で肩を叩きながら唾を吐いた。そして死体を見下ろすようにして言った。「バカが、さっさとしねえからだ」
「バカはお前だ。折角楽しみにいたぶってたのに、どうすんだ。村の奴らなかなか見つからねんだぞ」小男が言った。
「そ、そうか、悪かった」
「お前はいつもそうだ、そう言えば全部すむと思ってやがる」
アレックスはすんでのところで扉から飛び出すところを懸命にこらえた。「あいつら絶対に許さない」自分の無力さに腹が立った。いつの間にかアレックスの頬を涙が伝っていた。それは待ち伏せをしていた男たちも同様だった。何人かが飛び出そうとして同じ場所に隠れていた仲間に押えられていた。
「だいたい後先を考えさなすぎんだよ」
「わ、わりい」
「前もそうだ。折角生きたまま女を食おうと思ってたのに。さっさと殺しやがって。お前は楽しみ方ってもんを知らねえ」2人は男を殺した後もそのまま方向を変えることなく、待ち伏せしている男たちの方へ近づいてきた。村の男たちは慌ててそれぞれの持ち場に戻った。そして息を潜めて改めて大男たちの様子を伺っている。大男たちは徐々に近づいてくる。村の男たちは飛び掛るタイミングを計るため、チラチラとお互いの顔を見た。そしてまさに2人がすぐ目の前を通り過ぎようとした瞬間、村の男たちが剣を手に躍りかかった。アレックスの胸の前で合わせた手に力が入る。
白刃が四方から2人めがけて閃いた。2人はようやく異変に気づいた。絶対によけられない、アレックスはそう思った。まさに刃が大男たちの体に吸い込まれようとした瞬間、大男は手にした剣で男たちの剣を次々に薙ぎ払った。剣を繰り出す速さが違った。村人の剣は高々と宙に舞った。剣を弾き飛ばされた男たちはしびれた手を抑えながら顔を歪めている。剣を振ったのは大男一人だった。もう一人は剣を鞘に入れたまま、首の後ろで両肩に組んでいる。
「ああ!」アレックスは思わず声を上げた。7人がかりでもたった1人の怪物に敵わなかった。アレックスは呆然と立ち尽くしていたが、やがてガックリとひざを落とした。もう、だめだ。
手を押さえながら唖然とする村人に怪物がゆっくりと近づいて行った。人間のようにも見えるがその顎は発達して前に出ている。濃い眉毛の辺りは骨が張り出し、迫力のある顔立ちに一役買っていた。その手には鈍い光を宿した剣が握られている。
「オモチャが随分と手に入ったな」小男が言った。
「た、助けてくれ」先頭の村人がすがりつくようにして言った。剣を手にした大男が殺していいかというように背後をチラリと見た。
「いいんじゃないの、こんだけいりゃあ」剣を肩にかけたまま小男が答えた。それを聞いた大男はニタァと悪どい笑みを浮かべた。
「た、頼むから助けてくれ」泣き出さんばかりに訴えるのを大男はただうれしそうに見ている。
「悪いな、今日は歯が痛くてよ。気分が悪いんだわ」と言うと大男は何の躊躇もなく剣をその男の胸に突きたてた。男は声を上げることもなくビクビクと痙攣を起こしている。
「うわあああ」いきなり仲間を目の前で殺された男たちはパニックに陥った。我先に逃げようとするが、思うように体が動かない。背後でその様子を見ていた小男が、口元にゆがんだ笑みを浮かべながら近づいてきた。そして腰を抜かして動けない一人の男の前にしゃがんだ。
「た、助けて…」震える声で命乞いをする男。小男は何も答えず、ただ男の腕を掴むと自分の顔の前まで持ってきた。
「えっ」わけもわからず、男は不安げに小男を見上げている。小男はいきなりあんぐりと大きな口を開けた。肉食獣のような牙が上下にずらりと並んでいる。
男は顔色を変えてなんとか手を振りほどこうと力を込めた。しかし腕はピクリとも動かない。小男はそのままむき出しになった腕に牙を当てた。
「や、やめろおお」小男は叫ぶ男の恐怖に震えた顔を楽しむかのように小さな笑みを浮かべた。そして牙を深く食い込ませるとそのまま腕を食べ始めた。
「ぎゃあああ」男は半狂乱で悲鳴をあげた。身を捩って逃げようとするが、腕をがっしりと掴まれて、身動き一つ取れない。怪物は構わず、何度も腕に食らいついては、ムシャムシャと食べ続けた。とうとう男は腕を掴まれたまま、気を失ってしまった。男が気を失うと怪物は興味をなくしたように肉をペッと吐き出し「やっぱり男は筋っぽくていけねえ」と言った。
アレックスは耐えられなくなり部屋へと戻った。ひざはガクガクと震えている。吐き気が定期的に襲ってくる。やっぱり奴らは怪物だ。どうしようもない。あの怪物を倒すのは無理だ。
男たちの悲鳴が次々に聞こえてきた。アレックスは再び耳をふさいだ。もうこんなのは嫌だ。どうせ助からないのなら、一か八か外に駈け出してしまいたかった。とにかくこの恐怖から逃げ出したかった。扉に視線を移した。あそこから飛び出せば楽になれる。何かに導かれるように扉へとふらふらと近づいた。そして戸口に立つともう一度部屋を振り返った。
この村に来てからはまだ数年だが、それでも思い出はたくさんあった。毎晩のように楽しい話を枕元でたくさん聞いた小さなベッド。丸テーブルの上には父が作ってくれた木彫りの動物たちが転がっていた。こんな思いで部屋を眺める日がくるとは思ってもいなかった。ふと父の作業場へと続く扉の隙間から父が仕事で使うノミがぶら下がっているのが見えた。「父さん…」小さな声で呟いた。
父のアルはアレックス自慢の父親だった。村に来てまだ数年しか経っていないにもかかわらず、村のリーダー的存在で、誰もが一目置いていた。もともと腕のいい大工だが、好奇心旺盛で農業にも詳しく、扱う作物や肥料、農具、家畜の飼育方法などにも新しい考えを積極的に取り入れ、村に利益をもたらした。そのため、古い考えに固執しがちな長老たちとはあまり折り合いがよくなかったが、若い世代は皆アルを特別な存在として見ていた。
アレックスは大きく首を振った。バカなことを考えちゃだめだ。逃げるんだ。逃げるしかない。隙を見て逃げなければ。絶対に逃げ延びてやる。父さんはきっと生きてる。あの父さんが死ぬわけない。落ち着け、状況を見て逃げるぞ、自分に言い聞かせるようにアレックスは言った。
まずは窓からあいつらがいるかいないか確認しよう。いなかったら、今度は扉の隙間から覗いてそこから見てもいないようなら、外へ逃げよう。外に出たら家の陰に隠れながら移動して北の森を目指そう。森へ入れればここよりは身を隠すことができる。
アレックスは一旦戸口を離れ、窓側で壁を背負うようにして立った。そして、窓からそっと顔を出して、外の様子を伺った。あいつらの姿は見えない。
すぐさま戸口に戻って扉の隙間から外を伺う。こちらからも怪物たちの姿は見えなかった。しかし、怪物たちがいた場所には村の男たちと思われる死体が何体も転がっていた。「あいつら全部殺したんだ、助けてってあれだけ頼んでいたのに…」アレックスはひとりごちた。アレックスの体が小刻みに震えている。恐怖だけのせいではなかった。
「いけない、急がなくちゃ」思い出したようにアレックスが外に出ようと扉に手をかけたとき、2人の怪物が再び視界に入ってきた。どうやら村人を見つけるため、あちこち家探しをしていたらしい。
「くっそ~、どこ行きやがった」わめきながら大男が扉を乱暴に閉めた。力任せに閉められた扉は壊れ、枠から外れて倒れた。
「何言ってんだ。お前がやったんだろ」小男が言った。
「だっていいって言ったろ」
「お前な、いいって言ったって、普通一遍に殺すか。こっちが一人を丁寧にいたぶりながら殺してんのに」
「わ、悪かったよ」
「またそれかよ」
2人の怪物はベラベラとしゃべりながら、家を物色している。このままじゃ、直にここも見つかる。時間はない。そうこうしているうちに2人は大きな造りの漆喰の家屋の前で止まった。そして乱暴に扉を開けるとその家に飛び込んだ。
今だ。今出るんだ。扉を開きかけた時だった。分岐の先からジッとこっちをにらんでいる男がいる。奴らの仲間だ。怪物は2人だけではなかったのだ。見られた。全身から血の気が引いた。急いで部屋に戻って隠れる場所を探した。そして隣の作業場からノミを持ってくると床とベッドの下にわずかな隙間に素早く隠れた。
10歳のアレックスにもベッドの隙間は狭かった。ほんの僅かに動いただけでも、ベッドまで振動が伝わる。このままじゃばれてしまう。アレックスは体を直線にしてじっとしている。
かすかな足音が耳を掠めた。思わず体が固まる。こっちに来るな、こっちに来るな。胸に手を当ててアレックスは祈った。しかし足音は少しずつ少しずつ大きくなってくる。
通り過ぎろ、通り過ぎろ、アレックスは懸命に祈った。足音が止んだ。家の前だ。
扉を開ける音がした。その軋んだ音はアレックスがわずかに持っていた希望のようなものを根こそぎにした。冷たい靴音が聞こえた。ベッドの隙間からは怪物の黒い短靴が見える。鋲だらけの厳つい靴は少しだけためらった後、アレックスの頭部のほうへと移動を始めた。アレックスは埃っぽい隙間に隠れ、じっと息を潜めている。
男はまず、寝室兼作業場へ行った。竈やベッド、作業机など、いろんなところを探っているのか、ガチャガチャと騒がしい音を立てている。しかし、ほどなくあきらめ、すぐにアレックスの部屋に戻ってきた。ここは作業場と違い、あるのはベッドと丸テーブルだけだ。
靴の先がベッドのほうへ向いた。ゆっくりと近づいてくる。そしてベッドの前で止まった。毛布をはぐ音がした。自分でも震えているのがわかった。そして男の手が藁のマットレスに伸びた。ベッドの下から男の指が見えた。もうだめだ。アレックスは目をギュッと瞑った。
しかし、アレックスの思いとは別に男の反応は意外なものだった。舌打ちが聞こえたかと思うと「くそっ、逃げやがったか」と言って素早く踵を返し扉に向かって走っていった。マットレスは、ずれてアレックスの顔は見えたはずだった。しかし、男はろくに確認もせずに外へ向かって行った。
全身から力が抜けていくのがわかった。アレックスは大きなため息をついた。途端に汗が滝のように流れる。とりあえずは助かった、と思った。そのとき…。
「オイ」目の前で声がした。男が床に伏せ、こっちを見ている。見つかった。
「出て行くと思っただろ、お前」ニヤリと笑いながら男が言った。
「こんな部屋、隠れる所なんていくらもねえだろ。初めからバレバレなんだよ」
「こりゃいい、うまそうなガキだ」舌なめずりをしながら男が手を伸ばしてきた。ゴツイ手が迫ってくる。思わず後ずさりをした。でもすぐに壁に背中が付いた。これ以上は逃げられない。しかしそのとき、何かを背中に感じた。作業場から持ってきたノミだ。とっさに手にしたノミで男の手を斬りつけた。
「痛っ」男はすぐに手を引っ込めた。手ごたえはあった。男の右手からは血が流れている。
「てんめえ」男はアレックスをにらみつけると、立ち上がりベッドを蹴り上げた。粗末なベッドはたちまちバラバラになった。そしてベッドの残骸からアレックスを引き起こし左手で胸倉をつかまえ、持ち上げた。殺される。アレックスは思わず目を閉じた。
「このガキ。ふざけた真似しやがって」怒りに任せて男はアレックスを高々と掲げた。シャツが首に食い込み息ができない。「てめえは簡単には殺さねえ。ゆっくりゆっくりと食い殺してやる」と言うと大きな口を開けた。そのときだった。
外から男の声が聞こえてきた。「女がいたぞ。西の森へ逃げた」
「なにっ」男は体をよじり、扉のほうを振り向いた。そしてチラリとアレックスを見た。ほんの少し迷った気配を見せたが、忌々しそうな顔でアレックスをにらみ、「てめえは後回しだ」と言うと、アレックスを左手一本で放り投げた。アレックスは床に背中をしこたま打った。怪物はアレックスを振り返ることなくすごい勢いで部屋から出て行った。
背中を強打したアレックスは両手を床について激しい咳を繰り返している。頭から流れた汗が床に少しずつ広がっていった。「…た、助かった」アレックスは大きな息を吐き、床にうずくまった。しかし、ゆっくりとしてはいられない。あいつはまたすぐに追いかけてくるだろう。
突然扉が開いた。アレックスは身をすくませた。早すぎる。いくらなんでもこんなに早く来るなんて。扉のほうを見ることもできない。ひざがガクガクと震えている。
「俺だ」ささやき声が聞こえた。
「えっ」恐る恐る声のする方に目をやった。戸口にはアルが立っていた。
「と、父さん?」たちまち涙があふれてきた。ゆっくりと駆け寄り、父親の胸に飛び込んだ。「こ、怖かったよ」
「よく頑張った」アルはアレックスを抱きしめた。でもすぐにアレックスの肩をつかみ引き離すと、その顔を見つめながら「でもまだ終わりじゃない。すぐに逃げなきゃ殺される」と言った。そしてアレックスの手を引いて家をでた。アレックスは緊張と疲労で今にも倒れそうだったが、アルは半ば強引に手を引いて走り続けた。
すぐに村の様子がおかしいことに気づいた。人の声がまったくしないし、人の気配もない。しばらく行くと、白い壁に寄りかかるようにして亡くなっている若い男の姿が見えた。逃げようとしたところを後ろから襲われたのだろう、背中を斬られ、道沿いに倒れている男、鋤を手に倒れている男は左腕がなかった。それからもところどころに村の人達の死体が転がっているのが見えた。やはり村全体が襲われていた。
「周りを見るな。足元だけ見てろ」アルが言った。
「か、母さんは。西の森へ逃げたって声がしたけど」腕を引かれながら不安げにアレックスが言った。
「あれは俺が言ったんだ。母さんたちは今のところ無事だ。あっちは今コナーが見てる」
「よ、よかった」アレックスは胸をなでおろした。
「これから北の森へ行く。そこでみんなも待ってる」北の森まではまだ1キロほどある。疲れきっているアレックスには短い距離じゃない。でもそこにいけば母さんに会えるという気持ちだけがアレックスを走らせていた。
「がんばれ、もう少しだ」アルは盛んに後ろを気にかけながら走っている。
「う、うん」アレックスもがんばっているが、もう走っているという速さではない。
「奴らに食われてもいいのか」
「絶対嫌だ」アレックスは歯を食いしばって走った。母さんに会うんだ。もう少しで母さんに会える。森まではあと半分ぐらいある。気持ちは森へ飛んでいるが、走るスピードはどんどん遅くなってくる。アルはその様子をみて突然止まった。アレックスは肩を激しく上下させながらアルを見上げている。
「ほらっ、おぶされ」アルがアレックスの前でしゃがんで言った。
「大丈夫。走るよ」
「遠慮するな、奴らが来る」
奴らが来ると言われて少しビクッとしたアレックスだったが「大丈夫。ほら行くよ」と言って、森に向かって走り出した。仕方なくアルも後に続いた。しかし、しばらくしてまたアルが止まった。
「ど、どうしたの。僕なら」アレックスが言ったが、アルはそれを手で制した。
「…奴らだ」アルは急いでアレックスの手を引いて一番近い家屋に向かった。
(奴ら?)アレックスはその言葉を聞いてあやうく戻しそうになった。ついさっきまでの恐怖が背中を包んでくる。
「おっ、いたぞ」背後で声が聞こえた。アレックスが一番聞きたくなかった声だ。疲れきっているアレックスの手を引いているアルと怪物たちの速さは比較にならなかった。あっという間に周りを怪物たちに取り囲まれた。10人はくだらない数だ。
「おっ、ガキだ、こりゃあ、いい」
「息子だけでも助けてくれ」アルはアレックスを後ろにかばうようにして前に出た。
「残念ながらそりゃダメだ。おりゃ、朝から頭が痛くて気分が悪いんだからよ」大男が言った。
「お前、さっきは歯が痛いって言ってただろうが」と小男が言った。周りにいた怪物も声を立てて笑った。
「そ、そんなこたあどうでもいいだろ、気分が悪いってこった」大男は真っ赤になりながら言った。
「適当な野郎だ」小男はクックと笑っている。
「オイ、このガキは俺にやらせてくれ、見ろ、そのガキにやられたんだ」アレックスを襲っていた男がアルとの間に割って入った。
「なんだって」大男が言った。
「見てくれよ、このガキがやりやがった」斬られた右手を大男に見せている。まだ血が止まり切っておらず、小指から血液が一滴大男の短靴に垂れた。
「汚えな」大男は男の目をにらみつけた。そしていきなり持っている幅広の剣で首を斬りつけた。強烈な一撃はたった一振りで男の胴と首を切り離した。血が噴水のように吹き上がったかと思うと男は崩れるようにして倒れた。「言ったろ、俺は頭…じゃなくて歯が痛くて気分が悪いって」
「バカなやつだ。第一人間のガキに傷つけられるなんて、聞いたことがねえ」小男はベッと怪物の飛ばされた首につばを吐きかけた。
「さてと邪魔が入って悪かったな」大男は剣を大きく振ってついた血を払うとアルたちの目の前に歩み寄った。よく見ると小男も大男もほかの連中も皮膚が緑がかっている。
「もしかしてアーグ(食人鬼)ってのはお前たちのことなのか」アルが言った。
「ほう、俺たちのことを知ってるとは感心だな」小男が言った。続けて「ところで女が森に逃げたって叫んだのは、お前だな」と言った。
「知らんな」
「ほう…」小男はいきなりアルののど元に向けて剣を薙いだ。あわや首に刃が食い込むかと思いきや、小男は寸前でピタリと止めた。それでも一筋の血がのどを伝った。アルは固まったように動けない。ゴクリと生唾を飲み込んだ。と同時に額からひと筋の汗が流れた。「ああいううそはいかんな。久しぶりで女の肉にありつけると思ったのに、がっかりだ。この気持ちどうしてくれる」
「そうだ、こうしよう。まずはガキから殺してコイツの前でみんなで食おう。それなら俺たちの気持ちも少しは癒されるってもんだ」大男が言った。アルは急いでアレックスの耳を押さえた。
「ほう、お前にしちゃ上出来だ」小男が言った。
「…俺はいい。子供は助けてくれ」さしものアルも声が詰まっている。
「お前バカか、俺は……歯が痛いから、気分が悪いって言ってんだろうが」と言うとまたまた小男をチラリと見た。
「オーケー。歯であってる」小男が笑いながら言った。
「と言うわけだ」と言うと剣を高々と振りかざし、ゆっくりとアレックスの元へ歩いて行った。アレックスは恐怖でガタガタと震えている。
「や、やめろ」アルはアレックスをかくまうように抱きかかえた。そのとき、アルは背後にかすかな音を聞いた。次の瞬間、目の前まで迫っていた大男がどうっと倒れた。その額には矢が刺さっている。
「だ、だれだ」小男が叫んだ。すぐに2つの影が家屋の陰から現れた。アーグとアルたちの間に割って入ってきたのは2人の若者だった。一人はひょろりと長身で端正な顔立ちに身分の高い者だとひと目でわかる贅沢な身なりをしている。対照的に小柄な若者はおかっぱ頭で質素な夏衣を着ている。
その場はすぐに修羅場となった。たちまち剣を交える音が聞こえ始めた。アルはアレックスをギュッと抱きしめ、その場から離れた場所で動けずにいた。でも再び静けさが辺りを包むまで左程時間はかからなかった。数分後、アルとアレックスが顔を上げると、怪物たちは皆その場に倒れていた。ただ一人小男を除いて。
「い、一体何者だ、てめえら。普通の人間だろうが」目の前で起こったほんの数分のことが信じられないと言った面持だ。
「いかにもその通り」長身の青年が気取って言った。怪物との剣戟に息ひとつ乱していない。
「助けてくれ。もうこの村は襲わない。約束する」剣を捨てて小男が言った。
「どうする、トシ。助けてやるか」長身の青年が言った。
「えっ」トシと呼ばれた青年は困ったように口をすぼめた。長身の青年は剣についた血を払うと、剣を鞘に収めた。小男がわずかに口角を上げた。
「そうだった、忘れてた」長身の青年がポンと手の平を打って言った。「朝から歯が痛くて気分が悪かったんだ」
「てめえ」小男は顔を引きつらせた。「調子に乗りやがって」小男はおもむろに剣を抜いた。
「俺はこいつら木偶の坊とはわけが違うぜ」ゆっくりと剣を振りかざすと、トシに斬りつけた。
自分で言うだけあって、ほかのアーグたちより一段と速かった。それはアルから見てもわかるほどだった。しかも全身のバネも人間とは違った。あっという間に間を詰めてくる。しなやかな動きから繰り出される剣は次々にトシを襲った。しかし、トシは全く慌てる様子がなく、小男の剣を楽々かわしている。段々と小男の息が上がってきた。「な、なんだ、てめえらは」
「誰だっていいだろ」長身の青年が言った。
「て、てめえ」小男は悲壮な表情を浮かべながら、襲いかかってくるタイミングを計っている。そしてジリジリと距離を縮めてきたかと思うと、突然足で2人の顔に土を蹴り上げた。同時に、素早く剣を振りかざし、斬りかかって来た。2人は一太刀ずつあびせこの怪物を葬った。
2人は剣を収め、アレックスを後ろにかくまって警戒しているアルに言った。「僕たちはあなた方の味方です。もう心配はいりません」アルは安堵の息をついた。
「ありがとう。助かったよ」アルが言った。その顔はまだ青ざめている。アレックスは疲れ切ったのか、座ったまま立てないでいた。長身の若者は軽く頭を下げるとすぐさま北に向かって歩き出した。
「クリス」トシが言った。
「そうだった、忘れてた」クリスは懐から小さな包みを取り出した。「悪いですが僕たちもゆっくりとしてはいられません。これを受け取ってください」と言って、中から4粒の種を差し出した。アルは何がなんだかわからないままその種を受け取った。
「なんだ、これは」アルが言った。
「この種を村の東西南北にひとつずつ植えてください。そうすれば、アーグたちは村には入ってこられません」
「トロールは?三魔人にも効くのか?」アルが言った。アルの言葉に2人はお互いの顔を見合わせている。
「封印が解かれたんだな」アルが重ねて聞いた。
「なぜそんなことをご存知なのです」クリスが言った。アルはそれには答えず、質問を重ねた。「アンタたち、もしかすると賢者様の供の方かい」
「おっしゃっていることがよくわかりませんが」しばらくしてクリスが言った。
「そうか…すまない。忘れてくれ」アルが言った。その顔には疲労の色が浮かんでいる。
「とくかく、これを村の東西南北に植えてください。そして芽が出れば怪物たちは襲ってこられないそうです」と言うと2人はそのまま北の森へと向かって行った。