マガタの市場
五賢者の長老クシマはマガタの市場にいた。紫のローブと顔半分を覆っている手入れの行き届いた真っ白なひげを颯爽とひるがえし、人並みを器用にすり抜けながら歩いていた。
マガタは大国ラジルの東に位置する市場で、決して大きくはなかったが、五賢者が信頼を置いている武具屋が東のはずれにあった。クシマはこれから起こる戦いに備え、もう長いこと、とある武器を探している。その武具屋から有力な情報が寄せられたのだ。
マガタは、小さいなりにひと通りの物は揃っていたが、何と言っても有名なのは果物で、世界中から買い付けに来る商人であふれかえっていた。そのため、市場ではいつも甘い匂いが充満していた。
クシマは人や荷車でごったがえす、ほこりっぽい通りを東に向けて歩いて行った。しかし、小柄なため、外部からはクシマは人ごみにまぎれて見つからない。その足取りはとてもゆっくりで、周りの商人たちがせかせかと走り回っている中をマイペースで移動している。何度もぶつかりそうになるが、不思議とまったくぶつからない。ときおり、ふらっと店に入ったかと思えば、何も買わずに店から出てくる。そんなこんなを繰り返し、だんだんと東のはずれに近づいてきた。目的の武具屋も見えてきた。そのまま、武具屋に入ると思いきや、例の調子で手前の小さな果物屋に入っていった。軒先には赤、青、黄色と色鮮やかな果物が並んでいる。
「なかなかいい匂いじゃな」
「だろ、マガタは果物で有名だからな。ここで買った果物を食べたら、もう他では食べられないよ。果物は好きかい」威勢のいい店主が腕まくりをしながら聞いた。
「まあ、それほどでもないが、ついこの甘い臭いに誘われてな。お勧めは何かな」
「まあ、うちで買えばはずれなんてこたあねえが、今の季節だとやはりこのトーヤだろうな」店主はこぶし大の真っ赤な実を手に取った。「ちょっと食べてみるかい。とろけるぜ」そういうと手早く皮をむいた。赤い皮の中からは目の覚めるような鮮やかな黄色い実が飛び出した。慣れた手つきで切り分けるとそのうちの一つをクシマに勧めた。クシマはトロリとした実がひげに付かないように注意しながら口いっぱいにほおばった。途端に口の中に果汁があふれてきた。
「うん、これはうまい。さすがはお勧めというだけある」
「そうだろう、うまいに決まってるさ」店主は人懐っこい笑顔を浮かべて見せた。
「それにしても、鮮やかな色をした果物があるもんだな。これはなんという果物かな」手前に置いてある青色の小さな実を指してクシマが言った。
「そいつはトイチだ。コイツは残念ながら食ってもらうことはできねえ。ちょっと値が張るんでな。オイラもまだ食ったことがないぐらいでな。わりいな」確かに値段を見るとこの小さな実でトーヤが20は買える。
「ほう、高価なものだな」クシマは興味津々で次から次へと果物を見ている。全体が黄色い棘でおおわれている物、桃を円盤型につぶしたような物、人の脚のように先が2つに分かれている物、紐のように細長い物、いくら見ていても飽きないほど、さまざまな種類の果物が並んでいる。
「この辺りはまた一段と安いな」トーヤの横に無造作に積まれているオレンジ色、茶色、緑色の3つの果物の山を指差して言った。値段はどれもトーヤよりもぐっと安い。
「ああ、そいつらね」店主はいかにも興味がなさそうに言った。「キトは実が水っぽくってまずい、カインはまずくはないが皮が固い、トントはうまいが、口の中に渋みが残る。この間も剥いて食ったが、やっぱりいまひとつだ。いずれにしてもお勧めはしねえな」まくし立てるように言った。「一応、食ってみるかい」
「まあ、話のタネだ。面倒でなければいただけるかな」言うが早いか、店主は庖丁を取り出し、キト、カイン、トントの皮を素早く剥いた。クシマはそれぞれの実を口に運んだ。口にしてみるとたったひと口で味を表現した店主の言葉の確かさがよくわかった。
「なるほど、これは確かに水っぽいし、コイツはまずくはないがトーヤに比べると落ちるし、これはうまいが渋みが口に残る。お主の言う通りじゃ」
「そりゃそうだ、こちとら商売人だからな。味覚がおかしきゃ話にならねえ」店主は少し自慢げに言った。しかし、あけすけな物言いは不思議と嫌みな感じを与えなかった。「まあ、悪いことは言わねえ。今の時期はトーヤだ。もちろん金に余裕がありゃ、トイチもお勧めだが…」
「じゃあ、トーヤを10ほどもらおうか」
「ほい、ありがとうよ」主人は手際よく麻の袋にトーヤを入れるとクシマに差し出した。「ひとつ負けといたぜ」
「ありがとう」トーヤを入れた麻の袋を持ってクシマはそのまま隣の今にも倒れそうな武具屋に入った。
「コーチャ、おじゃまするよ」煤だらけの2つの小さなランプに照らされた店内は店主の顔もはっきり見えないほど薄暗かった。
「これはこれは…」店の奥からあわてて中年の男が駆け寄ってきた。せわしなく服装を整えながら、クシマの前まで来ると丁寧なお辞儀をした。「クシマ、おいでなさいませ」
「ほう、この香りはトーヤですな」コーチャは目をつむり、大きな鼻をクンクンしている。
「いい匂いだったんで、つい買ってしもうた。しかし、このあたりも変わったな。二、三百年前までは、果物などほとんど見当たらなかったもんだが」
「そこまで昔のことは存じませんが、私がここに店を構える前から、この市場は果物の匂いであふれておりました。それにしてもお久しぶりでございます。クシマが直々にお越しとは。お声掛けをいただければ、こちらからお伺いいたしましたものを…」
「な~に、暇じゃからの」そう言うと店の中を物色し始めた。薄暗い店内には、剣、槍、弓や盾が狭い店内に整然と並べられている。壁や梁にぶら下げられた弓や盾は通路まではみ出しているが、小柄なクシマはなんなく通り抜けられた。壁に飾られた一本の弓を手に取ると、縦、横、ななめといろんな方向から丹念に見始めた。
「ほお、この弓がたったの5ヒコサとは…。相変わらず、もうからない仕事をしておるな。このくたびれた店もなかなか建て替えられそうもないの、ホッホッホ」満足そうにクシマが笑った。5ヒコサもあれば、家族4人が2カ月は暮らせる金額だが、弓の出来栄えを考えるとかなり安い買い物に違いなかった。
「信用が何よりでございますからな。自分が納得したものだけをできるだけ安く売る。これがうちのやり方ですから」少し誇らしげにコーチャが言った。うなずきながら、クシマは物色を続けた。
「さっそくじゃが例の槍はどこにあるのかな」ひととおり、物色を終えたクシマが言った。
「そうでした、お待ちください」そう言うと、コーチャは大して広くもない店の奥から灰色の布にくるまれた細長い物を持ってきた。「この道40年になりますが、これまで扱ってきた槍の中で、いや、ほかの武器も含めても最高の品でございます」
「それは楽しみじゃ。少し外で拝見しても構わぬか」コーチャが頷くのを待って、クシマは薄暗い店内から外へ出た。
ぐるぐるにまかれた灰色の布をはぐと、中から一本の槍が出てきた。目を引くような派手なつくりではないが、ところどころに施された彫刻の一つ一つに作者の腕の確かさが見て取れる。
「これはいい。ラクレス製じゃな」さっと見てクシマが言った。紫のローブの袖をたくし上げると、槍を持ち直し、穂先を中心に調べ始めた。コーチャは不安そうにその様子を伺っている。コーチャの視線を気にすることもなく、クシマは槍をさまざまにも持ち替え、さらに細かく調べ続けた。それは定められた調査項目にそって一つ一つを丁寧に穴埋めしていくような調べ方だった。ようやくクシマは槍から目を離し、ひと言「ふむ」とだけ言った。そしてこれからが本番とばかり、再び槍に視線を戻した。
「いかがでしょうか」恐る恐るコーチャが口にした。しかし、クシマにはまったく聞こえていない。瞬き一つすることなく、じっと槍を見ている。コーチャはクシマの様子が気になって仕方がない様子だったが、邪魔になってはと、のどまで出かかった言葉を飲み込んだ。しばらくして、ようやくクシマが槍から目をそらした。その様子を見て再度コーチャが声をかけた。「ああ、そうじゃな、もう少し待ってくれんか」周りに人がいたことなどまったく気が付かなかったかのようにクシマが言った。
改めてクシマは槍の穂先に指をそっと当てた。そして、そのままゆっくりと長い時間をかけて先の方へと動かし始めた。先端までたどりつくと指をひっくり返し、触れていた部分を調べた。少し赤くなっている。そしてもう一度「ふむ」と言った。
「…ものは最高じゃ」ゆっくりと槍を置いて淡々と話した。
「それでは…」コーチャの顔に期待の色が浮かんだ。
「ものはこれまでで最高レベル。じゃが…」
「えっ」コーチャの顔色がにわかにくもった。
「残念ながら、探している物とは違うようじゃ」
「…そうですか」コーチャはがっくりと肩を落とした。そして「…わざわざお越しいただいたものを、申し訳ございません」と言うとクシマに向かって頭を下げた。
「気にせんでくれ。そう簡単には見つからん。これからも情報があれば、どんどん教えてほしい。いずれ出て来る日も来よう」相当ショックだったのだろう。クシマが話しかけても、コーチャはただうなだれているばかりだった。その様子を見ていたクシマはそっとコーチャの肩に手を置いた。「情報をありがとう、またたのむ」
「…あの」思いつめたようにコーチャが話しかけた。でも、続きの言葉はすぐに口をついては出てこない。それでもクシマはだまってコーチャの言葉を待った。
「ウゴ族の…」ようやくコーチャの口から言葉がついて出た。「ウゴ族手組の武器というのは…そこまで……そこまで優れたものなのでしょうか」コーチャは訴えかけるように言った。
「…少なくとも、わしはこれまであれ以上の物を見たことはない」クシマは静かに言った。そしてトーヤを2つ取り出し、コーチャにわたすと店を後にした。
「ウゴ族か…やはり、簡単には見つかってくれんのう」麻袋の甘い香りをかぎながらクシマが独り言を言った。