円卓で
一行が寝静まったころ、空にはぽっかりと小さな球体が浮かんでいた。球体は煌々と光る月に照らされ、さながらもう一つの月のように銀色に輝いている。球体の中、賢者たちは円卓を囲んでいた。大きな円卓には4人の賢者が座り、アーガの席だけがぽっかりと空いている。場内は穏やかな光に包まれ、エンユウがくゆらす甘い紫煙がゆらゆらと漂っている。
「そちらはたいした苦労をしたようじゃな」クシマが言った。綿雪のような髭がセピア色に浮かんでいる。
「参りました。クシマと分かれてすぐにゴブリンの襲撃を受けたと思ったら、数日後、今度はゴドラが現れました。しかも、そのうちの一人が我らを追って崖を飛び越そうとして、そのまま、谷底に落ちて行ったのです」
「ふむ、想像はつくな。いかにもゴドラがやりそうなことじゃ」クシマは意見に深いシワを寄せて言った。
「エレナ殿の方をじっと見ながら落ちて行ったので、エレナ殿がおびえてしまって、大変でした」
「気の毒に…さぞ怖かったであろうに」
「本当に嫌な奴らじゃ。思い出しただけで身震いがするわい」いかにも汚らわしい者について話すかのようにエンユウが言った。
「幸いゴドラとはそれきりですが、奴らのことです。必ず追いかけてくるでしょう」
「間違いあるまい。こうしているうちにも現れるかもしれんて」エンユウは小さな息をついた。
「一応、『水』を用意しておいた方がいいかもしれんな」クシマが言った。
「『水』ならゾラが汲んできてくれました」
「それはご苦労じゃった。しかしこれなら、ラバス街道のほうがまだ安全だったかもしれんな。しかし、よくも切り抜けられたものだ」
「そこです、お聞きになりましたか。トロールのこと」ハリマが言った。
「ふむ」クシマは瞳の端で小さく笑った。
「一度目の襲撃から数日が経ち、私たちはアーグの追撃を受けました。今度はなんと前からトロールが襲ってきました。一度目が一匹だったのに対し、今度は5匹も。後ろに引くこともできず、半ばやけになって私とゾラで術をかけるべくトロールに向かって行きました。その時…」
「信じられないことが起こりおった」エンユウがハリマの話を横取りした。ほのかな光の中でもエンユウが興奮しているのがわかる。
「あれには驚かされました」
「信じられるか、あのトロールがただの木の実にぶつかっただけで倒れおったのだ」くわえていたパイプを手に興奮して身振り手振りでしゃべっている。
「聞いたよ。思わず耳を疑ってしもうた。しかし、本当に木の実でトロールを倒したのか」クシマは子供のように目を輝かせながら聞いた。驚いているというより、わくわくしている感じだ。「そんな実があるとは知らんかった。世の中は広い。まだまだ知らんことばかりだわい」
「そんな木の実があるなんて、一体今までわれわれは何をやっていたのだ」
「あんなこと普通ありえん」ゾラが言った。ペラペラとしゃべりはしないが、ゾラの顔にも興奮の色が浮かんでいる。
「しかし、ますますあの兄弟は興味深いな。その実のことをどうやって知ったんじゃろうか」つやつやしたあごひげを触りながらクシマが言った。
「ウカルのことも知っていました」
「そのとおり。数百年も前に滅んだとされるウゴ族の衣装をなぜ、知っておったのか」クシマがさも嬉しそうに言った。分からないことがあることを面白がっている。
「ラジル馬のときもそうじゃ」エンユウはゆっくりと鼻から煙をたなびかせた。「ラセルですら仕入れることができなかったラジル馬をどうやって仕入れたものか」
「いずれにしてもあの兄弟には何かしら秘密があるかもしれません」ハリマが言った。
「とにかく一緒に連れてきてよかった、エンユウのお蔭じゃ」クシマが言うと、一緒に連れて行くようになった経緯が経緯だけにエンユウは苦笑いを浮かべた。
「たしかに…」おもむろにゾラが言った。相変わらず眉間には小刀で掘ったような深いシワが刻まれている。そして、硬いあごひげに手を当てながら続けた。「あの兄弟は興味深い」
ナーガたちのことをひとしきり話し終わると、それから話題は今日の夕食に移った。
「しかし、相変わらずじゃな、カインの食欲は。久しぶりだったが、見てるだけで気持ち悪くなって来たわ」エンユウが言った。
「本当に困ったものです。自分の分を食べるとすぐにほかの人の分を狙って。終いには水まで分けてもらってるんですから。シュノンでは、お腹が減ったと泣く始末です」ハリマも眉をしかめている。
「しかし、あの野菜は良かった。お主たちが、なんであんなに野菜を持ってきたのか、さっぱりわからんかったが、あの野菜はどれもみずみずしくてうまかったな。、ただ塩を入れた水でゆでただけとは思えんかった」エンユウが言った。
夕食は干し肉とパンのほか、カインが山のようにもらってきた野菜を茹でたものが出された。ジロンの村の野菜は大好評で皆お代わりをした。普段、食にはまったく興味を示さないゾラでさえ、大きなジャガイモをお代わりをしたことが皆を驚かせた。
「たしかにあんなにおいしい野菜を食べたのは初めてです。甘いと言うのはああいうことを言うのですね」
「しかも、どの野菜も種を植えてから1日と経っておらんうちに収穫したと言うから驚きじゃ」クシマが話した。真っ白い眉毛とひげの間から覗く青目の部分がキラキラと輝いている。
「えっ」3人が3人とも同じようにクシマを見た。ハリマもエンユウもゾラもクシマが何を言っているのかわからなかった。
「1日も経っておらんとはどういうことじゃ」エンユウが言った。
「おお、これはすまんすまん、まだ話しておらんかったか。ワシばかり面白い話を聞かせてもらって、ジロンの村であったことを話すのをすっかり忘れておった」クシマは鷹揚に笑った。そして村で見た命の水のことを話した。凄まじい速さで農作物を成長させる命の水の話は、ハリマもエンユウもゾラも誰も聞いたことがないものだった。3人は木の実のことをクシマが初めて聞いた時と同じように、驚きの声を上げた。
「まさにあの水こそ村にとっての宝の水よ」
「その水はなんでそのような力を持っているのですか」
「わからんが、何でも百年ほど前に突然そのような力が現れたとか」
「百年前?」ゾラは円卓史を取り出すと、ペラペラと忙しく調べ始めた。そして百年前あたりのページを何度も見返すと数回首をひねってから、あきらめてパタンと円卓史を閉じた。
「あの木の実といい、その水といい、不思議なことがあるものです」ハリマは腕を組み、首を左右に振って感心しきりだ。
「いろいろと経験したつもりでも、わからんことはまだまだ多い。これだからこの世は面白い」
「それだけじゃあるまい」エンユウが唐突に言った。そして唇を細くすぼめたかと思うと上を向いて煙を噴き上げた。煙がゆっくりと場内を登っていって天井まで届こうとしたとき、「…もう一つある」と言った。
「もう一つとはなんじゃ」クシマが言った。
そして再び煙を吸い込むと今度はゆっくりと細い煙を鼻から掃出してから探るような目でクシマを見た。「バラキがトロールを倒したとは…本当なのか?」クシマは、ああそのことかとばかりにフンフンと頷いている。
「わからん。ワシがハリマの元に戻った時には血だらけになったバラキの足元に3匹のトロールが転がっていた、それだけだ」
「では本当にバラキが倒したかどうかはわからんではないか」
「本人が倒したと言っておる」
「そんなもの、なんの証拠にもならん」エンユウが言った。
「バラキは大風呂敷は広げるが、この類の嘘はつかん」クシマが言うと、ゾラはひと言「つかんな」と言った。
「でも、これまで名だたる剣士たちが何人も挑んで、ただの一人ですら倒せたものはおらんのだぞ」
「ウゴ族手組の武器以外ではな」ゾラが口を挟んだ。
「しかし、バラキが手組の武器を持っていたわけじゃあるまい」エンユウはチラリとゾラを見て言った。
「もちろんそうじゃ。しかし、あの男は最後までトロールを倒せると思っていたらしい」クシマが言った。
「それが何じゃ」
「普通の人間であれば、何度斬りつけても全く効いていないとわかれば、恐ろしくて逃げ出すであろう。ただでさえあの巨体だというのにその上棍棒が飛んでくるのだ。かすっただけでも命を落としかねん」
「だからそれが何だと言うのだ」大きな鼻を鳴らしてエンユウが言った。
「恐怖に委縮した人間が振るう剣では歯が立つわけがない。そうは思わんか」
「それはそうであろうが」
「しかしバラキは委縮するどころか、倒せるということを露ほども疑っていなかった」
「だからトロールを倒せたとでも言うのか」
「わからん。しかし、ザビアのシャールもロタのジルもラジルのケットーも、対峙するまではともかくとして、あの怪物を目にした途端、皆怯えとった。少なくともトロールに勝てるとは思っていなかったようにワシには思えたが」考えを探るように上目使いにエンユウを見ながら、クシマが言った。エンユウも同感だった。クシマ同様、エンユウもその瞬間を見ていた。トロールを眼の前にシャールもジルもケットーも茫然と立ち尽くすだけだった。想像を超えた大きさ、迫力に完全に呑まれていたのだ。
「しかし、それだけであの怪物を倒せたとは思えん」
「それはわからんが、バラキにはおかしなところがあるように思えてな」
「おかしなところ?」
「奴は敵が強ければ強いほど、命が危険にさらされた時ほど力を発揮できるのではないか」
「まあ、確かにグリフォンに襲われたときもアヤツはグリフォンを全く怖がってはおらんかったな」
「そんなことおっしゃってましたね」ハリマが言った。
「ゴシマの話によると愚かにもカルの頭をゲンコツで殴ったらしい」エンユウはあきれた口調で言った。
「いくらなんでもそんなこと」ハリマは小さく笑った。
「カルやロンはもちろん、ガーラですら奴は馬鹿にして乗ろうとはせん。事によると…」エンユウが言い淀んだ。
「なんです、まさかドラコでも満足しないと言うんではないでしょうね」ハリマは鼻で笑った。ゾラも白けた視線をエンユウに送っている。
「そんなことある訳がないではないか。アヤツの負け惜しみじゃ」エンユウは自ら否定した。
「もしかするとアーガがこだわるところもそのあたりにあるのかもしれん」クシマが言った。
「失礼ながら、私にもあの男にそんな力があるとは思えません」ハリマが言った。「ただ好戦的で野蛮なだけではありませんか。その男にそんな力があるなんて。クシマは本当にあの男にそんな力があるとお思いか」
「そうじゃな、わしにもわからん」と言うとクシマはニッコリと笑った。ハリマは勢いを削がれた格好で「ま、まあ、これからはトロールなんかも出てくることでしょう。それで正体がわかります」と言った。
「それからでもバラキの評価は遅くあるまい」エンユウもハリマの意見に同調した。そしてパイプの中のタバコの葉を灰皿に捨てると続けて言った。「ところでハリマ。わしはひと足先にシトンへ行って来ようと思う」
「シトンへ。ビュリンの武器ですか」
「ビュリンがトロールたちに通じれば、お主も光の民の武器探しはせんでも良いだろう」
「もちろんそうじゃ」クシマが言った。
「ウゴ族だ」ゾラが言った。エンユウは露骨にうっとおしそうな顔をした。「前の大戦の折にはなかったビュリン製の武器は試す価値があるじゃろう。シトンが発展したのは、ビュリン鉱石を見つけ出しその精製に成功したおかけじゃ。試さぬ法はない」
「一人で行かれるのですか。あまりに危険では」
「いや、一人だからこそ、ラジル馬の脚を生かせる。シトンは純粋なビュリンは決して国外へは出さないらしいが、なんとしても説得してみせる」
「わかりました。何かあったらすぐにお知らせください」
「では行く前に一度水晶で様子を見せてはくれんか」エンユウが言った。
「やめときましょう。まだ私には荷が重過ぎます」ハリマが即座に言った。
「いや、やってみてはどうじゃ。いい機会じゃ」クシマは青い目を細めた。
「ご冗談を」
「冗談ではない。第一アーガはなかなか来んぞ」
「そうじゃ、あ奴はいつになるかわからん」エンユウは煙を勢い良く吐きながら「もう、とっくに合流してもいいだろうに。いつまでも何をやっておるのか、まったく、しようもない男じゃ」と言った。
「し、しかし」なおも抵抗を試みるハリマにクシマがニコニコと微笑みかけている。こういう顔をしているときのクシマには何を言っても結局やらされる羽目になるのをハリマは知っている。
「まあ、やれといわれればやってはみますが…」と言うと小さな息を一つつき、ローブをたくし上げた。それから念を押すように一同を見渡して「自信はありませんよ」と言った。
「なに、構わんよ」クシマは相変わらずのニコニコ顔だ。
ハリマはゆっくりと呪文を唱え始めた。「エウランエウラン、スーモルト、ニウム、リル、ニウム…」静かな場にハリマの呪文だけが聞こえる。3人の賢者たちはいつ変化があってもいいように、水晶をじっと見ている。水晶の玉が発する仄白い光がハリマのポチャッとした顔をかすかに揺らしている。静かな空間で流れる時間はとてもゆっくり流れている。玉はうっすらと白い光を放ったまま、何も変化が起こる様子はない。
「さすがにアーガのようにはいかんようじゃな」エンユウがハリマ越しにクシマに言った。クシマは目でエンユウを制して、その成り行きを見守った。ようやく細い糸が現れ、それが黒い点となり、最終的に地図になるまでアーガの裕に10倍ほどの時間がかかった。アーガの時と同様、地図には黒い幕のようなものがかかっていた。
「おおっ、これは」賢者たちはその様子を見て驚きの声を上げた。エンユウはすぐに水晶に顔を近づけた。と思ったらすぐに水晶はただの透明な玉に戻ってしまった。あまりの早さにエンユウは不服の表情を浮かべながらハリマを見た。
「やはり、アーガのようにはいきません」エンユウの視線に気づかないように装いながらハリマが言った。
「いや、それでもやはり禍々しい気が以前見た時よりも増したような…」エンユウが続けた。「もう少し時間があればな…」
「なんのなんの、今日は地図まではっきりと現れたではないか」クシマは満足気な表情を浮かべている。クシマの言うとおり、アーガ以外がこれをやってここまではっきりと地図が現れたのはこれが初めてだった。
「精進いたします」口ではそう言いながらもハリマは少し嬉しそうだ。そして高い背もたれにどっかりと寄りかかって「いや、本当に今日は疲れました。あの実がなければどうなっていたことやら」と言いながら懐からパイプを取り出した。パイプは淡い光を受けて重厚なツヤをその表面に浮かび上がらせている。ひと目で高級だとわかる佇まいはエンユウが咥えているパイプの薄っぺらさとは比べようもなかった。
煙草を詰め、火をつけるとゆっくりとくゆらし始めた。大きく煙を吸い込むと鼻からゆっくりと吐き出した。白い煙はまっすぐな線を描いた後、勢いを失ってゆらゆらと立ち上った。「ああ、おいしい」ハリマはしみじみと言った。
「ハリマ珍しいな、お主が煙草を吸うとは」クシマが言った。
「いや、いいパイプが手に入ったもので」
「そう言えば、そのパイプどこかで…」クシマが言うと、ハリマの横でエンユウが「うまいか」と聞いた。どことなく顔が引きつっている。
「とっても。さすがに高級品は違いますね」
「そうじゃ、エンユウのパイプではないか。どうしたんじゃ、それ」クシマが言った。
「エンユウにいただきました」チラリとエンユウを見てハリマが言った。
「ハリマがやいのやいの言うもんだからくれてやったわ」問わず語りにエンユウが言った。
「これは聞き捨てなりませんね」
「何がじゃ」
「いつ私がやいのやいの言いました?」エンユウはそれには答えず、ただ乾いた視線をハリマに浴びせている。
「どうかしましたか」エンユウの視線に気づいてハリマが言った。
「…お主、なかなか面倒くさいの」
「なんのことです」
「聞き流せばいいじゃろう。単なる言葉の綾じゃ」
「そういうのは口から出まかせというんです」ハリマが応戦した。
「さてと、それでは失礼しようかの」長くなりそうなのを見計らってクシマが言った。ふと見るとゾラはすでにいなくなっている。
「さすがゾラじゃな」含み笑いを浮かべながらクシマは席を立った。
エンユウは翌朝早々にシトンへと出かけて行った。




