表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/52

白蓮の儀

 東の大国ラビスとジランに挟まれたハラドでは、国全体がちょっと不思議なお祭り騒ぎに浮かれていた。王女が17歳になったことを祝う「白蓮の儀」が行われることになったのだ。


 「白蓮の儀」というのは、誰もが初めて聞く式典だった。なんでも古い昔に行われていたという。国を挙げての式典に人々が浮かれるのは無理のないことだが、何より人々を不思議に思わせたのは、この国には王女はいないということだった。というより、この国の王家にはずっと王女は生まれていなかった。王家に誕生する子供は必ず男の子だった。当然これまで何年も何年も「白蓮の儀」は行われることはなかった。そのため「白蓮の儀」が行われると聞いても多くの国民には何のことだかさっぱりわからなかった。王女がいないはずの国で王女の17歳の祝宴を行う。こんなあるはずのないことが起こっている。ハラドの民にとってこの出来事はまさに寝耳に水の話だった。


 それは庶民に限ったことではない。貴族たちも同じだった。招待された貴族たちも驚くというより、狐につままれた気分だった。招待状を受け取っても、王家が誤った文書を送ってきたとしか思わなかった。しかし、式典が行われる7月が近づくにつれ、どうも王家は本気らしいと気付くありさまだった。


 この国には王子が2人いた。第1王子のアルベルトは陽気で活発、体も大きくスポーツも万能だった。それに比べて第2王子のチャールズは幼いころから病弱なため人前にでることもほとんどなかった。この第2王子が今年でちょうど17歳になる。


 (チャールズ王子は実は双子でもう一人が王女だった?)(王とほかの女性との間にできた子では?)(チャールズ王子が実は王女だった?)人々はさまざまに想像を膨らませた。ほとんどの人がチャールズ王子をろくに見たこともないのだから、際限なく想像は膨らんだ。


 白蓮はハラドでもっとも美しい花とされ、王女はその象徴的な存在だった。「白蓮の儀」は王女が17歳になる誕生日に開かれる。美しく成長した王女のお披露目を兼ねた式典で王女は計2回ドレスを着替える。まずはハラドの紋章の右側の背景色の赤のドレスをまとい、次に紋章の左側の背景色の青のドレスに着替え、最後に紋章の真ん中に描かれている白蓮を思わせる純白のドレスを披露する。


 「白蓮の儀」についてはもちろん誰も経験した者がいないので、すべてハラドの歴史書を紐といて準備が進められた。国中の識者が集められ、王宮の書庫から古い資料を引っ張り出しては日々頭を突き合わせて、式典の進行、当日の王女、国王夫妻の衣装、祝宴に出される料理から祝宴の際の出席者の座席に至るまで事細かな検討が加えられた。


 当日は王宮の中庭までがハラドの民に開放され、広い王宮も人、人、人でごった返した。普段はガランとした王宮がそれこそ足の踏み場もない様子だった。王女がいないのに王女を祝う祝宴というのはよくわからなかったが、人々にとってはどうでもいいことだった。爪に火をともすような普段の生活を一時忘れて、初めて王宮に入るのは、庶民にとってまさにお祭りだった。出入りを許された商人たちはそこここに店を出しては、今こそ書き入れ時とばかりに張り切っている。


 大広間では華やかな祝宴の真最中だった。国を挙げての式典とあって、会場内にはいくつもの円卓が置かれ、国中から集まった貴族と色とりどりの衣装に身を包んだ婦人たちであふれんばかりだった。夏の熱気と人いきれで場内はむせかえりそうだ。国王夫妻の席の両側には隣国ラビスとジランからも王の名代として、それぞれの王子が顔を見せていた。2人とも先ほどから従者に何やら盛んに話しかけている。


 王女は2つの衣装を着終え、純白のドレスを残すのみとなった。すでに王女は会場内にその姿を現しているものの、会場内の疑問は深まるばかりだった。だれもその顔に心当たりがないのである。王妃に似ていないから別の女性が生んだと言う者、チャールズ王子と顔が似ているから双子の妹だと言う者、これまで表に出てこなかった第三子だと言う者、結局は王女の顔を見ても疑問は何一つ解決しなかった。チャールズ王子は会場内にはいなかったが、ここ数年は全く人々の前に現れなかったことを思うと、それも不思議なことではなかった。王や王妃も何一つ説明しようとせず、首をかしげる人々を満足げに眺めるのだった。ただ、場内の誰もが王女がもつ立居振舞の美しさと何気ない仕草のしなやかさに心惹かれていた。


 王女が最後の着替えを終え、場内に入ってきた。王と王妃は会場の一番奥に立ち上がってこれを迎えた。人々はまるで申し合わせたように談笑をやめ、自然と王女に視線を移した。まだ少女の面影を残しながらも、純白のドレスに身を包んだ王女は柔らかい物腰の中にも何かしらおかしがたい雰囲気を身にまとっていた。背筋をすっと伸ばし、花のような笑顔をたたえながら、円卓の間を縫うようにして、ゆっくりと王の元へと歩んでいく。王女の身のこなし一つ一つに会場が注目した。王の横にたどり着くと、くるりと体を反転させ会場に向かって頭を下げた。すると満を持して王が話を始めた。


 「皆も知っているように、ハラドの王家にはこれまで王女は生まれてこなかった。不思議に思ったものもあろう。なぜ、王家には女が生まれてこないのかと。

 幼いころ、聞いたこともあろう。この世の破滅を齎す怪物とその贄となる王女の話を。皆はどう聞いただろうか。この世にも恐ろしいおとぎ話を。しかし、これはおとぎ話ではない。すべて事実に基づいた話なのだ。

 その昔、この世の破滅を齎す怪物がおった。怪物の力はすさまじく、破壊の限りを尽くした。この世はまさに風前の灯だった。そんな中、円卓の賢者たちと各国の王は団結して怪物にあたった。我が国の王はその中心となって、死闘の末、ついにこれを倒した。

 しかし、怪物がこと切れようとしたまさにそのとき、そのうらみを子孫に晴らさせるため幾つかの卵を産んだ。そして、怪物が成長していった際、最後にハラドの王女を食らわねば成体になれぬように自らの卵にまじないをかけた。卵のいくつかは川に流され、いくつかは地中深くにうもれて行った。

 その当時、わが国王には最愛の王女がいた。卵から孵った怪物は我が国の王女を食らわねば、成体になれぬ。断末魔の怪物が、我が国王に地獄を味わわせるためにとった最後の手段だった。

 国王はこのことに関して箝口令を敷いた。何があっても決して口外してはならぬと。しかし、人の口に戸は立てられぬもの。そのことは時を経ずして王女の耳に入った。すると王女は迷うことなくすぐさま自らの命を絶った。自分がいなければ、怪物は成長できないのならば、自分がいなくなればいい。もう、同じ苦しみを人々に与えたくないと…。

 王の胸は張り裂けんばかりだった。来る日も来る日も嘆き、悲しんでいる王はみるみるうちに痩せて行った。数か月後、たくましかった王の体はもはや見る影もなくなり、老人の様相を呈していた。それでも悲しみは癒されることはなかった。そして最後まで深い悲しみを抱いたまま、やせ衰え、遂には息絶えた。

 これまで我国に王女が生まれなかったのは哀れに思った五賢者様が同じ悲劇を防ぐため、我が王家に王女が生まれないよう、かけてくださったまじないによるものである。それ以来、数千年もの間わが王族に生まれてくる子はすべて男の子であった。

 ところが17年前の今日、王女が生まれた。私と王妃は悩んだ。一時はわが子を手にかけることも考えた。間違っても我が王家から世界を滅ぼす種を蒔いてはならぬと。しかし、どうしてもわが子を手にかけることはできなかった。そこで一計を案じ、この子を王子として、アルベルトの弟として育てることにした。そのため、不憫とは思いながらもできるだけ人目をさけるように育てなければならなかった。当然のことながら成長するにつれ、王子は女らしくなっていった。それでも男として育てなければならない。王女にとってはなによりつらいことであったことと思う。

 しかし、ある時我らは思い至ったのだ。人外の者による事件は先の大戦以来500年起こっていない。もう、人に仇なす者たちはいなくなったのだ。わが王家に王女が生まれたことが何よりの証拠ではないかと。そこで私と王妃はこれまで王子として育てることに何一つ愚痴もこぼさずいてくれた王女のため、罪滅ぼしの意味も込めて「白蓮の儀」を数千年ぶりに行うことにしたのだ。皆も一緒に祝ってもらいたい。チャールズ王子改め、キャサリン王女である。今日のような日を迎えられることを心から幸せに思う。呪われた時代は過ぎ去ったのだ」話し終わると会場は割れんばかりの拍手に包まれた。王の横でキャサリン王女が再度静かにお辞儀をした。


 ようやく謎が解けた会場は再び談笑が始まろうとしていた。一目王女を近くで見ようとこぞって王女の元へ多くの人々が集まった。これまで過ごした不遇の時や苦労の影はみじんも見られなかった。人前に出ることを許されなかった王女にとって、ほぼ全員が初めて話す人たちだった。それでも王女はひとりひとり丁寧に応じた。誰しもが王女との会話を楽しみ、王女自身も心から楽しんでいるように見えた。国王夫妻や兄のアルベルト王子はその様子を満足げに眺めていた。祝宴を行うまでは国王も王妃も不安がなくはなかったが、今では心から行ってよかったと思えた。


 「陛下、このような祝宴にご招待いただき、ありがとうございます。これまでの苦労の影を露ほども見せないキャサリン王女には感じ入りましてございます。これからも隣国同士、我がジランも貴国と共に歩んでまいる所存でございます」


 「我がラビスも隣国として共に助けあい、ゆくゆくは親戚同様のお付き合いを願いたいと存じます」2人の王子が我先にと国王と王妃に話しかけた。会場を包む熱気のせいか、2人とも頬が上気している。「我がハラドは小国なれば、両国のお力添えをいただければこの上もなく心強く感じますぞ」国王と王妃は心の底から幸せを感じていた。もう、我らを脅かすものはいない。王女はこれから女性として、自分たちの娘として幸せに生きていくのだ。「白蓮の儀」は大盛況のうちに終わりを迎えようとしていた。そのときだった。


 「…笑わせるな」談笑を楽しむ人々の耳に陰鬱な声が聞こえてきた。一瞬、談笑が止まった。

 「…まだ、我らは朽ち果ててはおらぬ…」声には身震いするような薄気味悪さがあった。心の芯まで凍らせてしまうような低い声。たちまち、あちこちから黄色い悲鳴が上がった。


 声の主は王のすぐ後ろについていた侍従だった。長年、誠心誠意仕えてきた男の様子は明らかにいつもと違っていた。何かに操られるようにただ口をパクパクさせている。顔色はどす黒く、普通の人間のものではなかった。白目をむきながら話している。人知の及ばぬ悪しき者の意志が侍従の口を通して語られている。話はつづいた。低音でじっとりと絡み付くように。


 「…よくぞ、我らを長い間たばかった。しかし、所詮は人間の浅はかさよ。無謀にもこのようなことをしでかすとは。よかろう。お主たちの愛してやまない王女をわが魔獣テュポンの贄としてくれよう。楽しみにしておれ。くっくっくっくっ…」笑い声は長い余韻を残しながら消えて行った。


 (…セオドア、一体何があったのだ)王は青い顔をしてまじろぎもせず、もう、30年も仕えているその侍従の豹変ぶりに目を瞠った。

 悪魔のような声で話し続けていた侍従はその場に倒れていた。同時に王の横で話を聞いていた王妃も崩れるようにその場に倒れこんだ。数人の召使いによってすぐに王妃は部屋に連れて行かれた。


 凍りつくような恐怖が会場を包んだ。人々の耳にはいつまでもあの黒い笑い声がこびりついて離れなかった。婦人たちは皆色を失い、倒れる者が少なくなかった。会場は大混乱に陥っていた。


 王は倒れている侍従を憎悪の目でにらんだ。倒れている侍従は話していた時とは打って変わってどこから見ても普通の人間に見えた。それでも王の失望や怒りを鎮めるのにはまったく役に立たなかった。


 「…王女や我らがこの日をどんなに心待ちにしていたことか…」王の目には涙が滲んでいた。怒りに震えた手で侍従を指さして声を震わせて言った。「セオドアを連れ出し、即刻、首を刎ねよ」すぐに数人の男たちが侍従を運び出すべく駆け寄った。するとそれまで王の後ろでうなだれていた王女がすがるようにして話しかけた。


 「お願いでございます。セオドアは操られていたのです。それで命を奪うなど…可愛そうです」王女の指は小刻みに震えている。

 「そなたが一番怖かったであろうに…。震えておるではないか…」自分の身を顧みることなく、懸命に侍従の身の上のみを案じている王女をこの上なくいとおしく感じた。しかし、王女のおびえ切った姿は人外の者に対する怒りをふつふつとたぎらせるだけだった。


 「操られていたからと言って許すわけには行かぬ。早くセオドアを連れ出せ」怒りのままに大声を張り上げた。それまで倒れている侍従のそばで様子を伺っていた男たちがあわただしく動き出した。


 「どうか、御慈悲を…。私のために誰かが命を奪われるなど、考えられません」消え入りそうな声で王女が訴えた。しかし、その目は見ている者の気持ちを揺さぶる一途な思いに溢れていた。


 「…王女」王は王女の手を握った。その震える手を温めるように。

 「お前たち、もういい…」王は侍従を担いで出入口へ向かっていた男たちに声をかけた。

 「お前には負けたよ…。わかった、首を刎ねることはやめにしよう。でも、このまま捨て置くわけには行かんぞ。とりあえずは、地下牢へ連れて行くことにしよう」


 「何卒、寛大なご処置を…」そこまで言うと、王妃同様崩れ落ちるようにその場に倒れてしまった。

 「…心優しい王女よ、わが娘よ」運び出される王女を目で追いながら、王は誓うのだった。「どんなことをしても、お主を決して怪物の贄などにはさせぬぞ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ