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バリスタ

 ジロンの村に来て五日目の朝を迎えていた。平穏な日々はカインをご機嫌にし、バラキを不機嫌にした。


 クシマは部屋の窓から空を見ていた。雲はどんよりと低く垂れこめ、何重にも重なって、見ている者を憂鬱な気分にさせた。雨をはらんだ分厚い雲は黒々と広がり、不吉なできごとを暗示しているかのようだった。


 (いやな空じゃ)窓際に立ってクシマは空を見ていた。そしてゆっくりと目を閉じて、いつものように村の周りの気配を探ってみた。すぐにクシマの眉がピクンと揺れた。禍々しい気配を感じているのは明らかだった。

 でも、感じられるのはこれまでに行われた怪物たちの痕跡ばかりで、禍々しい者の新たな気配は感じられなかった。(また今日も来ないのであろうか…)目の前に幾重にも重なった鉛色の雲を眺めながらクシマは小さなため息をついた。


 残念ながらクシマの予想は当たらなかった。事件は朝食の際に起こった。3人はいつものようにスオウを初め、数人の村人とテーブルを囲んだ。野菜を中心とした料理とパンとスープが並んでいた。


 「また、野菜が出てますね。でも、これがおいしいんだな。みんなここの野菜みたいだったら、生野菜だってたくさん食べるんだけど…」普段はそんなにしゃべらないカインだったが、食事の前はいつも口数が多くなる。満足な食事はカインにとって一番幸せな時間だ。


 「では、いただきましょうか、クシマ」カインはもうニコニコ顔だ。

 「待て」クシマが言った。

 「どうしたん…」

 「シッ」話しかけようとするカインをクシマが制した。そして再び窓際に走り寄ると、目を閉じて意識を村の周りに集中した。クシマが何を探ろうとしているのか、そこにいる全員が理解した。一同に緊張が走る。


 「来たのか」バラキが目を輝かせた。

 「来た、墓地の裏の森からじゃ」言うなりクシマは外へと飛び出した。バラキが後に続いた。

 「奴らが来たぞ。墓地の方だ」村人たちは飛び出すと同時に大声でトロールたちの襲来を叫んだ。今村長宅にいる村人数人もただちに集会所へ避難を始めた。蜘蛛の子を散らしたように朝食場所から人がいなくなった。


 「もう、なんだってこんな時に」カインはあきらめきれずにまだテーブルに座っている。

 「何をしている。早くせんか」玄関からクシマの声が聞こえる。

 「はいはい、わかりました」ふてくされてカインが立ち上がった。「せめて後10分遅れてきてくれればいいのに」目の前の食事がお預けになって、カインの口からは不平が止まらない。


 クシマ、バラキ、カインの3人はまっすぐに墓地へ向かった。初めのうちこそ文句たらたらのカインだったが、墓地が近づくにつれ少しずつ口数が少なくなった。そして墓地を眼の前にする頃にはひと言も口を利かなくなった。

 墓地に着いた。幸い、動きの遅いトロールはまだ村までたどり着いていない。3人は墓地を背に森の暗闇に目を向けた。森はまだ不気味に静まり返っている。


 クシマたちとは別にあわてて動き回る男たちがいた。カッサを中心とした村の男たちだ。予てから打ち合わせていた通り、怪物を迎えるべく各々が忙しく立ち回り始めた。


 カッサとカズサとムサシはわき目も振らず、カズサの家畜小屋へと急いだ。カズサの家は墓地から近い上、集会場やスオウの家から死角になることもあって、秘密の物を隠すにはうってつけだった。3人の中心人物のほかにもカッサたちの考えに賛同する若者は10人を下らなかった。一同は息を切らせながらカズサの家畜小屋に集まっていた。羊たちはトロールが現れて以来、数箇所でまとめて世話をするようにしていたため、小屋はここ数日ガランとしていた。


 「い、いよいよだな」

 「あ、ああ」

 「や、やってやるさ」それぞれの手には鍬や鋤が握られている。薄暗い小屋の中はピンと張りつめた空気が漂っていた。どの顔も緊張で強張っている。落ち着かない連中を横目に見ながら、カッサが前に出て言った。


 「いよいよ、奴らが来る」一人一人の目をしっかりと見つめながらカッサが続けた。「クシマ様は我らに手を出すなと言ったが、それじゃ死んだ仲間も浮かばれまい」

 「当たり前だ」若いリーダーの発言に男たちの士気が上がる。


 「奴ら絶対許さねえ」

 「お前たちは、相当の覚悟をもってトロールと戦うことを決めた、そうだな」念を押すようにカッサが言った。

 「こんな命惜しかねえ」

 「仲間のかたきだ」

 「た、たとえ、死んじまっても、その前に一撃くらわせてやる」口々に勇ましい言葉が出てきた。悲壮感漂うその言葉にはトロールへの憎しみと恐怖が入り混じっていた。カッサはその様子をただ黙って聞いていた。


 「お前たちの気持ちはよくわかった」しばらくしてカッサが言った。怪物相手に玉砕してでも一矢報いるということで、男たちの身持ちは一致していると誰もが思った。「だが、俺は死なん」カッサが言った。

 「えっ」一瞬、男たちは言葉に詰まった。当然、カッサからは誰よりも勇ましい死を覚悟した言葉が語られるはずだった。命がけの戦いを前に、みんなの気持ちを奮い立たせるような言葉を期待していた。「カッサ、どういうことだ」


 「そのまんまの意味だ」

 「ここまで来て、奴らとは戦わないつもりか」男たちは色をなして言った。言葉には非難の色が混じっている。

 「バカを言うな」カッサは小さく笑った。

 「クシマ様の力を借りるのか」

 「クシマ様は俺たちに戦うなって言ってる。それは無理だ」

 「なら、どうやって。奴らは化けもんだぞ」小さい声で呟くように続けた。「こんなこと言いたかねえが、一矢報いるのが関の山だ。倒すのは難しい」


 「倒せるさ」と言うとカッサはいきなり外に向かって歩き始めた。カズサとムサシがそのあとを追った。ほかの連中はわけもわからず黙って3人の後について行った。

 カッサは小屋の壁を背にして立っていた。その脇には布をかぶせた巨大な物体が置かれている。幅は3メートル、平屋の小屋の屋根まで届かんばかりに聳えている。農具にしては大きすぎる。いずれにしても見慣れたものではない。


 「こ、こりゃ一体なんだ」男たちは見上げるようにして口々に言った。カッサはポンポンとその物を叩きながら、口元に小さな笑みを浮かべた。

 そして「俺だって伊達に村を留守にしていたわけじゃない」と言うとおもむろにその布の端をつかんだ。


 「死ぬのは奴らだけだ」そのまま一気に布を取り払った。ふわりと空気をはらんだ布がゆっくりと男たちの目の前に落ちていった。中から現れた物を見て、男たちは言葉を失っている。現れたのは明らかに場違いな物だった。

 それは黒く塗られた巨大な弓矢とそれを発射するための装置だった。太い木材でできた土台が弓矢を支えている。堅牢な土台には木製の分厚い車輪が4つ付いている。真ん中に太くて長い槍のような矢が番えてある。角度のついた発射台からは冷たい光を宿した矢じりが天を貫くように、はみ出している。ジロンのような農村には決して似つかわしくない物騒な代物だ。


 「攻城用のバリスタだ」カッサが言った。

 「…で、でけえ」その正体を知らされていなかった男たちは、眼の前に突然現れた巨大な物体に面食らっている。黒々としたその物体はその大きさといい形状といい、見るものに圧倒的な威圧感を与えた。ようやく一人の男が口を開いた。「一体どこでこんな物を…」


 しかし、この黒光りした巨大な物体が持つであろう威力がだんだんと理解されたのか、男たちの顔に期待の色が浮かんだ。

 「コイツァすげえ」

 「これなら奴を倒せるぞ」

 「やってやろうぜ」

 「これなら、どんな化けもんでもかなわねえ」男たちの顔にさっきまでの悲壮感はなかった。

 「矢は全部で5本ある。親父殿に内緒にしていた手前、お前たちにも秘密にしていたが、カズサたちとコイツの扱いは随分とやった。5匹来たら5匹とも倒してみせる」カッサが言った。


 「4人には矢を運んでもらう、落とすなよ」カズサが言った。そして脇に立てかけてあった4本の矢が男たちに手渡された。身長よりもはるかに長い。

 矢を手にした男は想像以上の重さにバランスを崩した。「重てえな、コイツは」男が嬉しそうに言った。「こんな馬鹿でかい矢が飛んできちゃ、奴らもおしまいだ」

 「ようやく…ようやく、倒せるんだな」涙ぐむ男の肩をムサシがポンと叩いた。「泣くのは奴らを倒してからにしよう」


 「よし、行くぞ。俺たちが行く前にクシマが全部退治してしまっちゃ、亡くなった連中に顔向けができない」カッサの声を合図に男たちは揚々と墓地へと急いだ。


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