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赤龍の涙

 ゴドラの一件があってからおよそ三日間が過ぎた。あれ以来ゴドらは現れていない。しかし、相変わらず皆の口数は少なく、どことなく重たい雰囲気が漂っていた。エレナも浮かない表情を浮かべることが多かった。それでもラーガが子供なりに気を使って花を見つけては花を贈り、きれいな石を拾ってはプレゼントをしたこともあって、少しずつ元気を取り戻した。ナーガは弟の意外な一面を見て驚いていた。


 今日からはいよいよ難所の山越えだ。道がちゃんとあるかどうかもわからない状況で、暗い中での移動は危険なため、一行はいつもより少し時間を遅らせて出立した。ハリマが予想した通り、人通りが長い間なかったこともあって、山道は苦難の連続だった。ところどころに存在感のある岩が剥き出しになり、場所によっては道の途中で突然大きな窪みが現れた。道の両側はあちこちで枝が張り出して、思った以上に道が狭くなっている。道らしい道がなくなっている個所も少なくなかった。地面からはいかつい木々の根が顔を出してでこぼこになっていた。うっかりすると馬が根を踏みつけ足を滑らせてしまう。


 「やれやれ、こちらにゴドラが出るとわかっておれば、わざわざこの道を来ることもなかったろうに…」エンユウがぼやくように言った。でも足元にうねっている巨大な根っこを目にすると付け足すように「しかし、この道では奴らの馬はそうそう追いつけんじゃろう。ラジル馬さまさまじゃ」と言った。


 「ゴドラがこちらに出たとなると、ジロンはどうなってるんでしょう」ハリマが言った。

 「さあ、クシマもそろそろ連絡をくれてもいい頃じゃが…」エンユウは空を見上げた。枝越しに見える空には雲ひとつ漂っていない。

 暑い盛りの移動は避けていたとは言え、馬に揺られての二週間は確実に一行の体力を奪っていた。特に細いエレナとエイレンの体力が心配された。しかし、ゴドラやゴブリンまでが現れているとなると、ジュレス行きも時間をかけてはいられない。ハリマはエレナたちの体力とジュレスの行程を天秤にかけながら、難しい判断を迫られていた。


 木々がまばらになってきた。道は通りやすくなったが、頭上から照らす太陽を遮るものが少なくなってきた。すっかり日も上り、今日の暑さを予感させる日差しが降り注いでいる。暑いさなかの移動に慣れていない一行にとっては厳しい行程だ。


 「あまり暑くなってくれるなよ」エンユウが手をかざして空を見上げた。何者に邪魔されることもなく、我が物顔で太陽が青い空に浮かんでいる。


 エンユウの思いとは裏腹に時が経つにつれて気温はだんだんと高くなってきた。ギラギラとした太陽が容赦なく照りつける。まるでさっきのエンユウの言葉を聞いた太陽が意地悪をしているかのような日差しだ。足場の悪い山道を暗くなって移動したくないため、日差しの強い日中にも移動をしている一行だが、今は休むにしても日光を遮るものがほとんどないため、どちらにしても進むしかなかった。地面からはゆらゆらと陽炎が立ち上っている。風はそよとも動かず、じとっとした汗が馬の背に垂れた。


 「エレナ殿たちは大丈夫か」エンユウが振り向きながら言った。視線の先には心持ち頬を上気させたエレナたちがいる。無言で馬を進めるエレナたちはやはり少しつらそうに見える。特にエレナは元気がないように見えた。


 「厳しいでしょうね」ハリマがただひと言言った。

 「随分と冷たいものいいじゃな」エンユウはあまりにあっさりしたハリマの答えに文句を言うように口をとがらせている。

 「しかし、もう赤龍の涙ですから」言い訳をするようにハリマが言った。

 「そうか、そうだったな。その先には泉があるという寸法か」エンユウがパンと膝を叩いた。


 「赤龍の涙で涼がとれるでしょうし、もし風向きが悪くても泉があります」

 「やれやれ、これで一安心じゃ」


 程なくして、山道は右方向に大きく迂回を始めた。崖に沿った山道と並行して左側に隣の山の巨大な岩壁が現れた。岸壁はどこまでも高く、天に向かって伸びている。数百メートル離れてはいても、こちらに迫ってくるような迫力があった。


 「おお…」示し合わせたように一行は同じような声を上げた。褐色の岩肌を下からこんもりとした深い緑が覆っている。その周りを薄い雲がへばりつくように漂っていた。少し先に目を向けると壁面から細い滝が流れているのが見える。滝のところどころに雲がかかって、より幻想的な雰囲気を醸し出している。


 首を傾けて頂上を見ているとなんだかクラクラして、後ろに倒れてしまうような錯覚に襲われた。空に向かって伸びる頂きはこちら側に反っているように見える。しかも馬を進めるにつれて岸壁はどんどん高くなっていった。


 「この壁面のなんと巨大なことか。見てるとなんだか背筋が寒くなってくるわい」何度もこの光景を見ているエンユウだったが、まるで初めて見るかのように興奮している。


 視線を岩壁に向けたまま、エンユウは再びゆっくりと馬を進めた。滝は幾本も流れていた。はるか上空から地上に向かって降っている。一行の鼻を涼やかな匂いがかすめた。滝が巻き起こす水蒸気に鮮やかな虹がかかっている。もうもうと立ち上る水しぶきにかかる色とりどりの光の輪に一行は馬を降りた。


 「エレナ様、すごくきれいだよ」いつの間にかエレナの元へ来ていたラーガが言った。「ほんと、きれい…」エレナがぼうっとして言った。白い頬が火照って、ほんのりと赤みを帯びている。

 「もう少しで泉があるらしいよ。だから元気を出して」ラーガはちゃっかりとハリマたちが話していたことをエレナに伝えた。

 エレナはニコリと笑うと「ありがとう、やさしいのね」と言った。

 「そんなことはないけど…」ラーガは顔を赤くして恥ずかしそうに頭を掻いた。エイレンはそんなラーガを見てニコリと笑った。

 

 5分ほど進むと岸壁を縦に分断するように赤い帯が見えてきた。褐色とは違う血のような赤だった。その真ん中を白い滝が流れている。上空から流れ落ちる細い水の流れは下に行くにしたがって放射状に広がり、もうもうとした水煙を上げている。どの滝よりも高く、どの滝より迫力がある。一行は再び馬を降りた。


 「ゴシマよ、あの滝の名を知っとるか」エンユウが言った。

 「あの赤い滝のことですか」

 「そうじゃ、わかるか」

 真面目なゴシマはまるで人生の一大事件に遭遇したかのように真剣に悩み始めた。眉間にシワを寄せては、滝に視線を投げ、しきりに首をかしげている。エンユウは考え込んでいるゴシマを見ながらどこかしら楽しそうだ。


 「見当がつきません。申し訳ございません」しばらく考えた後にゴシマが言った。

 「もう降参か。シュノンの市場でもヒントはあったぞ」

 「…シュノンですか」

 「そうじゃ、何を見たかよく思い出してみい」

 ヒントをもらったゴシマはさらに悩み始めた。そして今一度左に連なる岸壁をみはるかした。そして一生懸命にシュノンの市場でのことを思い出した。


 ゴシマは太い眉毛を寄せ、眉間に深いシワを刻んだ。一生懸命思い出そうとしているのか、目をつむり右手を頬についてウンウンうなっている。かと思うと手を左に変えてまたまたうなりだした。

 (ゴシマの奴、考えとる、考えとる)ゴシマの真剣と言うより深刻と言った方が似合うような表情を見て、エンユウはほくそ笑んだ。


 ゴシマの表情がさらに険しくなった。目はつり上がり鼻の穴は大きく膨らみ鼻息も荒い。こめかみには血管が浮き出て、何か怒っているようにも見える。あまりに大袈裟なその表情にエンユウの後ろから見ていたナーガは思わずプッと吹き出した。


 「おいおい、何もそこまで深刻に考えることはあるまい」と言いながらもエンユウはご機嫌な様子だ。そしてしばらくゴシマの表情を満喫した後、さも満足げな表情を浮かべながら言った。「どうやら降参のようじゃな。あの滝は…」

 「あれは赤龍の涙と言うんでさ」2人の会話に後ろから割り込むようにしてナーガが言った。「赤龍だけじゃねえんでさ。この世にゃ青龍や黄龍の涙ってのもあるんでさ」いよいよこれから答えを言おうとしたのに、ナーガに邪魔されてエンユウのこめかみがピクピク動いている。


 振り向きざまゴシマがナーガにこれ以上しゃべるなと目配せをしたが、そんなことが通じるナーガではない。ラーガもクリスの馬越しにやめさせようとナーガの脚をつついたが、ナーガはただうるさそうにその手を払いのけた。


 「青龍の涙はザビアに、黄龍の涙はシュロムにありまさ。だけど高低差はこの赤龍の涙が一番で、なんでも700メートルはあるってから驚くじゃありませんか」ナーガは一気にまくし立てるように言った。ゴシマは右手で顔を覆いながら天を仰いでいる。


 「なんじゃお主は」氷のような視線を浴びせてエンユウが言った。機嫌を損ねたエンユウはそのままエレナたちのもとへと歩いて行った。

 「お主はなんでそう余計なことをするのだ」ゴシマが言った。

 「えっえっ?」当のナーガは何で怒られたのかまったくわかってない。


 「ごらんなされ、あの赤い岩肌を流れている滝が通称赤龍の涙と呼ばれる大瀑布です」エンユウが言った。

 「赤龍の涙…」エレナは下から上へなぞるようにして見上げていった。そのとき、目の前を流れ落ちる巨大な滝から降ってきた霧状の水がエレナの顔をなでた。エレナは長いまつげを折りたたむように伏せた。目を閉じたまま、つかの間の涼しさに浸っている。そしてゆっくりと目を開けると、再び滝に視線を戻して言った。「本当に赤いのですね」


 「そうですな。あの赤い岩肌を赤龍に見たて、流れる水を涙に見たて、そのような呼び名がついたのでしょう」

 「ありがとうございます。おかげで随分と楽になりました」 

 「さあ、出発しましょう。直に冷たい泉があるはずです。そこまでの辛抱です」ハリマが言うとちょっとした歓声が上がった。そしてあちこちでグビリとのどを鳴らす音が聞こえた。


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