リル少年の秘密
3人には二階の一番上等な部屋が与えられた。これもクシマが断ったが、スオウが言うことを聞かなかった。入って左側にカイン用に特大のベッド、右側にバラキ用の普通サイズのベッドが置かれている。その間にクシマ用の小さなベッドが運ばれた。クシマのベッドの奥に丸テーブルと背もたれつきの椅子が4脚置かれている。どれも質素だが、しっかりとした造りだ。
「お主たち、話がある」テーブルの椅子に浅く腰をかけたクシマが声をかけた。2人はそれぞれのベッドでくつろいでいる。
「どうしたい、爺さん改まって。怪物倒しの打ち合わせか」クシマの目の前の席に座ってバラキが言った。それを見たカインはしぶしぶベッドから這い出てきた。
「そうじゃ、何せお主たちもトロールと交えるのは初めてなのだから」
「それで、俺たちはどうしたらいいんだ」まるで遊びにでも行くような気軽さでバラキが聞いた。その横でカインは人一倍大きな体を窮屈な椅子に預けて縮こまっている。時折不安げな視線をクシマに送っている。
「トロールは基本的にはワシが何とかする。お主たちはアーグと万が一トロールが村に入ってしまった場合、何とかそれを阻止してほしい」
「ちょっと待てよ、爺さんに怪物どもを全部任せろってのか」テーブルに乗り出すようにしてバラキが言った。
「奴らは武器で倒すことは難しい。だから操って同士討ちを狙う。トロールは誘導の魔法にかかりづらいが、まぁなんとかなるじゃろう。しかし、6匹となるとすべて操れるかわからん。だからもし村に入っていくトロールがいれば、なんとかそれを止めてほしい。自分のほうに注意を向けて、少し時間を稼いでほしいんじゃ」
「そんな回りくどいことしなくても、倒しちまえばいいだろうが」
「そう簡単にはいかん。さっきも言ったが、これまでも錚々たる剣士たちがトロールに向かっていったが、多くは返り討ちにあっている」
「だからなんだ。俺は一度も戦ってない」バラキにとっては、誰が挑んで敗れたかなんということはまったく問題ではない。自分はまだ戦っていない、それがすべてだった。
「ふむ」と言うとクシマはどっかりと深く腰をかけなおした。そしてゆっくりと続けた。「奴らと戦って勝てる見込みはあるのか。第一お主はトロール自体見たこともあるまい」
「見たことはないが、勝てるさ」
「どうやって」
「どうやっても何も、あいつでぶっ倒す」バラキは自分のベッドの下に横たわっている剣を指差して言った。まるで小さな子供が言うような感情そのままの言葉だった。
「お主話を聞いてなかったのか。だからそれは難しいと言っておる」
「どうして」
「これまで錚々たる剣士たちが返り討ちにあっていると言ったろうが」
「だから、なんだ」
「倒すのは無理ということじゃ」
「そっちこそ話を聞いてなかったのか」バラキは鼻で笑うようにして言った。
「何がじゃ」
「その中に俺は入っていなかった」
これを聞いたクシマは思わず笑ってしまった。「クックック、…お主という男は…」
「な、何がおかしいんだ」まじめに言ったことがクシマに笑われバラキは赤くなっている。
「いや、すまんすまん」クシマは小さな咳払いをすると改めて言った。「わかった。お主はトロールと戦うがいい。しかし、まずはアーグどもを倒してからじゃ。それとトロール相手に無理はするな。皆奴らの姿を見ると、その恐ろしさに固まってしまう。それに奴らの攻撃はかすっただけで命取りになる。こちらの武器は通用しない。それで倒せると言うのか」
「まあ、なんとかしてみせらあ」何の根拠もない言葉だったが、不思議な説得力があった。クシマは倒せないと言っている一方でこの赤毛の若者に期待している自分に気づき、驚いていた。(一体この自信はどこから来るのか。しかし、話を聞いているとなぜかそのとおりになるように感じるから不思議じゃ)
「お主に戦うなと言っても言うことは聞くまい。だが、絶対に無理はするな。幸い奴らは動きが遅い。くれぐれも奴らの棍棒に気を付けることじゃ」
「決まりだ。で、アイツはどうすんだ」バラキはカインのベッドをあごでしゃくった。カインはいつの間にか自分のベッドに戻っていた。膝を抱えて、2人の話を聞いて青い顔をこちらに向けている。ひざを抱え、大きな体を小さくして上目遣いでオドオドと不安げな視線を投げている。
(まったく、この2人の両極端はどうにかならんものか…)カインの様子を見てクシマは小さなため息をついた。
「カイン、お主はもっと自信を持つことじゃ」
「自信って言ったって、僕…ありません」今にも泣き出しそうな幼い子供のようにカインが言った。
「お主はすごい力を持っている。文字通りの力じゃ。腕力でお主にかなうものはあるまい」
「でも、相手は怪物でしょう。そんなのには勝てません」
「なに、力は左程変わらんじゃろう。むしろお主の方が強いかもしれん。ただし、奴らに剣を振り回しても意味がない。剣では折れてしまう。お主にあった戦い方をすれば勝てるかもしれん。たとえば、それこそ奴らの持っている棍棒。それを奪うことができれば勝機を見いだせるかもしれん」
そのとき、扉がカチャリと小さな音を立てた。そのままゆっくりと動いて細い隙間を開けたままピタリと止まった。だれかがこっそりと中の様子を伺おうとしている。
気づいたバラキが足音を忍ばせ、そっと扉に近づいて行った。そして扉に手をかけるとグンと力強く引っ張った。小さな影が部屋の中に引きずり込まれた。
「だれだッ」バラキが声をかけた。すると、そこにはまだ10歳ぐらいの男の子が立っていた。
「なんだ、坊主。何の用だ」
「あ~あ、ばれちゃった」男の子は手を後ろに組んでニコニコ笑っている。真ん丸でぺちゃっとした鼻、細く下がった目、そばかすだらけの顔はいかにもやんちゃ坊主という感じだ。
「ばれちゃったじゃねえ。そこで何してる」まるで悪びれていない男の子に向かってバラキは少しきつい言い方をした。
「そんな言い方してると教えてあげないよ」男の子はツンとそっぽを向いた。
「教えるって何のことだ」
「いいことだよ。ちょっとごめんよ」そう言うと男の子はバラキの脇を通りぬけてちゃっかり部屋の中に入ってきた。
「おい、坊主。なんだ、そのいいことってのは」
「本物の大クシマだ」男の子はするするっとクシマの目の前まで進んで行くと目をキラキラ輝かせて言った。バラキの言うことなんてまったく耳に入っていない。
「こんなに遅くに…。親御さんがさぞ心配しているだろうに。お父さんたちは集会所にいるのかな」クシマが男の子にやさしく声をかけた。
「はい、集会所にいます」男の子は気をつけの姿勢で言った。
「おい、いいことってのは何だ」後ろからバラキが再び尋ねた。
「そんな言い方じゃあな、教えてあげられないかもなあ。どうしよっかなあ」男の子は後ろで手を組んで、体を左右に回転し始めた。クシマの時とは全然いい方が違う。そのとき扉をノックする音がした。
「いけね、カッサ様だ」男の子は急いでバラキの後ろに隠れた。
「どうぞ」クシマが答えた。
「失礼いたします」男の子の言うとおり、カッサが部屋に入ってきた。そしてすぐさまバラキの後ろの男の子を見つけた。
「まったく、しようのない奴だ。やはりここだったか」小さくため息をつくとあきれたように言った。「この子はリルと言いまして、先ほどのムサシの息子です。今、集会所ではこのムサシたち夫婦がリルがいなくなったと言って大騒ぎをしています。なにせ、こんな時ですから。ほら、こっちに来い」カッサはリルの手をつかみ、強引にバラキの後ろから引きずり出した。
「申し訳ございません、お疲れのところを。さぞ、ご迷惑だったでしょうに」カッサは深々と頭を下げた。リルはカッサに気付かれないようにクシマにウィンクをした。
「いや、迷惑と言うことはありませんが、親御さんがご心配しているかと気をもんでおりました」言いながらクシマもウィンクを返した。リルは大喜びだ。
「何を笑っている。お前も謝れ」リルはカッサに頭を無理矢理下げさせられた。
「今度はもっと早い時間においで」クシマが言った。
「いいの?」リルは大声で尋ねた。
「だめだ」クシマの代わりにカッサが答えた。「ほら、行くぞ。言っておくが、父さん母さんはすごく怒っているぞ」脅すように言うとリルを連れてサッサと部屋を出て行った。
「何だったんだ、あの坊主は。いいことって何なんだ、気になるじゃねえか、なあ、カイン」カインの方を振り向くと、特大のベッドから足をはみ出して気持ちよさそうに軽いいびきをかいている。
「いけね。急いで寝ないと寝そびれるぞ」バラキは耳栓を耳につめ、大急ぎで横になった。