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ジロンの村で

 翌日には長く鬱蒼とした森を抜け、山間の道へとたどり着いた。これで小さな山を越えればジロンの村が見えてくる。頭上を覆っていたおびただしい木の葉がなくなり、明るい道にでたことで、気分も随分軽くなっていた。特にカインは鼻歌を歌いながら、疲れも見せずに歩いている。


 「クシマ、本当に気持ちがいいですね」

 「今日は随分と御機嫌じゃな、カイン。昨日はあまり眠れなかったようじゃが」カインのすぐ後ろでクシマが言った。

 「昨日はなんか薄気味悪くて。でも今日は昨日までの薄暗い森の中とは大違いですよ。本当にいい気持ちだ」カインは大きく伸びをした。


 山道へ入った。もうすぐジロンの村が見える。カインは相変わらず、先頭を鼻歌まじりで歩いている。

 「なんなんだ、あの元気は」ウンザリしながらバラキが言った。

 「そうじゃな。村に着いたら人外退治が待っとると言うに」クシマもなんであんなにカインが元気なのかよくわかっていない。


 「アイツが人外と戦うことを楽しみにしてるとは思えねえ」クシマたちの話し声が聞こえたか、カインが突然クルリと振り返った。

 「クシマ、ジロンで人外を退治したら、やはり、あれでしょうね」

 「あれとはなんじゃ」

 「お礼として食べきれないほどの御馳走が出るんでしょうね」

 「なあるほど、そういうことか。単純な野郎だ」バラキがあきれ顔で言った。


 「楽しみにしているところ悪いが、ジロンは本当に貧しい村なんじゃ。退治をしたらさっさと帰らにゃならん」

 「えっ、そうなの」途端にカインの顔が曇った。

 「それこそ、爪に火をともすようなつつましやかな生活を村民全員で送っておる。間違っても御馳走を要求するようなことがあってはならん」

 「でも御馳走と言わないまでも食事ぐらいは食べて帰りますよね」カインは一生懸命訴えた。

 「いいや、われわれにふるまわれる分はもともとはだれかが食べるべき分じゃろう。われらが食べなければその者が食べることができる。じゃから、仮に食事が出されたとしても食わんで帰ろう」

 「そ、そんなあ」

 「そんなにがっかりするな、もう着くぞ。ここから少し急な坂になるが、ここを登ればすぐに村が見えるはずじゃ」

 「ほら、行くぞ」バラキがガッカリとその場に立ちすくむカインの肩をたたいた。


 クシマの言うとおり、すぐに急な上り坂になった。しかしさっきまでとは打って変わって、カインの足取りが急に重くなっていた。一人大きく遅れていかにもしんどそうに上って行った。

 「ほらっ、頑張れ、もうすぐじゃ」クシマは坂を上りきって振り返って言った。


 坂を上りきると広大な景色が広がった。左手前のシトンからラジルを抜けて右奥のシュロムに向かってなだらかなリリス山脈が延々と走っている。足元には薄緑色の平野が広がっていて、ジロンの村は山を降りた手前にあった。村に沿うようにオツ川が緩やかに蛇行しながら細く流れている。山道はくねくねと降りて行ってこんもりとした木々の中に消えた後、麓で再び現れ、村まで続いていた。おもちゃのよう家がこちゃこちゃ並んでいる村の周りを鬱蒼とした森が囲んでいる。


 「なんだ、結構でかい村じゃねえか」すぐうしろに続いていたバラキが言った。「あれだろ、ジロンて村は」

 「……ふむ」

 「どうしたんだ、爺さん?」

 「いや、お主の言うように随分と変わっておる。あの貧しくて小さかった村が…」

 「そりゃよかったじゃねえか」

 「豊かになるのはいいことじゃが…ここまで変わるものか」

 「500年も前のことなんだろ。変わってても不思議はねえよ」

 「ふむ、とにかく行くとしよう」そう言うとくねった山道を村に向かって降りて行った。


 村が近くになってくるにつれ、空気が変わってくるのがバラキたちにもわかった。日差しは強くなり、気温はかなり高いはずだが、不思議なことに3人とも汗ひとつかいていない。バラキにいたっては鳥肌まで立っている。


 「たしかに感じるぜ、コイツが爺さんの言う禍々しい気ってやつだな」泡立つ肌を見ながら、うれしそうにバラキが言った。

 「た、たしかに今にもなんか出そうだね」カインはビクビクしながらバラキの後についている。


 間もなくジロンの村に着いた。藁葺、瓦葺の屋根に漆喰の壁の家屋が村を走る小道に沿って並んでいる。四角い窓と屋根から生えたようなオレンジの煙突はクシマが見ていた村の景色とは全く違ったものだった。当時の家屋は陥没しかかった屋根が土壁の低い家屋に乗っかっていて、今にも崩れ落ちそうに見えた。暗い屋内の湿った空気の中で爪に火をともすようなぎりぎりの生活を送っていた。


 視界に映る家屋はどれもこじんまりと整っていて、決して贅沢な造りではないが、一定程度の生活の豊かさが見て取れた。以前の村との変わりようにクシマは少なからず驚いている。


 足元の土をひとつつまんだ。そして手の中でポロポロと崩してみた。乾燥してパサパサな土は一部が固まって、いつまでも手の中に残った。決して豊かな土地とは言えない。クシマはひとり首をかしげた。


 3人はゆっくりと歩を進めた。屋根のすぐ下の丸窓は枠を違った色の煉瓦で彩り、四角い窓からは緑のカーテンが覗いた。漆喰の壁とオレンジの屋根、窓辺を彩る花々、村の豊かさはいろんなところで目についた。しかし、村を歩いて行く中で気づいたのはそれだけではなかった。


 「爺さん」バラキが言った。

 「ああ、そうじゃな」

 「どうしたんだ、この村」

 「わからん」


 村には人の気配が全く感じられなかった。人間はおろか、牛や羊などの家畜の姿すら見えない。生き物の気配が全くしないのだ。どこもかしこもひっそりと静まり返っている。変わりないのは容赦なく照りつける太陽だけだった。


 「人っ子ひとりいねえじゃねえか」キョロキョロと首を巡らせながらバラキが言った。

 「やはり、みんな人外にやられちゃったんでしょうか」カインが尋ねた。

 「これだけではなんとも言えん。とりあえずひと通り回ってみるとしよう」


 まず、村の中を隈なく回ることにした。回り損ねることがないよう、分かれ道にぶつかったときは、初めに一番右の道を選び、突き当りで先に進めないときは分かれ道まで戻って、次の道を進んだ。しかし、何も不審なところは見つからない。ただ人がいないだけなのだ。


 「ちょっと家の中の様子を見てみるか」そういうとクシマは一番近い家屋に向かって歩いて行った。家屋の脇には農具が無造作に立て掛けられている。さまざまな大きさの窓には、すべてガラスがはめられている。貧しい生活を送っていてはできることではなかった。アーチ型の大きな木の扉をたたいて、大声で叫んだ。「すまんが、どなたかおいでにならんか」


 返事がないのを確かめて、もう一度叫んでみたが、やはり返事がない。扉をそっと押してみた。開く。カギはかかっていない。

 「お邪魔するよ」誰に言うでもなく口に出した。そしてゆっくりと中に入っていった。閉めっぱなしの室内はむっとした空気に満ちていた。正面には大きな暖炉が設えられ、左の壁には大きな木製の作業台が置いてある。上には木槌と鑿と木片が転がっていた。木片の下には木屑がそのままの状態で散らばっている。たった今までここで木を削っていたかのような生々しさがあった。クシマは鑿の刃先に顔を近づけ、指でなでると「今しがたまでいたわけではなさそうじゃ」と言った。

 「どうしてわかる」バラキが言った。

 「刃先にほんの少しじゃが埃がついておる」

 「へえ、なるほどね」言いながら、バラキは隣の部屋に続く扉を開けた。扉の向こう側にベッド、その脇の壁に棚が設えられており、木製の食器が幾つか並べられていた。部屋の中央には小さなテーブルとイスが2脚あった。ベッドはきれいに整えられている。テーブルの上もきれいに片付いている。「こっちはまるで手がかりなしだ」バラキが言った。


 ほかにも屋根裏部屋とひと通り調べるものの、手掛かりは何も見つからなかった。その後も手当たり次第に家屋に入り、部屋中を見て回った。結局なにも見つからなかったが、ところどころさっきまで人がいたのではと思われるような家が見られた。


 「多分もう村を捨てて出て行っちゃったんですよ」カインが言った。大きな体全体から、もう帰りたい感がにじみ出ている。

 「わからん。まあ、今のところ、襲われた痕跡はないが…。とにかく急いで結論を出すのはよそう」


 村に入ってから一時間以上がたつが、まだ誰も見かけていないし、声すら聞いていない。村を捨てて出て行ったのか、もうすでに襲われて全滅したのか。1軒1軒細かく回っていても、手がかりすら見つからない。ただ、村に入って以来感じている得体の知れない不吉な感じはますます強くなっていた。嫌な疲労感が3人を襲っていた。

 「くっそ~、なんか手がかりはねえのか。いい加減いやになるぜ」バラキは赤い頭をかきむしりながら言った。そうとうイラついている。

 「まだ、半分も調べておらん。短気を起こすな」

 「でも、やられている奴もいなそうだし、本当に村を捨てちゃったんじゃねえのか」早く帰りたいカインはバラキの意見にウンウンと大げさにうなづいてみせた。

 「どこかに避難しているのならそれでええんじゃ」


 しかし、北の外れを鋭角に左に折れたとき、ついに最初の犠牲者を見つけた。

 「おい、なんだあれ」バラキが左手の方を指さした。指さす方に目を向けると家と家の隙間から古い井戸が見えた。大きな井筒に上半身を預けるようにして人が倒れている。


 クシマとバラキはすぐに駆け寄った。カインもいやいや後をついてきた。近づくほど強烈な匂いが鼻をつくようになった。衣服には血がにじんで茶色になっている。若い男のように見えるその死体は腐敗が進んでいた。死後、かなりの時間が経過しているようだ。


 「腐ってるぞ、この死体」

 「それもそうじゃが、他に気付かぬか、この匂い」クシマに言われて、注意深く匂いを嗅いだ。強烈な匂いにバラキは顔をしかめた。

 「どうじゃ」

 「いや、どうじゃって言われても臭いよ」

 「それだけか。さっきの匂いと比べてどうじゃ」

 「さっきの?」と言うと眉をひそめながら、再び死体に顔を近づけた。今度は少し時間をかけて匂いを嗅いだ。

 「どうじゃ」

 「やっぱりくっせえよ」バラキは少し涙目になって、かるくむせている。「でもよ、アンタが言おうとしていることはわかった。確かに独特な匂いがしたな」

 「わかるか」訳がわからぬカインは2人のやり取りを心細げに見守っている。


 「トロールだな」

 「そうじゃ、先を急ぐぞ」クシマが先に立って歩き出した。カインとバラキが後に続いた。道は緩やかに左カーブを描いている。左手に3階建ての大きな木造の家屋が見えてきた。異変を感じたクシマは家屋を調べるより先に、家屋で死角になっている先の道をのぞいた。なま温かい向かい風がクシマの顔にかかった。目に染みるような強烈な匂いが鼻を突いた。クシマは思わず顔をそむけた。


 そこにあったのはおびただしい数の遺体だった。道に沿って何体もの遺体が横たわっている。上半身裸の若者、杖を手にした老人、若い女性と見られる死体など、折り重なるように倒れている。怪物に攻撃をしかけたのだろう、先のひしゃげた鋤を持ったまま倒れている男性は怒りに顔をゆがませて、こと切れていた。

 肩から先がなくなっている者、胴体の半分がちぎれている者、ただの肉片に化してしまった者もいる。いずれも襲った者の凄まじい力を表していた。


 「お、おい」バラキがクシマを呼んだ。クシマはバラキの声がするほうに首をめぐらせた。若い女性と見られる死体が膝を折って座ったような状態で見つかった。大切そうに何かを抱えるようにして息絶えている。そして3人は血に染まった女性の背中に回された小さな手を見つけた。幼子は母親の衣服を小さな手できつく握り締め、顔を母の胸にうずめてこと切れていた。3人ともしばらく何も口にすることができなかった。「…ひでえことしやがる」バラキが言った。

 「そうだね」バラキの言葉にカインが答えた。クシマは何も言わずじっとその親子を見つめていた。瞬き一つせず、ただ見つめていた。


 3人は無言のまま道に沿って進んでいった。足元の遺体は腐敗が進み、虫がたかっていた。衣服はどれも血で黒ずんでいた。

 「遅かったか」クシマは天を仰いだ。夏の強い日差しがクシマの顔をじりじりと焼いた。この村で起きた出来事など、取るに足らないことだとあざ笑うようないつもの日差し。地面からはゆらゆらと陽炎が立ち上っている。


 右手に墓地が見えてきた。小さな墓標が規則正しく並んでいる。墓標は奥に進むにつれ新しくなっていた。一番奥には掘られたばかりの穴が3つに掘りかけの穴が一つあった。穴のそばには埋葬を待つばかりの新しい棺が4つ置かれている。その周りにはいずれも若い男とみられる遺体が折り重なるように転がっていた。埋葬の途中で襲われたのだろう。


 「亡くなった者たちを埋葬することもままならんのか…」クシマは唇をかみしめた。市場で男たちが村が全滅すると言っていたのも、あながち大げさなことではなかった。


 墓地の後ろには鬱蒼とした森が広がっている。森の奥は真っ暗でこちらからうかがい知ることができない。しかし、何者かが常にこちらを見ているような底知れぬ不気味さが漂っていた。クシマは森の手前まで来ると、そっと目を閉じて、意識を森の中へと向けた。クシマの白い眉がすぐにピクリと動いた。


 「どうだ、なんかいそうか」バラキが言った。クシマはそれには答えず、ひたすら作業に集中した。それからも時折クシマの眉はかすかに揺れた。数分後、ようやくクシマは目を開けた。

 「どうだい、爺さん」再びバラキが尋ねた。

 「今はおらんが、襲ったのはトロールじゃろう」それを聞いたカインは恐怖に顔をくもらせた。


 「俺が片づけてやる。そんな顔すんな」バラキがカインの肩をたたいた。と思うと突然全速力で走り出した。

 「どうしたんじゃ、いきなり」

 「音がした。誰かいる」バラキの走る先に目を向けると、100メートルほど先で、ひと際大きな板葺の建物の煙突の上の空気がかすかにゆれている。誰かいる証拠だ。


 「ちょっと待て。村人かもしれんぞ」

 「わかってる、いきなり斬りつけやしない」

 見たところ村の集会所か何かだろう。入口の手前にはちょっとした門が設えてあった。入口の頑丈そうな扉は周りを見下すように黒くそびえている。その脇には小さな石像が立っていた。


 入口の手前でバラキは一旦止まった。小さく息を整えると、足音を忍ばせて剣を握った右手を後ろに回し、ゆっくりと扉に近づいて行った。そして、そうっと左手を扉に伸ばした。

 その瞬間、剣が石像にぶつかった。少しぶつかっただけなのに驚くほどの音がした。バラキは動きを止め、息をひそめて中の者が出てこないかじっと待った。むっとする暑さの中、バラキのこめかみから汗が流れる。汗はそのまま、乾いた地面に落ち、あっという間に地中に吸収された。結局、誰も出てくる様子はない。ほっと胸をなでおろした。


 「あぶねえ、なんだってこんなところに石像があんだよ」バラキは石像の頭をペシッと手の平でたたいた。

 再び扉へ左手を伸ばした。そして少しずつ慎重に扉を押した。ギィ~~~。音がしないように気をつけても、立てつけの悪い扉が機嫌の悪い猫の鳴き声のような音を立てた。


 いきなり扉が強い力で内側から引っ張られた。バラキは大きくバランスを崩した。そしてあっという間に建物の中に引きこまれてしまった。

 「いかん、カイン行くぞ」クシマとカインはあわてて後を追った。そして入口の手前までたどり着くと、中には入らず扉に耳を当てて、様子を伺った。扉越しにバラキが誰かと争っている声が聞こえる。


 中には村人と思われる人たちが集まっていた。決して狭くはなかったが、年寄りから赤ん坊まで、それこそ村人がみんなここにいるのではと思えるほどにひしめき合っていた。

 「待て、あわてるな。俺はお前たちの味方だ」バラキは村人相手に剣を使うわけにもいかず、剣を後手にして何とか説得しようとしていた。周りには鍬や鋤を手にした村人が何重にも取り囲んでいる。


 「ふざけるな。お前もあいつらの仲間だろう。そのへんてこりんな頭が何よりの証拠だ。大方、あいつらの手引きでもしに来たんだろう」村人は殺気立っている。バラキの赤い頭に難癖をつけてきた。罵声を浴びせながら、だんだんバラキとの距離を縮めて行った。

 「仲間のわけがねえだろう。これは地毛だって。奴らを倒しに来たんだ。本当だ、信じろって」本当のことを言っているのに、どういうわけか言い訳をしているようにしか聞こえないのを自分でも不思議に思った。


 「馬鹿言うんじゃねえ。あんな怪物倒せるわけがねえ。構わねえから、やっちまえ」自分たちの言葉に自ら掻きたてられるように、村人はますます興奮の度合いを増している。先頭の男は鋤をバラキの首に突きつけた。「バ、バカ、落ち着けって」

 「いかん、奴ら中から扉を押さえているらしい、カインたのむ」ノブを回しながらクシマが言った。しかしすぐに「手加減してな」と付け加えた。


 扉が勢いよく開いた。扉を抑えていた男たちは、何メートルも飛ばされた。体を勢いよく床に打ちつけ、のたうち回っている。

 「あ、ごめん」カインは頭を掻きながら言った。すぐさまクシマがカインの大きな体の前に出た。カインの目の前でパタリと扉が閉まった。


 「その男の言っていることは本当じゃ」クシマが言った。カインは扉の後ろで中に入るか入るまいか迷っている。

 「なんだ、このちっこいジジイは」殺気を顔に表しながら、村人は小さな闖入者をにらみつけた。鮮やかな紫のローブをまとった老人はこの一触即発の空気の中で驚くほど穏やかな表情で佇んでいる。大勢の殺気だった視線にも動じることなく、一人一人の顔をじっくりと眺めた。村人たちはその静かな青い瞳に見つめられるとなぜか気詰まりに感じ、自ら目をそむけた。


 「ジジイだって構わねえ、やっちまうこった」やけを起こすように一人の男が叫んだ。同時に、数人の男たちが鍬や鋤を躍らせ、襲いかかってきた。

 「もう、だめだ…」入るのをためらっていたカインもあきらめて中に入った。集会所は騒然となった。怒号が飛び交う中、クシマは懐から小さな白い杖を出した。ひと振りすると杖はあっという間にクシマの背丈よりも大きくなった。


 「待てっ」男の声で村人の動きが止まった。後ろから40歳ぐらいのたくましい男が村人をかき分けてゆっくりと前に出てきた。長い髪を後で束ね、左の肩に太陽のような刺青をしている。騒然としていた集会所が水を打ったように静まり返った。誰一人しゃべるものはいない。みんなその男が話すのを待っていた。男はそんなことはまったく気にならない様子で十分に間をおいて話しだした。


 「もし、間違っていたら申し訳ない」男は丁寧に続けた。「あなた様はもしかすると大クシマではございませんか」村人は再び騒然としだした。あちこちでささやくような声が聞こえる。男はそれを右手で制した。

 「いかにも、私はクシマですが…」独特な空気が漂う中、クシマは答えた。答えを聞くや、どこからともなく歓声のような声が上がった。途端に場内に漲っていた殺気はうそのように消えてなくなった。高く掲げられていた鍬や鋤は一本も見当たらなくなった。バラキやカインもただあっけにとられ、周りを見渡している。

 「やはり、そうでございましたか。失礼の段、平にご容赦ください。何分、村の存亡に関わる緊急時なものですから」深々と男は一礼した。男の礼にあわせて村人たちも一斉に頭を下げた。心から申し訳ないと感じているのがわかるような頭の下げ方だった。


 「すぐに親父殿を呼んで来い」男のひと言で数人の男性が建物の外に出て行った。

 「私は村長の息子のカッサと申します。お目にかかれるとは夢にも思っておりませんでした」男は落ち着いて話しているように見えたが、言葉の片鱗にかすかな興奮がみてとれた。カッサだけではない。周りの村人たちも皆、静かにこそしているが、クシマのことを特別な感情をもって見ているのがわかった。


 「早速ですが、シュノンの市場でこの村が見たこともないような怪物に襲われたと聞きました。どんな怪物が襲ってきたのですか」クシマはたんたんと質問をした。

 「村を襲ったのはトロールです」カッサが言った。

 「トロールを御存じなのですか。もうここ百年近くは出ていないはずですが」

 「この村に住む者はみんな知っています。五賢者様たちの話は小さな子がいる家ではどこでも子守唄代わりに聞かされますから。トロールもあの匂いとよだれと岩のような皮膚をみて、すぐにわかったと言っておりました」

 「言っておりましたとは?」クシマが聞いた。

 「実はこれまで3回ほど襲われておるのですが、私はいずれも村を空けていていなかったのです」


 「それでトロールは何匹ほどいたのかはおわかりですか」

 「6匹と言っておりました。それとアーグが少し」

 「6匹も。それでよくこれまで防いでこられましたな」

 「多くの仲間を失ってしまいました」カッサはさびしそうな表情を浮かべた。背後からはすすり泣くような声も聞こえている。

 「それで皆さんここに避難して来られているのですな」

 「ここは、村の集会場でして、こことは別に2カ所に集まっております。今度はいつ襲ってくるかわかりませんから」


 「いつから奴らはこの村を襲うように?」

 「2カ月にもなるでしょうか」カッサの堅く握られた拳が小刻みに震えていた。「もう、何十人も襲われて死んでしまいました」

 (2カ月?封印が解かれて、ほんの3カ月ほどで、トロールが出たというのか?)クシマは眉間に深いシワを浮かべた。


 「村の人間も仲間をやられて、ただ黙ったいたわけではありません。普通の武器はもちろん、長弓や弩など、できる限りの武器を使って対抗しました。それでも、奴らには通用しなかったそうです。あの硬い皮膚は本当に貫くことはできないのでしょうか」

 「…よく御存じですな」クシマが言った。ここにいる全員が固唾を飲んで続きを待っている。「残念ながら普通の武器では難しいでしょう」


 そのとき、一人の老人が入ってきた。よほど急いで来たのか、息が乱れ、話せるようになるまで少し待たなくてはならなかった。カッサは老人に場所を譲って自分は後ろに一歩退いた。


 「こ、これは大クシマ、お目にかかれて光栄にございます。息子を初め、皆の御無礼の段、平にご容赦ください。私はジロンの村長を務めておりますスオウと申します」スオウは深々と頭を下げた。

 「私はクシマと申します。この者たちはバラキとカインと申します。もう500年も前の話になりますが、この村にご厄介になったことがございましてな」

 「500年前、ジロンの村がクシマ様に助けていただいたことは存じ上げております。私も父に聞きました。父も自分が見たわけでもないのに、まるでついこの間、自分の目の前で起こったことを話すように興奮しながら話してくれました」

 「助けられたのは、こちらの方です。皆さんのお助けがなければ、私は500年前に朽ち果てております」

 「もったいないお言葉です。ここではなんですので、拙宅の方にお越しいただければと思いますが…、すぐそこですので。では、私は少し準備がございますゆえ…。カッサ、くれぐれも失礼のないようにお連れするのだぞ」そう言うと、クシマが話す間もなく、スオウは慌ただしく立ち去って行った。


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