悪夢の始まり
北側一面を海に面した北の小国ルカでは建国以来の危機がせまっていた。長い間、友好的な関係を築いていたザビア王国が突然ルカに対して兵を進めてきたという。ルカでは隣国とのいざこざもなく、少なくともここ数百年は平和なときを過ごしてきた。そのため、正規の軍隊というものはほとんどないも同然だった。これに対し、ザビア王国はルカに対しては友好的な関係を続けていたものの、西のナミや東のロタとは常に小さな争いが絶えず、軍の規模もルカとは比べ物にならなかった。緊急事態に王宮の会議室ではアシュリー国王を初め、重臣達が集まり会議が開かれていた。中央に置かれたロの字型の机には難しい顔をした男たちが喧々囂々議論を交わしている。
「考えることはございますまい。きっと何かの間違いです。使いの者をやって確認すれば、誤解であったと笑い話ですむことです」
「しかし、物見の報告によるとザビア王国はすでに大軍を率いてわが国に迫ろうとしているというではないか」
「だから、何かの間違いと言っておる」
「何を根拠に‥。もし、間違いでなければどうすると言うのだ」
「ならばどうする。ザビア王国と戦うと言うのか」
「いや、そうは言っておらん」
会議はいつまでたっても同じことを繰り返し、なかなか話が進まなかった。初めて経験する国の一大事にみんなが浮き足立っていた。
重臣たちにはザビア王国がなぜルカ王国に進軍してくるのか信じることができなかった。ザビア王国がさかんに他国に攻め入っていたときでさえ、ルカにだけは攻め入らなかったという歴史がザビアが攻めてきたことを素直に認めさせなかった。ただ、ザビア王国が攻めてくればルカには勝ち目はない。それだけはだれもがわかっていた。
「いつまで同じことを話しているつもりだ」一番奥の席に座っている国王はそんな重臣たちの話をイライラしながら聞いていた。白貂の毛皮でつくった贅沢な衣装をまとった若い国王は感情のままに言葉を発した。
ようやく三十代に手が届こうとしているこの王はもともと争いを好むほうではなかった。と言っても平和を好む温厚な性格というわけでもなく、ただただ面倒なことに煩わされることが嫌いだった。戦争なんて自分と関係のあることとは思えなかったし、政治にも関心がなかった。だから、先代王から仕えているバート大臣にすべてのことは任せてあった。だからこんな会議に長い間縛り付けられているのが我慢ならなかった。こんなとんがった雰囲気は自分には場違いだと思っていた。しかし、この一大事にまさか知らん顔もできない。だから、誰もが納得できる意見が出てくるのを心待ちにしていた。
「陛下、そもそもルカ王国の中興の祖であるカール王の御世において、ザビア王国が深刻な食糧不足に見舞われた際、弱みを突いて攻め入るどころか、援助の食料を何度となく送ったことで、ザビアの王や貴族、国民がカール王へ深い感謝の気持ちをいだく…」
「そんなことはわかっておる。だからなんなのだ」話の途中で王は怒鳴り散らした。王のいらだちをみて、だれもが口をつぐんでしまった。そんな様子を察して、王はますますいらだちをつのらせた。しばしの沈黙が続いた。
すると、これまで一言もしゃべらなかった王の右隣に座っていた恰幅のいい男がおもむろに口を開いた。胸には色とりどりの勲章が所狭しとぶら下がっている。この男がバート大臣だ。この国を実質的に治めていた大臣は長く続いた沈黙に臆することなく静かに話し始めた。「私も先ほどどなたかが言われたように使いを出してザビア王国の真意をただしてもよいと思いますが」
大臣の声はその体の大きさに比べて、随分と小さい声だった。しかし、大臣が話し出すや、これまであれやこれやと言っていた他の重臣たちは打って変わって静かになった。静まり返った会議室で大臣の声だけが聞こえている。当然のように話し続ける大臣の声は自信にあふれていた。自分の発言を邪魔するものなどどこにもなく、ましてや自分の意見に反対するものなどいるはずがないことを大臣は知っていた。
国政のほとんどを任されている大臣が発言したことで、会議の雰囲気がガラリと変わった。たとえこれまでと同じ意見であっても、大臣が発言するということに意味があった。
「なるほど、大臣のおっしゃるとおり、ここは一つ冷静になって使いを出して真意をただすというのもいいかもしれませんな」
「たしかに我らは友好国、誤解と言うことも十分考えられますな。まずは使いを出す事でしょうな」さっきまで正反対の意見を言っていた者までが態度をコロリと変えた。
その後も先を争うかのように大臣の発言に対する賛成意見が述べられた。大臣のたった一言の発言でこれまで同じことを繰り返していた会議がまとまろうとしていた。
「陛下、おそれながら申し上げます」王の左隣に座っているやたらに顔色の悪いひょろっとした男が声を上げた。棒のような手足に道化者のような派手な衣装をまとった見るからに場違いなこの男は、王が近頃そばに置くようになったビーボという占い師で、ここ数カ月で国王の命を何度か救ったことにより、急に王の信頼を得るようなった。
王宮で行われた座興の場で起こった大木の倒壊や落雷など危ういところを続けざまに助けたことで、最初はビーボ自身が疑われた。しかし、どれもこれも人の力では起こすことができないと判断され、すぐに疑いは晴れた。すると今度は怯えきった王が自分のそばから離そうとしなくなった。いつしか、王の隣には必ずこの占い師がいるようになった。本来なら到底このような席に同席できる身分ではないが、王の命により隣に座ることを許されていた。
一人の男が異を唱えたことで、会議場は張りつめたような緊張感に包まれた。普段は穏やかな大臣だが、自分の意見に反対する人間は絶対にゆるさないということを会議に出席しているだれもが知っていた。大臣を知っている人間にとって、この占い師の発言はまさに命知らずの発言だった。こんな空気の中では誰一人しゃべろうとしない。余計なことを言って、巻き添えになりたくないのだ。
「なんだ、貴様は。お主のような占い師風情が口を挟んで許される席ではない。場所をわきまえろ」温和な口調で話をしていた大臣が声を荒げた。いつもならこんな怒り方をする大臣ではなったが、これまで王家の信頼を一身に集めてきた大臣としては、最近急に王の信頼を得てきた占い師の存在が許せなかった。それでなくても、占い師など得体の知れない輩には人一倍嫌悪感をいだいている大臣である。そんな男がこともあろうに王の隣に座っているとは我慢のできることではなかった。
恰幅のいい大臣が体を震わせながら大声を張り上げたことで、会議はまさに凍りついた。大臣のそばに座っている男たちは自分が言われたわけでもないのにどうしてよいかわからずキョロキョロと辺りを盛んに見回している。
「まあ大臣、よいではないか。ビーボ申してみよ」国王がバート大臣をいさめた。大臣はしぶしぶ口をつぐんだ。
「おそれながら申し上げます。この度の件はまさに緊急事態でございます。ザビア王国に使者を送っても、相手が初めから攻めようとしているのであれば、なんの効果もないばかりか、いたずらに時を費やすのみでございます」怒り心頭の大臣を前に全く気後れすることもなくサラリと言った。
「ならば、ザビアと戦えというのか、おまえのような占い師風情が‥」大臣は言葉の端々に現われているトゲを全く隠そうとしない。
「いや、失礼ながら到底かないますまい」
「ならば、どうしろというのだ」王ががっかりした様子で言った。また同じような話になるのかと、いい加減うんざりしている。
「わざわざ口を挟んだのだ。今さら何もないではすまされんぞ」大臣が王を挟んでビーボをにらみ付けた。さっきまでの大臣とはまるで別人だ。
「ひとつだけいい方法がございます」ビーボは大臣の様子などまったく気にしていない。もしかしたら気付いてすらいないかもしれない。
「いい方法とな、それは一体どんな方法だ」答えをせかすように王が尋ねた。これまで数度にわたって命を救われた国王にとっては、この占い師の発言は他の誰のものよりも説得力があった。この男ならこれまで聞かれなかった新しい意見を聞かせてくれるに違いない。王だけではない。大臣以外のここにいるすべての重臣たちは常日頃この占い師に何か底知れないものを感じていた。
「ほお、面白い。占い師殿には何か妙案があるようだ」皮肉を込めて大臣が言った。脂ぎった顔に醜い笑みを浮かべながら、大臣は同意を求めるように一同の顔を見渡した。大臣と目があった者はぎこちない追従の笑みを浮かべた。
「ございます」何の感情も浮かべないまま、ビーボが答えた。
「それは楽しみだ。ぜひ聞かせてもらおう」まったく動じないビーボの態度に不快感を示しながら大臣が言った。一同も静まり返ってビーボの次の一言をまった。しかし、ビーボの答えは誰も予想だにしなかったものだった。
「黒水晶の封印を解くのでございます」