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シュノンへの飛行

 飛行は順調そのものだった。ところどころに存在感のある大きな雲の塊が見えるものの、雲の上は相変わらず夏の太陽が降り注ぎ、多少暑いぐらいだった。ドラコが一緒だったせいか、心配していたワイバーンも二度と現れることはなかった。数時間の飛行は間もなく終わる。


 はるか前方に黒ずんだ雲が見えた。中を小さな稲妻が走った。エンユウは青龍のことを思い出していた。久しぶりに青龍のことを語ったせいか、妙に頭の中に残っている。(本当に乗っていたのがお主でなかったら、間違いなくワシは青龍に食われておった)鞍越しにドラコの首をポンとたたきながらしみじみと思った。


 エンユウは改めてドラコのすごさを思い知ったような気がした。考えてみれば、あのとき以上にドラコが本気を出して飛んだことはなかった。しがみつくのに精一杯で、そんなことを考える余裕はなかったが、あのときのドラコの飛翔はすごかった。その強靭な翼で羽ばたくたびにグンと勢いを増し、風のように空を駆けた。スピードが乗った状態での素早い方向転換で完全に青龍をまいていた。いかに普段のドラコが、周りに合わせて力を抜いて飛んでいるかがよくわかった。あれだけの体格差がありながら、最後まで青龍はドラコに追いつくことができなかった。もしかしたら、あのときですらまだ余裕があったのかもしれない。「お主も底知れぬ奴じゃな」エンユウは再度鞍をたたきながら独り言を言った。


 あのときの恐怖は今でも体の芯にこびりつくように根を生やしている。これからも決して忘れることはできないだろう。暗い雲の中から覗いた青龍の目、稲光をまといながら、追いかけてきた姿、襲ってきたときの衝撃波、すべてを克明に覚えている。青龍を見たときのあの絶望感、恐怖感はこれまで味わったことのないものだった。夏だと言うのに、あの時のことを思い出しただけで、全身に鳥肌が立っている。


 突然、後ろから肩を叩かれた。恐怖の思いに浸っていたエンユウは必要以上に体をビクつかせた。

 「なにすんじゃ、いきなりビックリするではないか」エンユウが怒鳴りつけるように言った。肩を叩いたエレナは驚いて「ごめんなさい」と言った。

 「い、いやこちらこそ、怒鳴ってしまって申し訳ない。ちょっと考え事をしていたもので…」後ろに座っていたのがエレナということを忘れていたエンユウはバツが悪そうに謝った。


 「僕が叩いてもらったんですよ」クリスが補足して言った。まさか怒鳴られると思ってもいなかったので、頼んだクリスもバツが悪い。

 「お主か、なんで急に…」エンユウが矛先をクリスに向けようとするのを制するように、クリスは「いや、ハリマが呼んでるんですよ」と言った。

 「なに?」見るとハリマは盛んに下の方向を指して何か叫んでいる。

 「おお…いかんいかん、通り過ぎるところじゃった」


 「何をそんなに驚いていたんです」クリスがエレナたち越しに聞いた。

 「驚いてなんぞおりゃせん」ごまかすようにエンユウが言った。そして小さな咳払いをすると後ろを振り返って叫んだ。「エレナ殿、エイレン殿、再び雲に突入いたしますぞ。心の準備はよろしいですかな」

 緊張した返事がエレナたちから返ってくるのを聞いて、エンユウはすぐにドラコを雲の下に突入させた。


 雲はかなり薄くなっていたため、雲の上に登るときよりは楽に突き抜けることができた。にもかかわらず、ゾラは相変わらず、激しく咳き込んでいた。ゴシマがゾラの背中をさすろうとして、ゾラに払いのけられていたのも相変わらずだった。カインが人一倍文句を言っているのも相変わらずだ。


 眼下に広大なシワン川が広がっている。川は母なるユングに端を発し、南のリリス山脈で大きく蛇行し、北のセレ湖に注ぐ本流と東のガルテ沼に注いでいるオツ川に分かれる。シワン川の先にはラクトの山々の間を縫うようにラバス街道がくねっている。少し先で山は途絶え、その先に豆粒のように建物がゴチャゴチャ並んでいる一画があった。一行が目指しているシュノンの市場だ。街道の西側に沿うような格好でそれはあった。空から見るとその規模の大きさがよくわかった。幾筋もの格子状の道沿いに数えきれないぐらいの店舗が並んでいる。


 エンユウは高度を下げて市場側の山あいに向かっている。西側から山の手前の谷間に降りれば、人目に付くことなく降りることができる。幸い周りに人家はないし、街道からも見えることはない。


 (よし…)エンユウはドラコをガーラの横につけて、トシの横に並んだ。そして、自分のことを指してから、これから降りようとしている谷間を指さし、まずは自分たちが降りるからガーラは続くようにとトシに合図を出した。


 トシがうなずいたのを見計らってエンユウはさらに高度を落とし、谷間へと近づいて行った。安全のため少し間をおいてガーラ、カル、ロンが続いた。すぐに市場は山に隠れて見えなくなった。谷をなめるように低空で飛び、徐々に体勢を起こして逆方向にはばたいてスピードを落とした。最後はふわっと浮かぶようにして、木一本生えていないはげ山の窪地に着陸した。


 「ふうっ」ドラコから降りるなりエンユウは大きな息を吐いた。そして今飛んで来たばかりの空を振り返りながら言った。「ジュレスへの道のりは始まったばかりだと言うに、先が思いやられるわい」

 「なんです、あのワイバーンの大きさは」ガーラから降りてきたハリマが言った。そしてゾラに向かって続けた。「これまでもこんなことはあったのですか」しかし、ゾラはハリマのすぐ後ろで小さな体を激しく揺らしながら咳き込んでいる。体をくの字に曲げて、かなり苦しそうだ。「…大丈夫ですか」ハリマが言った。


 「ない」ゾラがハリマをにらむように見上げながらひと言言った。その目は充血して真っ赤になっている。

 「お主、相変わらず雲は苦手な様じゃな」エンユウが言った。

 「そんなことはない」ひと際厳しい視線をエンユウに向けてゾラが言った。目が真っ赤なだけにいつにも増して迫力がある。言い終わるとまた、激しい咳を繰り返した。

 「負けず嫌いも相変わらずじゃ」小さなため息をついてエンユウが言った。

 「な、何か言ったか」咳の合間を縫ってゾラが言った。

 「なんでもないワイ」しらけた顔でエンユウが言った。


 「封印が解かれたことはもちろんじゃが、ハラドの国のことが何か関係しているかもしれんな」クシマが言った。

 「そうですね。これまで起こらなかったことが起こったとしても不思議はありません」ハリマが続けた。「とにかく、アーガが戻ったら一度状況を見てもらわねばなりません」

 「お主がやったらどうじゃ。水晶の扱いも随分と慣れて来たじゃろう」エンユウが言った。

 「いやいや、やめておきましょう。アーガのようにはいきません」首をふりふりハリマが言った。

 「大丈夫大丈夫。ぜひやってみるべきじゃ」クシマが微笑みながら言った。屈託のない子供のような笑顔だ。ハリマはクシマのこの顔に弱かった。無理やりと言う感じではないが、何かこの顔で言われるとどうにも断れなかった。


 知ってかしらずかクシマはハリマに向かってニコニコと笑い続けている。「はあ、では後程やってみましょう」ハリマは観念するように言った。


 グリフォンでの移動はシュノンまでで終わりだ。ここから先は馬での移動になる。そのため、馬を調達する必要があった。ドラコたちグリフォンは、またキトナ山脈に取って返し、ハリマたち一行はシュノンの市場まで徒歩で移動する。


 ドラコたちはこれから数時間にわたる帰路に備えて、しばしの時間羽を休めていた。体を丸めて休んでいるグリフォンを見るとその大きさの違いが一段と感じられる。カルやロンでも十分巨大だが、ドラコとなるともはや小さな山だった。そんな中、ガーラはただ一頭、首を巡らせて一生懸命毛づくろいをしている。ワイバーンに襲われた恐怖も忘れ一心に毛づくろいをする姿はどこか愛嬌があった。


 トシはガーラの足元に近寄り、その巨大な後脚に手を置いた。トシの小さな手が脚に触れるとガーラは毛づくろいをやめ、甘えるような鳴き声を出した。


 「ガーラは大丈夫だったようじゃな」様子を見ていたエンユウがトシの肩をポンと叩いた。トシはさも申し訳なさそうな表情を浮かべながら「傷つけてしまって」と言った。

 「お主はよくやった。何度も言わせるな」エンユウは伸びをしてトシの肩をポンポンと叩いた。しかし、エンユウがなんと言おうとトシはその表情を変えることはなかった。エンユウは構わず続けた。

 「ガーラを治療する前、ガーラに直に触れたであろう。どうであった」

 「…怖かったです」しばらく時間を置いてから、一つ一つ言葉を選ぶようにして言葉を継いだ。「…ガーラの意識に…飲まれそうになりました」

 「あれは大きな前進じゃ。後は自分でコントロールできるかどうかじゃ」

 「…はあ」トシはその顔に悔しさを滲ませている。

 「お主は真面目すぎる。時にはアヤツのいい加減さを見習ってもいいかもしれん」エンユウがあごでしゃくる方を見るとバラキがカインに向かって笑っているのが見えた。あれだけ迷惑をかけておきながら、これっぽっちも反省の色は見られない。

 「やっぱり今のは忘れてくれ」頭を抱えながらエンユウが言った。


 「これから市場に入ります。よもやとは思いますが、人外がいるかもしれません。エレナ殿エイレン殿はくれぐれも我々のそばを離れぬようお願いいたします。ゴシマ、トシ、クリス、バラキ、カイン頼みます」ハリマが言った。

 「はっ」ゴシマとトシは畏まって頭を下げた。クリスとカインはコクリとうなづいてみせた。


 「よろしくお願いいたします」茶色と灰色の質素な衣服を身に着け、フードを目深にかぶったエレナとエイレンが恭しくお辞儀をした。人外を欺くためゆったりとしたみすぼらしい男物を身に着けているが、随所に現れる立ち居振る舞いのしなやかさで、どこか不自然に見えた。


 「さあ、お主たちも出発じゃ」エンユウがガーラの脚を叩くと、ガーラは名残を惜しむようにトシをチラリと見ながら、再び大空に舞い上がっていった。カル、ロンも後に続いた。

 「ご苦労じゃったな、ドラコ。お主がおれば大丈夫だとは思うが、ワイバーンには気を付けて帰れよ」声をかけたのと同時にドラコが飛び立った。ドラコは力強い飛翔で、うっすらと日差しが差してきた夏の空にあっという間に消えて行った。


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