青龍との遭遇
「…ガーラに怪我を、すみません」トシがエンユウの背中に向かって言った。興奮を収めたエンユウはクシマとともに傷の状態を調べるのに夢中でトシの言葉に気付いていない。ガーラとクシマ、エンユウを遠巻きに囲むようにほかの連中が見守っている。すっかりと落ち着きを取り戻したガーラ以外のグリフォンたちはすやすやと眠っている。
「お前はよくやってくれました。お前がダメなものはエンユウ以外は誰がやってもダメだったでしょう」気の毒に思ったのかハリマがエンユウの代わりに答えた。
「そうじゃ、お主は何も悪くない」肩越しに聞いていたエンユウがピタリと手を止めた。「悪いのはバラキの阿呆じゃ。お主、今度同じことを繰り返すようなら、誰が何と言おうと出て行ってもらうぞ」エンユウは一番遠くでこの様子を見ていたバラキを怒鳴りつけた。こめかみには血管が浮き出、目は少し血走っている。これまでにないほど怒っている。
「何かあったのですか」ハリマが厚手の服を脱ぎながらエンユウに尋ねた。ゴシマたちも脱ぐ頃合いを見計っていたかのように一斉に薄手の服に着替え始めた。
「どうもこうもないわ。この阿呆は昨日と同じことを繰り返しおった」エンユウは吐き捨てるように言った。その後ろでクリスがクックと笑っていたが、エンユウににらまれるとスーッとどこかへ消えて行った。
「ま、まさか」ゴシマの手が止まった。ゴシマは昨日バラキがカルやロンに襲われて、串刺しになりかけたのを目の当たりにしている。あんな目にあって、すぐに同じことを繰り返すなんて正気の沙汰じゃない。
「そのまさかじゃ。またズカズカとグリフォンの巣に入ってきおった」
「いや、悪かった」バラキはサラリと言った。自分が悪いことをしたとはこれっぽっちも思っていない言い草だ。さらにしゃあしゃあと続けた。「やっぱり俺にはあんな小物のグリフォンは合わんらしいや」
そんなバラキの態度を見るにつけ、ゴシマはだんだんと腹が立ってきた。ロンを守るために、自分のもてる力をすべて出して怪物と戦ったトシ。それでもガーラに怪我をさせたとして、心から責任を感じている。(コイツのおかげで…トシが…ガーラが…)
「おい、貴様」物凄い形相でゴシマがバラキの元へ近づいてきた。
「さてと…」クシマが2人の間を縫うようにしてゴシマたちの目の前を通り過ぎて行った。ゴシマは気勢をそがれたようにその場に立ち尽くしている。
「ワシが翼を手当てしよう。エンユウは脚を頼む」と言うと紫のローブをひるがえし、再びガーラのもとへ歩いて行った。
ガーラはすっかり落ち着いていた。クシマが近づいてくると手当てをしやすいように体勢を低くした。それでもクシマの身長を考えるとまだまだ山のように大きい。怪我をしている翼へとよじ登っていくのは年寄りには大変だ。だれかの手助けがないと登れそうにない。
「お手伝いいたしま…」ゴシマが言いかけた時だった。クシマはガーラの大きな前脚を下から上へとそのまま登って行った。空に向かって続く道を歩いて行くように。完全に体が真横を向いている。ゴシマは目を疑った。
「うそだろ」バラキが言った。トシは言葉を失っている。クリスはヒューと口笛を吹いた。クシマは周りの反応を気にするそぶりも見せず、ガーラの肩にちょこんと座ると怪我の具合を調べ始めた。(なんと、すごい…)ゴシマは不思議な感動に包まれながら呆然とクシマを見ていた。エレナもエイレンも目を丸くしている。
「ふむ、これは少し深いな」灰色の羽に痛々しそうな傷がパックリと口を開けている。傷からは絶え間なく真っ赤な血が滴っている。クシマは一番大きな傷口の脇に立って、腕まくりをした。つややかな紫のローブから白くほっそりした腕が現れた。その腕は老人の腕とは思えないほどすべすべしていた。
「さてと、始めるとするか」クシマが両手を高くかかげた。そしておもむろに呪文を唱え始めた。「エウランエウラン、スーサリム、チウム、リル、チウム…」
呪文を唱えて間もなくクシマの手の平が仄かに青く光った。初めて見るゴシマたちは最初のうち目の錯覚かと思っていたが、光は徐々に大きく強くなっていった。ついにはひじから先全体が青く染まった。昼間でもはっきりとわかるほど強い光だった。
クシマは手の平をゆっくりと傷口にかざした。暫くすると、傷口から一筋の小さな青い光の粒が立ち上った。粒は淡い光を放ちながら、ゆらゆらと空へと登って行った。ガーラはさも気持ちよさそうに目を閉じている。光の粒は少しずつ増えていき、10分も経つと傷口から太い青の光の柱が立っているように見えた。ゴシマたちはひと言もしゃべることなく、その不思議な光景に目を奪われていた。
「ちと、疲れた。少し休ませてくれい」エンユウはクシマのしていることをまったく気にすることなく、ガーラの脚元にゴロンと仰向けになった。そして、小さないびきをかきだした。
「おい、エンユウの爺さん、寝ちまったぞ」バラキがゴシマに話しかけたが、まだバラキに腹を立てていたゴシマは返事をしなかった。
「ところで一つ聞きたいんだが」しばらくして、バラキがすぐ横でクシマの治療を見ているハリマに言った。
「自分がどれだけ迷惑をかけたかわかっているのですか。エンユウがいなければお前はとっくに死んでいますよ。お前も死にたくはないでしょう」腕を組みながら視線だけをバラキに向けてハリマが言った。
「悪かった。今度は慎重にやるよ。あんな小物、絶対に乗れるはずだ」そばで聞いていたゴシマは耳を疑った。(…コイツ、まだやる気なのか)。当の本人はケロリとしている。バラキはさっきと同じことを言ったに過ぎないが、ゴシマはなぜか今度は怒りは感じなかった。目の前に巨大なガーラがいるからかもしれなかった。体勢を低くしていてもガーラはとてつもなく大きかった。(こんなグリフォンに2度も襲われて…。コイツには恐怖心というものがないのか…)
「そもそもお前はグリフォンが怖くないのですか」ハリマがゴシマが考えていたことと同じようなことを聞いた。
「怖い?なんで俺が」バラキにはなぜハリマがこんなことを聞いているのかわからないようだ。
「まともな人間であればあのような怪物は怖いと感じるものです」語気を強めてハリマが言った。「でもお前が怖かろうと怖くなかろうとほかの人に迷惑をかけていることは確かです」
「悪かったよ」バラキは素直に謝った。
「わかればいいんです」
「で、一つ聞きたいんだが」
「バラキ、ちょっと来い」ゴシマはバラキの腕をつかんでハリマのもとから引き離そうとした。「お前、本当にわかってんのか」
「ゴシマ、構いません。バラキ、言ってごらん」ゴシマはしぶしぶバラキの腕を放した。
「なんでグリフォンで一気に行っちまわないんだ?ジュレスはシュノンのまだまだ先だろ。グリフォンで行けばあっという間だろ」
「お前にしてはいい質問です」少し時間をおいてハリマが答えた。「大きな力を持つ者は何も人外だけではありません。世界には人外同様凄まじい力を持つ者がいる。光の民、風の民などはいい例です」
「おいおい何の話だ?」小指で耳の穴をほじりながらバラキが言った。
「最後まで聞け」ゴシマがバラキを肘でつついた。バラキが黙ったので、ハリマは続けた。「お前、三龍という怪物を知っていますか」
「三龍?聞いたことねえな」
「三龍とは、赤龍、青龍、黄龍のことで、いずれ劣らぬ怪物どもです。奴らが吠えれば大地が震え、奴らが動けば、山が砕けると言われています」いつの間にか、ハリマの周りにはエレナたちやクリスも集まって、話に耳を傾けている。トシだけが一人離れてガーラの治療をじっと見つめていた。
「ほう、そんな怪物がいるのか」バラキは急に目を輝かせ始めた。この男には強い者や大きい者の話を聞くとうれしくてしょうがなくなるくせがある。「じゃあ、人外だけじゃなくてそいつらも敵なんだな」
「ところがそうと決まったわけでもありません。奴等は何もほかの者たちを滅ぼそうとしているわけではない。生きとし生けるものすべてを滅ぼそうとしている人外とは違うのです」
「何だ、敵じゃねえのか」不服そうにバラキが言った。
「奴らは自由なのです。なにものにも縛られない。自由気ままにふるまうだけ。寝たい時に寝て、食らいたい時に食らうのです。しかし、ひとたびそれを邪魔しようとする者があれば、何者であろうとその強大な力で粉砕します。それがたとえ人外の者であろうが、私たちであろうがね」
「そんな奴に一度お目にかかってみたいもんだな」子供のように目を輝かせてバラキが言った。
「お目にかかったら最後です。おそらくその日が人生最期の日になるでしょう」ハリマは脅すような口調で言ったが、バラキはまったく意に介していない。興味を削がれた風を一向に見せないまま、バラキは言った。「ちなみにアンタは遭ったことはあるのかい」
「幸運にもまだ遭ったことはありませんが、クシマ、エンユウが遭遇したことがあるということです」
「へえ~、あの2人がね」バラキはガーラを治療しているクシマとそのすぐそばでいびきをかいているエンユウを見て言った。「でもよ、その三龍とやらと俺たちがグリフォンを使ってジュレスまで行かないのは何か関係があるのか」
「グリフォンは三龍の好物なのです」このハリマの答えに周りで聞いていた者たちにざわめきが起こった。
「こ、好物?あの馬鹿でかいのを食うってのか」バラキは青い光の柱を立てながら治療を受けているガーラを見た。その横でゴシマも驚いた表情を浮かべている。
「私たちの仲間にもグリフォンごと丸のみにされた者もいるぐらいです。グリフォンだとて三龍に比べればかわいいものなんでしょう。それに…」
「本物の怪物だな、ますます面白えじゃないか」ハリマの話の途中でバラキは言った。口元には笑みさえこぼれている。「なるほど、ここから先はその三龍がいるってわけだな」
「少し違います。三龍はそれぞれ生息地が違うのです。赤龍は北東部、青龍は北西部、黄龍は中部から南部を生息地域としています。それに…」
「これまでその北東部を飛んできたじゃねえか」再び話の途中でバラキが割り込んで言った。話の腰を折られたハリマは乾いた視線をバラキに注いでいる。
「お前な、少しは話を聞いたらどうだ」ハリマの様子を察したクリスが言った。
「クリス、お前、ラビス出身だったな。てことは、赤龍か。お前はその赤龍ってのを見たことはあるのか」
「俺はないな。あったら今頃あの世へ行ってるさ」両手の平を上に向け、肩をすぼめてクリスが言った。
「…話を続けさせてくれませんか」白けた顔をしてハリマが言った。
「し、失礼しました」バラキとクリスの代わりにゴシマが謝った。
「…続けてもいいですか」ハリマの言葉にバラキは話の続きが待ちきれない子供のように、ウンウンとうなずいた。
「活動しているのは基本的には1頭だけ。他の2頭は寝ています。今は北西部の青龍が活動期です。そろそろ、青龍が眠りに入り、黄龍が活動期に入るはずです。シュノンまでは赤龍の活動範囲で今は休眠期にあたります。三龍はそれぞれ活動範囲が決まっていて、不思議なものでその領域を決して超えようとはしないんです」
「なるほど…、ここまでの地域は赤龍の生息地域だが、ずっとおネンネしてるってわけだ」
「そういうことです。これから行くジュレスなど中央部から南部は黄龍の生息地域となっています。いつ目を覚ますかもしれない黄龍がいて、エサになるグリフォンにまたがってジュレスまで飛んでいくことはできません」
「グリフォンがエサね」バラキはすやすや寝ているドラコを見た。気持ちよさそうに寝ているドラコは小さな城ぐらいの大きさがある。このドラコを食べるという怪物を想像した。でもどれだけの大きさがあれば、ドラコを食べることができるのか、どうしても想像がつかなかった。「そりゃあ、どえらい化けもんだな」
「というわけでここからはグリフォンに乗っては行けない、馬で行くしかない、ということです」
「なんだ、じゃあその黄龍に会うことはできねえのか」バラキが肩を落とした。さもつまらなそうに言うと再びイビキをかいているエンユウに目をやった。
「エンユウの爺さんは三龍に遭ったことがあるって言ったな」と言うと、ずかずかとエンユウの元へと歩き出した。あわててゴシマがバラキを止めた。「お、おい、どこへ行く気だ」
「どこって、エンユウの爺さんに話を聞くに決まってるじゃねえか」足を止めずにバラキが言った。
「エンユウは疲れて休んでおられる。わからんのか」ゴシマが言った。
「もう少しで起きるだろうが、それまで待て」クリスも一緒になってバラキを引きとめた。
「お前ら、三龍のことが気にならんのか」
「気になるけど、エンユウが起きてからでいいだろ」クリスが繰り返し言った。
「起きたらか…そうだな」バラキは言われるまま、その場に立ち止った。
「そうだ、お起きになったらお話を伺おう」諭すようにゴシマが言った。
「そうだな、何もエンユウの爺さんが逃げるわけじゃないし…」
「そうだ、そうしろ」クリスがバラキの肩をポンと叩いた。
「じゃあそうすっか」と言うとバラキはその場に座り込んだ。ゴシマもクリスもほっと胸をなでおろした。
「いや、化け物って奴はいるもんだな」腕を組み、首を盛んに左右に振りながらバラキが言った。そしてドラコを見ながらしみじみと続けた。「しかし、あの怪物を食うかね」
「上には上があるものです」ハリマが言った。
「そういうこったな」バラキが言った。言いながらチラッとドラコを見た。「へぇ、あの怪物をね…」繰り返し言うと今度はエンユウに視線を投げた。
「だめだ、やっぱり今聞きたい」そう言うとバラキは再び歩き始めた。「ちょ、ちょっと待て」あわててクリスとゴシマがバラキの後を追いかけた。
3人がエンユウの元へたどり着こうというとき、エンユウは突然ガバッと上半身を起こした。そして、小さな体を精一杯広げて大きなあくびをした。
「ちょうどいい、爺さん起きたじゃねえか」
「なんじゃ、随分騒がしいな」目にいっぱい涙を浮かべてエンユウが言った。
「はっ、申し訳ございません」ゴシマが深々と頭を下げた。すかさず、後ろからバラキがエンユウに話しかけた。「爺さん、アンタ三龍とやらに遭ったことがあるってのは本当か」
「三龍?」
「お前は何度言ったらわかるんだ、エンユウに対してなんという口を利くのだ」ゴシマがバラキを叱った。
「遭ったことか…」エンユウが言った。そして両手をあごの下で組むと遠い昔に思いをはせるようにゆっくりと空を見上げた。さらに少し時間をおいて言った。「一度だけある」
エンユウはそのままそのときのことを思い出しているのか、目を上に向けて思いにふけっていた。そして、ゆっくりとドラコの方を見たかと思うと、また空を見上げた。バラキは話の続きを待ったが、エンユウは黙ったまま、いつまでも話を始めようとはしない。
「なんだよ、その時の様子を教えてくれよ」気勢をそがれたバラキがせかすように言った。
「あまり思い出したくない話じゃ」しばらくしてエンユウが続けた。「もう、千年以上も前のことじゃ。わしはドラコに乗ってラジルからラクトへと向かっておった。そのときは赤龍と黄龍の休眠期で青龍の活動期じゃった。当然、西部に位置するラジルからラクトに向かうのにグリフォンは避けるべきだったが、急いでおったし、ほんの数時間飛んだだけで、襲われるはずもないと高をくくっておった。今にしてみれば完全に油断していたわけじゃ。
季節は…そうだな、ちょうど今頃だったか、空を飛ぶには悪くない陽気じゃった。ただ、大きな雲がいくつか空に浮かんでおった。ドラコの飛翔は力強く、眼下に見える景色は飛ぶように移り変わり、ラジルからラクトへ向かう数千キロにも及ぶ距離も滞りなく終わるところじゃった。いつの間にか雲が多くなり、雨が降ってもおかしくない天気だったが、ドラコならその前に目的地に着けるだろうと安心しておった。その時じゃ、あの怪物に遭遇したのは…。
ラクトに差しかかった辺りじゃった。目の前にひと際大きな黒々とした雲の塊が見えてきた。ほかの雲たちを見下ろして聳える雲の塊は、それ自身怒りをはらんでいるかのように、くぐもった低いうなりを上げていた。しかし、ワシはさほど気にすることもなく、その雲へと近づいて行った。すると横にかかろうとした際、ワシの意に反して急にドラコが右方向に大きく旋回を始めた。まるでその雲から逃げるように。これまでにはなかったことだ。『ドラコ、どうした、なんで勝手に進路を変えた?』ドラコに話しかけたときじゃった。
突然、雲の中で稲光が走った。ワシは驚いて、雲の方を振り返った。すると黒くわだかまった雲の中に不気味に光る2つの点があった。青龍だ。すぐにわかった。全身から血の気が引いた。取り返しのつかないことをしてしまったと思った。なぜなら、ワシは遠い昔にグリフォンごと赤龍に食われてしまった賢者クリフ様の存在を知っておったから。ワシは同じ轍を踏んでしまった」話が進むにつれて、バラキは引き込まれるように、どんどんエンユウに近づいて行った。
「案の定、怪物は我らを見つけるとすぐに動き出した。その大きさにワシは度肝を抜かれた。黒い雲から現れる青龍の胴体はどこまでも終わりがなかった。このような怪物がこの世に存在するとは。青黒い体をうねらせながら、ゆっくりとこちらに向かってくる姿はまさに悪魔じゃった。稲光を体にまとわせ、周りの雲を蹴散らしながら悠然と近づいて来る。大地を震わすような怪物の咆哮にワシは身動きが取れなくなった。圧倒的な威圧感の前に全く動けなかったのだ。ワシは死を覚悟した。クリフ様同様ワシもドラコとともに食われるのだと。
しかしドラコは違った。風を切るような速さで縦横無尽に空をかけた。それまで数えきれないほどドラコに乗ってきたが、あの時ほど、力強く、速く飛んだことはない。ワシは振り落とされないようにしがみつくのが精一杯じゃった。青龍が巨大な噴火口のような口を開け、襲いかかるたびに衝撃波のような風を感じた。ドラコはすべての攻撃を紙一重でかわしながら、飛び切った。気付いた時、青龍はいなくなっておった。知らぬ間に奴の活動範囲を超えていたのだ。時間にしたらほんの短い時間だったかもしれんが、ワシには何時間にも感じられた。結局ワシは最後まで何もできなかった」伏し目がちに話すエンユウの顔は心なしか青白く見えた。
「何だい、爺さん。それじゃあ、ドラコはアンタの命の恩人じゃねえか」話に夢中になって、バラキの顔はエンユウのすぐ目の前だ。しかし伏し目がちに話すエンユウはまったく気付いていない。
「その通りじゃ。そのときに乗っていたのがドラコでなければ、今のワシはおらなんだ。とにかく、あのような怪物にはこれまであったことがない。もし、今また三龍に襲われたとしても、冷静に動けるかどうか、まったく自信がない」と話しながらエンユウはふと顔をあげた。目の前のバラキの顔があった。「何じゃお主は」エンユウは驚きの声を上げた。「もう、話は終わりじゃ。ほら、あっちに行け」
「お主、三龍について聞いて何とする」ゾラがバラキの背後から口をはさんだ。こめかみに血管を浮かべながら、エンユウと同じぐらい青い顔をしている。
「何とするって、聞いてみたいんだよ。その怪物たちの話を」バラキが言った。
「三龍と出くわして命があるということが奇跡なのだ。エンユウの言うとおり、クリフ様はグリフォンでジンガの西の外れにさしかかろうというところでグリフォンごと赤龍に食われてしまった」ゾラは細い目をこれ以上ないほど見開いて言った。小さな拳がプルプルと震えている。ゾラがこんなに話すのを聞くのは珍しいことだった。クリスとゴシマはゾラの異変に気づきお互いに顔を見合わせている。構わずゾラが続けた。
「お蔭で円卓史の巻の二が赤龍の腹の中だ。貴重な歴史が…何百年、何千年にわたる歴史がクリフ様の軽率な行動で、跡形もなく消えてしまったのだ」4巻あるはずの円卓史が3巻しかないのは、その昔、賢者クリフが赤龍が活動期であるにもかかわらず、油断からその活動場所である北東部を飛んで巻の二を抱えたまま赤龍に食われてしまったからだった。「悔やんでも悔やみきれないことを…。取り返しの付かないことをクリフ様はやってしまったのだ」ゾラの顔は既に青を通り越して鉛色をしていた。
ゾラの興奮の度合いを見てクリスがどうしたんだというようにゴシマに目配せした。ゴシマはただ小さく首を振った。
「さてと…そろそろ始めるとするか」もう一度大きな伸びをして、エンユウがガーラに近づいて行った。
そしてクシマと同じように灰色のローブをまくり両手を右後ろ脚の傷口にかざした。「エウランエウラン、スーサリム、ニウム、リル、ニウム…」
エンユウの手の平がぼやっと光った。クシマの手が青く光ったのに対し、エンユウの手は黄色に光った。時間がたつにつれて光は強くなり、ひじから先が黄色くなった。その後もどんどん強くなっていき、数分後にはガーラの翼からは青い光の柱が、右後ろ脚からは黄色い光の柱が立った。光の柱は低く垂れ込めた雲にまで達している。
クリスは顎に手を当ててクシマたちの様子をじっと見ている。ゴシマたちはただあっけにとられて、青と黄色の光に包まれたグリフォンを見ていた。
「すごいな」クリスがゴシマに言った。「さすがに円卓の賢者だけのことはある。他にもどんな力を持っていることやら」
「当然だ。我らはあの賢者様たちと旅をしているのだからな。身にあまる光栄だ」目の前の不思議な光景に目を輝かせながらゴシマが言った。
「どうです、きれいなものでしょう」ハリマが遠巻きに見ているエレナたちに声をかけた。その端正な顔立ちが二色のほのかな光に照らされている。
「あの光がだんだんと薄れてきて、最後には全く出なくなります。そうすれば、完治です」
「…きれい」ハリマの説明を聞いてか聞かずか、幻想的な風景に呆然と見とれながら、エレナはフードを外した。柔らかな風が金色の髪を揺らした。「あの光が傷の治り具合を示しているのですね」
「その通り。しかし、あのような光が出てしまうため、夜に治療するのは難しいのです。敵にも目印になってしまいますからな」比較的傷の浅い右足はみるみるうちに傷がふさがっていくのがわかった。
「もう一つ聞いていいか」バラキの問いにハリマは返事の代わりにうなずいて見せた。
「クシマとエンユウの爺さんだけじゃなく、アンタも交代してやりゃいいんじゃないのか」普段なら、ハリマをアンタ呼ばわりしたことでバラキを注意するところだが、ゴシマも気になっていることなのか、大人しくハリマの答えを待った。
「残念ながら私は回復魔法が使えません。だからクシマ、エンユウにお願いするしかないのです」
「ふ~ん」バラキはガーラを手当てしている2人の方に視線を向けた。2人とも両手を傷口に当てたまま、凍ったようにピクリとも動かない。「なるほど、魔法にも得手、不得手があるってわけか」
「その通り。金縛り術のケリー、誘導術のトリムなどその道で語りつがれる賢者もいます。このレベルになるともはや神業です」薄くなり始めた光を見てハリマが言った。「さあ、そろそろ仕上げです」