旅立ち
翌朝、一行はグリフォンの岩室の前の草地に集まっていた。広大な空間には夏の濃い草の匂いが漂っている。上空を巨大な岩が覆いかぶさるように連なった場所は空から敵が現れた場合でも隠れるのにうってつけだった。数日前に振った雨でできた水溜りがわずかに覗く青い空を映している。
岩室のグリフォンたちはヒステリックな鳴き声をあげている。鳴き声はどれもこれも攻撃的で、何かにおびえているような感じがした。
それはガーラたちも同じだった。いつもより落ち着きがなく、周りをキョロキョロ見回しては、時折甲高い鳴き声を上げている。大きなくちばしを開けては青い舌をちょろちょろと覗かせていた。いつもと変わりなく悠然としているのはドラコだけだ。
「グリフォンたちは興奮しています。バラキにも困ったものです」ハリマが言った。
「まったく見も知らない人間にずかずか入ってこられては、興奮して当然じゃ」エンユウが不愛想に答えた。
「ドラコはともかく他の3頭は大丈夫ですか」
「このままでは大丈夫とは言えまい。出立の前にまた少し落ち着かせておこう。まあ、なんとかなるじゃろう。ところで王女様たちとバラキの姿が見えないようじゃが…」周りを見渡しながらエンユウが言った。
「エレナとエイレンです。あなたがそんなことでは困ります」ハリマが釘を刺すように言った。
「つい忘れとった」エンユウが口を押えて言った。
「ついでは困ります。どこかに人外がいたらどうしますか」
「こんなところにいるわけはあるまい」小さな声で、エンユウが言った。
「どこで王女と言ってしまうかわからないから、人外がいないとわかっていても王女とは呼ばないようにしなければならない、と言ったのはあなたですよ」
「よくもまあ、細かいことを覚えているものじゃ」一層声を低めてエンユウが言った。
「何かおっしゃいましたか」チラとエンユウを見てハリマが言った。
「いや、いちいちお主の言う通りじゃ。で、そのエレナ殿たちはどうしたんじゃ」エンユウが言った。ハリマは黙ったままエンユウの顔をじっと見ている。エンユウがとぼけたような顔をしていると、しばらくしてひと言「まあいいでしょう」と言った。
「エレナ殿たちはバラキが後から連れてきます。バラキにしてもこの状態でのこのこやってきたら、食い殺されかねません。ガーラたちが出発した後にドラコに乗せていくしかないでしょう」ハリマが言った。
「まあ、バラキの奴も今度ばかりは懲りたはずじゃ。しばらくは大人しくしているじゃろう」
「そう願いたいものです。こう余計な心配ばかり増やされては何のためにバラキを連れて行くのかわかりません」
「そういうことだな、さてと…」そう言うとエンユウは大きな鼻の下をこすった。そしてローブの腕をまくると、グリフォンの岩室でやったことをもう一度繰り返した。トシはその様子をじっと見ていた。何一つ見逃すことがないよう、瞬きもせずに。
効果はすぐに現れた。穏やかな雰囲気が漂い始め、いつの間にかヒステリックな鳴き声も聞こえなくなった。
「あいかわらず、見事なもんじゃ」クシマが言った。
「なんのこれしき。たいしたことはない」言葉と裏腹に、エンユウはどこか誇らしげだ。
「どうした、トシ。難しい顔をして」ゴシマが後ろからトシの肩を叩いた。小柄なトシは前につんのめりそうになった。
「な、なんだ…」驚いて、トシがゴシマの方を振り返った。
「何を考えている。さっきからずっとじゃないか」
「いや、別に」とっさに答えた。別に隠すつもりはなかったが自然と出たのがこの返事だった。
「隠すな。エンユウのことか」
「……」トシは答えられなかった。
「そう悩むな。エンユウはグリフォンの生息地グリス山脈を擁するジランの出身で一番の乗り手だぞ。つまりは世界一ってことだ。エンユウに乗りこなせないグリフォンはいないそうだ。比べる方がどうかしてる」
「わかってる…でも」眉間にシワを寄せてトシが言った。
「普通はあんなことは起こらん。バラキの阿呆がいけないんだ」ゴシマの言うとおり、バラキのようなことをした人間は一人もいなかった。普通の人間はグリフォンが怖くて仕方がないのだ。
「確かに…」
「なら、もう考えるな。我々はできることを一生懸命やっていればいいんだ」そう言うとピカピカに磨いた小さな丸い盾を覗いて、しきりに髪型を気にしているクリスの肩を叩いた。「ほら、クリスいつまでやってる、出発だぞ」
「ではこれから私たちはジュレスを目指して出発します。お前たちもグリフォンに乗れるようになってからまだ日が浅いのですから、くれぐれも気を付けるように。とりあえず、目指すはシュノンです」ハリマが言った。シュノンはラクトとシトンの国境付近にあり、市場の町として有名なところ。シュノンまでの行程は全体の3分の一に当たる。
グリフォンにはまず、グリフォンを操る乗り手が乗る。そうしてから、後ろに座る人間を乗せる。乗り手がうまくグリフォンをコントロールして初めて乗ったことがない人でも乗せることができる。乗り手の前にグリフォンに乗るための訓練を受けていない者が乗ろうとすると、たちまち鋭いくちばしの餌食になる。
夏とはいえ、上空は冷える。一行は冬用の衣服に着替え、厚手のマントを羽織った。空の上ではいい塩梅になるが、地上では暑い。ゴシマとカインはすでに大汗をかいている。不思議と賢者たちは誰一人汗ひとつかいていない。
ドラコを除いた3頭は賢者たちが乗りやすいようにおとなしく首を下げた。風に飛ばされることがないようにベルトに付いたフックを鞍の金具に取り付けて、すべての準備が完了した。
「では参りましょう」ハリマが言った。
ガーラの乗り手はトシ。後ろにハリマとクシマが乗った。カルの乗り手はゴシマ。後ろにゾラが乗った。ロンの乗り手はカイン、後ろには食糧や水が入った大きな麻の袋が括り付けられた。
「ではお先に。エレナ殿たちをよろしくお願いします」ガーラにまたがったハリマが叫んだ。ガーラの大きさと比べるとまるで豆粒だ。下から見上げると首から上がかろうじて見える。
「すぐに追いつくよ」エンユウが言った。
まず最初にガーラが飛び立った。灰色の翼を広げ、強靭な脚で地面を蹴った。一瞬、強い風が地上を吹き払った。たったの一蹴りでガーラは50メートルも浮かび上がった。羽ばたくごとにぐんぐんと高さを増し、あっという間に小さな点になった。
「よし、次はお前たちだ。頼んだぞ」エンユウがカルとロンの足を軽くたたいた。2頭はエンユウに返事をするように小さな鳴き声を上げて、そのまますぐに後に続いた。小さな羽根で何度も羽ばたき、ピョンと撥ねるように蹴り上げると小さな体がふわりと浮いた。体が小さい分、ガーラほどの迫力はないが、それでも確実に空に向かって行った。そして2頭のグリフォンは交差しながら青い空に溶けていった。
「バラキの阿呆がグリフォンの巣穴に入ったってのは本当ですか」クリスが空を見上げながら言った。
「本当じゃ、迷惑も甚だしい」いらだっているエンユウをよそにクリスはクックと笑っている。「何がおかしい」見とがめるようにエンユウが言った。
「いや、これは失礼。でもなんだってアイツはそんな真似をしたんでしょうな。どうなるかは容易に想像がつくだろうに」
「知らん。阿呆の考えることは想像もつかんわい」
「確かに」そう言うとクリスはまたクックと笑った。