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時のしずく

 その頃、アーガとゴシマの弟トトはゴゾの実を分けてもらうため、ウガリの家にいた。アーガとウガリは隣の部屋で何か話し込んでいる。トトは緊張で心臓がパンクしそうだった。さも居心地が悪そうにキョロキョロと周りを見回している。ついさっき起こったこともまるで夢の中の出来事のように感じていた。


 兄ゴシマからジュレス行きの話を聞かされたとき、自分がそのメンバーに入っていないことがわかって今年15歳になるトトはとても落ち込んでいた。ゴシマも「まあ、お役にたてるのは何もこれが最後じゃない。その時のために自分を磨いておくことだ」と言って慰めてくれたが、とてもそんな気分にはなれなかった。


 だれもいない洞窟でうなだれていると、背後からいきなりアーガが話しかけてきた。「トト、これからウガリのおばば殿のところに行ってゴゾの実をもらってくるよ。付いておいで」


 (おばば殿?ゴゾの実?何のことだ?)さっぱり分からなかったが、賢者に対して気軽に聞いてはいけないような気がして、だまっていた。でも初めて仕事を与えられたトトは素直にうれしかった。と同時になんとも言えない緊張感が襲ってきた。


 「緊張することはないよ。この実を離さずに持っていれば、迷うことはないから。でもなくしちゃだめだよ」と言うとアーガは小汚いローブのポケットの中に手を入れた。そしてゴゾゴゾと中をまさぐりだした。ポケットから出てきたのは、枯れた葉っぱが数枚、虫の死骸と石ころがいくつか。「あれ、おかしいな」アーガはそれを土の上にばらまいて何やら探し始めた。その中から黄色い大きな木の実を見つけると、プクプクした手でつまみ上げた。大きくほっぺたをふくらまし、フッと木の実を吹いてホコリを飛ばすと、そのまま口の中に放り込んだ。


 「えっ」実をくれると思って手を出していたトトが言った。アーガはおいしそうに木の実を食べている。トトはしばらくは言いづらそうにうつむいていたが、やがて小さくつぶやいた。「あの、えっと、実をくれるんじゃないんですか」


 「えっ、何が?」アーガが言った。何がと言われると何の自信もないトトは何も言えなかった。アーガは口をモゴモゴさせながらローブの上からポンポンと手を当てて木の実のありかを探りだした。小太りの体をせわしなく動かす姿はどこか滑稽に見えた。


 ふと、トトはアーガの右足のかかと辺りに小さな木の実が転がっているのに気づいた。アーガはまったく気づく様子がなく、またポケットの中を探し出している。


 「あの…」蚊の鳴くような声でトトが言った。でもアーガには聞こえず、相変わらず太った体をまさぐっていた。しかたなくトトは右足に転がっている木の実を拾ってアーガに渡そうと手を伸ばした。「あの、これですか」


 それでもアーガは顔を真っ赤にしながら、一生懸命体をよじっている。動かす度に太った体がぽよんぽよんと波打つように揺れた。トトは仕方なく木の実をアーガの目の前に差し出し、大きな声を上げた。「これですか」

 「これ、これだよ。よく見つけたね」ようやくアーガが気づいた。そしてニッコリと笑ってそれをトトに握らせると「絶対になくしちゃだめだよ」と言った。トトは手に取っていろんな角度から見てみたが、どこから見ても何の変哲もないドングリだ。


 (ドングリを持っていけば迷わないってどういうことだろう)トトには分からないことだらけだった。とにかく、なくさないようにズボンのポケットにしまい込み、ポケットの上から手で押さえた。


 洞窟には青白い光が一定の距離を置いて灯っていた。うっすらとした光は決して明るくはないが、その光の届く範囲は非常に広く、辺りを隈なく照らした。その正体はグマン石と呼ばれる石で、暗闇の中でのみ穏やかな青い光を放つ性質がある。採掘場所が危険なところにあるため、数が少なく市場などでは高値で取引されていた。


 複雑に入り組んだ洞窟をアーガは後ろを気にかけることなく進んでいった。トトは、なんとか迷わないように頭の中で道順を整理しながら、慎重に洞窟を進んでいった。聞きたいことは一杯あったが聞けずにいたし、アーガもトトに話しかけることはなかったので、2人は無言のまま、もくもくと洞窟の奥へ奥へと歩いていった。


 「さあ、ここだよ」小一時間も進んだころ、いきなりアーガが振り返って話しかけてきた。アーガの足元には人がすっぽり落ちてしまうような大きな穴が開いている。もし自分が先を歩いていたら、このうっすらとした明かりの中では見逃してしまうかもしれないと思った。こんなところに落ちたらと思うと身震いがした。


 「木の実はなくしてないね。しっかり握っているんだよ。ここからは一気に行くよ」言い終わるとアーガは、目の前の穴に向って足からヒョイと飛び込んだ。


 「あっ」思わずトトが叫んだ。叫んだところでもう誰もいない。目の前に大きな穴がぽっかりと口を開けているだけだ。身を屈めて恐る恐る穴の中をのぞいてみた。穴の中は真っ暗でアーガはどこにも見えない。


 緊張で口の中がカラカラに乾いていた。口から心臓が飛び出してきそうだ。真っ暗な穴に飛び込むのは怖かったが、遅れるわけには行かない。とりあえず深呼吸をしてみた。落ち着いた感じは全くしなかったが、アーガの言うとおり、ポケットに手を突っ込み木の実をしっかりと握って、同じように足から穴に飛び込んだ。


 飛び込むんじゃなかった。すぐに思った。まるで空から落下しているようだ。こんなスピードで落ちて行って無事なわけがない。背中から魂が抜けていく、そんな感じがした。穴の中は真っ暗で自分が目を開けているんだか、閉じているんだかもよくわからなかった。ただ、体に感じる風の様子でいくつもの別れ道があるのがわかった。そのたびに初めからコースが決まっているようにスッスッと方向を変えて落ちていった。どうか無事でありますように。ただ祈るしかなかった。


 気が付くと柔らかな草の上に転がっていた。どこでどうやってここにたどり着いたのかさっぱり覚えていない。辺りは光が満ちていてまぶしくて目を開けていられない。不思議とどこも痛くはなかった。あのスピードで落ちてよく平気でいられたものだと思った。


 アーガはもう立ち上がって歩き出している。急いで後を付いていった。空気がまったりと体にまとわりついてきて思うように動けない。息ができる濃密な液体の中にいるような気がした。自分より小柄なアーガは普通に歩いているのに、全く追いつけない。


 2人が落ちた先は大木が点々としている林だった。一面に光があふれ、不思議なことに影がどこにも見えない。コブだらけの木はうねった根を周りに廻らせ、巨大な動物のように見えた。後ろを振り返ってみても同じように大きな木が生えている。洞窟の穴へ落ちたのに、出口となる洞窟がどこにも見えなかった。ますますわけが分からない。アーガは相変わらずマイペースで先へ先へと歩いている。距離が開くと光の中へ埋もれて見失ってしまいそうだ。トトはまぶしさに目を細めながら空気をかき分けるようにして付いて行った。


 「ここだ、ここだ」アーガは一本の木の前で立ち止まった。周りの木と同じようなコブだらけの木だ。ほかの木とどこが違うのか、何を目印にアーガはこの木を見つけたのか、トトには全くわからなかった。


 アーガは木の裏側へまわるとくぼみに足をかけて、器用に上っていった。3分の1ぐらいいまで上ったところに、幹から無造作に飛び出した太い棒があった。アーガはその棒を握り手首を返すようにくるりと回転させた。そこは木の中に入る扉だった。アーガはだれに断るでもなく、扉を開けてひょいと木の中へ入っていってしまった。扉が閉まってしまうと、全くほかの木と見分けが付かない。トトも急いで棒を目印に木を上っていった。


 扉を開けると中には大きな部屋があった。部屋の奥にも扉があり、ほかの部屋に続いていた。どうみても外から見た幹の太さより中の広さの方が広い。いろんな疑問がトトの頭をよぎったが、もうなるべく気にしないようにしようと思った。


 部屋に入ると、木の優しい香が胸一杯に広がった。上部に空いたいくつかの穴からあふれんばかりの光が注いでいる。壁際には木製の丸いテーブルと椅子が2脚のほか、木をくりぬいて造られた作り付けの棚があった。木の実のようなものが入った透明なガラスのボウルがいくつも置かれている。テーブルの真ん中には人の手をかたどった台座の上に透明な玉が置かれていた。


 扉の向こうにからアーガの声が聞こえた。時折、老婆のような声もする。「あれが熟すのに何年かかるのかアンタ知ってんのかい」何か怒っている。隣の様子は気になるものの、扉を開けて入っていく勇気もなかった。しかたなく、椅子に腰を掛けて待っていた。


 「第一、よくもまあ、あたしのところに顔を出せたものだよ」ぶつぶつ言いながら痩せこけた一人の老婆が入ってきた。トトは思わず席を立った。どうやらこの老婆がウガリらしい。


 背筋こそシャンとしているものの、見た目はクシマよりもっと年上に見える。顔には深いシワが刻まれ、皮膚は黒ずみ固くヒビ割れている。いくつも見える大きなシミはアザのように見えた。白髪を無造作に後ろで束ね、左手だけに黒い手袋をはめている。文句を言いながら、棚から透明な小さい容器を取り出すとトトの存在など目もくれず、もう一つの椅子に座った。


 「一体何を考えているんだろうね、お話にもならないよ」言いながらウガリは大きくくぼんだ目をトトに向けた。トトは思わず身をすくませた。しかし、ウガリはそんなトトを気にするでもなく、左手の手袋を外した。白い手が出てきた。骨の上に薄いシミだらけの皮を張り付けたような右手と違い、シミはおろか、くすみの兆しすら見えない。


 次に髪を束ねている紐を外すと両方の手の平を自分のおでこの髪の生え際に当て、そのまま生え際から頭のてっぺんを通って、うなじに向って、白髪の上から何かを掬い取るように動かし始めた。少しずつ、ゆっくりと…。


 何をしているんだろう、その様子を見ていたトトは思わず目を瞠った。なでられた部分が黒髪に変わっている。しかも細くはりのないちぢれたような白い髪の毛がしっとりとした豊かな髪の毛に変わった。溢れるばかりの光を受けた黒髪はツヤツヤと輝いている。


 「えっ」トトは思わず目をこすった。老婆はその様子をチラッと見ると、楽しそうに笑みを浮かべた。シワだらけの老婆が笑うと目がシワと一緒になって区別がつかなくなった。


 老婆は手の位置を少しずつずらしては同じことを繰り返した。2~3度繰り返すうちに白髪は一本もなくなってしまった。どこからみても若い女性の髪の毛だ。トトはその出来事を、ぽかんと口を開けて眺めている。瞬きひとつせず、ただ呆然と。


 次に、両手をそろえておでこにあてた。干からびて筋張った右手と、ほっそりと伸びた白い左手が奇妙なコントラストをなしている。今度はおでこからあごに向ってゆっくりと顔の上をなでて行った。するときめの細かいつるんとしたおでこが、次に潤いを帯びたつぶらな瞳が、形のいい鼻が、最後に艶のある唇があらわれた。刃物で刻んだようなシワやシミは跡形もなく消え、代わりにみずみずしい肌があらわれた。これを2、3回繰り返すと、老婆の顔はどこから見てもうら若い女性の顔になっていた。同じように首や手など、むき出しになった部分も拭い取るようになでた。


 ひととおりなで終えたウガリは、髪や皮膚から拭い取ったものを両手でこね始めた。そして、こねたものをさらに右手の人差し指と親指を使って丸め、人差し指の腹の上に乗せた。ちょこんと乗せられた小さな丸い玉は黒い水滴のように見える。


 「ようく見てごらん」初めてウガリがトトに話しかけた。ウガリの声はすぐそばで話しているにもかかわらず、どこか遠くから聞こえるような気がした。若返ったウガリはニコッとわらうと、今度は人差し指をひっくり返した。水滴は今にも滴り落ちそうになったが、粘り気のあるその水滴は落ちそうで落ちなかった。目を近づけてよく見ると、黒味がかった緑色の液体が小さな水滴の中で渦を巻いて動いている。


 「時のしずくさ」ウガリが言った。トトは人差し指の下でかすかにゆれているしずくからなぜか目が離せなくなっていた。しずくの真ん中をゆっくりと動いている濃い緑の渦を見ていると、いろいろな色が混ざっていることに気がついた。さえない赤や枯葉色、くすんだ青と緑の混ざったような色、どれもぼんやりとはっきりしない色ばかりだ。ゴチャゴチャに混ざってなんとなく全体としては暗い緑に見えた。


 時のしずくを見ているうちに、トトはなぜか強烈にさわってみたくなった。そして無意識のうちにその不思議な水滴にそうっと指を伸ばしていった。

 「やめときな」ウガリが急いで人差し指を引っ込めた。

 「間違ってもこのしずくに触れちゃあいけないよ」ウガリは左手で棚から小さな透明の容器を持ってくるとその中にしずくを移した。しずくは容器の内側をゆっくりと伝って、底にたまった。


 「こいつは気が遠くなるほどの時の塊さ。アンタがその身でこの時を受けとめようとしても、受けとめきれるものじゃない。このしずくにふれた途端に、死んでしまうよ」

 (死ぬ?)ウガリの口から出た過激な言葉にトトはギョッとした。(時のしずくってなんだ?ふれるとどうして死んでしまうんだ?)考えないようにしていてもトトの頭の中は分からないことだらけで今にもこぼれそうだった。


 「これ以上はアンタの前でするわけには行かないよ。ちょっと待っといで」ウガリは小さな容器を持ってまた奥の部屋に引っ込んでしまった。トトはまた一人になった。たった今目の前で起こったことが頭から離れなかった。今のは本当にあったことだろうか、それとも夢の中のことだろうか。


 静かだ。鳥や虫の鳴き声さえ聞こえない。日当たりのいい木の中はぽかぽかしている。初めのうちこそ、緊張していたトトだが、時間がたつにつれて、だんだんと眠くなってきた。腰を下ろしてうつらうつらし始めたとき、アーガが部屋の中に入ってきた。


 「嫌味を言われちゃったよ、参ったね」アーガが木製のボウルを抱え、笑いながら部屋に入ってきた。

 「あ、あのなにかあったのですか」あわてて目をこすりながら、トトが聞いた。

 「いや、以前一緒に連れてきた男が時のしずくを持ってっちゃってさ、いや~、あの時はまいったね、実際」ボウルから木の実を取り出してはつまみ食いをしている。


 「え、それでどうなったんですか」

 「死んじゃった、なんとかって川で」

 「えっ、誰が死んだんですか」

 「その男がさ」ボウルが空になると、今度は棚からガラスの器を取り出しては順番に匂いを嗅いでいる。そして、そのうちのいくつかから木の実らしき物を取り出して口の中に放り込んだ。

 「それでウガリさんは怒ったんですか」

 「そりゃあ、怒ったよ。男の衣服はボロボロになって見つかったけど、時のしずくは見つからないし…。おばば殿が左の手の時のしずくをとったところで、何か用事を思い出したらしくって、一旦それを器に入れて、外へ出て行っちゃったんだよ。その間に持って行かれちゃった。僕がずっといたんだけど、おばば殿のところにあった木の実があまりおいしそうなんで、夢中で食べている間に出て行かれちゃったらしくて、怒られた、怒られた。それに比べれば今日は全然だよ。少し嫌味を言われただけだからね」懲りることなく木の実をボリボリ食べながら言った。


 「あ、あの…時のしずくってなんですか」

 「時の塊でさわると死んじゃうんだって、見たことないけど」

 「ウガリさんはなんで左手に手袋をはめているんですか」

 「そこだけ若返ったから」あらかた食べつくしたアーガは他に木の実がないか、ない首を伸ばして、棚の中をあちらこちらと探し始めた。ついには、棚に足をかけ、よじ登って高い棚にも手を伸ばし始めた。丸い体を器用に動かし、一番上の棚まで手を伸ばしている。トトはあきらめてだまっていることにした。


 そこへ身軽な服装に扮したウガリが入ってきた。もうどこからどう見てもうら若い乙女だ。アーガはいち早く気配を察して棚から降りた。そして食べ散らかした器を片付け、わざとらしい笑顔を作った。ウガリはそんなアーガを無視して、トトの前の椅子に腰掛けた。


 「はいよ、これがゴゾの実さ。無駄遣いすんじゃないよ」そう言うと白い手をトトの胸元に伸ばした。ほっそりした指をゆっくりと開くと、小さな豆粒ほどの実が10個あった。


 トトはウガリを目の前にして、ドギマギしてしまった。とてもさっきまでの老婆と同一人物とは思えない。ウガリの大きな瞳がチラッと自分を見つめたとき、思わずトトは目をそらしてしまった。「あ、ありがとうございます」ぎこちないお礼を言って、木の実をそのままアーガに手渡した。


 「クシマによく伝えておくんだよ。あんまり無駄遣いさせるんじゃないよって」

 「いや、こんなに。これはかたじけない。クシマたちも喜びます」アーガは頭をペコリと下げた。なにがなんだかわからないままトトもアーガにあわせて頭を下げた。


 「そうそう、アタシの左手の時のしずく、あれはもう探さなくていいから」

 「へっ、なんで?」アーガはきょとんとした表情を浮かべた。

 「いいったら、いいんだよ。わかったね。ほら、もうお行き」アーガたちは、せかされるようにウガリの家を後にした。


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