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抱きしめて・・・  作者: 長谷川るり
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第9話 ひとすじの光

9.ひとすじの光


 高校二年の二学期ともなると、卒業後の進路相談もいよいよ具体的になる。二者面談が順番に行われ、僕の番も例に漏れずやってくる。

「もう少し、よく考えておけよ。時間、有るようで無いぞ」

担任にそう言われ、僕は教室を出る。昇降口で靴に履き替えると、鞄の中で携帯が震えた。

『今日バイト?』

彩愛からだ。

『違うよ。今面談終わったとこ』

そうすぐに返信する。

『じゃ、歩道橋来て。待ってる』

最後の『待ってる』が僕の心を躍らせる。さっき教室を出た時の重たい気持ちも、一瞬にして吹っ飛んだ気分だ。


 歩道橋に駆け上がって行くと、彩愛は前と同じ様に下をじっと眺めて立っていた。

「ごめんね。待った?」

そんな まるで付き合ってるカップルみたいな挨拶を、僕は密かに楽しんだ。しかし、彩愛はもちろんそんな小さな事気にしてはいない。

「ありがと。来てくれて。急だったのに」

「全然」

僕は鞄を地面に置いた。

「どうしたの?」

彩愛は自分のリュックを背中から下ろして、前に抱えた。

「よっしーは、面談どうだった?」

僕はちょっと息を詰まらせた。

「まぁ・・・よく考えろって」

この上なく抽象的で曖昧な返事で返す。

「よっしーは、将来の目標みたいなの・・・決まってんの?」

僕はもっと声を詰まらせた。まさか、何も無いなんて、格好悪くて言えない。ましてや今は彩愛の年上の彼氏と張り合おうとしているのだ。社会に出て自分で生活してる大人に勝つには、夢に向かって頑張ってる様な男でなきゃ無理だ。

「まぁ・・・色々・・・」

「へぇ~凄い。・・・じゃ、大学進学?」

「・・・う、うん・・・まぁ」

「そっかぁ・・・」

彩愛の無気力な相槌が凄く気に掛かり、僕は質問した。

「角田は?進学?」

「私さぁ・・・な~んにもやりたい事ないの」

同じだ。その気持ち、本当は凄くよく分かる。それなのに、ちっぽけな見栄を張ったがばっかりに、今更共感など出来ない。

「先生はさ、短大とかに進んで いろんな事経験しながら将来の事決めたら?って言うんだけど・・・私、また親の世話になるの、嫌なんだよね」

「・・・・・・」

「私の唯一の夢は・・・」

そう言って、僕の方を見てにっこり笑った。

「一人暮らしする事」

納得が出来た。

「じゃあ・・・就職?」

「でもさ、高卒の初任給って 結構安いんだよね」

「そうなんだ」

「それで一人暮らしして、家賃も生活費もってなると・・・大丈夫なのかなって、ちょっと不安」

彩愛はリュックの中からチョコを取り出して、一つを僕に差し出して、もう一つを自分の口へ放り込んだ。

「チョコ食べると、ホッとするぅ」

チョコの甘さが口の中いっぱいに広がると共に、彩愛はとろけそうな満面の笑みを浮かべた。そして、そのまろやかさが落ち着くと、再び先程の話の続きを始めた。

「就職となるとさ、英検とか漢検とか、とにかく資格が無いと一般事務は難しいだろうって。だからって進学も・・・。それに私、頭悪いし、受験勉強なんてごめんだし」

「確かに・・・。大変だもんね」

「推薦もね、今年に入ってからの欠席日数が多すぎて・・・駄目だろうって」

急に僕の胸が苦しくなる。

「それ・・・責任感じるな・・・。ごめんね」

すると彩愛は軽く僕の腕をペシッとはたいた。

「なんで~!よっしーのせいじゃ、全然ないよ~。私がズル休みし過ぎたからねぇ」

「この間の一週間は、僕も関係してるし」

「だって、よっしーは来てたでしょ?来ようと思えば来られたのに、ズルしたのは私の責任」

しかし僕の気持ちは軽くはならなかった。そして、つい思いつきを口走る。

「じゃあさ、お互いに何か目標になる様なもの、見つけようよ」

すると彩愛が少し驚いた顔をこっちに向けた。

「よっしーは、もう決まってんじゃないの?」

彼女に見栄を張った手前、今更『さっきはつい嘘ついた』なんて、もっと格好悪くて言えない。

「いや・・・お互い似たようなもんだよ」

彩愛はじっと僕の顔を見てから、笑った。

「そっか」

バレたのか どうなのか、分からない。いや、多分僕が見栄を張ったのを察したのだ。でもきっと傷付けまいと、あっさりと流してくれたんだ。彩愛のその気遣いに、僕は勝手ににやけてしまいそうになる。そして彩愛は前に抱えていたリュックを背中に背負った。そして大きく一回息を吸った。

「私達さ、噂にもなっちゃったしさ、いっその事本当に付き合っちゃおうか?」

当然僕のリアクションは、想像通りだ。ありきたりの、多分役者だったら超下手な臭い芝居だと言われてしまう様な、目を見開いて一瞬固まった。そして彩愛は、そんな僕を見て笑った。

「似た者同士だしさ!」

しかしまだ僕が返事に困っていると、彩愛がペシッと僕の腕を叩いた。

「そんな露骨に困った顔しないでくれる?私だって、地味に傷つくわ」

「いや・・・そういう意味じゃ・・・」

そんな言い訳、遅すぎる・・・そう分かっているのに、僕の口は上手い事回らない。僕が一人で内心うじうじ考えている間に、彩愛は気持ちを切り替えた顔をして、僕の方へ体を向けた。そして両手で僕の腕を掴んだ。

「ねぇ、お互いに 相手の良い所挙げてみよっ」

急にどうしたんだ?という顔を僕がしていたんだろう。半分開いた口が塞がらないのを見て、彩愛が口を尖らせた。

「そっからどんな仕事が向いてるか・・・見付かったらいいなと思って」

それでも僕がまだ黙っていたから、彩愛が強引にそれを始めた。

「う~んとねぇ、よっしーは釣りに詳しいから・・・でもプロになれる人は一握りだろうから・・・釣り雑誌の記者とか・・・」

一生懸命考える彩愛が嬉しくて可愛くて、僕はまだ黙ったままでいた。だって未だ両方の腕を掴んだままで、正直僕はずっとドキドキしていたんだ。何にもない様な顔をしているなんて器用な事、僕には出来なかった。

「あっ、よっしーは凄く優しいから、介護士さんとか保育士さんとか看護師さんとか、そういう人のお世話する仕事なんて合ってると思う。うん」

ようやく彩愛がそこで腕を離した。語尾に付けた『うん』と言うタイミングで、手を合わせたからだ。その拍子に 僕は静かに半歩下がって、彩愛との距離を保ちこっそり深呼吸した。

「あ、ありがとう」

「ねぇ、私は?なんかある?」

「角田は・・・お洒落だから、洋服屋の店員とか」

言いながら、勝手に頬が赤くなる。

「うんうん」

「あとは・・・読モとか・・・」

「読モ?!」

「うん・・・いけると思うけど・・・」

彩愛の気迫に押され、僕はまた半歩後ずさりした。

「え~、でも色んな洋服とか着られたら楽しそうだし・・・応募してみようかな」

そう言いながら、彩愛は急にくるっと向きを変えて、空を仰ぎ見た。

「よっしーのお墨付きなら、挑戦してみる価値あるね。うわ~、急になんかやる気出てきたぁ~!」

西に傾いた夕日が、歩道橋の上に二人の影を長くした。


 バイトから10時半頃帰宅した彩愛が玄関を入ると、今日も母の靴は無く、廊下には父親が投げただろう母のスリッパが散乱していた。ため息をついて、彩愛はそのまま階段を上がって自分の部屋へ逃げ込むとドアを閉めた。制服のままベッドに身を投げ出すと、善之の母に言われた言葉を思い出す。

『お父さんも寂しいのよ…』

「・・・な訳ないよ・・・」

そう独り言を呟くと、そこへメッセージの着信音がする。

気怠そうに起き上がって鞄から携帯を取り出した。

『知ってた?今度流星群見えるんだって』

善之からのそのメッセージを読んで、彩愛の顔が僅かに緩んだ。

『いつ?この辺から見えるの?』

『暗い所の方が見やすいとは思うけど』

『じゃ、秘密基地から見えるかな?』

そんなやり取りをしながら、彩愛は窓を開けた。空には欠けてしまいそうな月が儚く光を放っていた。

『金曜だって、流星群』

善之からのメールを読んで、すぐに返信した。

『その日、秘密基地でデートしよ』

そう送って、彩愛はそのまま電話を伏せた。そしてもう一度三日月を確認する様に見てから窓を閉めた。


 階段をゆっくりと降りて、父の居るリビングに入る彩愛。リビングの床に座って酒を飲んでいた父の周りには、いつもの様に色々な物が散乱していた。

「帰ったのか」

「・・・うん」

会話はそれ以上は無い。彩愛が台所に行って冷蔵庫を開ける。母が何か作って行った形跡はない。父の飲んでいるテーブルをチラッと見ると、缶詰やスルメが散らかっている。

「なんか・・・作ったら食べる?」

勇気を出して、彩愛はそう聞いてみる。こんな事聞いた事がないから、父親は一瞬じろりと彩愛の方を見た。

「あいつが何にも用意もしないで家空けるからっ!」

段々声が荒く大きくなってきたところで、彩愛がそれ以上の強い口調でストップをかけた。

「だから、食べる?」

父親はエスカレートする言葉を一回しまって、もう一度返事をした。

「お前、作れんのか?」

「何でもいいなら、ある物で作るけど」

ふて腐れた顔で父親の顔を見ずに、彩愛はそう言った。


 チャーハンを作って、二つの器に盛り分けた。一つを父親のテーブルに不愛想に置いて、もう一つはキッチンのカウンターに置いた。父親に背を向ける様に座り、彩愛は黙々とチャーハンを頬張った。カウンターキッチンとダイニング、そして大きなテレビのあるリビングと、そこそこ広いこの空間に、食器の音だけが響く。『ありがとう』とも『美味しい』とも言わない父親に、母親の気持ちを重ねた。と同時に、自分は絶対こんな人とは結婚しないと強く思う。夏休みに善之とサイクリングに行った時に食べたお弁当を、彼があんなに感激して喜んでくれた事を思い出すと、彩愛はその喜びを味わえなかった母親がより一層不憫に感じるのだった。

 黙々と食べて食器を洗いに台所に回る。洗い物をしていると、父が何か話しかけている。水の流れる音で聞こえなかったのだ。多分、何度も呼んでいたのだろう。かなりイライラした声をがなり立てている。水道を止めると、父の声が耳に飛び込んできた。

「氷、持って来い!」

グラスの氷が少なくなってしまったらしい。彩愛は大きくため息をついて、氷をこれでもかという程山盛りにして、テーブルの上に大きな音を立てて置いた。いつもなら、こんな態度をしようものなら、即刻物が飛んでくるのに今日は来ない。しかし油断は出来ないと、少し父親の様子を気にしながら 彩愛は洗い物を再開する。

 片付けが終わりかけた頃、父親がキッチンに近づいて来る。手にはさっきのチャーハンの皿を持っている。自分で下げた姿など見た事ない。『不味くて食えない』とでも言って、残したチャーハンを捨てに来たのかと彩愛が内心緊張していると、空っぽの皿を流しに置いて父が言った。

「こんなの作れんのか」

本当に小さな小さな声だった。何かしていたら完全に聞こえなかっただろう音量だ。

「これ位作れるよ」

「あいつが家の事何にもやらないから・・・っ!」

また母親の文句だ。こうなると途端に音量が大きく荒っぽくなる。それを知っている彩愛は、またその手前で止めた。

「ちっちゃい頃から好きで、ママに教わって作ってたの」

「・・・・・・」

「家に居なかったから、知らないでしょ」

冷たくそう彩愛が言い放つと、父親はまた不機嫌な表情を露わにする。

「家族の為に仕事してんだろ!誰のお陰で飯食わしてもらってると思ってんだ!」

いつもの台詞だ。何百回と聞いてきた。彩愛の大っ嫌いな台詞だった。そしていつもここで母が反論する。私はいつの日からか それを聞きながら、反論しなければ火に油を注ぐ事はないのにと、母の事も馬鹿だなと思うようになっていた。

「そうだね。感謝してる。ありがとう」

気持ちは当然こもってはいない。ただ面倒な事を避けたいだけだ。しかし、そう言った後、嘘の様に父親が黙ってしまった。かえってその無言の時が不気味で、やっぱり思ってもいない言葉はバレてしまったのかと、いつ爆発するか分からない恐怖を同じキッチンの中で感じている彩愛だった。ふと見ると、父親はさっき下げて来たチャーハンの皿を自分で洗って拭いている。初めて見る光景だった。しかし台所になど一切立たない父は、皿の在りかが分からない。しまえずに、ただそれを持ったまま食器棚をキョロキョロ覗き込む父に、彩愛が手を差し出した。

「ついでにしまっとくよ」

ボソッとそう言うと、父もボソッと言った。

「あ、そうか」

皿をしまっている後ろ姿に、父親の更に小さな声がした。

「旨かったよ」

彩愛は思わず耳を疑ってしまった。そして振り返ってしまいそうになる。

「あ・・・ありがと」

彩愛も蚊の鳴くような声でそれに答えた。


 次の朝彩愛が起きて下に降りていくと、昨夜廊下に飛び散っていた母のスリッパは揃えられていて、散乱していたリビングも片付いていた。彩愛がいつもの様にトースターに食パンを入れると、そこへ父親がスーツ姿で現れた。

「おはよう」

そう声を掛けたのは父の方からだった。

「おはよ」

そう返事をして、その後にまた付け足した。

「パン食べる?」

「あ、・・・ああ」

トーストを皿に一枚ずつ乗せ、一つはダイニングテーブル、もう一つはキッチンカウンターに置いた。そして二人はまた、違う方向を向いて黙ってパンをかじった。

「コーヒー」

父親がぶっきらぼうにそう言った。彩愛が父の方を向くと、父も彩愛の方を見ていて、コップの牛乳に目をやると言った。

「いいや、自分でやる」

ボソッとそう言って冷蔵庫から牛乳を取り出した。しかしコップの在りかが分からない。食べ終わった彩愛が流しに食器を下げた後、コップを一つ父の前に出した。

「あ・・・ありがと」

物心ついてから初めて聞く父からの『ありがとう』に、彩愛の心の隅がにわかに温かくなる。しかし、それを必死に否定しながら、彩愛は学校に登校した。


いよいよ次で最終回です

お楽しみに。。。

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