第7話 届かない『好き』
7.届かない『好き』
彩愛とのサイクリングから10日が経っていた。別れ際に僕が突発的に言った告白を、彩愛はどう思っているのか、ずっと気になっていた。もちろん あれ以来彼女から連絡はない。やっぱりフラれたって事なのか。それとも、あれが告白とは伝わっていないのだろうか?確かに『つき合って欲しい』とも『好きだ』とも言ってはいない。ならば、友達として励ましたとしか思っていないのか・・・。僕はモヤモヤとした気持ちのまま、時間に流される様に毎日を消費していた。
そんな朝、パートに行く前に母親がにこにこと言った。
「今晩カレーにするから。彩愛ちゃんに声掛けておいてね」
やっぱり予想通り張り切っている。昨日母が、仕事帰りに寄ったスーパーでじゃが芋が特売だったと、嬉しそうに 帰って来る家族一人一人に自慢げに話していたから、もしや今夜はカレーかと思っていたところだ。
彩愛に言われた通りに朝メールをしたが、結局夜まで返事はない。やっぱりフラれたんだと、僕は心の中に一つ重たい石で僅かな期待に蓋をした。
昼から入っていたバイトを終えた6時過ぎ、店のドアを出て端に停めていた自転車に鍵を差し込む所で すっと人影が近付いた。彩愛だった。
「あ・・・」
僕はとっさに嬉しい様な気まずい様な気持ちになって、そうとしか声が出なかった。
「メール、ありがとう」
「・・・あ~、カレーね」
僕は笑顔で答えたが、思わず目は反らしてしまった。自転車にまたがる僕に、彩愛がもう一言付け足した。
「その前に・・・いいかな?秘密基地・・・」
「あっ・・・うん。もちろん」
今までみたいにお喋りをしながらという訳にいかない。いよいよ、決定的に振られに行く様なものだ。死刑執行に向かう受刑者の気持ちは、こんな感じなのだろうか・・・そんな馬鹿げた事を考えながら、もう僕は自分の事で頭がいっぱいになっているのだった。しかし彩愛は、うちでの夕飯のカレーを楽しみにしている様だ。
「お姉さん達もいる?」
「どうかな。いるんじゃないかな」
「お父さんは?」
「いっつもこの時間には帰って来ないから」
「よっしーの家族、私大好き」
嬉しそうに話す、本当なら楽しい筈の会話を味わう余裕がない。決定的にバッサリとフラれた後で、一体どんな顔して一緒に帰って一緒に夕飯を食べればいいというのだ。
秘密基地に着き、いつもの木のいつもの位置に二人で落ち着く。僕は判決を待っている様な気分で、夕方の陽が落ちていく手前の街並みを感傷的に眺める余裕は もはや無い。
「この間の帰りによっしーが言ってくれた言葉さ・・・」
来た!やはりこの話だったんだと、僕は更に身構える。
「あれから私、考えたんだけどね」
思わずごくりと唾を飲み込んでしまって、彩愛に聞こえてしまったかと焦る僕とは裏腹に、彼女は足をぶらぶらさせながら話している。随分余裕がある様に見える。こんなに一人でテンパってる自分が、まるで器の小ささを意味している様で、少し胸を張ってみたりして虚勢を張る。
「よっしー、私の事、好きじゃないよね?」
僕は耳を疑った。伝わっていなかったのか?それとも、あれを僕の本心だとは思えないって事か?何て言えばいいのか分からずに、僕は頭を掻いた。すると、彩愛が続けた。
「友達としてって意味だけだよね・・・?」
「え・・・」
情けない。これだけ聞かれても僕は、『角田の事が好きなんだ』ってはっきりと言えない。口だけもごもご動いてるだけで・・・本当に情けない男だ。
「だって初めてここに連れて来てもらった日、木から飛び降りた時、私キスしたの覚えてる?」
「あ・・・うん、もちろん」
「だけど、あの時よっしー、抱きしめてもくれなかった」
「・・・・・・」
「普通さ、女の子が胸に飛び込んでいったら、好きじゃなくても抱きしめてくれる位するでしょ?」
「ごめん・・・」
彩愛は首を横に振った。
「違う違う!あれで私、よっしーは他のそこら辺にいる男と違うんだなって思ったんだもん」
良い様に解釈されていた事に、僕は少し安心した。
「その時、よっしーは他に好きな子がいるんだなって思ったの。だから私なんかが ちょっと淋しくて甘えても、流されたりしない硬派なんだなって。逆に信用できるって思った」
「・・・・・・」
自分があの時、どうしたらいいか分からなかっただけなのに と思うと、恥ずかしいやら情けないやらで、言葉がない。
「だから・・・ずっと謝らなきゃって思ってた。あの時、キスしちゃってごめんね」
「いや・・・僕は・・・別に・・・」
彩愛の一言で心に悲しい色が広がる。でも本当に意気地なしの僕は、それをきっぱり言う事も出来ない男だ。少し沈黙が流れると同時に、二人の木の枝の隙間を夕方の少しサラッとした風が通り抜けて行った。
「だからね、この前 帰り際にああ言ってもらって嬉しかったんだけど、あっ違うなって。よっしーは他の男とは違うから、女をすぐそういう目で見たりしないんだって」
何だかそう言われて、かえって言いづらい空気になってくる。益々モヤモヤしてきて、僕は自分の気持ちを整理する為に、一度大きく深呼吸した。
「彼氏と別れてって言ったんだから・・・そう無責任な気持ちでは言えないよ」
僕は言ってみて、かえって分かりづらかったと後悔した。少し考えてから、彩愛は言った。
「よっしーの好きな人って、誰?」
ドキンとした。思わず唾を飲むタイミングと息を呑むタイミングが合ってむせてしまうところだった。
「・・・・・・」
答えに困ってると、彩愛が面白がって僕の方を向いて、靴をツンツンつついてくる。
「学校の子?」
「・・・」
「バイト先?!」
「・・・」
「あっ!もしかして幼馴染とか?よっしー一途だからなぁ」
この前勢いに任せてだが、ある意味覚悟して告白したつもりなのに、どうして伝わらないんだろう・・・そう思うと、自分が情けなくなる。
「そんなんじゃないよ!」
自分にイラついたのに、つい言葉が強くなってしまった。急に荒い言い方になった僕の顔を真顔になって見上げ、彩愛は謝った。
「ごめん・・・。からかったつもりじゃなかったんだけど・・・」
その時、僕の携帯が着信を受けて震えた。電話の主は母親だ。
『バイト終わってんの?遅くない?』
「あぁ、ごめん、連絡しないで」
『彩愛ちゃん、来られるって?』
「あぁ、今一緒。もう少ししたら帰るから」
すると急に母の声がワントーン高くなる。
『そう!良かった。じゃ、待ってるね』
電話を切ると、彩愛が言った。
「お母さん?」
「うん。『彩愛ちゃん来られるか?』って」
「今、電話から聞こえてた」
「声デカいんだよぉ」
彩愛はあははと笑った。
「行こっか」
彩愛がそう言って、木から滑り降りた。さすがに降り方も、少し上手になっていた。
その後、曽根家でカレーの夕飯を食べる。泉美も家に居て、再び訪ねてきた彼女を笑顔で迎え入れた。食べ終わった食器の片付けを率先して買って出る彩愛に、母が言った。
「今日は泊まっていけるの?」
「え?」
彩愛の顔が急に花が咲いた様にパアっと明るくなった。
「いいんですか?」
「お家にちゃんと連絡入れるのよ」
勝手に話が進む。女同士とはそういうものだ。
僕の部屋で、彩愛が本棚を眺めている。
「よっしーってさ、エロ本もないし、グラビア系の写真集とかもないしさ・・・、もしかして女の子に興味ないとか?」
「ないよ!」
「やっぱ、無いんだ?!」
「違うって!そんなの・・・そういうの・・・無いよ!」
慌てて口が回らない。こんな事くらいで焦る僕は情けない。これ位の質問、軽くかわせる男になりたいものだ。
「よっしーの安心感は、そういうところから来るのかと思っちゃった」
「なんだよ、『やっぱ』って・・・」
僕の口からボソッとそう言葉がこぼれた。だってこの間、僕なりに勇気を出して彩愛に告白したつもりなのに、今『やっぱ女の子に興味ないんだ?』って聞かれる僕は、どれだけ安全牌なんだ。異性としての存在感ゼロだと言われている様なものだ。
「あっ、もしかしてよっしー、今ムッとしたでしょ?ごめん・・・」
「ムッとなんかしてないよ・・・」
「いや、絶対にしたって。あんな顔いつもしないもん」
また僕は困って頭を掻いた。
「滅多に腹立てないよっしー怒らせるんだから、私やっぱり相当無神経なんだね。こんなに温厚なよっしーもムッとさせるんだから、彼氏が私にイラつくのも当たり前だよね」
彩愛がまた彼氏の事を思い出して、瞳の奥に影を落とす。それを見て、僕は慌てて、そして無理やり上手くない言葉を絞り出した。
「だから、ムッともしてないし、イラついてもないって。ただ・・・」
考えも無しに『ただ』なんて付けてしまったから、もうその後にこの前の言葉は告白だったんだと言うしかなくなってしまう。でも、このタイミングでそんな事を言ったら、今晩から明日に掛けて気まずいままだ。そんなちっぽけな事を考えて躊躇していると、ドアのノックが救世主の様に二人の間に響いた。
「すいか切ったけど、食べる?」
こんな時、呑気な母の声に少し救われる。
「昨日ね、仕事場の人に頂いたの。だからね、彩愛ちゃんが来る時に食べようと思って冷やしといたの」
リビングで皆とスイカを囲むと、また母が言った。
「お布団、また善之の部屋でいいの?」
「いいよ。僕こっちで寝るから」
そう言ってソファを指さした。すると泉美が、スイカの種をペッと吐き出しながら言った。
「今日は女子部屋来ない?」
好奇心旺盛で人見知りしない彩愛は、基本的に断る事をしない。今日急にここに泊まる事にしたのも、姉達の部屋で寝る事にしたのも。しかしきっとそれだけではなくて、本当に彩愛は 家族や兄弟に囲まれて過ごした事がないから、それを感じられるここが、居心地がいいのだろう。僕にとっては時々女性陣の圧が面倒に感じる事もあるけれど、今の彼女の心の寂しさを丁度埋めてくれているみたいだ。そう考えたら、間接的だが僕も彩愛の役に立っているのかもしれない。
女子部屋の狭い床に布団を敷いて、その上に姉二人と彩愛、そして母までもがその輪に加わっていた。一通り彩愛の話を聞き終わると、泉美が言った。
「確かに、それじゃなんで別れないのって思うよね・・・」
「お互いに別に好きな人がいるのに、私のせいで別れないで嫌々暮らしてるなんて、耐えられない」
「それで、自分さえ居なければって思っちゃう訳だ・・・」
詩織の言葉に頷く様に俯いて、彩愛は膝を抱えた。
「彩愛ちゃんも寂しいし・・・お父さんも寂しい。お母さんも寂しい。皆寂しいのね・・・」
彩愛が顔を上げた。
「お父さんはきっとお母さんの事、凄く好きなんだと思う。でもそれが上手く噛み合わなくて、寂しくて、八つ当たりしちゃうんじゃないかな」
母が言い終わるのを待って、彩愛が首を横に振った。
「お父さんがママの事好きなんて・・・考えられない。好きならもっと、優しくしてあげればいいのに」
「うん・・・そうね。でも、好きの表現って、人それぞれ違うのよ」
まだ納得できない彩愛。
「彩愛ちゃんの為に離婚しないって、親になれば その気持ちはわかると思う。彩愛ちゃんを大切に思うからこそ、せめてもの親としての責任というか・・・。だけどね、多分それだけじゃないと思う。お父さんもお母さんも、本当は昔みたいにもう一度仲良くやりたいって思ってるんじゃないかなぁ。だから離婚しないんだと思うな」
一点を見つめたまま返事をしない彩愛だったが、母が彼女の頭を撫でると、一筋の涙が頬を伝って落ちた。そして母は、そのまま彩愛をぎゅっと抱きしめた。