表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
抱きしめて・・・  作者: 長谷川るり
6/10

第6話 ある夏の日に・・・

6.ある夏の日に・・・


 約束当日、まだ陽の昇らないうちから僕等は待ち合わせをした。赤い自転車で現れた彩愛は、リュックにキャップを被って、いつになくアクティブな格好だ。おまけに晴れやかな笑顔まで僕に向けた。

「おはよう」

思わず目を逸らしてしまう。今まで夜会う事はあったが、こんな早朝から会うのは初めてで、少しくすぐったく感じる。早々に自転車にまたがって、僕の後について彩愛が自転車を走らせる。速過ぎやしないか、時々僕は後ろの彩愛を振り返る。夏の早朝の空気は気持ちがいい。多分一年で一番爽やかな気分になれる様な気がする。昔はお父さんに付いて走らせた道を、今は女の子が僕にぴったり付いて走ってくれる。僕は元々リーダーシップをとるタイプでもないし、家でも末っ子だから、こういうシチュエーション自体珍しい。珍しいだけじゃなく、かなり気分がいい。ちょっと自分が男らしくなった様な錯覚を起こしてしまいそうだ。

 朝日の昇る時間に合わせて、丁度綺麗に見えるポイントに着きたいと僕は必死に自転車をこいだ。初めての休憩は、朝日の見える橋の上だ。自転車を降りた彩愛はふうっと息を吐いたが、朝日を見ると、急に元気な顔になる。

「この前見た朝日と、全然違う」

この前とはきっと、『今は一人で居たい』とメールで返信した日だ。僕もあの日、歩道橋の上から見た悲しい朝日を思い出して言った。

「うん」

彩愛は僕の方に笑顔を向けて続きを喋った。

「今日、いい日になりそう」


 朝日が東の空に昇り始めると、朝と言えども段々と気温が上昇するのが分かる。肌に照りつける日差しも、早くも強い。僕は木陰の多い道を選んで自転車を走らせた。途中何回か休憩を入れ、目的地の自然公園に到着する。自然公園という名前通り、かなりの敷地面積だ。子供連れがアスレチックに来たり、池でボートに乗ったり出来る。人工池が釣り堀になっていて、釣ったニジマスを炭火で焼いてくれたりもする。しかし、そういう有料エリアはまだ開園前だ。だからその周りにある広い芝生の木陰に腰を下ろす。僕が少し大きめのシートを敷くと、そこに彩愛が真っ先に寝転がった。

「うわ~、気持ちいい!」

無邪気に大の字に両手を広げて寝ころぶ彩愛が、帽子を顔からずらして僕の方を見た。

「よっしーも寝てごらんよ。気持ちいいよ」

「うん・・・」

そうは言ったけど、まさかぴったり隣に寝るなんて出来る訳がない。手持無沙汰を感じ取られない様に、僕はリュックの中身をガサガサやって水筒を取り出したりしてみる。それに気付いた彩愛がむくっと起き上がった。

「お腹減ったね。お弁当食べようか?」

「・・・え?もう?」

「だって、朝食べて来なかったんだもん。よっしーは?食べてきた?」

僕は首を横に振って、ハッとする。

「早くからお弁当作ってくれてたから、朝ご飯食べてくる時間無かったんだね。・・・ごめんね」

にっこり笑って首を振る彩愛が、嬉しそうにお弁当の包みを取り出す。

「良かった。じゃ、一緒に食べよ」

彩愛の手作りのお弁当は、蓋を開けた途端に彩りも良くて、うちのお母さんが作るお惣菜を詰めた茶色っぽい代物とは、かなり輝きが違っていた。

「うわっ・・・凄いね」

唐揚げや卵焼きの間にブロッコリーやミニトマトが彩りよく散りばめられていて、ウインナーもたこさんに細工されている。

「おにぎりとサンドイッチ、両方作っちゃった」

もう一つの蓋を開けると、そこにはおにぎりと卵サンドとハムレタスサンドが顔を出す。

「おにぎりはね・・・梅干しと鮭。どっちがいい?」

シートの上で彩愛手作りのお弁当を一緒に食べている光景は、誰がどう見てもカップルだ。こんな事、いいのだろうか。舞い上がってしまいそうな僕の頭の片隅で、もう一人の戸惑う僕もいる。

 食べきれない程のお弁当を腹いっぱい胃袋に詰め込むと、僕は自然と仰向けに体を横たえた。そして帽子を顔の上に乗せた。それは、にやけてしまいそうな顔を見られない為だ。朝の木陰になっていた芝生は、まだひんやりしていて、僕はいつの間にか夢の谷へと堕ちていた。


 ふと我に返り、帽子をずらして周りを見ると、なんと隣には彩愛が同じ様に横になって眠っていた。慌てて飛び起きた僕だが、彩愛は気持ち良さそうにすうすうと寝息を立てている。僕は自分を落ち着かせる様に、お茶を一口飲んだ。そしてまだ木陰になっている僕らのシートの上で、少し背中を丸めている彩愛に、僕は自分のウィンドブレーカーをそっと掛けた。

 立ち上がって伸びをして、僕は少し辺りを一周した。時間も丁度10時を過ぎている。きっと今朝早起きしてあんなに沢山の手作り弁当を準備した彩愛はろくに眠っていなかったのかもしれないと、起こさない様にシートの脇に僕は静かに腰を下ろした。

 それからどれ位経ったのだろう。僕の背中の方で、彩愛が少し動いた気配を感じて振り返ると、眠ったままの彼女の瞳から一すじ涙がこぼれ落ちた。一体どんな夢を見ているというのか。彼女の心の奥底に眠る辛くて重くて暗い影の正体に、僕は心が潰される様な思いがしていた。手を触れたら壊れてしまいそうな彼女に、恐る恐る手を伸ばし 涙に指を当てた。頬に触れてしまいそうな指が震えて僕は息を止めた。その途端、彩愛がゆっくりと目を覚ます。きっと自分が泣いている事など気が付いていないだろう。肩に掛けられた上着に気が付いて、彼女は寝ころんだままにっこりと笑った。

「ありがとう、よっしー」

僕はどうしていいのか分からずに、とっさにさっき涙を拭った手で頭を掻いた。

「日陰だったから、寒くなかった?」

「全然。だって、よっしー 掛けてくれたから」

まどろむ彩愛と目を合わせるのが照れ臭かった僕は、体の向きを元に戻して 彼女に背を向けた。

「今ね・・・」

背後から、彩愛が話し掛ける。

「よっしーの夢見てた」

「え?!」

思わず振り返ってしまった。そりゃそうだ。だって今さっき寝ながら泣いていたのに、その夢に自分が出ていたと言われたら誰だって戸惑う筈だ。ゆっくり起き上がった彩愛が、目の辺りに涙の名残を感じ、小さい声で『あれ?』と言ったのを、僕は聞こえないふりをした。


 広い公園の園内を散策していると、大きな池を見てボートに乗りたいと彩愛が言った。手漕ぎボートに向かい合って座ると、僕の緊張が高まる。

「上手く漕げるかな・・・。何年か前にお父さんに教わったっきりだから」

「私全然出来ないからね」

中学の時に家族旅行でお父さんに教わった漕ぎ方を思い出しながら、僕は水が彩愛に引っ掛からない様に気をつけて漕いだ。すると、彩愛が感嘆の声を上げた。

「わぁ~、進んだぁ!」

手を叩いて喜ぶ彩愛が、目の前で愛おしく微笑んでいる。それを原動力に僕は必死で腕を動かした。

「意外に揺れるね~」

彩愛の両手がボートの淵を掴んでいるが、それを楽しんでいる様にも見える。きゃっきゃ言いながら水の中を覗き込んだりする彼女は、一瞬でも年相応の女の子に見えた。

 だいぶ遠くまでボートを進めてきて、木陰の辺りで少し腕を休めた。

「疲れた?」

「うん。大丈夫」

「よっしーって、意外に何でも出来ちゃうよね」

「意外にって何だよ」

ちょっとふて腐れた顔をしてみせると、彩愛がきゃはははと笑った。

「私もやってみようかなぁ」

好奇心旺盛な彩愛が、少し腰を浮かしてオールに手を伸ばす。その途端、重心が動いてボートがグラグラ揺れた。

「いや、待って待って。立ち上がっちゃ駄目だって、危ないから」

慌てる僕を見て、また彩愛が笑った。見よう見真似の不慣れな手つきで暫く彩愛が漕ぐと、オールを僕に差し出した。

「ギブ」

僕は笑った。

「結構疲れるね、これ。よっしー、よくさっきあんなに長い事漕げたね」

また褒められてちょっと得意になった僕の顔を彩愛がじっと見る。視線を感じてはいたが、どうしていいか分からなくて、僕はボートを漕ぐ事に熱中して その視線を避けた。

「よっしーってさぁ・・・」

今度は何だ?じっと人の事を見た後で、何を言うつもりだろうと思っていると、彩愛がにっこり満面の笑みを顔いっぱいに広げて言った。

「・・・お父さんみたい」

「お父さん?!」

僕の気持ちは言うまでもない。例えるなら、甘いと思って食べた柿が期待外れに渋柿だった時みたいな感じだ。でも、彩愛はまだニコニコして僕の方を見ている。

「そう。何でも受け止めてくれる感じ。すぐに否定もしないし、小言も言わない。駄目だなぁって言いながら見守っててくれる感じ」

多分彩愛的には、褒め言葉だったのだろう。そう分かると、少し救われるが、恋愛対象外だという事に変わりはない。複雑な気持ちの僕を置いたまま、彩愛は話を続けた。

「お父さんみたいって言っても、イメージだけだけどね。うちのお父さんは全然そんな感じじゃないから」

家庭内の不和の悩みを抱える彩愛の心に少し近付きたくて、僕は遠慮がちに質問した。

「どんな人なの?お父さんって」

首を傾げる彩愛の顔から、一瞬にして笑顔が引いていった。

「自分勝手で偉そうで、それでいて人にいつもチヤホヤされたくて」

この勢いで、もう少し聞いてしまおうと僕は思い切って質問をした。

「じゃ、お母さんは?」

「ママはね・・・浮気してる」

思いがけなく決定的な言葉が飛び出して、僕は一瞬面喰ってしまう。

「お父さんの事が嫌で、ママはよそに彼氏がいるの。だから時々帰って来ない」

ドラマの中の話みたいだと、正直僕は驚いていた。

「お父さん・・・それ知ってるの?」

「うん、多分ね。だからお母さんが帰って来ない日は機嫌が悪くて、お酒飲むの。それで時々うちの中の色んな物が壊れる」

「え・・・?暴れるの?お父さん」

「そ。だから私も家出てくるの」

淡々と話す彩愛の顔はまるで能面の様に温度がない。そして彩愛はそのまま話を続けた。

「でもそんな事言ったって、お父さんだって他に女いるんだよ」

僕は絶句してしまう。もしかしたら、漕いでいた手が止まってしまっていたかもしれない。

「ママから聞いたの。でもそれなら別れちゃえばいいのにって言ったら、私がいるから別れないって。私が20歳になるまではって・・・。でもさ、それっておかしくない?もう完全に夫婦の関係なんか破たんしてるのに、離婚しない意味って何?」

「・・・・・・」

もちろん、のほほんと生きてきた僕にその答えがある訳がない。

「私が居なければ、あの二人はとっくに離婚してそれぞれ好きな人と一緒に幸せに暮らせるんじゃないの?私がいる意味って何?居ない方が良かったんじゃない?って。生まれて来なければ良かったのかなって・・・」

涙は流さないが、急に彩愛の目の奥に暗く影が落ちて、僅かに瞳がうるんでくる。

「そんな事ないよ。生まれて来なければ良かったなんて・・・そんな事絶対にないよ」

誰だって言えそうな薄っぺらな言葉を羅列してみるが、全然彩愛に届いているとは思えない。僕はもうボートなど漕いでいる場合ではなくなって、オールを水から上げた。

「角田が生まれてきてくれたから会えたんだし、今まで生きていてくれたから こうやって同じクラスにもなって仲良くもなれた。角田がいたから・・・学校も楽しいし・・・角田がいるから・・・色んな事頑張ろうって思える。角田がいるから・・・」

いっぱいいっぱい彩愛の存在価値を僕なりの言葉で伝えたくて気持ちがはやる。気が付くと、目の前の彩愛が俯いていた。そこから雫がぽたっぽたっと二つ落ちるのが見えた。

「角田にとって僕は・・・野暮ったくてお父さんみたいかもしれないし、彼氏みたいに その存在自体で生きがいを感じさせたりできないけど・・・だけど、僕にとって角田は必要だし、笑ってくれたら嬉しいし、泣いてたら一緒に悲しいって思うし・・・」

彩愛が顔を上げるまで、涙の雫が止まるまで僕は励まし続けようと思って、口の上手くないのを必死で言葉を繋げていたのに、急に彼女が肩を震わせ笑い始めた。

「え・・・?」

何か変な事言ったか・・・?そう思った途端、僕の言葉が途切れると、彩愛が顔を上げた。瞳からは涙が溢れていたが顔は笑顔でいっぱいだった。

「長いよ、よっしー」

「だって・・・」

僕はまた頭を掻いた。

「ありがとう」

僕は少し冷静さを取り戻すと、ふと気になる。これは告白になってしまったのか?彩愛はどう思ったのだろう。その辺は怖くて僕は変な空気を避ける様に、またボートを漕ぎ始めた。無心に漕いだ。ひたすらさっき来た方を目指して。すると、少し落ち着いた彩愛が涙を拭いながら言った。

「一個だけ訂正」

僕はキョトンと目と口を開けたまま、彩愛を見た。

「さっき『野暮ったくてお父さんみたいかもしれない』って言ったけど、私そういう意味じゃないからね」

「・・・・・・」

「来る時だって、前走ってる自転車から時々振り返って気にしてくれる感じ。その優しさ、けっこうキュンとしたよ」

最後の一言に僕は完全にノックアウトされて、その後はあまり良く覚えていない。ただ僕の頭の中は、一体どういう事だ?それしかなかったのだから。女の子が普通『キュンとした』って使う時は、好きな気持ちが少しでもある時だ。でも彼氏とはどうなってるんだ?そこが知りたい。


 ボートを降りた後、彩愛の釣りがしたいというその希望に応えるべく釣り堀に向かう。たった30分の時間でも二人で合わせて6匹も連れたから、入れ食い状態だ。お陰で彩愛のテンションが上がったから、僕も満足だ。その内の二匹だけをその場で炭火焼にしてもらって、出来上がりをふうふう言いながら頬張った。

「私、お魚こんなに美味しいって思ったの、初めてかも」

彩愛が感動して笑顔になる度、僕の心の音階は一つずつ上がる感じがする。

「いいね、キャンプとかバーベキューとかも」

「友達とかと行かないの?」

「皆でワイワイ行ったら、楽しそう!」

学校で彩愛が仲の良いグループと僕の仲良くしてる友達のタイプは違う。現に一学期の期末テスト最終日、商店街のピザ食べ放題の店で一緒に居る所を見られ 気まずくなった。それを思い出して、僕の心の隅が少し苦しくなった。そして、思い切ってこの質問をぶつけてみる事にした。

「彼氏とは・・・夏休みどっか行くの?」

「・・・・・・」

まるで何も聞こえていなかったかの様に、彩愛は黙々と残りの魚を平らげた。だから僕も、聞いてはいけない事だったんだと解釈して、同じ様に黙々と魚を頬張った。それを平らげた僕を見て、彩愛がぷっと吹き出した。何が急におかしかったんだろうと僕がキョトンとしていると、彩愛がティッシュを一枚差し出してくる。

「口の横に、付いてる」

恥ずかしさのあまり、慌ててそのティッシュで口の周りを乱暴に拭いた。すると、彩愛が小さな声でボソッと言った。

「また、よっしーん家行きたいな」

「うん。お母さんもまたおいでって言ってたし」

「お母さんのカレー、また食べたい」

「そんな事聞いたら、張り切っていつだって作っちゃうよ。又でっかい鍋にいっぱいさ」


 二人が自転車で地元まで帰って来たのはもう日も傾きかけている頃だった。二人の分かれ道で一旦自転車を止めて、僕が言った。

「今日は朝早くからありがとう。お弁当も美味しかったし・・・凄く楽しかった」

「うん。私も」

「またカレーの日、連絡する」

彩愛はそれを聞くと、目を細くしてきゃははと笑った。

「待ってる」

「じゃあ、気を付けて帰ってね」

自転車をこぎ始めた彩愛の後ろ姿を見て、僕は衝動に駆られた様に大きな声を出して呼び止めた。振り返って止まる彩愛の傍へ、僕は自転車を進めた。

「あのさ・・・」

僕の胸が急に心拍数を上げてくるから、意味のない深呼吸を一つした。

「もう、そんなに辛いんなら、彼氏とは別れてさ・・・」

さっきまでの明るい彩愛から一変して、目の奥が急に暗くなる。

「僕じゃその隙間を埋めらんないかもしれないけど、辛い時も悲しい時も淋しい時も、ずっと傍にいるからさ・・・」

黙って僕の話を聞いてくれていたが、良く見ると彩愛の瞳はどこか怯えた様な、疑う様な そんな淋しい色を映していた。

「ありがと。じゃあね」

僕が決死の覚悟で告白したのに、その相槌にしては随分あっさりとした返事を残して、彩愛は自転車に乗って姿を消していった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ