侯爵令嬢、啖呵を切る
「な……っ」
シエナはまごつきながら、裏返った声で言った。
「へ、陛下は女人が嫌いなのではなかったのですか?」
「嫌いだ――美しく権力のあるものにしか興味を示さない残酷な女は。だが、お前は他の女とは違う。お前だけが俺の……この、傷をみても拒まなかった。お前だけがこの傷に自分から触れてくれる……」
イザクはシエナの手をとり、自らの傷痕へと導いた。シエナはいざなわれるままイザクの傷口を撫でる。
「そんな希少な女を、手放すのは惜しい」
「そう言われましても……」
いきなり結婚と言われても、前世の常識が頭の隅にこびりついているシエナには抵抗がある。というか、たった一日で結婚を決めちゃうって国王様はやっぱりマンガじゃなくてもすごい。わお。というのがシエナの本音だった。
(陛下にとって結婚は、愛する者同士が結ばれるものではなく、自分を受け入れる者かそうでないかで決めるものなのね……側妃なら尚更)
もしかしたらイザクには立場上、心を許せる友もいないのかもしれない。妃や部下という形以外に傍で支えてくれる人の存在を知らないから、気が合うイコール結婚して繋ぎとめるしか方法はないという結論に至ってしまうのではなかろうか。
(本当の自分を知っても拒絶しない相手なら何でもいいから繋ぎとめておきたい……そんな安直な思考に走るくらい、陛下は孤独だったってことね……)
寂しい人なのだろう。そして悲しい人だ。
「頷け、シエナ。……だめか?」
命令しておきながらお伺いを立ててくるイザクに、シエナはちょっと笑ってしまった。絶対にシエナを側妃に娶ると言い切れば、誰が反対しようと押し切ることが出来るというのにそれをしないこの王は、一見粗野で乱暴に見えるが、横暴ではないようだ。
「ダメと言ったら、帰してくださるのですか?」
「……拒絶されるのは好きじゃない」
イザクのルビー色の瞳が揺れる。母親に置いて行かれた子供のような表情に、少なからずシエナの母性は刺激された。そしてその後に呟かれた衝撃の事実に頭をトンカチで殴られた気分にもなった。
「あと、『陛下のお気に召すようなら娘を妃にどうぞ』とオルゲートには言われている」
「…………」
(あんっの狸爺……!!)
能天気にピースサインをする父親の姿が頭に浮かび、シエナは美しい髪を波立たせて怒る。今なら怒りでイザクのように火炎が出せそうだ。
「……無理強いはしないつもりだ、今は」
シエナの心を読んだようにイザクが言った。
昨日はあんなに刺々しく取り付く島もない様子だったのに、懐へと招いた相手には遠慮を見せる王にシエナの調子は狂う。
「ふむ」
一晩共にしたせいか(何もなかったが)シエナはイザクに多少の情が湧いてしまった自覚がある。なのに、これで突然「さようなら、お元気で」は少々冷たいのかもしれない。
「分かりました、陛下。ただ、いきなり側妃になれと言われてもお返事できかねますので、まずは」
お友達からではダメでしょうか、と提案したかったのだが、こちらへ向かってくる二人分の足音に気付き、シエナは口を噤んだ。イザクも来訪者に気付き、眼帯を手に取る。
小気味の良いノックが三回響いたかと思うと、男の明るい声がかかった。
「イザク様ー! 起きてらっしゃいますー? まーた貴族の令嬢を追い返したあとに深酒されたんですかいー?」
王に対して気安い物言いにシエナは驚く。声色からして若い気がするのだが、一体……?
「従者の方ですか……?」
シエナがイザクに尋ねると、彼は額を押さえて「あいつらは……」と呻いた。眼帯を結ぶ手が止まったので、シエナは手伝おうと眼帯の紐へ手を伸ばす。イザクが誰かに傷痕を晒すのは嫌だろうと思ったからだ。
「イザク様、開けますぜー?」
イザクがまだ眠っていると思ったのか、声の主は返事も待たずに室内に入ってきた。二十歳前後の男二人だ。
男の一人は肩まで伸びたミルクティー色の髪を左側だけ編みこんでおり、もう一人は同じくミルクティー色の髪を短く切って無造作にハネさせていた。共に若草色の猫目だ。
「あり? 陛下、起きてたんですかい?」
双子の長髪の方が、イザクの姿を認めると意外そうに言った。短髪の方は、寡黙そうに唇を引き結んでいる。
「……双子……?」
シエナが珍しそうに呟くと、双子の視線がそろって奥のシエナへと向く。室内にはイザクしか居ないと思っていたのか、吊りあがった目が零れ落ちそうなくらいに見開かれた。
かと思うと、二人の視線は右目を晒したままのイザクと、シエナが手にした眼帯へと移る。
「あ、えっと――……」
シエナが説明するより先に、長髪の男は目を吊り上げて腰にさしていた短剣を抜いた。
「無礼な……っ」
「は……?」
いきなり怒鳴られたかと思うと、男の短剣が矢のような速さで飛んできた。途端にシエナの全身を前世の記憶が駆けめぐり、ナイフでめった刺しにされた部分が痛んだ気がした。血の気が引く。
シエナはとっさに持ち込みを許されていた扇でナイフを弾こうとする。が、その前にイザクが炎を纏った手で弾いてくれた。イザクの払った手により炎の軌跡が描かれ、上等な絨毯にナイフが転がる。
「何の真似だ、ニフ」
シエナの肩を守るように引き寄せ、イザクが長髪の男をたしなめる。ナイフを投げた男――ニフは噛みついた。
「何で邪魔するんですかいイザク様。その女、無礼にもイザク様の眼帯を取りやがったんじゃねーんですかい? これだから貴族の女は嫌いだ――傲慢で、高慢で、イザク様を傷つけることを平気でしやがる。そのくせイザク様に傷つけられた顔して帰りやがって」
ニフはイザクがコンプレックスである右目を晒した状態なのを見て、シエナに興味本位で眼帯を外されたと早とちりしたようだった。
「ニフ、落ち着け」
短髪の男がニフの腕を掴んで諌めた。ニフは目をすがめて双子の片割れにわめく。
「ロアも怒れよ。イザク様が!」
「主、女を守った。無理矢理眼帯を取られたわけない。もしそんな不敬をはたらいたなら、女、今ごろ死んでる」
入室してから無表情を貫いているロアが淡々と告げた。それを聞いて、ニフも不思議に思ったのか落ち着きを取り戻した。
「あり? じゃあイザク様、無理矢理女に眼帯を取られた訳じゃないんですかい?」
「誰がいつそんなことを言った、ニフ。それからロア、お前はニフを止めるのが遅すぎだ」
イザクが呆れ交じりに叱ると、双子は肩をすくめた。イザクは黙ったままのシエナへ謝る。
「すまない、怖がらせたな。こいつらは俺の側近のニフとロアだ。ニフ、シエナに詫びろ」
「おっどろき。イザク様が貴族の令嬢だろうと女に気を使うとは何事ですかい……?」
甘いマスクをしたニフはたまげた様子で言った。側近ということだが、それにしたってニフの態度には敬意がかけている。
「もしかしてイザク様のお眼鏡にかなう令嬢だったわけで? そいつは失礼いたしやした」
イザクの影になって表情を窺えないシエナに向かってニフが頭を下げる。
ロアも「片割れが失礼しました」とやはり無表情で謝ったが、シエナからの返事はない。双子は不審そうに顔を上げた。
「シエナ、震えてるのか?」
シエナの肩を抱いたままのイザクは、シエナが怯えていると思ったのだろう、優しく問いかける。シエナは小さく口を開くと、囁くように言った。
「……たわ……」
「――――……何?」
シエナの蚊の鳴くような声をイザクは聞き返す。俯いていたシエナはぱっと顔を上げると、宝石を嵌めこんだように美しいと称される瞳を三角にして言い直した。
「もし現世で命を狙われたなら、実行すべきことがあると思ってたわ。何って、殺される前に相手をしとめることよ!」
「――――は?」
男性陣が三人とも唖然とする中、シエナはイザクの手を振りほどき、野生動物のような俊敏さで寝台から抜けだした。
ドレスの裾がまくれあがり白い足が見えるのも気にすることなく、壁に飾られていた剣を手にする。そして剣を大上段に振り上げ、そのままニフに向かって振り下ろした。
「覚悟ぉぉぉぉっ!!」
キインッと金属の交差する音が室内に響き渡る。
シエナのまさかの行動に言葉を失っていたニフだったが、とっさに腰に帯びていた剣でシエナの攻撃を受け止めた。外では小鳥たちが愛らしく囀っているというのに、窓を隔てた室内では物騒な空気が広がった。
「はあっ!? 騎士団長であるこの俺に向かって臆することなく攻撃した?」
「この私の攻撃を受け止めた!?」
ニフとシエナが同時に声を上げる。
呆然とする二人以上に驚いていたのはイザクだった。精巧な人形のように美しいシエナが、まして貴族令嬢ともあろうシエナが、まさか獣のような動きでニフに襲いかかるとは思わなかったのだろう。
流石の王でも、止めるのが一歩遅れた。
「おい――」
「大人しく私にやられなさい!」
「シエナ! ニフ!」
イザクが怒鳴り、シエナとニフの間を裂くようにして炎を舞い上がらせた。熱さにシエナが後ろへたたらを踏むと、イザクは素早く剣を奪い取る。
「イザク様! その女の動き、タダ者じゃないですぜ! 間者かも――むぐっ」
叫ぶニフの口をロアが手で塞ぐ。イザクは苛立った様子で言った。
「やめろ、ニフ。シエナ、お前もだ。どうしたんだ急に」
毛を逆立てた猫のようにニフを睨みつけたままのシエナは、今度は不機嫌を隠さないままイザクを睨みあげる。憎悪というよりは完全に機嫌を損ねた子供のようなシエナの視線に、イザクは面食らった。
出会ってから一晩、その包容力からずっと年上のような雰囲気を纏っていたシエナがあまりにも子供っぽく見えたからだ。
「何で止めるんですか! そこのチャラ男が先に私の命を狙ったのに!」
チャラ男という言葉に反応してニフが反論したが、ロアに口を塞がれているせいで溺れたように「もがっ」という声が漏れただけだった。イザクはそれを無視して謝る。
「悪かった。ニフの誤解だったんだ、わざとじゃない。それにニフが本気だったら今ごろお前は死んでる――」
「誤解で殺されてたまるもんですかーー!!」
イザクが弁解するも、シエナは気炎を上げる。
あまりの怒りように部屋の周りには何事かと人が集まり、隣室にて控えていたリリーナも顔を出し、顔を青ざめさせた。
「シエナ様!? これは一体どういうことです……!?」
リリーナや王宮の使用人たちが姿を現したので、イザクは忌々しそうに右目の傷痕を手で隠しながらシエナを押さえる。
「とりあえず落ちつけシエナ、らしくないぞ」
「らしくない!? これが私の通常運転ですよ陛下! だって、私は生きることに全神経を注いでるんだから!」
ユニコーンの鬣のように美しい髪を振り乱しながらシエナが吠える。
「ああ、でもそうですね、たしかに落ち着きが足りてないのかもしれません――では落ちついて考えて、先ほどの結婚の申し込みに対する答えが出ましたわ、陛下」
まさかこの場面で先ほどの話に戻ったことに、イザクは虚を突かれる。シエナは眼帯を手早くイザクに付けてやりながら、荒い口調で答えた。
「答えはノーよ!」
捨て鉢に言い捨ててから、シエナはニフとロアをもう一度キッとねめつけた。
「私はねえっ、この世界で誰より安全に安寧に長生きしたいのよっ! 従者から命を狙われるような場所へは! ぜっっったいに嫁ぎませんっ!」
その時の啖呵は見事だったと、後にリリーナは語る。
というわけで双子が登場したので、近いうちに登場人物の頁に双子の絵を載せたいと思います。